電脳都市アキハバラ編

電脳都市アキハバラ

「あっははは! アタシは創造主愛染りりり! アタシとこの子に描けないものなんてないわ!」

 最新のペンタブを手にしたアタシは、まるで水を得た魚のように元気になっていた。元の世界ではそこそこの知名度を誇っていたアタシも、こちらの世界では無名な一般人だ。わざわざ腕を疲労させて、頭を狂わせてまでイラストを描く必要なんてどこにもなかった。それでもアタシがペンを走らせるのは何故なのか。理性、本能、はたまた防衛本能? 創造主愛染りりりは、創造主自身のことを理解できていなかった。それは、別にできなくてもいいことだ。創造主は創造主らしく、愛染りりりらしく、ただ創造を始めればいい。創造を続けていればいい。それがアタシの生き甲斐であり、アタシを形作るアタシらしさなのだから。

 さて、そろそろ今のアタシについての話をするとしよう。事の発端は、モカ・ナツメのとある提案だった。


 死闘を繰り広げたアタシとモカは、知人を越えた特別な関係になりつつあった。芹架の家に集ったアタシ達は、ファンタジー感のない部屋で、ファンタジー感のない話をしていた。

「二人は、CODEをやっています?」

 CODEは、この世界で大流行しているSNSの一つだ。スマートフォン、通称スマホと呼ばれる端末を持つ人は大抵このアプリを入れており、友人との雑談から職場の連絡まで、幅広く活用されている。モカは、簡単にそう説明した。

「……やっていないし、こっちの世界にスマホが存在していたという事実も知らなかったわ」

「こっちの世界?」

 うっかり口を滑らせてしまったことによって溢れ出た言葉を、モカは拾った。落としましたよ、とそれを手渡されたが、アタシがそれを受け取ることはなかった。

「コホン……スマホって、どこで販売されているの? この町にも売っている?」

 モカはスマホを巧みに操って、画面上に地図を映し出した。

「たまになら、この町にも馬車がやって来ます。でも、電脳都市アキハバラで、見比べながら買った方が愛着が湧くと思いますよ」

 ああ、死ぬ前にも聞いたことのある台詞だ。

「電脳都市アキハバラ……オタクの聖地みたいな名前ね」

「芹架も知らなかったんだ?」

「私も、こっちに来てまだ一ヶ月ちょっとしか経っていないもの。あなたよりも詳しいってだけで、私もまだまだ新参なのよ?」

「ふーん……」

 アタシの方が先に死んだのに、何で芹架の方が早くこっちに転生しているのだろう。人間のアタシには、女神の考えていることが全く理解できない。

「とにかく、そのアキハバラとかいう都市に行けば、私達もスマホを手にできるってことね?」

「お金さえ払えば」

「巨大化したツリースライム討伐の報奨金が出ているから、そっちの心配は無用よ」

「ちょっと、そんな話聞いていないんですけれど!?」

 討伐したのはアタシだ。どうして芹架がそのお礼をもらって、アタシにはその報告すら来ていないのか。おかしい。何かがおかしい!

「お黙り、愛染りりり! あなたの分も私が出してあげるから、この話は忘れなさい!」

「端数をネコババするつもりでしょ!?」

「誰がババアよ! この猫系女子!」

「誰もババアなんて言っていないんですけれど!? あんたまだ、そんなことを気にする歳じゃないでしょ?」

「よく分かっているじゃない。あなたも、愛嬌があってとても可愛らしいわよ愛染りりり」

「気持ち悪っ!」

 芹架が、聖母のような笑みを浮かべて優しい声色で話し掛けてくる……それだけで、背筋をぞわっとさせるには十分だった。

「モカ、素晴らしい情報をありがとう。早速、電脳都市アキハバラまでスマホを買いに行かせてもらうわね。そしたら、CODEとやらで友達になりましょう」

「はい!」

 モカは、ぱあっと明るく微笑んだ。それから彼女は、スマホを弄ってここからアキハバラまでの道のりを示した画面をアタシ達に見せてきた。モカによる、どの方向に向かうのか、目印は何なのかなどの説明を聞いて、アタシは彼女にこう尋ねた。

「モカは着いてきてくれないの?」

 モカの口振りには違和感があった。いや、モカが着いてきてくれるという先入観を持っていた、アタシの方がおかしかったのかもしれない。とにかく、アタシにはモカが同行してくれない風に聞こえたのだ。

「世界樹の立ち入り禁止令も解除されたみたいですし、わたしは兄の痕跡を辿ってダンジョン探索をしてみようと思っているんです」

「そっか。何か、手掛かりが見つかるといいわね」

 モカは小さく頷いた。

 そんなこんなで、アタシと芹架は三日分の食料を持って町を出た。電脳都市アキハバラまでは、片道一日も掛からないらしいのだが、道中には魔物が出るとのことなので、アタシは用心して損をすることはないと考えた。別に、時間に制限があるわけでもない。ゆっくりピクニックでもするように向かうとしよう。


 緑の絨毯と、頬を撫でる心地いい風。なだらかな道を描く一本道を、アタシと芹架は歩いていく。

「生前は徒歩一〇分も掛からない道でも電車を使っていたっていうのに、どういう心境の変化なのかしらね」

「変化したのは環境でしょう」

「……一理あるわね」

 見飽きた灰色の風景とは裏腹に、ここの景色は自然豊かだ。時折現れる獣達もまた、挙動が面白くて興味深い。アタシは、いつの間にか物語の中でしかみたことのない大自然の虜になってしまっていた。

「ほんと、いいところよねぇ……」

 モカの情報によると、後少しで下り坂に出るはずだ。そこまで行けば、電脳都市アキハバラを一望することができるだろう。その光景に胸を躍らせながら、もう少しでお別れすることになる自然を堪能するアタシに、芹架が冗談めいた発言を呟いた。

「まるで、白いワンピースを着た女の子がいそうなところね」

 という芹架の言葉に呼応するかのように、前方から人影が迫ってきた。草原と同じ色の長い髪からは、草のような一本のアホ毛が逞しく伸びている。白のブラウスはボロボロで、第三ボタンまでは外れてしまっていた。ぶかぶかなシャツのようになったブラウスは斜めを向き、片方の肩が完全に露出してしまっている。それどころか、黒の下着までもが顔を覗かせていた。ブラウンのショートパンツにも、幾つか斬られたような跡が残っている。これ程までに強烈なインパクトを持った容姿をしている彼女だったが、アタシ達の目はそんなところを見てはいなかった。身体に突き刺さる六本の武器──剣と刀、槍、鉈、巨大なハサミ、それに巨大な釘のようなもの。人間から生えていてはいけない六つの棒が、彼女の肉体からは伸びていた。大丈夫かと尋ねるのは逆に失礼にあたってしまうくらいの惨状を、アタシ達は目の当たりにした。

 よろめきながらも必死に歩き続けるその様は、到底見ていられなかった。アタシと芹架は彼女の元へと駆け寄って、事情を聞くことにした。

「一体何があったの!?」

 少女は答える。

「少し、怪我をしてしまったのです。よければ、この刃物を抜いてはくれないでしょうか?」

 暗い緑の瞳には光が宿っておらず、その瞳孔は身体が警戒してしまう程見開かれていた。激しい様相の瞳と違って、声はこの自然のように落ち着いている。それこそ、吹きゆく風のような爽快さの込められた声色だった。

「抜くって……そういうのは、医者とかにやってもらった方がいいんじゃないの?」

「……確かにその通りです。この中に、お医者様はおられますか?」

 生憎、ここにいるのはイラストレーターと小説家だけだ。芹架と顔を見合わせたアタシは、少女の方に向き直ってから首を横に振った。

「この通りです。なので、あなた方に抜いてもらいたいですね」

 恐怖と痛みで、傷口が大きくなってしまうかもしれない。このことから、自分で抜かせるという選択肢は消えた。彼女を救うためには、アタシ達で武器を抜いてあげる他ないようだ。

「わ、分かったわ……」

 依頼を引き受けると、少女は深く頷いた。そして、まさかのタイミングで自己紹介を始めた。

「申し遅れました。私はヴィヒレア。今は、電脳都市アキハバラに住んでいます」

「ご丁寧にどうも。私は芹架よ。こっちはりりり。もう、喋らないで頂戴ね」

「了解……ああ、最後に一つ。可能ならば、真っ直ぐに引き抜いてください。傷が大きくなると面倒なので」

 とことん冷静な少女だなぁ……

 それっきり、ヴィヒレアは喋らなくなった。覚悟を決めたアタシは、右胸の辺りに刺さった剣の柄を掴んだ。大きく息を吸って、意識を集中させる。絶対に、被害を最小限に抑えるんだ。角度、力加減、速度……全てを計算して──

「これでいいのかしら?」

「片手で抜きやがったぞこの悪魔!」

 緻密な計算など生ぬるい。直感こそが全てだ! と言わんばかりの迷いのなさ。正直感服した。

「ぐおぉ……」

 槍の突き刺さっていたところを手で押さえ、ヴィヒレアは苦しそうに声を漏らした。

「ほら、痛がっているじゃない、このバカ!」

「刃物を身体から抜くのです、痛いに決まっているでしょう」

「何でピンピンしているのよ!?」

 顔を上げ、しっかりとこちらを見ながら、ヴィヒレアはアタシにそう述べた。ヴィヒレアのおかしなところはそれだけではない。

「傷口が──塞がっている!?」

 たった今槍を抜いたばかりだと言うのに、それが刺さっていたところには傷跡一つ残ってはいなかった。あるのは、槍の刃の形に切り取られた服だけ。端から見れば、どこかに引っ掛けて破いてしまったようにしか見えないだろう。

「私、再生能力には自信があるのですよ。痛いものは痛いので、自分でやればよかったじゃん……なんて言わないでくださいね」

「言わないわよ……」

 やれやれ、アタシの慎重な思考は杞憂だったようだ。そうと分かれば話が早い。アタシ達は、逆黒髭危機一髪をするかのように手早く任務を遂行した。

「痛すぎて涙が止まりません」

「一滴も溢れてきていないけれどね」

「ふむ……兎にも角にも、ありがとうございました。お礼と言っては何ですが、お二方は電脳都市アキハバラを目指しているのですよね?」

 そんなことは一言も発していないのだが……まあ、この方向に進んでいる旅人など、大抵はそこを目的地として歩んでいるのだろう。

「宿に宛はありますか?」

「ないけれど……」

「それはよかった。どうぞ、うちのアパートをお使いください」

 ヴィヒレアは、自身の住むアパートに空いている部屋があるということを伝えてきた。

「勿論、費用は一切頂戴いたしません。しかも、三食昼寝付きですよ奥様。お買い得だと思いませんか?」

「誰が奥様ですって?」

「失礼、お姉様でした」

「うふふ、綺麗な髪の毛ね」

 二人の漫才は置いておいて、話を進めるとしよう。

「貸してもらえるって言うのなら、是非ともそうしてもらいたいところだけれど……」

「喜んで貸しますとも。きっと、芹架さんにもりりりさんにも喜んでもらえると思いますよ。何せ、最新型の電脳が配備されていますから──」


 うまい話には裏があるとはよく言ったものだが、この話には表しか存在しない。もう二度と離れたくないと思えるような、快適な暮らしがここにはあった。鬼に金棒、イラストレーターにペンタブ。おまけに最新のパソコンも使えると来た。ヌルヌル動く素直なパソコンと、描き心地が抜群で多機能なペンタブとペイントツール……生前よりもいい環境で、アタシは息をしているのだ。

「執筆活動再開のお知らせ! 待っていなさいニューワールド! 私があなたを一〇〇万部売れる作品にしてあげるわー!!」

 ……隣の部屋でもよろしくやっているようだ。アタシも負けてはいられない!

「印税生活万歳! 赤点だって怖くない!」

「りりりさーん、後で挨拶に来てくださいって伝えておきましたよねー?」

 編集者か!? バカな、〆切まではまだ時間があるはず……! さてはあいつ、また間違った納期をアタシに教えやがったな!

「ちょっと待ってくださーい! 具体的には後一日程!」

「はぁ……いえ、待てませんよー。特に変わったことはしなくていいので、挨拶だけでもしにきてくださーい」

「……仕方ないわね!」

 今いいところだったのに……早く用を済ませて、続きを描こう。アタシは、扉を開いてハッとした。

「ヴィヒレア……異世界……ああ!」

 思い出した、アタシは今異世界にいるのだった! 納期も編集者の圧力もあいつも、ここにはいないのだ! 最新機種に心を奪われる余り、アタシは現実を直視できていなかった。

 これはまずい。非常にまずい。相当嫌な態度を取ってしまった気がする。とにかく、ヴィヒレアにはしっかりと謝らなければ……!

「ごめんなさい、ヴィヒレア。ある種の職業病のようなものに侵されていたみたい」

「働くことはよきことです。今日のところは許して差し上げましょう。りりりさんの隣は私の部屋なので、更にその隣から挨拶を始めておいてください。私は、芹架さんを連れ出してきますので」

「分かったわ。本当にごめんね!」

 二階建てのアパートであるツキアカリ荘の上階に、アタシの部屋はある。部屋の場所は奥から二番目で、一番奥は芹架が泊まらせてもらっている。奥から三番目の部屋はヴィヒレアのものらしいので、二階で挨拶しなければならない部屋は一つだけだ。一階も、二階と同じで四つの扉があった。つまり、最大で五人の人と顔を合わせる必要があるということになる。それでは早速、お隣さんのお隣さんに挨拶をするとしよう。インターホンを指で押し、来客を知らせる。足音一つ聞こえていないというのに、扉が静かに開いていった。

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