地を征く軍艦

 言葉が出なかった。目を疑った。耳を塞ぎたくなった。アタシの眼前には、地上にあってはならないものがいる。人間が歯向かってはいけない化け物がいる。軍艦の大きさは、世界樹と比べるととても小さい。だが、人間と比較すると天と地の差がある。小柄な少女と軍艦という不釣り合いさは、一周回って最高のコンビであるかのように思えた。

 飾緒の付いた真っ白な軍服と、フリルが見え隠れする黒いスカートを履いた少女が、こちらに銃口を向けたまま歩き出す。そしてその後ろを、彼女の軍艦──能登が付いていく。

 能登は大地を水のように割り、裂かれた大地もまた、水のように引っ付いていく。アタシの目には、能登が地上を移動しているのに、水上を進んでいるようにしか見えなかった。

「退いてください」

 灰色をしたセミロングの髪を持った少女は、再度通告をしてきた。

 胸に手を当てなくとも聞こえてくる心臓の音。キリキリ痛むお腹。後ろ方向にしか動かない足。内なるアタシはこう叫ぶ。『逃げて、死ぬわよ!』と。こうしている間にも、焦らすように、脅すように少女は迫ってきている。

 百歩譲って、航海する船相手ならばまだやりようはある。しかしながら、航陸する船など空前絶後の代物だ。前代未聞のこの状況に、一体アタシはどう対処すればいい? 何をすればいい? 回るはずもなかった頭に、アタシは必死に問い掛けた。

「“目覚めよ、冷酷なる焔。己が欲望のまま、世界を焼き尽くせ── 冷たき破壊 《セルシウス・ヒート》”!」

 熱を帯びて赤くなったマナの粒が、少女と軍艦を囲む。その粒子は速度を上げながら渦を巻き、やがて身を寄せあって一本の縦線となった。冷たき破壊はまだ終わりじゃない。閉じたと思われた渦巻く粒子は、互いが互いと反応しあって、大きく爆ぜ散った。納期迫のうきせまるが、命の危機に直面した時に開花させた大魔術冷たき破壊。その威力は、こちらの世界に存在する魔術と比較しても遜色ない破壊力を持っていることだろう。

 アタシが頭を抱えている間にも、芹架は冷静に文章を綴っていた。どうやら、アタシ達の間には、経験と覚悟という大きな差が生じているようだ。

 芹架の情け容赦ない大魔術に襲われた少女は無事だろうか。対処できなければ、落命していてもおかしくない威力に思えたのだが……ああ、そんな心配は無用だったようだ。

「し、死ぬかと思った……」

 マナで作られた円形のバリアの中心に、少女と軍艦はいた。少女は強く瞑っていた目を開き、頭部を守っていた腕を下ろしながら、率直な感想を述べた。

『モカ艦長、対魔術兵器雨傘、破損しました!』

『しばらくは使い物にならないッスよ!』

 モカという名の少女に話し掛けているのは、能登──いや、その乗員だった。

「雨傘が破損!? 文字通り、九死に一生を得たってわけですね……」

「へぇ……なら、もう一度放てば私達の勝利ってことね?」

「何でバレて……って、これ繋ぐ回線を間違えているじゃないですか!」

『えっ、嘘……あっ、通信機逝っていたわ! 今は非常回線に繋がっている状態みたいだよー』

 いまいち緊張感のない声が、非常に緊急性のある不具合を報告した。モカは苦虫を噛み潰したような顔をしたが、その回線を繋げておくよう声の主に命令した。

「──それと、全主砲斉射の準備をしてください。あの図体なので、撃てば当たります。なので、装填と同時に攻撃を開始してください! おもーかーじ!」

『おもーかーじ!』

 能登は右向きに回転を始め、すぐに沢山の砲をこちら側へと向けた。それらはアタシを見向きもせずに、前だけを見つめていた。

「カミラの盾を描いて!」

「か、カミラ!?」

 『人造人間異世界に行く』に登場する大人気キャラクターカミラ。彼女の武器は、頑丈さだけを追求した盾だった。それは、物語の主人公であるホワイトガーデンの決め技をも防ぎ、読者を震撼させた。芹架は、今ここでその盾を描けと言っているようだ。

「えーと、えーと……」

 スケッチブックのページを捲りながら、カミラの盾についての描写を思い出す。色は鉄色。形は丸。大きさは防弾盾と同じくらいで、セクションマークのような形をした透明部分には、赤い魔力が模様のように流れていたはず……

「よし、できた!」

 歓喜の叫び声を上げながら、アタシは迷うことなくページを切り取った。それは輝きと共に形を変え、描いたものと同じシルエットとなった。

「上出来よ! あなたは、それを構えて艦長さんの方へと突っ込んでいって!」

「よーそろー……って、それ超危険じゃない!?」

「今は時間がないの! 世界樹の方は私に任せておいて! この光坂芹架が、炎上するくらいのぶっ壊れシールドを書き上げてみせるわ!」

「……言うじゃない!」

 光坂芹架のことは嫌いだけれども、光坂芹架先生のことは嫌いではない。だって彼女は、まるで物語の主人公のように格好いいから!

「アタシとあいつのカミラの力、侮るんじゃないわよ!」

 雛を守る親鳥のように、国のために突撃をする兵隊のように、アタシは迫り来る脅威へと突進した。それには空を裂く程の速度もなく、誰かを救える程の力もない。ただ、自分を守るためだけの盾だ。それはどこまでも貧弱で、とんでもなく臆病に映る。だが、同時に勇気と勇敢さも見受けられた。この時アタシは、カミラの魂がアタシに宿ったように感じた。錯覚でもいい。幻想でもいい。ただアタシに、覚悟を与えてくれればそれでいい!

「銃口を前にしてなお突っ込んできますか……他の会い方をしていたら、能登の乗員になってもらっていたかもしれませんね」

 モカは、ありもしない妄想に首を振り、現実と向き合った。力の宿った眼でじっくりと狙いを定め、そして遂に、丸く開いた銃の口から一発の弾丸が飛び出してきた。それは、寸分違わず盾の中央部──一番脆そうな、透明部分に命中した。だがしかし、それには盾を穿つ程の威力はなかった。

「……やむを得ませんね」

 モカは、今入っていた弾倉を落とした。そして、拳銃が取り付けられていたのと同じところから、新しいマガジンを取って装填した。

 弾倉の変更──それは一般的に、弾倉内の弾を使い果たした時に見られる行動だ。しかし、モカのハンドガンは、まだ一発しか弾を発砲していない。火縄銃じゃあるまいし、一マガジンに一発しか弾丸が入っていないとは考えにくい。つまりモカは、弾の装填ではなく弾種を変えるためにリロードをしたのだ。しかしながら、どんな弾種を変えようと、カミラの盾の前では等しく無力だ。だってこれは、超高圧光線を完全に防ぎ切り、如何なる刃も打ち砕く自慢の盾なのだから──!

 何も恐れることはない。アタシは、次の瞬間までそう妄信していた。モカは、銃口を深く下げ、銃弾を放った。

「え──?」

 何が起きたのか理解できなかった。カミラの盾に、豆粒程度の大きさをした穴がぽっかりと空いていたからだ。弾は、盾を貫いた後に大地へと突き刺さった。言い換えれば、盾を貫いてもなおここまでの威力を保ち続けていた。もしこれが、身体に当たっていたら──? 最悪な妄想に支配されてしまったアタシは、途端に前へと進むことに恐怖を感じるようになってしまった。

「そろそろですかね……」

 モカがそう呟いた瞬間、能登からあらゆる種類の兵器による砲撃が始まった。あるものはボウリングのピンのような弾丸を、またあるものは、長く伸びるビームを。全ては世界樹を倒すために、世に放たれた。

 後ろを振り返る──アタシには、それ以上の抵抗ができなかった。世界樹が攻撃されるのを、じっと見ていることしかできなかった。

「ふぅ……どうやら、間に合ったようね」

 この危機的状況下で、笑みを浮かべる芹架。その理由は、すぐに理解できた。

 能登の攻撃と世界樹の間には、見えない壁が存在していた。透明なそれは、外部からの衝撃によって波紋を起こし、その勢いを完全に殺している。

「本格的な作家活動は休業中だったのだけれど、貴女ファンに求められては書かざるを得ないわよね」

 凄い。そんな言葉しか、頭に浮かんでこなかった。こんな防壁、芹架の小説には一度たりとも登場していない。ということは、今、即興で彼女がこれを作り出したのだ。豊かな想像力で、的確な創造力で、光坂芹架はやってのけたのだ。

 ……認めよう。彼女は、アタシの憧れだ。

「呑気に花火を見ている場合じゃないでしょう、愛染りりり。ファンが待っているのだから、納期に間に合うように仕事をこなしなさい」

「……いつも間に合わせているっての!」

 アタシのイラストを、読者が待ってくれている。次のイラストを、読者は求めている。だからアタシは、それに応える!

 一枚、ページを破く。それが現界したかは、アタシにだって分からない。何故ならそれは──

「くっ……! 主砲一門、貫通弾を装填して、狙いを世界樹から金髪の少女へ!」

『艦長、いいのですか!?』

「艦長命令です! チャンスは今しかないの……!」

 モカの、焦りながらも適切な判断を下す様は、艦長として誇っていい姿だった。もし、あいつにまた会う日が来たら、モカのようなキャラを書いてもらおう。きっと、カミラにも負けない人気キャラクターになってくれるはずだ。

 アタシは、全力で大地を駆ける。能登の鋭い牙がこちらを狙っていようと、そんなものはお構いなしだ。

「攻撃始め!」

 巨大な花火の音と共に、アタシの身長を越える大きさをした弾が空気中を横断する。それは、きちんと出現してくれていた、芹架のものと同じ透明な盾に触れた。

「あなた、この短時間で……!?」

 単純過ぎる造形だ、仕組みさえ分かっていれば描くことなど造作もない。芹架の盾とアタシの盾は、どこまで一致しているのかは分からなかった。一応、この模造品も衝撃との邂逅と同時に波紋を発生させてはいるようだが……

「まだ弱いか……!」

 透明な盾は、遂にその身を散らした。能登による砲弾の威力はかなり減衰させられたようだが、まだ勢いは残っている。残った頼みの綱は、カミラの盾とアタシの根性のみ。未来がどう転ぶかは、神のみぞ知る。アタシは、盾を地面に突き刺して貫通弾を迎え撃つことにした。

「うぐっ……!」

 着弾した貫通弾の威力。それは、激しい風と盾が削れていく感触に姿を変えて、盾越しにアタシを襲う。

「止まれぇぇぇ!!」

 気合を言葉に、言葉を気合にして、アタシは絶叫する。押される身体。近くなっていく砲弾の圧力。本当はとても怖かったけれど、諦めたくはなかった。

 どれくらいの時間が経過したのだろう。長くも短くも感じられた一時は、終焉を迎えた。矛と盾のぶつかり合いの結果は、審判の裁量によって分かれるだろう。

 貫通弾は止まった。だが、カミラの盾にそれを塞ぎ切ることができたとはとても言えない。アタシの目と鼻の先には、黒く変色した巨大なボウリングのピンの先端があった。

「嘘、でしょう……?」

 モカは満身創痍だった。ぽつりと発せられた彼女の言葉には、絶対の自信が崩落した絶望の色が滲んでいた。

『艦長、次の指示を! 艦長!』

 モカには、船員の声すら届いていない。アタシの勝ちだ。

「もう、終わりにしなさい」

 痺れる手を盾から離して、アタシはモカの方へと歩き出した。

「……ない」

 数歩歩いたところで、モカは小さく呟いた。

「諦めない!!」

 震える両手で構えられた拳銃。ブレてはいるものの、銃口は決してアタシという的から外れなかった。

 モカの息は、不自然に上がっていた。それが、疲労から来るものではなく、恐怖から来ているものだとはすぐに気が付けた。

「……あなた、人を撃ったことがないんじゃないの?」

『黙れ! 艦長を侮辱するな!』

 船員による、艦長を擁護する言葉が飛んでくる。

「なら、今更撃つ必要なんてないわ。その手は、ずっと綺麗であるべきよ」

『黙れと言っているだろう!』

 アタシとモカの距離は、もう五メートルも開いていない。艦長を巻き込むリスク的にも俯角的にも、恐怖の対象だったものは恐れるに足りない存在となった。

「その手を下ろしなさい。あなたの負け──」

 アタシが発言を中断したのには、ちゃんとした理由がある。消えたのだ。モカの顔から、恐れが。それは、覚悟の表れだった。純白の手を汚すことに、迷いがなくなったのだ。モカは、白い指で引き金を引いた。

「──バレバレなのよ」

 予兆がありすぎた。予想をする時間がありすぎた。アタシは、現実ではあり得ない描写の一つとして数えていた『弾丸を避ける』という行動を、見事に成功させた。腰を曲げたアタシの頭上を、鉄の塊が通り抜けていく。アタシは、回避の勢いをそのまま前進の力として使った。一気に間合いを詰め、蚊を払うように銃を弾き飛ばす。

「歯ァ食い縛りなさいよ!」

 大きく身体を仰け反らせ、今度はそれを前面へと倒す。すると、アタシのおでことモカのおでこが勢いよく接触した。

「っ……あ……!」

 モカはふらつき、尻餅をついた。そんな彼女を押し倒し、馬乗りになることで身動きをできなくする。モカの顔を挟むように両手を地に付け、アタシは言う。

「もう二度と、こんなバカみたいなことをするんじゃないわよ」

 モカは、カッと目を見開いた後、その目に涙を溜め始めた。

「何も……知らないくせにっ!!」

 噴火した火山のように、モカの口から次々と言葉が溢れ出してきた。

「家族を──兄を失う悲しみを、あなたは知らない! わたしの苦しみを、あなたは知らない! 毎晩流れてくる涙を、あなたは知らない!」

「知らないわよ! それが何だって言うのよ!」

「知らないなら邪魔をしないで! わたしを止めないで! 立ち塞がらないで!!」

「お断りよ!」

「どうして!」

「あんたが──間違ったことをしようとしているからよ!」

 モカはギュッと唇を噛み締めて、グッと拳を握り締めて、更に反論をしてきた。

「間違っているから何なの? そんなこと、承知の上でやっているの! それがわたしのやり方なの!」

「あんたはそれでいいかもしれない。でも、その身勝手な行動が、多くの人をあんたと同じ気持ちにさせるんだってどうして分からないの!?」

 モカは目を逸らした。

「あんたが優しい心の持ち主だってことは、戦いの中で理解したわ。だからきっと、近いうちにもっといい案も思い付くはずよ」

「でも……!」

「焦る必要なんてないじゃない。未来は、ずっと先まで続いているんだから……」

 アタシに、こんな言葉を言う資格なんてなかった。

「……もう少しだけ、考えてみます」

「よろしい!」

 アタシは、横に移動して拘束を解いた。ぐったりと座るアタシの隣に、上体を起こしたモカも座る。

「もう、夜が明けちゃったわね」

 靄が掛かったような太陽が、空を青くしながら昇っていく。それは新たな一日の始まりであり、新たな出会いの始まりでもあった。

「何よ、すっかり意気投合しちゃって」

 頬を膨らませながら、芹架がやってきた。

「あ、芹架さんいたんですか」

 ふふふ、いつもアタシをからかいやがって。立場が逆転した今こそ仕返しのチャンスだ!

「あなたがモカさんね? 私は光坂芹架。よろしくね」

「って無視!?」

 おかしい! こんなはずではなかったのに!

「芹架さん、ですね。よろしくお願いします」

「あら、私とあなたの関係じゃない。この不躾な野良猫みたいにタメ口で話してくれていいのよ?」

「誰が不躾な野良猫よ!」

「敬語は癖みたいなものなので。ところで、あなたは不躾な野良猫さん……って名前なんですか?」

「どう考えたっておかしいでしょその名前!」

「この子は愛染りりり。おかしな名前のおかしな人間よ」

 おかしくなんてないわ! いや、ちょっと奇抜な名前なのは否めないかも……でも人間の方はおかしくない。これだけは断言できる。

「りりり……さんですね。よろしくお願いします」

「聞き間違いかな? みたいな顔するの止めてもらえる!? 結構傷付くわよ、それ!」

「ご、ごめんなさい! わたし、よく気付かないうちに他人を傷付けちゃっているみたいで……直さないとなーとは思っているんですけれど、どこがいけなかったのかが分からなくて、それで……!」

「あーはいはい、分かった分かった。芹架こいつと違って、モカはとても清らかな心を持っているのね」

「ちょっと愛染りりり。あなた今、芹架と書いてこいつと読むルビを振ったでしょう! 私小説家だから、そういうの分かるのよ!」

「小説家って、一体何者なのよ……」

 昨日の敵は今日の友。そんな少年漫画みたいな展開も、存外悪くないかもしれない……光坂芹架は永遠の敵だけれども!

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