能登とモカ

 ──ようやくこの時が来た。わたし達は、お前を殺すためだけにわざわざ今日まで待ち続けていたのだ。怨嗟の歌は、今終わりを迎える。

「ダメだよお嬢ちゃん。ここは今、立ち入り禁止だよ」

「へ?」

 世界樹に穿たれた穴の両端に、各一人ずつ男性が立っていた。屈強な身体を更に軽鎧で補強している彼らは、世界樹の中へと入ろうとするわたしの肩をがっちりと掴んで離さない。

「ほら、ちゃんと立ち入り禁止って書かれたテープも貼ってあるだろう」

 男性は、もう片方の手でダンジョンへの入り口に張り巡らされた黄色いテープを指差しながら言った。

「ど、どうしてもダメですか?」

「どうしてもダメだね」

「いつなら入れますか?」

「調査が終わるまでは入れないからな……具体的にいつとは言い切れないよ」

「そんなぁ……」

 人が少ない今こそ、奴を仕留める絶好の機会なのに。何か、中に入る名案はないものか……よし、ごねよう。

「何の調査をしているんですか?」

「魔物の調査だよ。異常発生に肥大化、あり得ない程の性質変化など、おかしな点が数ヶ所発見されたんだ」

「それだったら、わたしでも手伝えるかもしれません。なので、中に入れてもらえないでしょうか?」

 門番を担っているであろう彼らは、訝しげに、または子供を嗜めるようにわたしを叱咤した。

「あのな、お嬢ちゃん。これは人命に関わる大事なお仕事なんだよ。こう言うのは気が引けるんだが、ここにはお嬢ちゃんにできることなんて一つとして存在しない」

 思っていたよりも心に刺さる物言いをされて、わたしは思わずシュンとしてしまった。そんなわたしにも、二人は容赦なく追撃を放ってくる。

「分かったらお家に帰んな。後、もう一つアドバイスをしておいてやろう」

 男性は、わたしの胴体に人差し指を向けて次のように述べた。

「武器も鎧も持たないでダンジョンに入るなんて、自殺行為に等しいぞ。まずは、町で装備を整えてくるんだな」

 男性は、どこそこの店ならば初心者割引があるだの何だのと丁寧に説明してくれた。あれもダメ、これもダメと言葉だけで否定するのではなく、きちんと改善点を教えてくれる──そんな優しい男性に心を打たれたわたしは、ぺこりと頭を下げてこの場を去ることにした。決して、計画を諦めたわけではない。機を窺うのだ。ここで異変が起きている今ならば、必ずその時はやってくる。それまで、この怒りは胸の内にしまっておこう。


 飴と鞭。正確に言うならば、鞭と飴。門番の男性は、それの扱い方がとても上手だった。ただ、見る目はなかったようだ。彼らは、わたしが丸腰で世界樹に挑もうとしていたと、心の底からそう思ったのだろうか。あちらこちらに隠された本当のわたしを、彼らをたった一手で黙らせることができるその真実を、見抜くことはできなかったのだろうか。だとしたら、運命の時はそう遠くないところにあるのかもしれない。

 聞き慣れた水の動く音を背景の音にして、脳内で本番のシミュレーションをする。

「……ちゃん」

 防御力の高い奴と言えど、この攻撃には耐えられまい。

「……子ちゃん」

 それをした後は、こちらに切り替えて……

「ヘイ、そこの可愛い子ちゃん! 何でこの距離で聞こえてないんだよ!」

 高めの声によって現実世界へと戻されたわたしの目の前には、背の高い三人の男性が立っていた。

「ごめんなさい、何でしょうか?」

 どうやら、彼らは何度もわたしに話し掛けてくれていたらしい。聞こえていなかったという言い訳はしない。今わたしがすべきなのは、三人には悪いことをしてしまったと己を律することだけだ。

「君、可愛いね。よかったら、俺らと楽しいところに行かない?」

「わあ、ありがとうございます! 楽しいところって、どこなんですか?」

「ヘヘッ、来れば分かるよ」

 率先してわたしに話し掛けてくれた彼以外の二人は、鼻息を荒くしたりわたしの身体をジロジロと見回したりしていた。

「えー、教えてくださいよぉ」

 引き下がらないわたしに密着するように、リーダー格の男性が隣に座ってくる。それから男性は、わたしの背後に手を回して肩を組んできた。

「凄いところさ。君も、気持ちよすぎて虜になっちゃうぜ?」

 気持ちいい……彼らは、温泉とかマッサージ店に連れていってくれようとしているのだろうか。そうならば、是非とも場所を教えてもらえたいものだ。何せ、わたしは今長旅の疲れを抱えている──もしかして、彼らはわたしの疲労を見抜いており、少しでも楽になってもらおうと思って招待をしてくれているのか!? ああ、きっとそうだ。この人達は、とても見る目がある。もし門番を決定している偉い人物に会うことがあったら、彼らを候補として挙げさせてもらおう。

「いいところだとは思ったんですけれど、わたし、今はここから動けないんですよね」

 円滑に作戦を決行するためにも、できるだけ世界樹の近くに待機しておきたい。

「待ち合わせしているんだ? まあ、ちょっとくらい遅れてもいいんじゃないの?」

「ダメです! 一刻を争うので!」

「そんな頭の固い奴、縁を切っちまえよ。俺らといる方がぜったいに楽しいって!」

「縁を切るために待っているんです!」

「え? ああ、そうなの?」

 そうだ、この因縁に決着を付けるのだ。もうわたしは、眠れない夜を経験することも、ふとした時に涙することもないのだ。

 それはそれとして、やっぱり彼らの案内してくれようとしているお店のことは知っておきたい。

「あの、その場所の住所が書かれた名刺とかありませんか?」

「め、名刺ぃ? 無いよそんなの……」

 所謂、知る人ぞ知るという店舗なのか……

「じゃあ、住所とか分かりませんか?」

「わっかんねーよ! さっきから何なんだよ、俺もう泣きそうだよ!」

 わたしの隣に座っている男性は、肩に回していた手を解いて頭を抱え始めた。そんな彼を、残りの二人が宥めている。

「えっ、わたし、何か悪いことを言ってしまいましたか!? だとしたらごめんなさい!」

「ううん、もういいよ……俺達が間違っていた。まさか純白の天使に話し掛けちまうなんてな、ははっ……」

 男性は、鼻を啜りながら歩いていった。

「あ、兄貴ぃ!」

「待ってくだせぇ!」

 三人は、すぐにわたしの視界から消えてしまった。

 ──何がいけなかったのだろう。わたしはわたしの過ちに気付けずにいた。


 一度世界樹の元へと戻り、まだ門番がいることを確認したわたしは、酒場でおやつを食べることにした。わたしが選んだのは、スペシャルベリーパフェというスイーツだ。単品メニューに並ぶ高額さと、スペシャルという文字に期待を抱いての選択だった。

「お待たせ致しました! こちら、スペシャルベリーパフェです!」

 厨房から運ばれてきたパフェは、席に座るわたしと同じくらいの背を持っていた。こんなサイズの食べ物を、わたしは一度も見たことがない。

「ごゆっくりどうぞ~」

 立ち去っていったはずのウェイターは、すぐにこちらまで戻ってきた。綺麗な人物に指を差されながら。

「まったく、兄様はすぐに時間を忘れるんだから!」

 腰まであるブロンドの髪は、そのまま糸として使えそうな程細く、美しかった。エメラルドグリーンの色をした瞳も、穢れを知らない透き通り方をしていて、この人物の育ちのよさを実感させてくる。身長は高く、一七〇センチを優に越えているように見える。着ている赤い刺繍の入った黒い服は、この人物の華奢な体格をより顕著にしていた。

 対する兄の方はと言うと、白銀の髪は肩よりも少し長いくらいで、身長は一六五センチを越えているかどうかといったラインだ。年下の方が立派なのもあるが、年上としては少々心許ない。澄んだ緑の瞳と、中性的な顔立ちという共通点こそあれど、両者のイメージは全く違って見えた。

「落ち着いてよクリス、お客様の前だ!」

 クリスは、兄に怒りをぶつける余り周りを見ることができていなかったようだ。わたしと目が合った瞬間、クリスは完璧な営業スマイルをした。

「お気になさらず、ごゆっくりお食事をお楽しみくださいね!」

「ここはクリスの店じゃないだろう!」

「不甲斐ない兄様のためにやってあげたんじゃないか! ほら、もう屋敷に帰らないと怒られちゃうよ!」

 首根っこを摘ままれたお兄様は、怠ける猫のような体勢でクリスに引き摺られていった。

 うちの兄は優しくてよかったとしみじみ思いながら、わたしはクリームにスプーンを通した。


 満天の星空と満ち満ちた月が、闇を宿す空で光を放つ夜。入り口こそ塞がれているものの、日中にはいた二人の人間の影は、綺麗さっぱり消え去っていた。

 ──ようやくこの時が来た。わたし達は、お前を──

「よいしょっと……」

 テープを跨いでダンジョンから外に出てきたのは、金髪ツインテールの少女だった。その後ろには、黒髪の女性の姿もある。

「まったく、命よりも重い仕事道具を忘れてくるだなんて信じられないわね」

「返す言葉もありません……」

 そんなやり取りをしていた二人は、ようやくわたしの姿に気が付いたようだった。

「どうしたの? ここは立ち入り禁止よ」

「凄く説得力のない言葉ね」

 ……どうしてわたしは、こんなにも付いていないのだろう。皆のためを思って、あえて人のいない時間を狙って行動しているのに……落ち着け、わたし。怒りはデメリットでしかない。適切に、的確に、彼女らを退けるのだ。

「ここは危ないので、早く町に戻った方がいいですよ……」

「あなたもね」

「わたしは、ここに用があるので……」

「落とし物とか?」

「世界樹を殺すんです!!」

 抑え込んだはずの怒りが、言葉となって爆発した。そう、わたしの獲物はこの大木そのものだ。こいつは、わたしから兄を奪った。大切で大好きな兄を殺害したのだ! だからわたしがお前を殺す。もう二度と、わたしと同じ哀しみを味わう人が生まれないように。

 話していないから当然なのだが、わたしの気も知らない彼女らは、これまた当たり前の発言をした。

「世界樹を殺す……? そんなの、許されるはずがないじゃない!」

「そもそも、これを殺す術をあなたは持っているの?」

 世界樹は、とても巨大だ。攻撃手段こそ持ち合わせていないものの、その耐久力は生半可なものじゃない。大魔術クラスでも、これを倒すことは難しいだろう。だったら──大魔術を越える力をぶつければどうなる? 幸運なことに、わたしにはそれがある。わたしならば、こいつを折れるかもしれない。より確実性を増させるために、内部から腐蝕させる計画もあった。けれども、もうそんなことをしている余裕は残されていない。時間的にも、精神的にも。

「……退いてください」

 もはや、二人と話している時間さえも惜しい。わたしは、太腿に装着していたベルトから、一丁の拳銃を取り出した。その銃口を、金髪の少女に向ける。

 二人は、怯んだように唾を飲んだ。だが、すぐにまた勇気を手に取った。

 黒髪の女性は言う。

「退くわけにはいかないわね」

 金髪の少女が言う。

「世界樹は、この町の人にとって掛け換えのない存在よ」

 そんなことは分かっている。この町にある食べ物とお金の九割は、ここから産出されているというデータの存在も認識している。知っていながら、わたしは望みを持ったのだ。兄のためにも──わたしのためにも、ここだけは譲れない。

「……これを見ても、まだ同じことが言えますか?」

 できれば見せたくなかった、わたしの取って置き。大丈夫、脅すだけだ。どうせ、見せたら皆いなくなる。

 わたしの背後に広がる空間に、時空に、激しい亀裂が走る。稲妻のように曲がりくねったそれは、すぐに形を保てなくなって──ガラスが割れるような音を立てながら、粉々に砕け散った。

「能登、出航──」

 世界に生じた大きな穴から顔を覗かせたのは、わたしの軍艦だった。

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