希望を描く一閃
アタシは、今から
「見付けた」
巨人のような足音を響かせながら、ゆっくりと移動をするツリースライム。アタシの敵。スライムはやはりアタシには興味がないようで、こちらに背中を向けたままだった。
芹架は、中央よりも左寄りの位置に囚われていた。意識を失っているのか、その身体はぐったりとしている。
「アタシの大切な人……返してもらうわ!」
地を駆けて勢いを付ける。それを力に変えて大きく宙を舞い、持てる力を全て使って聖剣を振り下ろし、スライムの肉体を縦に裂く。切断面は煙を放ち、スライムのドロドロした身体を蒸発させる。すぐに再生をしようと試みるスライムだったが、焼け焦げた身ではそうすることも叶わない。塞がらない疵は左へと動き──いや、スライムが、こちらに振り返ろうと回転を始めたのだ。
……ようやく、アタシを見てくれた。
「させないわ!」
けれども、それももう遅い。お前の敗因は、アタシを怒らせたことだ!
「はああぁっ!!」
刃は柔らかい肉を貫き、硬度のある核へと辿り着く。その硬さも、この剣の前では他と同じだった。ブドウの実に爪楊枝を刺すような感触を腕が感じた。その瞬間、赤い核から黒い液体が流れ出してきた。それが外に出切ると、ツリースライムの身体はたちまち形を失っていった。
「芹架!」
マテリアーテルを投げ捨てて、粘り気すらも喪失した水溜まりに倒れ込む芹架の肩をそっと持ち上げ呼び掛ける。
「起きなさいよ芹架!」
軽く頬を
「愛染りりり……?」
「芹架……! よかった……!」
涙を必死に堪えながら、芹架が身を起こすのを手助けする。
「……夢を見ていた気がするわ」
芹架は、コツを掴めばツリースライムの体内でも呼吸ができたこと、抵抗しようという意志に反して、意識が朦朧としていったことを話してくれた。
「母親の胎内で育つ赤ちゃんは、きっとあんな感覚なんでしょうね」
それが、芹架の総評だった。
「それにしても凄いじゃない。あんな大きさのツリースライムを、一人で倒してしまうだなんて」
「見ていたの?」
「辺りを見渡せば分かるわよ」
芹架は、スライムの残骸と地面に転がるマテリアーテルを見てそう言った。
「とうとう、能力を開花させることに成功したのね。結局、エンターキーは何だったの?」
「……ページを破ることよ」
アタシの絵は、一枚となって初めて完成する。思えば生前も、完成したイラストはスケッチブックから切り離していた。商業用のものも、当然一枚絵だ。偶然がもたらした奇跡。それは、近すぎるせいで気付けないでいただけの当たり前のことだったのだ。
「愛染りりりらしい、乱暴な結論ね」
「減らず口を叩く余裕はあるみたいね」
芹架は笑った。アタシも笑った。絶望の後の勝利の味。これは、思っていたよりも美味だった。
「あっ」
不意に、芹架が声を漏らした。どうしたのかと尋ねると、彼女はマテリアーテルの落ちている方を指差してみせた。
「マテリアーテルが……!?」
役目を終えた聖剣は、逝くかのように霧散した。それと同時に、ポケットの中も軽くなった。
「タイムリミット。ミッションコンプリート。あなたの能力は、調べ甲斐のありそうな研究テーマね」
「文系のくせに格好付けているんじゃないわよ」
「文系だって研究くらいするわよ。ま、不勉強な高校生諸君には理解できないかしらね」
「あ、アタシは勉強よりもイラストを描く方に力を注いでいるだけだし!? 本気を出せば平均点くらい余裕で取れるわよ!」
「平均点で満足しちゃうの……?」
おのれ光坂芹架……! ちょっと頭がいいからって好き勝手言いやがって……!
「今日はもう帰るわよ! ほら、立ちなさい!」
「待って。ツリースライムの核を拾わせて頂戴」
芹架は、中身が飛び出て皮だけとなった赤い物体を当然のように拾い上げた。
「それ、何に使うのよ……」
「ふふ、後で分かるわよ」
ふらつきながらも二本の足で身体を支えた芹架は、そう言いながらアタシの腕に──腋に手を回した。
「まだ上手く歩けないから、ちゃんと私を支えて頂戴ね?」
「身長差のせいで捕まった宇宙人みたいになっているんですけれど!?」
とてつもなく歩きにくく、また不格好な姿だったが、どうせ誰も見ていない。今だけは、芹架の好きなようにさせてやろう。
階段前で芹架を引き剥がし、各々単独で段を上っていく。入る前はダンジョンに入ることを求めていたというのに、今は外に出ることに安堵している。人間の感情は、かくも不安定なのか。
「ただいま世界」
お日様の下で、大きく伸びをする。まだそんなに時間は経っていないはずだが、今は一日分の体力を使い果たした気分だ。
「目的こそ果たせなかったけれど、充実した時間だったわね」
「あんたは大したことをしていないでしょ……」
「こほん……ダンジョン上がりと言えば、当然酒場よね!」
「え、当然なの? ってか、話を逸らすのヘタクソすぎない?」
「文句ばっかり言っていたら、ご飯代を出してあげないわよ?」
それは困る。きちんと出世払いをするので、今日のところは好意に甘えさせてもらわなければ。
そんなこんなで、アタシと芹架は昨日も訪れた酒場へとやってきた。時間が時間なだけに、客の数は少ない。それでも、真っ昼間から飲み明かしている人の姿は見受けられた。空いている席に座り、ウェイターが来るのを待つ。アタシ達が座ってから一分もしないうちに、彼はジョッキに入れられた水とおしぼりを持ってやってきた。銀色をした長めの髪に男性にしては低い身長、それに中性的な顔立ちが特徴的な彼は、テーブルの上にジョッキとおしぼりを並べて置いた。彼の両手が空いたその瞬間を、芹架は決して見逃さない。
「これ、調理してくださる?」
芹架が手渡したのは、先程拾ったツリースライムの核だった。
「ちょ、芹架!?」
どこからどう見ても、それは食べ物ではない。そのはずなのに、ギョッとしていたのはアタシ一人だけだった。
ウェイターは、シワシワになったそれを両手で広げながら、
「おお、かなり上質なツリースライムの核ですね! しかもサイズが大きい!」
と、興奮気味に解説をしていた。
「腕が鳴るというものでしょう?」
「ええ! きっとコックも張り切って仕事をしてくれますよ!」
一人取り残されてしまったアタシは、楽しそうに談笑する芹架にこう耳打ちする。
「ねえ、ここではあれを食べるのって普通のことなの?」
「ツリースライムの核は高級食材よ。一匹につき一つしか取れないし、それを引っこ抜くか壊さないと、そもそも持ち帰れないもの」
高級食材というものは、どうしてどれもこれもゲテモノばかりなのか……アタシには理解できない。
「まあ見ていなさい。食べれば良さが分かるわよ」
溢れ出る自信。そこまで言われたら、大人しく待たせてもらおうじゃないか。
「メインはツリースライムの核として、前菜やお飲み物はいかが致しましょう?」
「昼間から飲むのはNGよ」
「くっ……! 烏龍茶と、季節のサラダを二人分お願いするわ」
注文を受けたウェイターは、核を崩さないよう慎重な足取りでこの場を後にした。
テーブルの隅に立て掛けられたメニューを手に取り、中を見ている芹架を見つめながら、アタシはダンジョンで感じたことを思い出していた。スライムの身体に刃を通した感触、核を貫いた感触。そのどれもが、これまで感じたことのない新感覚だ。そしてそれは、これから幾度となく感じることになるものなのだろう。きっと、あの恐怖も──もう考えないことにしよう。それは、とても嫌なものだから。
「お待たせ致しました! こちら、季節の野菜とツリースライムの核で包んだハンバーグになります!」
ハンバーグは、こちらの世界でも通用する名詞なのか。
テーブルの上に置かれた真っ白なお皿の上には、狐色をした丸いものと蒸した芋、人参、それとブロッコリーにしか見えない野菜が載せられていた。もしかしたら、これも芋と人参とブロッコリーなのかもしれない。
ウェイターに感謝の言葉を述べた芹架に続いて、アタシも軽く会釈した。するとウェイターは、にっこりと笑って頭を下げ返してきた。
「何かありましたら、またお呼びください!」
彼は、片時もその笑顔を崩すことなく去っていった。
「さ、食べるわよ」
おしぼりでフォークとナイフの先を拭いた芹架は、それを使ってハンバーグを切断し始めた。気は乗らなかったが、観念してアタシも目の前にあるものを食べることにする。フォークでハンバーグを支え、ナイフを通す。それはまず、パリパリに焼かれたスライムの核を切断する。天ぷらを切る時と同じ音を奏でたそれからは、肉の薫りを纏った湯気と黄金色をした肉汁が流れ出してきた。次にナイフが通るのは、ミンチになった柔らかい肉だ。その名の通り、それはアタシも知っているハンバーグの姿をしていた。懐かしく思える感触に酔いしれながら、ハンバーグを切る。何ということだろう! こちらからも、サラサラの肉汁が溢れてきたではないか! これは期待できる。口内に溜まっていく唾液が、アタシにそう囁いた。
「い、いただきます……」
平静を取り戻すために、アタシは一旦ナイフとフォークを置いて両手を合わせた。この行動が、却って更なる緊張を招いた。本当に、これはツリースライムの核なのか……? フォークに茶色い塊を載せ、それを口まで運んでいく。それが舌に触れた瞬間、アタシの口内には満たされた肉の風味と程よい塩の味が広がった。塩を降られたツリースライムの核は、例えるならば鳥の皮のような食感をしていた。しかしながら、そこにブヨブヨした脂はない。そのあっさりさが、ジューシーなハンバーグによく合うのだ。調味料が、核にしか使われていないところも高評価だ。この料理は、外と内を一緒に食べればちょうどいい塩加減となる。きっとこれは、試行錯誤によって生まれた黄金比なのだろう。サクッジュワーを見事に体現したこの料理は、アタシのイメージする高級料理と違って、とても庶民的だった。
「お味はどう?」
聞かなくても分かっているくせに。芹架は本当に意地悪だ。
「……認めるわ。本当に美味しい」
「でしょ?」
自分が作ったわけでもないのに、芹架は得意気な表情でそう言った。
「この世界では、お金がなくとも素材があればご飯を食べられるのよ」
「これ、無料なの?」
「ハンバーグも含めて、このお皿に載っているものは全てサービスよ」
「すっご。それで利益になるわけ?」
「ヒント、宴会やアルコール類」
すっかり忘れてしまっていたが、ここは酒場だった。まだ歩いていない地域があるものの、今のところはここ以外に食事処を見掛けていない。外で食べるところの少なさも、この店の稼ぎに繋がっていそうだ。
「色々考えられているのね」
アタシとしては、安くてしかも美味しいというこのやり方はメリットでしかない。どうかこれからも同じスタンスを続けてほしいものだ。
「ハンバーグばっかり食べていないで、季節のサラダも食べてみなさい? 美味しいわよ」
「分かっているわよ」
レタス、トマト、カブ、そして刻まれたイチゴ……のようなもの。この組み合わせから、今の季節は春であると推測できる。アタシは、その中からレタスとトマトをフォークで拾って食べた。
「……旬のものを使っているみたいだし、普通に美味しいわね」
アタシが食べたものからは、普通のレタスと普通のトマトの味がした。もうこれは、レタスとトマトと思っていいだろう。
「このサラダのオススメポイントは、イチゴとナッツを使ったドレッシングよ」
「アタシ、イチゴの入ったサラダなんて食べたことがないわ」
酢豚にパイナップルは無し派のアタシには、このイチゴにはどうも食指が動かない。オススメされたからには食べてみるが、きっといい感想は述べられないだろう。
「美味……しい……!?」
イチゴは、果物面こそしているものの分類上は野菜だ。酢豚にパイナップルとはわけが違う。果物らしい甘さと、野菜らしい食感を併せ持ったこの植物は、まさしくサラダの味を引き立たせる縁の下の力持ちだった。加えて、ほんのり甘いこのドレッシングときた。ナッツの食感と香ばしい味は、水分が多めな野菜との相性がいい。爽やかな野菜と甘い野菜を混ぜ合わせたこのサラダは、デザート感覚で食べることのできる一品だった。
「自炊なんてバカらしくなるくらい美味しいでしょう?」
「ええ! 今晩もここで食べるわよ!」
「ふふふ、これで今日も飲めるわね……」
芹架が不敵な笑みを浮かべていると気付いたその直後、彼女はとあるおかしな点に気付いた。
「ふと思ったんだけれど、あなた、スケッチブックは?」
アタシは、動かす手を止めた。いや、全身を静止させた。
「もしかして、忘れてきたの?」
「アタシ、もうお腹がいっぱいだから、残りは芹架にあげるわ……食べ終わったら、腹ごしらえにダンジョンに向かいましょう。いや、向かってください」
負の感情でお腹を満たしたアタシは、芹架が食べ終わるまでずっと机に突っ伏していた。
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