初めての合作

 吹き出る水の音。着水する水滴の音。誰もいない噴水広場には、ライトアップの明かりを頼りに、スケッチブックにペンを走らせる少女だけが取り残されていた。

 アタシが住みたい家は、どんな見た目をしているのだろう。家の前には大きな門があって、建物は凹の字をしていて……理想げんそうの家に、少しずつ命を吹き込んでいく。正面、左右、後ろ、それに上から見た家の図を描き上げたアタシは、息抜きがてら満天の星が瞬く空を見上げた。どれが何座だとか、詳しいことは何も分からなかった。けれども、それらが綺麗だということはアタシにも理解できた。

 もっと星を見ていたいと思い始めたアタシは、履いていた靴を脱いでベンチの上で仰向けになった。

「バカよね、アタシ」

 変な意地を張って、他人の善意を否定する。本当は困っていたのに。助けてほしいと思っていたのに。

 星々は、何も答えてはくれなかった。きっと、アタシの声なんて届いてすらいないのだろう。

 この美しい星空を、ずっと絵の中に閉じ込めていたかった。だが、それはアタシが表現できる程ちっぽけな存在ではなかった。そんなことを考えていると、アタシはいつの間にか眠りに落ちてしまっていた。


 柔らかい布団と甘い香り。これは、飛んでいった意識を取り戻したアタシが最初に感じたものだった。ここは外ではない。反射的に、直感的にそう思った。静かに瞼を持ち上げると、木製の天井がアタシを見下ろしていた。付けっ放しにされたオレンジ色の電球は時代錯誤も甚だしいLEDで、視界の端にはエアコンのようなものも映っている。ここは現代か──? そう錯覚してもおかしくない世界が、ここには広がっていた。

 上体を起こし、右を見る。高そうな椅子とテーブルが、テラスへと通じる戸の傍に並べられている。外はまだ暗く、ぽつぽつと幾つかの明かりが見えるだけだ。そして左には、アタシと同じベッドで眠っている芹架の姿があった。

「えっ!?」

 予想外の事態に、思考がこんがらがっていく。どうして芹架がアタシの隣で眠っているのだろうか。

「ん……うぅ?」

 アタシの声で目を覚ました芹架は、とろんとした目をこちらに向けながら、

「うぅ、頭が痛い。ああ、起きたのね……」

 と、呂律の回りきっていない声で言った。

「ここはどこ? 何であんたがいるのよ!?」

「そんなの、決まっているじゃない。ここは私の家よ」

 芹架は、酒場からどこかに去ってしまった私の後を追い掛けた。だが、途中で見失ってしまった。フラフラと辺りをさ迷っていると、噴水前の椅子で眠っているアタシの姿を目撃した。不憫に思った芹架は、アタシを背負って自分の家まで帰った……これが、事の全貌みたいだ。

「まったく、帰る家もないのに一人でどこかに行っちゃうなんて信じられないわね」

「う、うるさいわね! あんたに、迷惑を掛けたくなかっただけよ……」

「何か言った?」

「あんたに借りを作るのが癪だって言ったのよ!」

 芹架はくすりと笑って、うつ伏せに倒れ込んだ。

「マッサージでもしてもらった方がいいかしら?」

「……それで貸し借りが無くなるなら」

「……あなたって、生意気な癖に律儀よね。チョロインの素質があるんじゃない?」

 やっぱり、アタシはこいつのことが嫌いだ。

「まだ夜みたいだし、アタシは二度寝するから。おやすみ!」

「ふふっ。おやすみなさい……」


 次は、きちんと太陽が昇ってから目を覚ますことができた。既に芹架の姿はなく、この空間にはアタシ一人しかいなかった。

「ふぁ……」

 これだけ眠ってもまだ眠気を訴えるとは。一体、アタシの身体はどこまで怠け者なのだろう。

 何の気なしに耳を澄ましてみると、左方から微かにシャワーの音が聞こえてきた。きっと芹架はそこにいるのだろう。喉が渇いていたのだが、勝手に他人の部屋を漁るのはよくない。だからアタシは、芹架が戻ってくるまでスケッチをすることにした。剣と魔法の世界には相応しくない文明の機器を含む、今見えている世界の全てを、アタシの世界に投影する。やはり特別な能力は発動せず、その絵はただの絵のままだった。

「あら、起きたのね」

 髪をタオルで拭きながら、芹架が脱衣所から出てきた。彼女は白いワイシャツと下着しか着ておらず、大人の色気をこれでもかという程醸し出していた。肝心のワイシャツもほとんどボタンが留められておらず、芹架の立派に育った胸が激しく自己主張をしている。アタシには、何だかそれが当て付けのように思えた。

「今から、朝ご飯を作ってあげるわ。その間に、あなたもシャワーを浴びてきなさい」

「……あんた、急に優しくなったわね」

「あなたのみすぼらしい身体を見ていられないだけよ」

「アタシはこれから伸びるタイプなのよ! 二年後を楽しみにしていなさい?」

 正直なところ、今のは強がりだ。アタシ自身も、この身体には危機感を覚えている。決して何かを察せられる程貧弱ではないのだが、平均値と比べると……

「夢を見るのはいいことよ」

 そう言って、芹架はお風呂の向かいにある部屋の中へと消えた。

「ちょっと、着替えはどうするのよ?」

 自分でも気が付かないうちにお客様となっていたアタシは、図々しくも芹架にそんなことを尋ねていた。

「タンスの中から──いや、私の服だとサイズが合わないわね……」

 再びアタシの視界内へと姿を現した芹架は、世界改竄を発動させた。

「“偶然にも、タンスの奥には私が昔着ていたルームウェアが残されていた”」

 芹架は、ベッドの前に置いてあるタンスの方へと移動し、一番下の引き出しを開けた。芹架は、手前に入れられている色とりどりのルームウェアには目もくれずに奥の方へと手を突っ込んだ。

「これね」

 そこから引っ張り出されたのは、灰色をした着ぐるみ型のルームウェアだった。

「……何それ」

 付属の帽子には尖った耳──具体的に言うと、猫の耳が付いている。

「私が、中学生時代に着ていたものよ」

「悪かったわね、中学生みたいな体型で!」

「心配することはないわ。私、昔から魅力的な身体をしていたから……これも、サイズが合うか心配になってきたわ」

「それもう身長くらいしか考慮すべき点がないわよね!?」

「その……身長がね?」

 申し訳なさそうに呟く芹架から、ルームウェアを引ったくる。

「見てなさい、中学生時代のあんたよりもアタシの方が魅力的だってことを思い知らせてあげるわ!」


 ぶかぶかのルームウェアを着ながら、ダイニングに配置された椅子に座るアタシの前に、朝食が運ばれてきた。

「ぷぷっ……これ、ホワイトダックの卵で作った目玉焼きとファングピッグのベーコンよクスクス……しょ、食パンもあるわよ、あはは!」

 芹架はみっともないアタシの姿を見て、目に涙を浮かべながら笑っていた。

「デブ猫みたい、あはは!」

「……笑いすぎなんですけれどー?」

 アタシがシャワーを浴びている間に髪を乾かし、ズボンを穿いた芹架は、昨晩と同じようにアタシの前の席に着いた。芹架の前にあるテーブルの上には、アタシに出した朝食と同じものが載ったお皿がある。

 落ち着きを取り戻した芹架は、大きく息を吐いて、

「食べ終えたら、あなたの服を買いにいきましょう。愛染りりりさん的にも、その方がいいでしょう?」

「異論はないわ。でも、先にダンジョンに行かせて」

 アタシの言葉の真意が分からない芹架は、首を傾げて静かに続きの発言を待っていた。

「服を買うお金を集めに行くのよ」

「……その服で?」

「制服で!」

 結局、芹架には随分と甘えてしまった。それはもう、この世界で生きていく上では仕方のないことだと諦めも付いた。それでも、自分でやれることは自分でやりたい。アタシはもう、子供じゃないのだから。

「決意は固いようね。分かったわ、私も同伴でいいならば許可してあげる」

「了解。何か、持っていくものとかってある?」

「当然、武器は必要でしょうね」

 身近にある武器……包丁やハサミでも持っていけばいいのだろうか──いや、待てよ……

「あんたの能力、もしかして武器は疎かお金も作り放題なんじゃないの!?」

「たとえそれができたとしても、絶対にやることはないわね」

「そう言えば、生前のあんたも名前ブランドを使わずに作品だけで勝負をしていたわね」

 芹架には、新たな作品を執筆するたびにペンネームを変更するという拘りがあった。能力勝負こそ至高。これは、芹架の名言の一つだ。

「とりあえず、今は私が買った短剣でも持っていくといいわ。双剣に憧れて、二本買ったから……」

「……光坂芹架にも、そんな一面があったのね」

「い、今は朝食を食べる時間よ! 愛染りりりは、ぼくのかんがえたさいきょうの聖剣でも描いていればいいわ!」

「アタシもお腹ペコペコなんですけれど!?」

 このまま話し続けていたら、朝食を没収されてしまいそうだ。そうなる前に胃袋に入れてしまおう。

 柔らかい作られたばかりの食パンをちぎって口まで運ぶ。耳にまで染み渡るほのかな甘みが、アタシの食欲を加速させる。あっという間にそれを食べ終えてしまったアタシは、何で食パンの上に置いて焼かなかったのだろうと疑問に思いながらも、お皿に載せられた卵とベーコンにフォークを通した。

「あんた、料理が上手いのね」

 半熟と完熟の間といった硬さの卵には、薄く塩が降られていた。これだけでは少々物足りなく思えそうだが、その不足分をベーコンの塩辛さが完全に補っていた。ファングピッグのベーコンは、元いた世界のそれと比べて少しだけ脂身が多い。そのくどさを、薄味なホワイトダックの卵が中和している。この二人は、性格が正反対だから一周回って相性がいいみたいだ。意図的なのか偶然なのか、この組み合わせを提供してきた芹架には、拍手を送らざるを得ない。

「これでも社会人ですもの」

「社会人かぁ……」

 ある意味ではアタシも社会人だが、やはり学生の色の方が濃い。もっとも、こちらの世界ではニート同然なのだが。

 この世界での社会人という定義について考えながら、フォークを動かす。いつの間にか、アタシのお皿は空になっていた。

「ごちそう様でした」

 両手を合わせて、芹架と失われた命に頭を下げる。芹架も、アタシと同じことをした。

「私が食器を洗っている間に、聖剣のデザインを考えておいて頂戴。オーダーメイドができるいいお店を知っているの」

「分かったわ」

 聖剣……その姿は、幾度となく様々な作品で見てきた。だが、いざ描くとなるとなかなかどうして難しい。必須項目は、黄金の鍔とそこに填められた赤く丸い宝石だろうか。刃は長く、柄は持ちやすくシンプルに……

「できた!」

 アタシだけの聖剣。アタシしか知らない聖剣。ああ、早くこれを『人造人間異世界に行く』の登場人物に持たせたい。挿絵として、読者を楽しませてあげたい。

 明るいアタシの声を聞いて、芹架はタオルで手を拭いてから絵を覗き見てきた。

「……無難ね」

 芹架の感想は、決して貰って嬉しいものではなかった。

「貸してみなさい」

 アタシからスケッチブックをぶん取った芹架は、青い半透明なペンをどこからともなく出現させた。そしてその先端を、スケッチブックへと滑らせた。

「ちょ、ちょっと芹架!」

「どうしたの、りりり?」

雪木葉ゆきはでいいっての! じゃなくて、そのペンは何よ? 後、アタシの世界に何してくれているの!?」

「あなた、愛染雪木葉って言うの……? ずっと本名でイラストレーターをやっていると思っていたわ……」

「りりりなんて名前を付けられたら、即家族の縁を切るわ!」

 自分で言っておいて何だが、愛染りりりは名付け親であるアタシにそんな感情を抱いていたのか……

「このペンは、マナで作られているのよ。女神の計らいで、キーボードによる執筆と筆による執筆を認められているってわけ」

 遅くて手が痛くなって面倒な直筆による執筆なんて、今時する人がいるのだろうか。アタシに言わせれば、あのペンは厄介なものをさも都合のいいものであるかのように錯覚させて贈呈する、女神の押し付けだ。芹架の口振りからしても、両者には執筆の過程以外の違いはなさそうだし……

「今あなたの考えていることが読めたわ。結論から言うと、ペンは必要よ。こうやって、実際に書き込むことができるもの」

 そう言って、芹架がスケッチブックをアタシの顔の前へと突き出してきた。そこにはアタシの描いた聖剣と、芹架の書いた補足説明が記されていた。

「まず、今時ただの聖剣ぐらいじゃ売れないわ」

 何か熱弁し始めたぞ……

「今のトレンドは属性剣。この聖剣は、炎、氷、雷の属性が宿っているわ」

 正直興味はなかったが、これはあの光坂芹架先生によるラノベに使える設定の講義だ。聞いて損をするようなことはないだろう。

「ただの属性剣も今更感があるわ。少しくらい、斬新で近代的な要素を入れるべきよ。それがここ」

 芹架は、『柄はカードリッジ式。ここを変えることで、好きな時に属性を変更することができる』と書かれた部分を指差した。

「刃の薄い部分──しのぎの方に向かって柄に力を加えることで着脱が可能よ」

 刃の平べったい方に柄がスライドする……と。その方向ならば、斬っている最中に柄以外が吹き飛んでしまうこともないだろう。

「ちなみに、赤い柄が炎、青い柄が氷、緑の柄が雷よ」

「お約束ね」

「そういうところは、王道に則っておいた方がいいわね。その方が、読者も読みやすいでしょうし」

「名前は?」

「マテリアーテルよ」

 聖剣マテリアーテル……可愛さと強さを兼ね備えている気がしなくもない多分いい名前だ。何と言っても、あの光坂芹架先生が名付けたのだから間違いない。

「マテリアーテル、どこかに落ちていないかしらねー」

 などという、アタシによる適当な感想でこの話は幕を閉じた。

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