酒場の邂逅
……視線を感じる。これは決して、暗殺者だとか人身売買をしているおじさんだとかの視線ではない。すれ違う人全ての視線を、アタシはほしいままにしていた。この服装だ、目立つのも無理はない。サイン会の時も感じていたが、大勢から視線を向けられる環境程居心地の悪い場所はそうそうない。やはりアタシは、所謂陰キャラという部類に入れられる性格をしているのだろう。別に、目立ちたいとは思わないのでそれでいいのだが……いや、だからこそこの状況はよくないのだ。早く大樹を見て、人気のない場所に移動しよう──そう思ったアタシは、足早に前進した。
T字路を右に曲がったり左に曲がったりして、何とか大きな木のある広い場所に出ることができた。ここには人の手が入っておらず、草が風に撫でられて楽しそうに踊っていた。残念なことに、お待ちかねの木の根っこには特筆すべき部分は見受けられなかった。大樹にお誂え向きの太い根。それだけだ。ただ、木に空けられた大きなトンネルのような穴という新たな興味深いものを見付けることもできた。そこからは鎧を身に纏い、武器を持った人や大きなカバンを背負った小さな少女といった、すれ違った人々とは違う服装の人が出てきたり入っていったりしていた。こんな格好の人達がいるのだから、制服を着ている人がいても別に不思議ではないと思うのだが……感性の違いだろうか。
ひとまずアタシは、穴から出てきた鎧の男性に声を掛けることにした。
「あの、少しお時間いいですか?」
「ああ、どうしたんだい?」
男性は被っていたヘルムを脱ぎ、爽やかな汗を飛ばしながらそう言った。オレンジのツンツンの髪に人当たりのよさそうな若い顔。どうやら、アタシの人を見る目は狂っていないらしい。
「アタシ、旅の者なんですけれど、この穴ってどこに繋がっているんですか?」
時空すら超越した旅であることは、あえて言う必要もないだろう。
「旅の者か、珍しいね! この木は世界樹。あの穴は、一言で言うならダンジョンへと繋がっているんだよ」
クロムと名乗った男性は、事細かにダンジョンの説明をしてくれた。この穴の奥には下へと降りる階段があり、地下へと繋がっている。地下は大樹の根が放つ光によって明るく照らされているため、ランプを持っていく必要はない。ただし、武器を所持していく必要はある。地下には、大量の魔物が生息しているからだ。この魔物がどうやって出現したのかは分かっていないが、下層に進めば進む程強いそれが生息していることは判明している。現在完全に明かされているのは地下五階までで、六階は精鋭の戦士達によって探索されている途中なのだとか。クロムらは、どこからともなく現れる魔物を狩り、その肉や骨を売って生計を立てている。便宜上は、探索班が安全に帰還するための魔物の掃討となっているらしい。
アタシは、この話を聞いて魔物の出現場所を予測した。
「恐らく、魔物はこの木が作っていますね」
「……なるほど。それならば、倒しても倒しても魔物が出現する謎とも辻褄が合う。しかし、何故階層によって明確に魔物の強さが違っているんだろう……」
悲しいことに、そこまで設定が語られている物語は読んだことも見たこともない。と言うか、それは物語の核心だ。この謎が明白になることは、実質作品のクライマックスを意味する。有名な作品は長編になりがちなので、大半の消費者側は核の部分を知る前にライトノベルを卒業するだろう。
「この木は、不要な栄養を下からダンジョン内に吐き出している……とか?」
「魔物が栄養か、面白い見解だ!」
何故か大笑いされてしまった。
「クロム、そろそろ」
ずっとクロムの後ろにいたカバンを背負った少女が、彼を急かすようにそう口にした。
「そうだったな。いやー、実に興味深い話ができたよ!」
クロムは、少女のバッグを親指で指しながら話を続ける。
「俺達はこれを売った後、酒場へと向かうつもりだ。よかったら、そこでゆっくりと君の考察を聞かせてくれ!」
そう言って、クロムと少女は立ち去った。
「ダンジョンねぇ……」
興味はあるが、丸腰で突入するのは自殺行為だろう。今は、巨木をスケッチするだけにしておこう。アタシは、二枚目の用紙にダンジョンを有した大木を創造した。
お金がない。そう気付いたのは、空が黒に染まり始めた頃だった。都会よりもずっと澄んでいる空には、瞬く星が数え切れない程あった。美しいものは描いておきたいのだが、夜空というものを創造するのは些か難易度が高すぎる。アタシにはまだ手が届かない領域だ。
……空を見上げていても、お金が降ってくることはない。今判明しているお金稼ぎの方法は、ダンジョンへと潜入して魔物を倒し、戦利品を売ることだけだ。一層目の魔物くらいならアタシでも……というのは、きっと慢心だろう。武器を持たない人間が倒せるギリギリのラインは中型犬だ。ファンタジー世界で例えるならば、武器を持たないゴブリンくらいだろうか。そんなマヌケなゴブリンはいないだろうし、それに相手がスライムだった場合は最悪だ。やはり、大樹の中へと入っていくのはリスクが大きすぎる。となると、別の方法を模索するしかない。絵を売る……には時間が遅すぎる。身体を売るのは論外だ。他にも色々と売れそうなものを考えてみたが、無念にも無駄な時間を過ごすこととなってしまった。こうなったら、もうお金を借りるしかない。惨めにもアタシは、酒場へと向かって歩みを進めることにした。
迷い、聞き、やっとの思いで酒場へと到着したアタシは、見知った顔を探して内部を歩き回った。だが、クロムの姿も少女の姿も既になかった。酒場と言えば夜に騒ぐという先入観が、まさか身を滅ぼすことになるとは……アタシは、ガックリと肩を落とした。と、その時、左方からアタシを呼ぶ声が一つ聞こえてきた。
「愛染りりり……!?」
呼ぶ声と言っても、本名ではなくイラストレーター時のペンネームの方だ。断じて『りりり』という名前を親から貰ったわけではない。
声のした方へと目を向けると、そこには元の世界で見たことのある顔があった。黒色の長い髪は後ろで結ばれており、できた二本の髪束は肩の前へと陣取っている。開ききっていない瞳はどこか気怠げで、また彼女の冷酷さを体現している。
「
累計発行部数一〇〇万部の売り上げを見せたライトノベル『小説家の剣』の著者光坂芹架。親しい関係ではなかったが、『ツブヤイター』で相互フォローをしており、よく価値観の違いを言い争っていたっけか。
アタシ達は犬猿の仲であると同時に、互いが互いを認め合う関係でもあった。両者共に、ファンとして相手のサイン会に参加していることが最たる例だろう。アタシ達は、こうして顔見知りとなった。
「あなた、どうして……!?」
「それはこっちの台詞よりりりり」
「りが一つ多いわよ!」
そうだ、こいつは何かとアタシにちょっかいを出してくる嫌な女だった。中でも『り』を増やしたり減らしたりするのは常套手段だ。ああ、『り』を『ツブヤイター』の字数制限まで打ち込まれた時のことを思い出してしまった。くそっ、腹が立つ!
「時に愛染りりりさん、まさかあなたまでこちらの世界に来ているとは思いもよらなかったわ」
「お互い様よ」
「まさか、自分が選ばれし特別な人間だなんて考えていなかったわよね? 現実はそう甘くないのよ」
若干そう思っていたのもあって、アタシのイライラは更に熱を増した。
「とりあえず、そっち側に座りなさい。正直、私もこっちで知り合いに会えるとは思っていなかったから、お口が言うことを聞かなくなってきているのよ」
立ち話で済む程度の短いお喋りをするつもりはないということか。ならば、とことん付き合ってやろう。アタシは、木製のテーブルを挟んで芹架と対面するように着席した。すると芹架は、満足したように頬を緩ませた。
「今日は特別に、あなたが知りたいことを全部教えてあげる。こう見えても私、こっちは長いのよ」
「ご冗談を。あんたよりアタシの方が先に死んでいるはずでしょ?」
「然り。でも、実際にそうなんだから認めざるを得ないでしょう?」
確かに芹架は、今日この世界に来たばかりのアタシよりもここに馴染んでいる様子だ。先に死んだのはアタシだが、早くに転生をしたのは芹架……どうやら、この異世界転生は一筋縄ではいかなそうだ。
芹架はジョッキに注がれた黄色い液体を一気に飲み干した。その後、今飲んだのと同じものとストロベリーミルクを注文した。
「……あんまり飲みすぎるんじゃないわよ」
「心配してくれているの? 優しいのね」
「う、うるさい! 酔い潰れられたら、こっちが迷惑を被るのよ!」
もしかして、芹架が饒舌なのはアタシに出会えて興奮しているからではなく酔いが回っているからなのでは……?
「では、迷惑を掛ける前に話すべきことは話しておきましょうか」
「迷惑を掛ける前提なのね」
「……愛染りりり。あなたが知りたいことの一つに、自分の死んだ後の世界というものがあるでしょう?」
無くはない。
「簡潔に纏めると、愛染りりり難民が続出したわ」
芹架は、アタシの描いてきたイラストを感動的なBGMと共に垂れ流すだけの動画が半月でミリオンを達成したことを教えてくれた。その他にも、毎日アタシの『ツブヤイター』のアカウントに話し掛ける者が存在しているということや、『人造人間異世界に行く』が『小説家の剣』に肉薄する売り上げを見せたことも伝えてくれた。
「何か、喜ぶべきなのか恐れるべきなのか分からない話ばっかりね……」
「良くも悪くも、あなたは人気者だったってことね」
芹架は、運ばれてきたばかりのお酒を一気に半分飲んだ。
「で、どこまで話したかしら?」
「もう酔っているじゃない!?」
優先順位の低い話だけして、肝心なことは一切喋らないつもりではないだろうな、この女……!
「まあいいわ。次は、あなたが大事そうに抱えている仕事道具について話してあげましょう」
「あんた、このアイテムについて知っているの?」
「それ、女神に貰ったものでしょう? だったら勝手は同じよ同じ」
そう言って、芹架は両手の指を職触手のようにワナワナさせ始めた。何かの規則に従っているこの指の移動……どこかで見たことがあるような気がする。
「“私が世界改竄を使用した直後、愛染りりりのブラのホックは勢いよく外れてしまった”」
芹架が中指を虚空に叩き付けたまさにその時、アタシの背中に鋭い衝撃が走った。
「……っ!?」
繋ぐ手と手を離してしまった下着は、重力の思うままに垂れ下がり始めた。
「な、何をしたのよ……!?」
咄嗟に両腕をクロスさせて胸を隠しつつ、アタシは芹架にそう質問した。芹架は、素直にこう答える。
「これが私の能力、世界改竄よ」
世界改竄──それは、芹架が著した文章が現実世界に反映されるというとんでもない能力の名称だった。
「そんなのチートじゃない! さっさと魔王をぶっ倒して世界を救いなさいよ!」
「落ち着きなさい、愛染りりり。確かにこの能力はぶっ壊れと言われても仕方がない代物よ。けれども、決して無敵の能力ではないの」
世界改竄の弱点──それは、なかなか思い通りに事を運ぶことができないところにある。
「例えば、今私は愛染りりりを全裸にしたいと思っているとするわ」
「あんた、今そんなことを考えているの!?」
芹架以外誰もアタシを見ていないことを確認してから、こっそりとホックを留め直す……などと考えていたところなのだが、この流れだと、その行為も無駄になってしまいそうだ。
「私が『突然、愛染りりりが全裸になった』という文章を書いたら、あなたの服は一体どうなると思う?」
「さあ? 弾け飛ぶんじゃないの?」
「そうね、そうかもしれないわ。でも私は、そんなのじゃ満足できないの。ボタンが一つひとつ飛んでいって、じわじわとそのきめ細やかな肌が露わになる……あなたがどれだけ隠そうと抵抗しても、大事なところを隠している布はどこかへと行ってしまうのよ! そう、究極のエロスに必要なのは焦らしよ。一気に全裸になるんじゃなくて、一枚ずつ服を脱いでいって、最終的に全裸になるという工程がエロいの!」
何を言っているのだこいつは。
「小説はね、思い通りの世界を創造するためにはより詳細な描写をする必要があるの。『突然、愛染りりりは服を脱ぎ始めた。一つ、また一つとボタンを外していくにつれ、りりりの顔は赤みを帯びていく』……そう、これが私の望むシチュエーションよ!」
「あー……感覚的には、威力は高いけれど命中率が低い攻撃みたいなものね」
「その例えはよく分からないけれど、多分そんな感じよ」
詳細な描写をするという手間を掛けなければ、想像していたものとは異なる結末へと辿り着いてしまう可能性がある。つまりはそういうことなのだろう。
「さて、ここまで長々と私の能力の話を聞いてもらったことにはちゃんと理由があるの。だって、愛染りりりの能力は、これのイラストバージョンなだけなんだもの」
「はいハズレ。アタシ、既に世界樹のイラストを描いているの。でも、何も起こらなかったわ」
アタシの言葉に、芹架は唸りながら首を左右にカクカクと傾け出した。
「おっかしいわねー……あっ!」
芹架は机を勢いよく叩きながら立ち上がり、それからアタシを指差した。
「エンターキーを押していないじゃない!」
……もうダメだこの人。
「それはあんたの能力の話でしょ? アタシのやつは、アナログ中のアナログなの。エンターキーも塗り潰し機能も無いのよ」
混沌とした話ではあったが、大いに参考になった。きっと、アタシに与えられた能力も、必要な時になったら覚醒してくれるだろう。アタシは、手早くストロベリーミルクを飲んで席を立った。
「じゃあね、天才作家さん」
行く宛なんてない。帰る場所もない。だけれども、これ以上彼女に迷惑は掛けられなかった。
「待って!」
肩の上に置かれた手は、とても大きく感じられた。
「今晩、家に泊まっていったら?」
アタシは今日、光坂芹架の新たな一面を見付けた。この人は、酔うと優しくなる。
「……いい」
その優しさは、難しいお年頃のアタシを更にイライラさせた。
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