絵師と作家の異世界革命《ワールド・レボリューション》
白鳥リリィ
始まりの町アインザッツ編
死と転生
名前からの推測で、前々から「愛染りりりは女性だ」と囁くものはいた。しかし、ライトノベルのイラストレーターはほとんどが男性であるという風潮もあって、前述の発言は即座に否定されていた。
愛染りりりのイラストは、髪の描き方や目の大きさ、細部まで拘られた服や武器の装飾といった、イラストの描かれたページの全てが一切の否定を許さない完璧さを纏っていた。
「愛染りりりは男心を分かっている」。この発言に、彼女のファンは首が千切れる程頷いた。
そんなイラストレーターが、まさかここまでの美少女だったとは誰も思わなかっただろう。神様だって見通せていたか怪しいくらいだ。
長い黄金のツインテールは、川のせせらぎのように、琉金の尾のように、歩く彼女の残像となる。髪に引けを取らない、触れると崩れてしまいそうな白い肌と、黒水晶のように美しい瞳も、集まったファンの心臓を苦しくさせる。それに加えて、むさ苦しい男達に、太陽よりも眩しい笑顔を向けてくれる純粋な心を持っているときた。
集まったファン達は、まるで骨董品のように美しい愛染りりりの姿に陶酔した。
サイン会での出来事だけでも、大人気SNS『ツブヤイター』の急上昇ワード入りは約束されていた。しかしながら、美の化身は更なる高みを目指していたようだ。
愛染りりりのサインを受け取った者は、彼女のサインよりも側に描かれた意味不明な書き込みの方に視線を奪われていた。
わざわざ別のペンを使って描かれたそれの正体が暴かれたのは、サイン会が終わった数十分後のことだった。
事は、あるユーザーが『ツブヤイター』に上げた画像から起こった。
自分のもらったサインと、後ろに並んでいたという友達が受け取ったサインをパズルのように密着させた姿が映し出されたそれには、愛染りりりによる最高のプレゼントが描かれていた。
合わさったサインは、『人造人間異世界に行く』のヒロインこと、タイマーちゃんの目と鼻の一部を描き出していたのだ。
この投稿は、会場にいる多くのファンを震撼させた。
近くにいる人と絵を合わせ、繋がった、繋がらなかったと一喜一憂するファン達。
彼らは、愛染りりりからの贈り物を完成させるべく、力を合わせ始めた。
そして遂に、一枚のイラストが完成した。
主人公とタイマーちゃんが、お花見を楽しんでいるイラストが──数メートルにも及ぶ、愛染りりりの伝えたかったものが形となったのだ。
このイラストの写真を添付した呟きには、五桁ものいいねが押された。
大型掲示板のスレッドも盛り上がり、愛染りりりと彼女の描くイラストは、瞬く間に知名度を大きく上昇させた。
さて、ここで悲しいお知らせがある。愛染りりりの訃報の話だ。
死傷者数が三百人を越えると言われている大事故に巻き込まれた彼女は、死に際に一枚の絵を描いた。
死者の女子高校生が持っていたイラストとして公開されたそれは、世のオタクの心に大きな傷を負わせた。自身の血液で描かれた、花畑に立つツインテールの少女のイラスト──顔の描き方も背景の描き込みも、愛染りりりの絵と寸分違わず同じものだったのだ。
彼女の死が公式に発表されたのは、ネットが祭状態となった翌日だった──
「で、異世界に行って何をしろって言うの? アタシ、絵を描くこと以外に取り柄なんてないわよ?」
闇よりも深い真っ暗な世界には、アタシと光よりも白い女性が一人だけ。
聖職者の被っているフードのように見える長い白髪を持ち、天使が着ていそうなローブを纏った自称女神は、お手本のような笑顔を崩すことなくこう答える。
「世界を救ってください」
「あなた、人の話を聞いていた?」
アタシの発言を聞いて、自称女神は更に口角を上げた。
「絵を描いて、世界を救ってください」
絵で世界を救う……? 魔王に綺麗なイラストでも見せて、戦意を喪失させればいいのだろうか?
「あなたに、これを差し上げます」
女神が手渡してきたのは、至って普通な万年筆とスケッチブックだった。
「……正気?」
ちゃっかりそれらを受け取りながらも、一応女神にそう問い掛けておく。
女神は否定も肯定もせず、ただ笑っているだけだった。
無言はイエスと同義とも言うし、ここは肯定したと取っておこう……いや、肯定されたらされたで困るのだが。
「……描き心地チェックをさせてもらうから」
アタシは、女神の了承を得る前にスケッチブックの表紙を開いた。
こんなもので世界を救えるなんて到底思えないが、思えないだけで、本当は秘められた力などがあるのかもしれない。何しろ、このアイテムは女神から頂戴した選りすぐりの一品なのだから。
天使の羽に触れるように、天使の羽に触れられるように、用紙に指を這わせる。紙の手触りは及第点──いや、完璧だ。ずっと撫でていられるような、素晴らしい一品じゃないか。
ここまでの用紙に触れるのはいつぶりだろう。アタシがまだ、スケッチを楽しんでいた頃だから……三年ぶりくらいだろうか。
……落ち着けアタシ。まだ気は抜いちゃいけない。
いくらスケッチブックが素晴らしいものでも、ペンの方がダメダメでは話にならない。
アタシは、女神に文句を言う前提で、万年筆を用紙に滑らせた。
「うっ……」
女神の万年筆は、気持ちがいいとしか言いようのない滑らかさをしていた。
長さも濃さも、完全にアタシの指と馴染んでいる。
そして何より、どれだけ描いても、インクが切れる気配がない。
結局、用紙一面を完全なる闇に染め上げても、万年筆のインクは出続けた。
インクが、すぐになくなるものではないということは重々承知していたが、まさかアタシのヤケクソさえも越えてくるとは。
これはもしかしたら、本当に──
「──インク切れのない万年筆ってわけ?」
女神は小さく頷いた。笑顔の仮面は、まだ付けられたままだった。
いくらでも描き続けられるペン──それは、イラストレーターにとって、聖剣そのものだ。
誰もが羨む最強の武器。他の追随を許さない、至高のアイテム。
これさえあれば、アタシは何だってできる。そんな錯覚をしてしまう程に、アタシは女神の贈り物に心を奪われていた。
「……頷けるなら、最初から反応しなさいよね」
落ち着いて女神の動向を分析をしているかのように喋っているが、心の中では『流石女神様、今すぐ信仰したい……!』などと思っている。
「い、異世界転生ね。いいわ、やってあげる!」
──世界を救うかは別として。
「……願いは聞き届けられました」
直後、闇は光に包まれた。
それは、アタシをも覆い、一時の不安を感じさせた。
肌に感じる心地いい温もり……眠りに落ちたような感覚を感じたその時、アタシの脳は、すぐに覚醒状態となった。
閉じていた瞳をゆっくりと開ける。
眩しい太陽に目を細めながらも、少しずつ周りの景色に色を与えていってやる。すると、僅か数秒で世界が脳内にインプットされた。
白を基調としたタイルの道を囲むように、赤茶色の屋根を持つ建造物が配置されている。それらは複数個あることから、一般的な民家であると推測できた。
行き交う人々は、アタシのいた世界とは異なる服装──具体的には、西洋の農民が着用していそうなものを纏っている。
「コテコテの異世界ね……」
上手いこと言うとすれば、繪に描いたような異世界となる。アタシが読んできたライトノベルや、見てきたアニメに登場する異世界の住民も、そのほとんどが同じ服装をしていた。その経験則から判断するに、ここは王都のような恵まれた町ではない。それこそ、旅の始まりに相応しい小さな村のような場所だろう。
ざっと辺りを見回してみよう。どうやらアタシは、噴水の周りに置かれた石製のベンチに座っているらしい。きちんと背もたれが付いているので、イラストレーターにも優しい設計をしている。そして、ここ噴水広場は村の中央に位置している。これは、噴水の外周をぐるりと囲む円形の道路が、数多くの脇道へと続いていることから導き出した推論だ。
前と左右を見たアタシは、次に背後へと目を向けた。
「うえっ!?」
思わず声を漏らしてしまうくらいの巨木。それは、天さえ支配しそうな高さと、近くの噴水を優に越える太さを持っていた。幹は幾つもの細いそれが絡んで作られているかのように捻じ曲がっているが、恐らくそういう形をしているだけの一本の木なのだろう。緑の葉は手が届きそうな距離にある太陽から光を求め、元気よく生い茂っている。根っこの部分は、ここからでは建造物に遮られてしまっているため見ることができない。アタシは、ここまでの大木を育て上げた強欲の根を一目見ようと立ち上がった。
スカートの裾が、太腿を優しく撫でる。チェック柄のグレーのスカートと黒のブレザー……なるほど、服装は死んだ時のままというわけだ。目線にも視界の端に映るゴールドの髪にも違和感はないし、恐らく容姿も同じだろう。流石に、傷跡と血痕は残っていないようだが。
まあ、そんなことはどうでもいい。今は自分の容姿よりもあの木の姿の方が気になる。女神の万年筆とスケッチブックをちゃんと持っているか確認したアタシは、予定通り後ろにある通りを進むことにした。
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