第5話 森人の夢
まだ日が沈んでいないというのにも関わらず、酒場には多くの客が入り活気に包まれていた。そんな中でフリーデは静かにジョッキを傾けていた。傍から見れば、端正な顔立ちに凛とした佇まいの彼女はまるで王都に住んでいるような貴族と見紛うほどであり、その物憂げな瞳に当てられ声をかける輩も多いだろう。しかし、酒場の人間たちは誰一人として彼女に声をかけるなどせず、それどころか彼女の周りの席だけぽっかりと空いてしまっている。
ここカガチの街でフリーデを尊敬ではなく、畏怖するものが多い。それは彼女の冒険者として功績、経歴からくるものであった。ふと、彼女の隣に腰を下ろす者がいた。客たちがざわつき、フリーデは横に目をやるとそこには見知った顔の人物がいた。
「なんだ、ジードか。ここでの生活はもう慣れたの?」
「おかげさまでこの通り」と、ジードは腕をピンっと張ってみせた。
「それで、こんなところに何の用なの。まさか、さっきの会議のこと?」フリーデの目が鋭くなる。
「その通りだ。二代目が死んで、俺がブルーパイソンを抜けて、久々に戻ってきたらこれだ。いい加減大人になったらどうだ、お前だって―――」
「ドンッ!!」という音がすっかり静かになった酒場に響いた。給仕も客も皆動きを止め、ほとんどの視線はフリーデとジードに注がれていた。麦酒がテーブルを染め、パラパラとジョッキが床へと落ちていった。平然を保つジードとは対照的に、フリーデは今にも噛みついてきそうなほどに苛立っていた。
「・・・あんたには、関係ない」
「関係無い訳ないだろ。同じ釜の飯を食った仲だ、それにグランツのじいさんにも頼まれた」
「余計なお世話ね。それにあんたが仲間だったのは過去の話よ。今は違う。グランツ殿に何を頼まれたかは知らないけど、私はブルーパイソンの三代目団長なの。二代目の栄光を汚すわけにはいかないのよ・・・ッ!」
憎悪にも似た闘志を宿すフリーデを前にジードは危機感を覚えていた。獣のように剥き出しの感情を露わにし、仲間ですら噛み殺そうとする姿勢に。原因があるとすれば亡き二代目の背中を今も彼女は必死に追いかけているのだろうか。
「ジード、昔のよしみだから私はあんたの全てを否定しようだなんて思わないわ。けどね、あの頃とはもう違うのよ。姿恰好も、背負っている物も」
「ごめんなさい、騒がせたわね。これ迷惑料」そう言ってカウンターに金貨を数枚置いていくと、彼女は茫然と立ち尽くすジードに別れを告げる事も無く酒場から出て行った。彼女が出て行くと酒場は少しずつ元の活気を取り戻していった。せわしなく給仕が動き回り、客たちは酒をかっくらっていた。ジードは思い詰めたように肘をテーブルに乗せ、過ぎ去った時を呪った。彼がブルーパイソンを離れてからすでに8年が経った。
「俺も嫌われちまったかな」そんな言葉が口からこぼれた。そんなとき、彼の隣、フリーデが座っていた席とは反対側にまるで木の葉のような青々とした髪の少女が座りジードに声を掛けた。
「副団長さん、珍しい所で会いましたね。隣に座ってもいいですか?」
黄金色の瞳に常人よりも白い肌、そして深い緑の髪から主張するように伸びる尖った耳が、彼女が人間ではなく、“エルフ”と呼ばれる亜人間であることを証明していた。このカガチの街ではエルフという種族は非常に珍しいのか、客たちの舐めまわすような視線に少女は身体を震わせた。
「こういう場所は初めて来たのですが、いつもこのようなカンジなのでしょうか?ものすごい人の視線に晒されるというかなんというか、シルヴィはものすごく恥ずかしいのです」
「この辺りにエルフが住んでる場所なんて無いからな。みんな、お前に興味津々なんだろうさ。それにしたって妙だな。シルヴィが好き好んで来るなんてな」
あちこちに目をやり少し興奮しているのか頬を赤らめるシルヴィを見て、ジードは先程のことが夢であったような気がしてきた。8年という歳月は多くの別れもあったが新たな出会いもあった。目の前のエルフの少女、シルヴィもまた彼にとってはそんな日々で出会った仲間の1人である。
「酒場というところは魔物さんの情報を多く聞くことができると教えてもらいましたので、その土地特有の魔物さんとか、よく出没する魔物さんとか。と、とにかく!ダンジョンに潜らないオフの日はどうしても魔物さん成分が足りないのでそういったものの補給を、と思いまして」
シルヴィは身振り手振りを交え魔物について熱くジードに語っていた。彼女は人間ですら数少ない“魔物学士”を職業としている。主な仕事は魔物の生態系について、習性から弱点、繁殖期から生息地帯、好物などなどといった情報をまとめ上げ、本に書き記すことである。仕事量の割には少ない賃金、そして覚えられる特技や呪文はほとんど無いため、選ぶのは相当な物好きだけであった。
「シルヴィ、1つ聞きたいことがある。お前はどうしてダンジョンに潜るんだ?エルフならそんなことしなくても里で生きていくには困らなかったはずだし、街へ出てもその頭の良さなら、こんないつ死んでもおかしくないような仕事よりよっぽどいいはずだ、なのにどうして」
シルヴィは目を丸くし、ぱちぱちと2度、3度まばたきすると、ジードの質問が変だったのか、クスクスと笑った。彼女は涙を拭うと、ゆっくりと語り始めた。
「シルヴィはエルフでした。ノーレストの東部、カルグウェンの森にあるエルフの里で生まれ、あの頃はこの里で一生を過ごすものだと思っていました。シルヴィが生まれてから40年と3か月が経ったある日、カルグウェンの森にダンジョンが見つかったという話を里に来ていた人間の商人が話をしているのが聞こえたのです。シルヴィにはダンジョンがどんなものなのか分かりませんでした。だって、里で生活するのにダンジョンは要らないものだったし、シルヴィも別段興味は無かったのです。でも、同じ里の子がダンジョンを見に行こうと行ったのです。シルヴィはその子たちに半ば手を引っ張られ、というか引きずられるように、ぽっかりと大木の下に出来た穴へ降りていったのです。あの時の光景を今でもハッキリと覚えているのです。じっとりと湿り気を帯びた土、けれど穴の奥、暗闇の先からは妙に暖かな空気が流れてくるのを。しばらく進むと開けた場所に出たのです。そこでシルヴィたちは見たのです。おっきな、それはとてもおっきな石で出来た巨人が動き回るのを!石の巨人が穴を広げているのを、鼻の尖った小人さんたちが美味しそうに何かを頬張る光景を!そこではシルヴィが絵本でしか見た事の無い、者たちがそこには居たのです。そのあと、他の子たちはダンジョンに再び近づくことはなかったのです。でも、シルヴィは気になって気になって仕方なかったのです。それからというもの、何度も何度もダンジョンへ潜りました。雨の日も、風が強い日も、霧がかかっている日も、蒸し暑かった日も。そして、気付いたのです。日に日に大きく、そして複雑になっていくダンジョンで、確かにシルヴィたちと同じように彼らは“生活”をしていたんです。豪華な食事に、楽し気に踊る彼らを、シンと静まり帰った夜を、岩を砕くツルハシの音を。時に彼らは楽し気に、悲し気に過ごしていたのです。みんなが言うような、魔王の使いだとか、世界を滅ぼす邪悪な存在だとか、そんなものが全部嘘っぱちだと確信できるだけのものをシルヴィは見たのです。だから、シルヴィは決心したのです。彼らをもっと知って、彼らの生活をみんなに知ってもらいたいって!だからシルヴィは調べるのです、知るのです、学ぶのです。それがダンジョンに潜る理由であり、生きがい。いいえ、使命なのです!!」
声高らかに熱弁するシルヴィを見て、ジードは可笑しくて堪らなかった。彼女の話が可笑しかったのではなく、フリーデに圧倒されていた自分にだ。姿恰好が変わっても、背負うものが変わっても、立場が変わっても。竜狩りの戦士はその証である竜麟のマントの重みを思い出した。失った物をもう手放さないようにしっかりと掴んでいられるようにと誓った。
あの日を―――。
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