第2話 職業:骨

 渇いた地面を蹴り上げる音が迷宮内に反響する。肉を裂く音、金属が擦れる音、人の声。途切れ途切れに立て掛けられた松明の灯りがそのたびに揺れる。灯りはひび割れた土壁に人の影を落とす。


「退け――――!!ひとまず外へ出るぞ―――――!!」野太い男の声と共に、複数の影が次々と壁を走る。


 そして、それを追うように異形の影もまた動く。ある影はカチャリカチャリと音を立て、またある影はグチュリ、グチュリと気味の悪い音を立てながら。男たちの目の前には階段が1つ。顔に大粒の汗をかいた彼らは息を切らせながら階段を駆け上がっていく。重たい鎧が身体を引く、長いローブが足に絡む。耐えきれずに最後の1人が段差につまずく。

 格好の獲物だと言わんばかりに、異形たちは群がる。逃げ伸びた男たちの耳には死人の絶叫がいつまでもこびりついていた。



 ここはダンジョン。日々、多くの冒険者が様々な目的のために挑む。そして、冒険者の探索を拒むように待ち構える“魔物”たち。冒険者と魔物、彼らの戦いは休むことなく日夜続く。そんな決して終わることのない戦いに身を置く、ある1体の魔物がいた。

 ダンジョンの上層にある一画が彼の持ち場だ。ガシャガシャと身体が鳴り、すっぽりと空いた穴の奥で不気味な光を放つ。かの者に名は無い、しかし冒険者たちはこう呼ぶ。


―――スケルトン、と。



 ***



 職業、人骨。趣味は骨を磨くこと。特技は骨を投げること。ダンジョン勤務は早10年。未だに上層の中間あたりをうろつくだけの平凡な人骨。友人はそこまで多くなく、オフの日は自分の寝床か、酒場に入り浸り。出世なども特に考えておらず、出会う冒険者に骨や石を投げる毎日。倒されたら数日は寝込んでしまい、その間の給料は貰えないのが痛いところ。最近あったことは同じスケルトンの後輩が昇格して、今や中層勤務ときた。時折、上層の酒場に来ては土産話と共に戦利品の一部を貰う。この戦利品が週の楽しみになっている。

 夜も更け、静けさを取り戻したダンジョン内。今日も上層の一画にある通い慣れた酒場へと向かう。その道中のことだ。


「あー、見つけましたよせんぱ~い。今日は一緒に酒場に行くって言ってたじゃないですか~」ふと、下を見ると緑色の液体がたぷたぷと這っている。


「スライム君か、てっきり冒険者に倒されたかと思ったよ」

「そんなぁ~。いくら最弱だからって、そこまで弱くはないですよ」


 表情、なんてものはお互いに無いのだが、今日の彼はなんだか嬉しそうだ。ひょっとして何かいいことでもあったのだろうか。スライム君のことが気になった私は酒場へと続く道を、少しペースを落として歩く。


「それで、何かいいことでもあったのかい?」

「聞いてくださいよ。実は今日!初めて冒険者を倒せたんですよ!!すごくないですか、これ」興奮気味に震えるスライム君。


「へぇ、そりゃあすごい。じゃあ今日はお祝いだな」

「ほんとですか!でも、ボーン先輩、この前の買い物で結構奮発してませんでした?」

「そ、そんなこともあったかなぁ・・・」

「骨だけだと記憶も怪しくなるんすかね、確かに買ってましたよ。見ましたもん」

「スライムの頭も、そんなに変わんないと思うんだけど」


 しばらくすると扉がついている壁の前にたどり着いた。扉には“OPEN”の立て札がぶら下がっており、小窓からは灯りが漏れていた。扉を開けると何とも言えない匂いと共に、楽しげな声で溢れていた。20人程度しか入ることが出来ない大きさだが、暖炉の火で炙られた獣肉の香り、テーブルに置かれた蝋燭の光、木製のジョッキからこぼれる麦酒。様々な種族が入り混じる中で住人たちはみな楽しそうに飲み食いしていた。私は空いている席を見つけるとスライム君を抱え席へとついた。カウンターの奥ではここのオーナーであるアネグチさんがせわしなく動いている。


「アネグチさーん、魔香と麦酒、それとイノシシ肉を1つ!!」それだけを伝え、抱えていたスライム君を隣の席へと下ろす。


 1分も経たない内にカウンター奥からアネグチさんが小さなポット、ジョッキ、イノシシ肉を乗せたプレートをテーブルへと運んできた。


「やぁお二人さん、調子はどうだい?」アネグチさんはニコニコと笑みを浮かべながら聞いてきた。

「私の方はいつも通りですかね。今日も特に変わったことは無し。至って普通でした」


 そんな私を置いてスライム君は麦酒を身体にかけると酔っているのか少し赤くなった身体をぷるぷると震わせた。


「アネグチさん、今日僕はついにやったんです!!・・・冒険者を、冒険者を!!」

「倒したんです!!」と、豪語する。あ、スライム君の身体がさっきより水っぽくなってる。


 私はスライム君の身体を指で突きながら小さなポットに火を入れる。すると、少しづつポットの蓋に空いた穴から筋のように煙が上がってきた。顔を近づけるとそれまでの気怠さが嘘のように消えていった。意識が少しだがぼんやりとして、不思議と幸せになった気がした。それからしばらくの間、私はスライム君の今日のハイライトに魔香のせいか自然と聞き入っていた。

 客もまばらになってきた頃、椅子の上からテーブルの上へと移動したスライム君は完全に酔いが回ったのか、伸びていた。本当に、身体が伸びきっていた。アネグチさんは一仕事終えたのか、怪しげなラベルが貼られた瓶を片手に暖炉の火を見つめる私の横へ椅子を寄せた。


「相変わらずシケた面してるね、アンタは」

「シケた面って、スケルトンに表情なんてないですから」

「違うよ、心の顔だよ」


「心の顔?」そう言ってアネグチさんの方を振り返る。端正な顔立ちだが人の女性が持っていない淫魔の瞳がそこにはあった。


「そう、アンタは生前の記憶がないかもしれないけど、アタシにはなんとなくわかる」

「何がわかる?」

「一介の冒険者じゃなかったのさ、アンタの生前は」

「それはないな。少なくともそうであるなら、とっくに私はここより下層の方に行っているだろうさ」

「もう10年になるんだろ、スケルトンになって」


 そう。もう10年も経つのだ。気づけば、あの時のことを昨日のように思い出せるのは何故なのだろうか。きっと私がスケルトンとしての人生が始まった日だからなのだろう。

 ダンジョンで死んだ人間の肉体、魂。これらはダンジョンの主に捕らえられ、肉体は朽ち、魂は身体を忘れる。そして、スケルトンとして戻る。それがダンジョンで死ぬということだ。私も昔ここで朽ち果てたのだろう、気付けばこの身体になっていた。しかし、不満など無かった。主に仕える魔物として、ダンジョンを荒らす冒険者を倒すこと。それが使命であり、第二の人生であった。いや、魔生?それとも骨生?


「いつまでもこんなところで燻ってんじゃないよ。男なんだろ。シャキッとしなよ、シャキッとね」そう言うと、アネグチさんは私の背中を強く叩き、瓶に入った液体をゴクゴクと飲み干した。



 背骨のあたりが、少し痛かった。

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