舞台袖は、露に濡れつつ

神楽坂

第一章 指揮者 横溝奏一郎の場合

プロローグ

 コンサートホールを静寂が包んでいる。

 いや、コンサートホールが静寂を包みこみ、閉じ込めている。

 辞書に載っている静寂という言葉と、このホールの中に充満している「静寂」は似て非なるものだ。ただ漫然と広がり、空白として存在している静寂とは違う。濃密で、厳粛で、それ一つで芸術として成り立つような静寂。

 舞台や床を覆う木材から醸し出されるほのかに甘い薫り、天井から吊るされている反響板に反射し、日差しのように客席に満遍なく降り注いでいる照明、全ての客席を暖かく見下ろすかのように鎮座する巨大なパイプオルガン。

 舞台の上にはいくつもの椅子がセッティングされている。しかし、そこには誰も座っていない。数日後に演奏されるはずの曲を椅子は舞台の上でじっと待ち続けている。

 これらの環境にはそういった「予感」が数多詰まっている。流れる旋律の予感、振り下ろされる指揮棒の予感、演奏者のほとばしる汗の予感、そして、会場を包む万雷の拍手の予感。有の予感が、無の静寂の中にぎっしりと内包されている。

 八重樫透やえがしとおるは、そんな静寂のただ中にいる。

 座席で言えば一階S席の真ん中。目を閉じ、腕をお腹の上でゆるやかに組み、座席の背もたれに全ての体重を預けて、ホールに飽和している静寂を体中で感じている。

 透はこの時間が好きだった。時間にして午後一一時。全てのリハーサルが終了し、楽団員もホールのスタッフもほとんどが帰宅したあとの時間。目を閉じていると自分の体の輪郭がぼんやりとしてきて、ホールの静寂と混ざり合っていくような感覚に陥る。リハーサル中に音楽を浴びているときは、飛んでくる音が自分の体にぶつかり、跳ね返ることによって自分の体の輪郭が意識される。コントラバスやチューバが吠えれば舞台の木材を伝って足の裏に激しい震動が伝わってくるし、ピッコロが優しく囀れば耳の一番奥にある神経が擽られる。そうして、音と触れあうことは自分の体と触れあうことと同義だ。

 しかし、静寂は違う。静寂の中では自分の体と周りの空気との境目が曖昧になる。神経はまどろみ、体が空気と同化していく。この感覚が、透はなんとも好きだった。

 楽団員たちはそんな透を笑う。「透らしいな」と言いながら明日の演奏会の決起集会と言って酒を飲み交わしに夜の街に紛れていった。

 はあ、と透は息を一つ漏らす。

 そして、ステージマネージャーとして過ごした今日一日の出来ごとに想いを巡らせる。

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