四日目 陰陽師VS魔法使い

 事件は前日舟雪が早めにバイトを上がった後に起きた。舟雪はまだ高校生であり、学生寮の門限もあるために深夜まで業務を行うことはない。この辺りも松山店長の配慮なのだが、そのためにどうしても夜遅い時間はスタッフの数が少なくなる。それは取りも直さず万引き犯にとっては好都合というわけで。

「やられましたね」

 バックヤードの机の上に見覚えのある紙片が約10枚。栗栖が店の本に挟んでおいた式神召喚トラップの呪符である。

「なくなっていたのは奥の棚の新書が8冊。あとはバラバラにコミック、実用書、文庫本が合わせて4冊。実は、前にも似たような手口でやられたことがあったんだけど……」

 暦がそう言ってちらりと彼自身の背後を窺う。そこには青黒いオーラでもまとっていそうな形相をした松山店長が両の拳を腿の横で握り締めながら凶悪な笑みを浮かべていた。これは迂闊に事情を知ると面倒なことになりそうだな、と舟雪は思う。事件のあらましとしては、本に挟んであった呪符が故意に抜き取られた上にそれらの本が万引きされた、という意外と単純なものだ。しかしその単純さも舟雪が魔法使いで呪符の意味を理解しているからこそのもので、魔法も陰陽道も知らない一般人には決してできない所業である。逆に言えばこの犯行にはおそらく陰陽道を知る者が関わっているということだ。

 舟雪がそこまで考えたとき、松山店長がだんっと力強く拳を机に叩き付けた。天板が割れないのは一応手加減しているからだろうか。

「まだ前の事件のほとぼりも冷めていないっていうのに、よくもやってくれたよねえ……天津君、念のために、まあ必要ないと思うけれど、万が一にも勘違いだったりしたら大変だから面倒だけれど確認させてもらうんだけれど、これはあの裏天津家の仕業で間違いないよね……?」

 裏天津家って何だ。舟雪は思わずツッコミを入れそうになったのをすんでのところで押さえる。何となくだがここでツッコミを入れてしまうと面倒な役回りを押し付けられそうな気がした。

「はい……わざと前回と同じような手段を選んでいる辺り、これは裏天津家の天津家に対する……いいえ、音妙堂書店に対する挑戦だと考えざるをえません!」

 栗栖が力の入った返事をすると、松山店長は待ってましたとばかりに不気味な笑い声を立て始める。この二人に関わるのはよした方がいいと判断し、舟雪は暦に事情の説明を求めた。

 いわく。

「何か月前になるのかな……最初はただの万引き事件だと思ったんだ。ところがそこに天津君が来て、それが裏天津家の陰陽術で操られた人間の仕業だったことが分かって。裏天津家っていうのは天津君の表天津家と千年前に分かれた一族で、代々争い続けてきたらしいんだけど……」

「千年の話は長そうなので、とりあえず今必要そうな情報だけお願いします」

「うん、そうだね。ええと、今の天津本家の当主が天津栗栖君。そして裏天津家の当主が天津栗庵……数か月前にこの店に現れた、万引き事件の黒幕だったんだ」

「……はあ」

 舟雪が気のない相槌を打ってしまったのは何も暦の話を信じていないからではない。むしろそれは事実なのだろうと感じたし、暦が呆れ混じりながらも苦々しい表情で語っていることからも数か月前の事件とやらが相当に厄介だったことも充分に感じ取ることができた。ただどうしてもシリアスになりきれないのはいちいち天津家の人間の名前に登場する「栗」のせいである。栗栖はまだ現代風だが栗庵というのはいかがなものだろうか。しまいに段々と栗を食べたくなってくるではないか。

「本木さん、苗田さん! 店内の見回りを強化しましょう。わざわざ挑戦状を叩き付けるような真似をしてきたのですから、きっと奴は近くにいるはずです! 今日もまた何か仕掛けてくるかもしれません!」

「奴って、天津栗庵って人のことですか」

 舟雪が確認のために問うと栗栖はものすごく力強く頷きを返す。その目に燃える闘志を見てとり、舟雪は「分かりました」と溜め息混じりに答えた。

「怪しい奴がいたら声掛けてみますよ」

 そうは言っても一見してそれと分かるほど怪しい奴が黒幕だということもあるまい。さてどうしたものかと思いながら業務に取り掛かった舟雪だった。

 が。

 とりあえず店内を見て回ろうとバックヤードを出て歩き始めて書架をいくつか確認したその先で舟雪は見付けてしまった。一見してそれと分かる不審人物だ。少なくとも街ですれ違ったらぎょっとする程度には怪しげだ。そしてどことなくだが顎のラインが栗栖に似ている気がする。もちろん千年前に分かれた血が今も顔を似せるほどに濃いとは考えにくいのでただの思い込みかもしれないのだが。

 黒のジャケットに黒のロングパンツ、黒いブーツに黒い皮手袋と、ギャングのような黒い帽子。そして一番目を引いたのは帽子の下から覗くシルバーピアスだった。ああ、と舟雪は気付く。気付いてしまう。

「そうか……あんたがそういう格好をしているから天津さんはオレを警戒したんだな?」

 初めて会った時に栗栖が言った「その出で立ち」というのは舟雪のピアスのことだったのだ。黒ずくめの人物は何やら心外そうに顔をしかめるとやはり不機嫌そうに言い放つ。

「誰ですか、あなたは。あなたのような不良店員に用はありません、表天津家当主天津栗栖は何をしているんですか」

「パンクかぶれみたいな格好したやつに不良呼ばわりされたくねえ。で、天津さんに用なのか?」

 舟雪が言葉を返すと黒ずくめは苛立った様子で上着のポケットに手を入れた。そしてそこから取り出した呪符をいきなり舟雪目掛けて投げつける。宙を舞いながら炎をまとう紙片を舟雪はすでに用意していた携帯ゲーム機を操作することで防いだ。そしてさらに素早く指を動かし、携帯ゲーム機のボタンを操作する。黒ずくめの方は攻撃が不発に終わったことで警戒したのかすぐさま踵を返して店の入り口へと向かった。しかしドアはぴたりと閉じたまま動かない。黒ずくめが焦った声を上げる。

「何故ドアが開かないのです!? まさか外から鍵を!?」

「鍵は中からしか掛からねえよ」

 舟雪は携帯ゲーム機を黒ずくめに見えるように掲げ、わざと見下ろす視線でこう告げる。

「こっちもここで働いている以上は万引きの手引きをした奴を逃がすわけにはいかないんだよ。やるからには全力だ」

「なるほど……では貴方も現代に生きる陰陽師だというわけですか」

「違う。断じて違う」

 闘う相手は皆陰陽師とみなす、というルールでもあるのだろうか。黒ずくめは何やら勝ち誇った笑みを顔に浮かべながら舟雪に向かって人差し指を突きつける。

「問答無用です。私の邪魔をするのであれば手加減はしませんよ!」

「じゃあせいぜい頑張ってここから出るんだな。……起動。モードセレクト、『脱出ゲーム』」

 ういん、と微かな音がゲーム機から発せられた。辺りの空気がわずかに震える。

「なんですって? 『脱出ゲーム』?」

 黒ずくめが戸惑っている間に舟雪の魔法が携帯ゲーム機を通して現実の店内にゲーム画面を投影する。携帯ゲーム機の画面が淡く発光すると同時に音妙堂の店内も一瞬奇妙な光に包まれる。よくよく見なければ気付かないだろうが、いくつかの書架の位置関係が微妙に変化し、天井の照明が少し暗くなっている。壁に張られたポスターや平台に積まれた本、レジカウンターにもわずかな変化が起きていた。しかしそれら全てを把握できるのはこの店に勤めている者くらいで、黒ずくめにはどこがどう変わったのかまでは分かるまい。見た目に大きな変化はないがここはもう音妙堂であって音妙堂ではないゲームのステージなのだ。

「なんですか、『脱出ゲーム』とは。店内のどこかにドアの鍵を隠したとか、そういった類の子ども騙しですか」

「知らないのか。部屋の中の色々な場所に隠されたヒントや暗号、道具なんかを使って仕掛けをひとつひとつ解いていって、最終的にそこからの脱出を図る……って類のゲーム。パソコンのブラウザゲームから発展して実際の建物や何かから脱出する、いわゆる『リアル脱出ゲーム』が流行ったりもした。結構昔の話だけどな」

「聞いてもいない薀蓄は結構です!」

「一応ヒントのつもりだったんだけど。まあ、じゃあせいぜい独力で脱出することだな。健闘を祈る」

「はい!?」

 慌てる黒ずくめを置き去りに、舟雪は元来たルートを辿ってバックヤードへの扉を開け、中から鍵を掛ける。どんどんどんどんと激しく扉を叩く音が聞こえるが気にしない。まだバックヤードにいた栗栖たちがびくりとしながら舟雪を見る。

「苗田さん!? 何かあったんですか。まさか裏天津家が!?」

「そのまさかです。天津さんに用だとか言ってましたけど、なんかいきなり呪符をぶん投げられたんでとりあえず魔法使って店舗に閉じ込めました。ああ、他に客がいないことは確認していますんで問題ないです」

 まあこの状況では外から店の中に入ることもできないので実は問題は大有りなのだが、この際些末なことだ。その証拠に松山店長もぎらぎらとした眼差しを舟雪へと向けながら大きく頷いている。

「よくやってくれたね苗田君! 陰陽師が魔法で惑わされるなんて実にいい気味だよ、ざまあみろだね!」

 陰陽師と魔法という単語に栗栖が少しばかり物言いたげな顔をしているが松山店長が気にする様子はない。それはさておき、一旦状況を整理することにする。舟雪が説明した黒ずくめの風体を聞いた暦と栗栖はそれが裏天津家当主天津栗庵であると断言した。つまりあれは以前もあのような格好で現れたということか。数か月前ならまだ暑い季節だったのではないかと思うのだが、それはそれでご苦労なことだ。二人の言うところでは、黒ずくめは自分自身で万引きをするわけではなく見ず知らずの一般人に術を掛けて万引きをさせるという方法でこの店に嫌がらせを仕掛けてきたらしい。何故そんなことをするのかという疑問はひとまず横に置いておくことにする。舟雪が脱出ゲームを音妙堂の店内に投影することで黒ずくめを閉じ込めていると話すと栗栖は「そんな方法が……」と素直に感心した。

「それで、具体的には何をすれば裏天津君は店から出られるの?」

 興味を持ったらしい暦が尋ねて、舟雪は手の中のゲーム画面を見ながら答える。

「まずは店の中に見えているヒントを全部回収します。実用書の棚の本の並びの暗号と、コミックコーナーの床に落ちているメモと、レジカウンターの上の無料配布栞の裏にある数字と、文庫新刊の平台下を開けたところにあるノート。それから途中で必要になる道具として入り口ドア横にマイナスドライバー、脚立で上がれる書架の上の六角レンチを取ります」

「……それ、ぱっと見て分かるようなものじゃないよね?」

「そりゃあ、ぱっと見て分かるようじゃゲームとして面白くないですから」

 それに、と舟雪は付け加える。

「そう簡単に出てこられちゃ時間稼ぎにもならないでしょう。天津さん、多分最低でも10分は出てこられないと思いますから今のうちに応援を呼ぶなり結界を張るなりしてください」

「苗田さん……! グッジョブです!」

 舟雪の思惑を知った栗栖は仲間に連絡でも取るつもりなのか、ロッカーを開けて何やらごそごそとやり始める。暦は納得顔をしながらもわずかに不安そうな眼差しで店舗へと繋がる扉を見やった。

「最低10分って言ったけど、最大だとどれくらいかかるものなの……?」

「そりゃ人によりますよ。ハマってしまったらどれだけ時間をかけたって解けないってこともありますし」

「せめて一時間くらいで出てきてくれないと困るんだけど」

「包囲網ができたらこっちからタイムアップにしてもいいですし、そこはそんなに心配要りませんよ」

「そう……それならいいか」

 万引き犯の手引きをした黒ずくめに対してはさすがの暦も冷淡だ。店の開店に支障が出ることを心配はしても、店から出られなくなった黒ずくめが飢えても渇いても自業自得くらいに考えているのだろう。少なくとも舟雪はそのくらいのお灸が必要だと考えている。

 本人が手を下していない以上、黒ずくめ自身を万引きの罪で警察に送ることはできない。犯罪教唆をしたことは間違いないのだが、その手段が陰陽術という世間一般の知識では証明できないものであるためにやはりこちらも罪に問うことができない。だったらせめてしばらくの間難解な謎解きと格闘して嫌な汗をかいてもらうくらいの責め苦を与えてやりたいというものだ。

「……と、喋っている間にうっかり早々に出てこられても困るんで、オレたちも店の表に移動しましょう」

「ああ、うん。天津君、用意はできた?」

「はい! もう5分もあれば天津家の協力者が集まりますよ!」

「それはそれで怖いんだけど」

 これ以上この場に陰陽師が増えるのかと思うと舟雪も暦と同感である。しかしすぐに暦からすれば魔法使いである舟雪もどちらかといえば栗栖たち寄りの人間だろうということに気付いて考えるのをやめた。

 従業員用の出入り口から外に出て待つこと5分、栗栖が呼んだ天津家の応援が店の前に到着する。そしてそれから待つこと30分、そろそろタイムアップにしようかと舟雪が考え始めた頃にゆっくりと店の入り口ドアが開いて中から疲労困憊といった様子の黒ずくめがよろめく足取りで外に出てきた。そして目の前に勢揃いした音妙堂書店の面々と天津家の応援の姿を見て己の負けを悟ったのか、小さく呻いて立ち竦む。

「まさか……こんな罠を仕掛けているとは思いませんでしたよっ……! 表天津家当主天津栗栖……!」

「あんたも陰陽師なら魔法の枠組みくらい打ち破って出てくるくらいの気概を見せてほしかったですよ」

 栗栖が言うと黒ずくめは一瞬「そういえばその手があったか」という顔をして、しかしすぐに何やら悔しそうに歯噛みをする。舟雪は栗栖を横目で見ながら「いくら陰陽師でもそれは簡単じゃないですよ」と苦笑混じりの言葉を投げかけた。

「ゲームっていうのは人間にルールを強いる特性を持っていますから」

「ルール、ですか。それはどういう……」

「ゲームをしているとき、人間の脳は基本的にゲームのルールに則った考え方しかできなくなる。テレビゲームの敵を倒すのに画面を壊すやつはいないでしょう。そういうことです」

「ああ……! なるほど、そういうことですか!」

 栗栖は合点がいったというようにぽんと手を打ち、黒ずくめはますます悔しそうに顔を歪める。松山店長が何やらいっそ嬉しそうな様子で黒ずくめの前に立ちはだかり、それを見た暦がわずかに身を引きながら色々と諦めた表情を見せた。どうやらこれから何かが始まるらしいが、それは舟雪には直接関係のないことである。


   *   *   *


 黒ずくめのことは栗栖たちに任せ、舟雪は一人そっと店の裏手に回った。そこには暖かそうな上着を着た少年が店の外壁にもたれて佇んでいる。舟雪は彼の淡い紫色をした髪を確かめ、声を掛けた。

「七山先輩」

 すると少年、舟雪の部活の先輩である七山梶野はふっと口元に笑みを浮かべて「やあ」と気軽な挨拶をした。

「お疲れ様。陰陽師との戦い、さすがの勝利だったね」

「型破りな陰陽師でもゲームのルールの中ではできることが限られますから」

「そこがふなくんの魔法の一番怖いところかもしれないね」

 梶野が笑みを深くして、それを見た舟雪は小さく頭を下げながら梶野へと告げる。

「先輩、サポートありがとうございました」

 実のところ黒ずくめ、もとい天津栗庵が舟雪のゲームのルールに従った思考しかできなかったのは梶野の魔法の効果である。人は何か行動を起こすとき、無意識にいくつかの選択肢を思い浮かべてそのうちもっともよさそうだと思うものを選ぶのだ。その選択肢の中に何が入ってくるかはその人間の経験や知識によるところが大きい。そしてさらに焦りや疲労といった精神・身体の状態も大きく影響する。最後にどれだけ万全の状態で、多くの知識と経験をもってしても「たまたま」いい手が思いつかない……ということはよくあるのだ。それはあくまで可能性だが運ではない。本人の状態に依存する内部変数……確率によって制御される乱数。それを梶野は思うままに操作できる。

 よってこの脱出ゲームの最中において栗庵がゲームのルールに反した脱出方法を思いつくことは絶対に不可能だったのだ。一番怖いのは誰ですか、と舟雪は心の内だけで呟く。

「今夜は雄也と寧子ちゃんも辺りの見回りをしてくれているから、もう心配はないと思うよ」

 梶野に笑顔でそう教えられ、舟雪はどうあってもこの先輩たちには敵いそうにないなと肩をすくめたのだった。

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