二日目 陰陽Gメンって何なんだ

 音妙堂書店でのアルバイト二日目である。初日である昨日は暦に店内の配置や一通りの業務の段取りを教わってからひとまず店に慣れようということで書架の整頓などをしてつつがなく過ぎた。途中数人の客から声を掛けられたが、どれも舟雪で対応できる範囲の用だったので何も問題なかった。客たちも舟雪の風体を気にする様子もなく話し掛けてきたのでさしあたって仕事をする上で特に支障はないだろう。この辺りは書店のある地域の風土のようなものにも左右されるところなので、舟雪としてはこっそりと安堵したのだった。

 二日目はレジ打ちから始まった。昨日も耳にした物騒な声掛けはさておいて、暦以外のスタッフも真面目に仕事に取り組んでいる。店内に客はまばらだが、時間帯でいえばそろそろ学校帰りの学生や少し早めの仕事終わりの会社員が増えてくる頃だろう。それにしても、と舟雪はレジカウンターの中で新刊のコミックスを仕分けながら考える。

 例の物騒な声掛けの内容に引っ掛かりを覚えていた。お客様は神様です、そう言うお客はただのクズ。そこまでは分かる。いや分かるというか、理解はできるし共感もしないことはない。声掛けとして不適切ではないかというツッコミは今更通用する雰囲気でもなかったのでいっそもうどうでもいい。問題はその続きだ。「万引き犯は?」「根絶やします!」……わざわざ万引き犯根絶宣言をしているということは、この店は頻繁に万引きの被害に遭っているのではないかと予測される。店内を見れば防犯カメラはあるものの画像はそれほど鮮明ではなく、それだけで万引きの被害を減らすことは難しいだろう。さて、ならば一体どうやって万引き犯を根絶しようというのだろうか。

「最近色々あった、って言ってたよな。それが何か関係あるのか」

 レジ近くに客がいないことを確認しつつぼそりと呟いた舟雪の横手でバックヤードへと通じる扉ががちゃりと開く。舟雪は思わずぎょっと身構えてそちらを向き、そこから出てきた青年と視線がかち合った。

「君は」

 青年はそれだけを呟いて押し黙る。舟雪はというと、これまた青年から視線を外せないまま黙っていた。初めて見る顔だが不思議と初対面という感じがしない。年齢は舟雪より上だろうが一見するとそう変わらない程度にも見える幼めの顔つきは、言い換えると目鼻立ちが整っているということでもある。男性にしては少し長めの髪はさらさらとしていて櫛の通りがよさそうだ。何か思うところのありそうな表情でじっと舟雪を見つめてくるその目は汚れを知らない子どものようであり、弱き者を守り戦う勇者のようでもあった。つまり、青年の年齢や現代社会という時代と場所には似つかわしくないような曇りのない澄んだ目をしているということである。誰だろう、と舟雪は素直に疑問に感じて相手に名前を尋ねようとした。しかしそこで青年の方が先に口を開く。

「常人にない気配をまとっていますね。そのエプロンはこの店のものですが、その出で立ちはまさしく裏天津家の……一体どういうつもりですか?」

「はい?」

「この音妙堂書店は僕たちが守るべき場所。怪しい者の侵入を許した不覚、この天津あまつ栗栖くりすが身をもって償いましょう……!」

「意味が分かりませんっていうかちょっとオレの話をき」

「臨める兵、闘う者、皆陣破れて」

「明らかにここでやっちゃまずいことでしょうそれ!」

 青年がどこからともなく取り出した紙片と、同時に唱え始めた文言。それは舟雪にとって非日常への入り口だった。非日常は本屋の中にあってはいけない。そう瞬時に判断して舟雪は青年を今しがた出てきたばかりのバックヤードへと押し込む。相手の身体は見た目通りに華奢で、上背のある舟雪が少し力を加えただけで簡単に扉の奥へと連れ込むことができた。ほっとしたのも束の間、青年が再び紙片を手に文言を唱える。

「臨める兵、闘う者、皆陣破れて前に在り!」

「どっかで聞いたことあるけどっ……とりあえずどうして!」

 理不尽だ。そう思った舟雪の前で青年が投げた紙片がぼっと燃え上がる。自分の身体目掛けて飛んでくる炎を舟雪はポケットから取り出した携帯ゲーム機で叩き落とした。

 ちなみに勤務中にゲーム機を持っているなどけしからんと思われるだろうが、これは舟雪にとって娯楽のためだけの道具ではない。松山店長にも理由を話して携行を許可してもらっている。

「起動! モードセレクト、シューティング。装備選択、汎用シールド」

 電子音と共にゲーム機の液晶画面に光が灯る。そしてすぐさま淡く光る透明な壁のようなものが舟雪の前に出現し、青年が放った第二、第三の紙片……恐らくは呪符と呼ばれる類のものを遮った。舟雪の所作を見ていた青年がわずかに怪訝そうな顔をして、それからハッと気付いた様子で目を見開く。

「そうですか、君が噂の魔法使いだったんですね。僕を敵に回したこと、後悔させてあげますよ!」

「ちょっと待ってくださいオレがいつあんたを敵に回したっていうんですか、初対面です。あと噂って何ですか」

 舟雪はあくまで降りかかる火の粉を防ぐ手段を講じただけである。いきなり敵対しようという気はさらさらないし、何よりもまず相手が何者なのかがさっぱり分からない。噂の魔法使い、という言い方が引っ掛かるがそれを尋ねようにも相手が興奮していて難しい。舟雪が困惑している間にも青年は呪符を手に鋭い眼差しで舟雪を睨み、言い放つ。

「魔法、すなわち外法! 陰陽師である僕がそれを認めることなんてありえません!」

「あんたが陰陽師ってことすら初耳です!」

 そもそも陰陽道というものは魔法理論で説明のつくものだというのが舟雪の認識である。この国で最初に登場した陰陽師とは古代中国に成立した陰陽五行説、つまり世にある一切の事象は陰と陽の二気、それに木・火・土・金・水という五行によってその生成や変化が行われるという思想に基づいて土地や日時の観測や吉凶の占いを行う官職だった。それが平安時代、治安の悪化や政治の不安定化に伴い陰陽道の呪術的な側面が注目され始め、この国古来の神道や他の宗教との交わりを経ていわゆる「陰陽師」のイメージに近いものができあがったという。

 舟雪の知る魔法理論において陰陽道とは天体の運行やそれに伴う潮の満ち引きなどに代表される外的要因による自然事象の変化を読み取り、元素を操作することである程度人為的にそれらの事象を起こさせるものであるとされている。呪術となるとそこにさらに言霊や依り代、元素に疑似的な自我を持たせる精霊召喚などの魔法が関わってくるのだろう。すなわち陰陽道は数ある魔法の一種、あるいはそれらを組み合わせたシステムの呼称であって、陰陽師から「魔法は外法」などと言われる筋合いはないのである。

 とはいえ今舟雪の目の前にいる自称陰陽師の青年は完全に興奮していて、たとえ舟雪が魔法理論の解釈を説明したところで聞く耳を持つとは考えにくい。だとすればできることはひとつだ。

「本木さん……すみません」

 ここにあのチーフがいればきっともう少し状況はましになったのだろう。しかし残念ながら彼は今とても真面目に仕事をしている。バックヤードで魔法使い対陰陽師の決戦が始まっていようとは夢にも思っていないに違いない。というより普通は誰も本屋の裏でそんな戦いが起きているとは想像しない。そもそもどうしてここはただの本屋であるはずなのに魔法を使うことができるのか。

「モードセレクト、ターン行動制アクション」

 疑問は山ほどあるが、ひとまずこの状況を収めないことには業務に支障が出る。舟雪は今勤務中なのだ。手元のゲーム機を操作した舟雪が黙って陰陽師の青年を見やると、青年もまたその場から一歩も動かずにじっと舟雪を見た。いや、動かないのではない。動けないのだ。やがて青年は戸惑った様子で口を開く。

「くっ……一体何を」

「ターン行動制アクションゲーム、って言って分かりますか。こっちが一マス動くとステージ上の敵も一マス動く、っていうタイプの。アクションゲームでありながらチェスみたいなボードゲームの要素も含んだ戦略型のゲームですよ」

「生憎僕はゲームの類はほとんどやったことがないので」

「要はオレが動かないとあんたも動けないってことです」

 もちろんこの手のゲームの要素はそれだけではないのだが、手っ取り早く相手の動きを封じるにはこれがいいと判断したのである。これなら相手と距離を保ったまま話ができる。

「とりあえず落ち着いてください。あんたは誰で、どうしてオレに攻撃をしてくるんですか。ちなみにオレは苗田舟雪。昨日からこの店にヘルプで入っているバイトです。仰る通りに魔法使いですが、松山店長もそれを承知でオレを雇っているんです。誰かに文句を言われる筋合いはありません」

「……苗田さん、ですか」

 先程より幾分勢いの削がれた様子で青年が舟雪の名を口にする。そして。

「僕は天津栗栖。この店の万引きGメンです」

「……万引きGメン」

「はい。陰陽師でもあるので陰陽Gメンと呼んでいただいても構いません」

「陰陽Gメン」

 なかなかとんでもない自己紹介をされてしまった。ただ、舟雪はここで昨日松山店長から聞いた言葉を思い出す。確か彼は「然るべき要員は確保している」と言っていたのだ。魔法使いのような役割を期待して雇っている然るべき要員とはつまり、陰陽師の能力を用いて万引き犯を摘発する陰陽Gメンだということなのだろうか。一応そう考えてはみたものの、割と意味が分からない。舟雪がさらに詳しく話を聞こうと口を開きかけた、そのときだった。

「うわっぎゃあああ!!」

 とても本屋の店先で放たれるとは思えない規模の悲鳴が扉越しにバックヤードへと届く。唖然とした舟雪は嫌な予感を覚えながらひとまず目の前の陰陽Gメン、天津栗栖へと視線を戻し。

「今の悲鳴……あ、心当たりあるんですか」

 舟雪が視線を向けると栗栖は「はい」と頷きながら憤然と、あるいは嬉々とした様子で店舗へ出て行こうとしている。何故そんなに楽しそうなのかは敢えて聞かない方がいいように思えた。ともかく彼は今の悲鳴に驚いておらず、物騒な雰囲気をまとって動き出そうとしている。しかしそれを舟雪の魔法が阻んでいるため、今のところまだ彼は動くことができない。

「天津さん、どこへ何しに行くんですか」

「店舗へ、万引き犯を捕まえに行くんです。そういうことなのでこちらは一旦休戦です」

「一旦っていうかもうこっちはいいでしょう」

 そもそも舟雪と栗栖が戦う理由はどこにもない。何故か顔を合わせただけで戦う羽目になっていたこれまでの状況の方がおかしいのである。そしてそんなことより栗栖は今「万引き犯」と言わなかったか。

「え、なんで叫び声で万引き犯が出たことになるんだ」

 思わず呟いた舟雪の疑問を置き去りに、栗栖は店舗へと通じる扉を颯爽と開け放った。舟雪の気が逸れた瞬間に魔法を解かれてしまったらしい。少々の悔しさを感じながらも栗栖の後を追った舟雪はそこでありえないものを見た。

「なんっだ、ありゃあ……!」

 この店のエプロンを身につけたゴーレムがいた。普通であれば己の目を疑うところだが、幸か不幸か舟雪はこの手の「ありえない光景」を見ることに慣れている。そうはいってもそれはあくまで学校のカリキュラムの中における特別な時間に限ったことで、まさか町の本屋の店内でそんなものに出くわすとは予想しているはずもなかった。しかし現実に今、書架の間から黒々とした巨躯がそびえて辺りを見下ろしている。

「ええと、天津さん? あれ、おたくの仕業ですか」

 隣にいた栗栖に尋ねてみると、さも当然そうな顔で頷かれる。自然と眉間にしわが寄ってくる舟雪の様子に構うことなく栗栖はさらにあっさりとした調子でこう付け加える。

「式神の黒の丞です。この店の本には全て、レジを通さずに店の外に持ち出そうとするとあれを召喚する呪符を挟んであります」

「マジで」

「マジですよ」

「全部の本に?」

「はい。全部の本にです。そうでないと意味がありませんからね」

 どこまでも当たり前という口調で言う栗栖だが、レジを通さずに店の外に商品を持ち出すと化け物が召喚される店というのはかなり異常だ。くらりと眩暈すら覚えた舟雪の目の前、ゴーレムの足元辺りから悲鳴を上げ続ける男子中学生と思しき少年と、彼の腕を引っ掴んでこちらへと引きずってくる暦の姿が見えて舟雪はもう何も言えなくなったのだった。

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