音妙堂EXステージ!

初日 魔法使い、雇うんですか

「お客様は?」

「神様です!」

「そう言うお客は?」

「ただのクズ!」

「万引き犯は?」

「根絶やします!」

「乱れた書架は?」

「素早く整頓!」

「今日も元気に?」

「重版出来!」

「それでは、よろしくお願いします!」

「お願いします!」


 お願いしたくねえ。ドアの前で思い切り二の足を踏んだ少年は学生服の胸元を意味なくいじりながらどうしたものかと考え込む。ここまで少年を案内してくれた大学生の青年は困ったような呆れたような、さらにいうなら少年が引いているのをどうしてくれようかとわずかに苦々しい思いでいるようなとにかく複雑で神妙な顔をしていた。この様子だとおそらく青年はドアの向こうで物騒な声掛けをしている人々よりはまともな感覚の持ち主なのだろう。いや、言っていること自体は少年としても異論はないのだが、それを大声で唱和するのはいくらなんでも物騒だと思うのだ。そしてやはり青年も同じように思っているらしい。

「あの、ごめんね? こんな感じだけどみんな普通……じゃないけど悪い人じゃないから」

 悪い人ではないがいい人とも言いがたい。青年の顔にはそう書いてあった。それに関しては気遣い無用という意味を込めて少年は元々きつい目つきを必死に和ませて軽く笑ってみせる。苦笑いはうまくできただろうか。

 そう。確かにこのドアの向こうにいるのは一筋縄ではいかない人たちなのだろうが、普段少年の周りにいる連中だって似たようなものなのだ。ならば怖気づくほどのこともないかと思い直し、少年は自らドアに手を掛けた。


 きっかけは彼が普段アルバイトをしている大手チェーン店の雇われ店長から「知り合いの店が一般業務のバイトを探しているから少しの間そっちに行ってみないか」と持ちかけられたことだった。どうやらその店はここのところ妙に忙しいらしく、犬猫の手も借りたい状況らしい。オレは犬じゃありません。そう反論した彼に雇われ店長は笑顔で言い放った。「じゃあなおさら役に立つよね。いってらっしゃい!」……と。

 自分はあの店ではもう必要とされていないのだろうか。高校に入学してすぐにアルバイトを始めたのだからバイト歴は半年を超えたくらいだ。基本的な業務は覚えたし、ひどいミスをして叱責された覚えもない。学生でかつ居住している学生寮の門限があるため残業はほとんどできないでいるものの真面目に働いてきたつもり、である。それがまさか雇われ店長の一存で学校のある街から電車で一時間もかかる場所にある店に出向させられる羽目になるとは……。

 考え込んでいても始まらないしこのまま帰るわけにもいかない。仕方なく、いやいやながら、非常に重い気分を抱えたまま少年は店の中へと足を踏み入れた。『音妙堂おんみょうどう書店』と看板を掲げた一見すると何の変哲もない本屋へと。

 犬猫の手も借りたいほどに忙しいというから来たというのに店の中はがらんとしていた。書架に並ぶ本の数は充実しているが客足は決して多いとはいえない。普段働いているのが大手チェーン店だったせいもあってか比べてみるといっそ閑散としているとさえ思える。

 ただその中で少年は敏感に感じ取っていた。それは気配というべきか、あるいはもっと明確な電気信号のようなものか。どちらにしろ彼にとっては慣れた感覚であり、そしてこのような一般の書店には本来決してあるはずのないものだった。なるほど、と彼は心の内だけで頷く。元のアルバイト先の雇われ店長は彼の通う学校がどのような場所であるのかをもちろん知っていた。だからこそ、彼をここに寄越したのだろう。借りたいのは犬猫の手ではなくおそらく彼自身の能力だったのだ。

 それはそれで迷惑な話なのだが。そもそも彼の持つ能力……魔法は許可された特定の状況下でなければ使えないし、使えたとしても使ってはいけない。みだりな魔法行使の禁止は最早飲酒運転の禁止と同じくらい一般的に知られた世の中の原則である。だからたとえこの本屋の中に魔法を使える場所独特の気配が満ちていたとしても少年がここで魔法を使うことはないのだ。少なくとも表立っては。

「様子見してても始まらない……か」

 少年は低い声でぼそりと呟くと書架の脇を抜けてレジカウンターへと近付いていく。そこには店の指定らしい黒っぽいエプロンを身につけた、少年よりは幾分か年上だろう青年がいて、レジ横の台で数冊の本を手に何か作業をしていた。少年は横から青年へと近寄り、声をかける。

「すみません。ここの店の人ですよね」

「はい、いらっしゃいませ。何かお探しですか?」

 顔を上げた青年は慣れた様子で笑みを浮かべて尋ねてくる。その顔立ちはどちらかといえば大人しそうで、それだけで少年はわずかに彼に対して羨望に近い気持ちを抱いた。接客業務に携わるにあたって人当りのいい笑顔ができるということはそれだけで大きな強みになるのだ。というのも少年は。

「あー、俺は客じゃないんです。ヘルプを頼まれて来た、苗田舟雪なえだふなゆきっていいます」

「えっ、君が?」

「……はい」

 青年の驚き顔を前にして少年、舟雪は自身の灰色の髪を軽く指でつまむ。もちろん地毛ではない。さらに耳には地味とはいえいくつものピアス、それにそもそもよく怖いと言われる目つきに青年より高い身長。舟雪自身、自分が接客業に向いていないことはよくよく分かっていた。だとすれば青年の驚く理由もそれだろうと見当がつく。

「一応、本屋でのバイトは半年やっているんで。基本的なことは分かります」

「ああ、うん。その辺りのことは店長から聞いていたけど……目立つね、苗田君」

「まずいですか」

「いや、大丈夫だよ」

 その返事は舟雪が想像していたよりずっとあっさりとしていて、続けて青年が浮かべた表情もまた舟雪の予想に反して明るいものだった。

「助かるよ。体格もいいしきちんとしているし、あんまり物怖じとかもしないみたいだし」

「きちんと?」

 不良だとか、近付くと危なそうだとか。そういう類のことなら言われ慣れている。しかし髪を脱色してピアスをいくつも開けた高校生を相手に「きちんとしている」とのたまう相手には初めて出会った。どういうことだろうか、と首を傾げる舟雪に愛想のいい笑顔を向けながら青年は改まった様子で口を開く。

「俺はアルバイトチーフの本木暦もときこよみ。店長は今裏にいるから案内するよ。ついてきてくれる?」

 短い黒髪に穏やかな物腰、すらすらはきはきとした喋り方。あんたのような人のことこそ「きちんとしている」っていうんでしょう。舟雪は声には出さずにそうツッコミを入れながら暦と名乗った青年の後について店のバックヤードへと通じるレジ横のドアに向かったのだった。


 そして冒頭の声掛けに遭遇したというわけである。なんとなくだが、暦が舟雪を指して「きちんとしている」と言った理由が早くも分かってきてしまった。つまりあれだ。彼はとりあえず舟雪を常識人だと判断してくれたらしいということだ。

「失礼します」

 ノックの後でドアを開けると中にはやはり店のものらしい揃いのエプロンをつけた数人の男女がいた。比率としては圧倒的に男性が多い。というより女性は一人しかいない。その中でもっとも年長と思われる、やや早めの中年太りが始まっている様子の……もとい恰幅のいい……簡単にいうと小太り気味の男性が舟雪に目を留めて微笑む。

 にやり、と。

 反射的に逃げ出しそうになったところをなんとか踏みとどまることができたのは舟雪自身がこの半年ばかりでそれなりの経験値を積んできたからかもしれない。普通の高校一年生であればダッシュで回れ右もしくは左でとにかくその場から離れる選択をしてもおかしくなかっただろう。ここまで連れてきてくれた暦には悪いが命が惜しい。それくらい嫌なオーラを醸し出した笑顔だった。

「ラスボス」

「店長と呼んでくれよ、苗田君!」

「店長と書いてラスボスですね、了解しました」

「竹川が推薦してきただけのことはあるなあ。順応力は高いし相手が目上でも媚びないそのふてぶてしい態度は一般的に好かれないだろうけれど個人的には嫌いじゃないよ、うん」

 そう言って自らを店長という男性は妙に満足そうに頷く。舟雪はというとそんな彼の反応を見てなるほどと納得していた。普段の舟雪であれば一応は年長でしかもその場においてもっとも力ある立場にある人物に対して初対面でいきなりラスボス呼ばわりしたりは決してしない。それを失礼を承知で敢えてしてみたというのには理由がある。これまた失礼な話かもしれないが、鎌をかけたのだ。つまり舟雪の態度を見て「これは雇えない」と判断するのであれば彼は舟雪をただの書店アルバイト人員としてしか見ていないということになる。しかし実際の反応はそうではなかった。竹川というのは舟雪が普段働いている店の店長の名であり、その推薦でやってきた舟雪の態度を見ても動じないなら、やはりこの店長が舟雪に求めているものは……。

「……魔法使い、雇うんですか」

 ぼそり、と尋ねた舟雪に店長は「うん?」と人の好さそうな、むしろかえって人の悪そうな穏やかな顔で首を傾げてみせる。

「ああ、そういえば自己紹介がまだだったね。僕がこの『音妙堂書店』の店長で松山っていうんだ。君を連れてきてくれたのがアルバイトチーフの本木君で、こっちにいるのがそれぞれアルバイトの二川さん、村田君、五十嵐君。苗田君は高校一年生だってね。じゃあ五十嵐君と同じだな。おおよそのことは分かっていると思うけど、この店のやり方で分からないことがあったら気軽に誰にでも聞いてくれていいから。むしろ分からないことを放置している方がよっぽど困った事態を招くからね。まあそれも大丈夫そうだけど。ところでその髪すごいね? 近頃そういう感じが流行っているのかな」

 よどみなく喋る店長こと松山にいっそ感心の眼差しを向けつつ舟雪は律儀に「流行っていません」と聞かれたことに答える。それにしてもこの松山という男性はやたらと頭の回転が速いようだ。舟雪のした質問に何となくうさんくさそうな目をした他のアルバイト店員たちを尻目にあくまで自分のペースで事を進めていく。そうはいっても舟雪としてもそのペースに流されるままではいられない。自分の立ち位置をはっきりさせないことには働くにしてもやりづらいのである。

「松山店長、質問してもよろしいですか」

「うん、どうぞ」

「俺がレーネ大和瀬やまとぜ高等学校所属だってことは竹川店長から聞いているんですよね。じゃあ俺はこの店で魔法使いとして働くっていうことですか」

 レーネ大和瀬高等学校。それが舟雪の通う学校の名前で、面倒な部分を端折って説明するなら魔法使いを養成するためのカリキュラムが採用されているやや特殊な高校だ。一般に魔法使いの認知度はまだそれほど高くはないが、知っている者は知っている。この書店の店員たちはどうかと思って舟雪がざっと見回してみたところ、予想とは微妙に異なる反応が見て取れた。

 まず暦が何か味のしないものでも食べさせられたかのような表情をしている。驚いているわけではなく不快そうでもない。ただどういう顔をしていいのか見失った、そんな印象だ。他のアルバイト店員たちも暦と似たり寄ったりで、二川と呼ばれた女性だけが怜悧な眼差しに少しばかりの呆れを滲ませていた。その目つきは少しだけ舟雪の友人に似ているかもしれない。

 さて、一通りの反応を窺ったところで肝心の松山に視線を戻すと、彼は少し口をすぼめて目を丸くしていた。その口からはいかにも意外であるといった調子の声が。

「え、違うよ? というかそっち方面はもう然るべき要員を確保しているから問題ないんだよ」

「は?」

「だから君にお願いしたいのは本当にただの普通のごく当然の一般業務なわけ。いやー、最近色々あったせいでそっちがおざなりになっちゃいそうでさすがにそんなことを見過ごすわけにはいかないでしょ、店長として。だから書店でのアルバイト経験のある人に来てもらいたかったの」

 色々とはなんだろうか。そして然るべき要員というのはどういうことだろうか。一般業務がおざなりになる書店とは一体何事なのだろうか。疑問は山ほどあったが舟雪はとりあえずこう切り返す。

「だったら高校生より大学生とか社会人の方がよかったんじゃありませんか」

「ほら君あれなんでしょ。もしものときには魔法で色々できちゃうんでしょ。まさに一石二鳥ってやつだよね」

「やっぱりそっちも期待してるんじゃないですか!」

 思わず大声を出してしまってから舟雪ははっと松山店長の顔を見る。店長は舟雪のツッコミなど意に介していない様子で、いやむしろ少しばかり気をよくした様子でにやりと口許を歪めた。

「話が早くて助かるよ。じゃあ少しの間だけどよろしくね、苗田君」

 ここは魔窟だ。そして松山という店長はそこの主で、魔王のようなものだ。つまりラスボスという表現はまさに的確、何も間違っていなかったということになる。間違っていてもらっても一向に構わなかったのだが。

 舟雪は趣味のゲームによくある世界観に状況を置き換えながら少しばかり天井を仰いだのだった。

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