赤色

私は、熊本県熊本市で生まれ育った。

今や政令指定都市となった熊本市だが、熊本市は合併に合併を重ね、人口を増やし政令指定都市になったという経緯がある。そのため、賑やかところもあれば、少し中心部から離れると田んぼに囲まれ、のどかな空気が流れる。

(こういうと、熊本市の人に怒られてしまいそうなのだが、政令指定都市だからと福岡や東京のようなきらびやかさを期待して訪れると、その差に驚いてしまうだろう...。)


私はそんな熊本が好きだった。

熊本市の外れにある祖父母の家が特に大好きだった。

農家をしている祖父母の家は、周りは田んぼに囲まれている。視界を遮るものはほとんどなく、(祖父母の家は平屋だったが、)平屋の家の中からでも、夕焼け、田んぼ、少し離れた野球場とが生みだす綺麗な景色を眺めることができた。

近所にある県が運営する大きな公園からは、野球やサッカー、テニスをする声が聞こえ、独特のゆったりとした時間を連れてきていた。


夏になると、昼間、田んぼに水をはる音が聞こえ、

夜には田んぼの蛙が生きていることを主張するかのように力強く鳴き続け、それが子守唄となっていた。


窓の外には祖父が買ってきた南部鉄の風鈴が吊るしてあり、夏を超え、冬でも音を奏でていた。

そんな祖父母の家が大好きだった。

そんな祖父母の家のある熊本が大好きだった。


なんだか、こんな書き方をしていると、祖父母の家がなくなってしまったように聞こえるが、今でも健在だ。

幼い頃より、なんだか少し小さく感じる祖父母だが、私の両親と元気に暮らしている。休みの日には、こぞって車で旅行に出かけているらしい。


そんな大好きな熊本を離れたのは、5年前になる。

熊本が嫌いだった訳でもない。ただ東京には憧れ、東京で働いてみたいと思い熊本を離れた。

熊本を離れたことを後悔したことがないと言えば嘘になる。これまで後悔をしたことも、夜中帰りたいと枕を濡らしたことだってある。けれど、それでも東京で生活している。忙しい中にも楽しく、時に熊本に戻りたいと思いながらでも、なんとか東京で生活することができている。


けれど、そんな私にはどうしても受け入れがたい自分がいる。

それは、電車の中の私だ。

東京へ来て3年を過ぎた頃からだろうか、私は自分の変化に気づいた。

東京来てからというのも、潔癖症になったのだ。熊本にいた頃は潔癖症だと感じたことなど一度もなかったのだが、今ははっきりと「自分は潔癖症だ」と自覚している。


特に電車に乗っている時に、それは如実に現れる。

女性だろうが男性だろうが関係なく見知らぬ人と肩や腕が、カバンが触れることを嫌うようになった。自分の身体に自分の意思と関係なく物が触れるのが耐えられなくなったのだ。

朝の通勤電車は地獄だ。

「お願いだから触れないで。」と心の中で呟き、イライラしながら電車に揺られているため、朝から酷く状態で出社することになる。

電車から降りると、「相手の人にも事情があったのだろう。その人も荷物が多かったり、他の人に押されたりしたのだろう。」と思うのだが、電車の中ではそれを思う余裕さえないのだ。

どうしてこうなってしまったのかは、分からない。

電車の中で嫌な思いをしたからなのか、電車の中で不潔な行動をしている人を見かけたからなのか、実家を離れて自分で身の回りのことをするようになったからなのか、原因は分からない。


けれど、私はそんな自分が怖くなる。

いつか、電車で耐えられなくなって声をあげないだろうか、、、。手を出さないだろうか、、、。自分があんな風にはなりたくないと思っていた自分になってしまわないだろうか、、、と。

自分の心の色が、鮮やかな赤でなく、朱ともいえない、ひどく黒ずんで気味悪ささえ感じてしまう赤色に染まってしまっていくような感覚に怯えている。

それは、自分変わったことによるものなのか、それとも昔から潜在的にもっていたものなのかも分からない。

熊本にいた頃はこんなんじゃなかった。もっと人に優しくできていたのに、と思っているだけで、本当の私は元から人に冷たく接する人間だったのではないか。

昔から、私の心にはひどく黒ずんだ気味悪ささえ感じてしまう赤色を隠し持っていたのではないか、それに気付かなかっただけではないのかとも考えてしまう。


そんな思いに恐怖をおぼえながらも、もっと人に優しく接することのできる人になりたいと私は私のなかで私と戦いながら今日も電車に揺られる。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る