第21話 真なる竜
――ミリアが王子と共に王都に現れる、前日。
森の中から王子が出てきても、ミリアはそれほど驚かなかった。多分、いろいろありすぎて感覚が麻痺していたのだと思う。
王子はミリアを起こし、傷の具合を見てから、クロージャンの鱗をはがし始めた。
「な。やめて、何するの!」
「何って。……脱皮の手伝い」
王子は平然と言った。
「……え?」
「知らなかった? 竜は脱皮をするんだよ。百年に一度くらい。ああ、王国に連れてこられた竜では初めてなのか」
ぺりぺりと、鱗は簡単にはげていく。クロージャンが気持ちよさそうにしているように見えた。
「本当は、もっと早くにはがしてやらないとだめなんだ。竜がどうして人間と一緒にいるか、知っている? 竜は一人で脱皮ができない――自分の世話を自分だけでできないからなんだ。人間同士も、本当は同じなんだろうね」
「…………」
ミリアは黙って、王子の言うことを聞いた。
「君も少し休んだ方がいい。その怪我じゃ、純血でも辛いだろう。まして君の血誓は二重になっている」
ぺりぺり、ぺりぺり、鱗がはがされていく。
「君が質問したいことは、だいたいわかる。どうして僕がここにいるか、どうして竜に詳しいのか、どうして君のことを覚えているのか、そんなところ?」
その通りだ。ミリアはうなずく。
「最初の答えは、父が殺されることを、僕は知っていたから。父が言っていたんだ。いつか自分は殺されるかも知れない。その時は僕に宿題が残ることになる。その宿題というのは……風の子との恒久的な和解。竜の生態に詳しいのは、向こうの飼育のプロに聞いたから。もうすぐここに来るよ。薬を頼んである。君の手当をしないとね。最後の答えだけど……君は僕を覚えていないの?」
問いで返され、ミリアは記憶をひっくり返した。
初めて会ったのは竜騎兵の任命式だったはずだ。違う。王子はミリアの旧姓を知っていた。と言うことは、人買い事務所に行く前、ミリアが子供の頃会っているはずだ。
覚えがない。あの頃のミリアは、国家という概念すら知らない貧民層のちびだった。王家の人間と接触しているはずがない。
ミリアが悩んでいると、王子はすっと顔をよせた。ミリアの頬をじっと見る。傷がある。唇をよせる。
「……つばつければ治る? と、さすがにもうできないね」
「あ!」
思い出した。
「……うそ。何で……レオ?」
突然いなくなった男の子。やんちゃなお兄さん。どうして気付かなかったのだろう。
「あの辺りで遊ぶのは楽しかったよ。家庭教師も絶対に探しに来ないからね」
「……どうして」
「済まない。王家は君のことをずっと監視していた。僕の血をなめた……竜王の血誓を得た唯一の人物だから」
ようやくミリアは、自分が特別である理由を知った。
竜王の血は王子に、王子の血はミリアに――
あんな些細なことが、自分の人生を変えてしまったのだとは。
王子はミリアに頭を下げた。
「巻き込んで済まない。子供だったとはいえ、不注意だった」
「そんな。……あれは私が勝手に」
「そう。君は親切でああした。どちらも悪くない、と思っていいかな?」
「もちろんです。顔を上げて下さい、殿下」
ミリアはようやく、落ち着きを取り戻した。一国の王子、忠誠を誓うべき相手に頭を下げさせておくわけにはいかない。しかし、王子は頭を上げなかった。
「図々しいようだけど、君に頼みがある。……ルウを助けてくれないか?」
「え? それは……」
王子は顔を上げ、クロージャンの鱗はぎを再開した。
「……誰も死ななくてよかったんだ」
つぶやき、竜の首を撫でる。新しい、銀色の鱗が並んでいた。
そして王子は、竜王と風の子の巫女の物語をミリアに聞かせた。
五十年の間、家族にしか語られなかった、ある悲恋の物語だ。
◆
あの子はケリをつけようとしている。
血統を守るもの。
裏切り者の子。
暗殺者。
一族の代表者。
竜の同胞。
その身に背負わされた全てのものに、決着をつけるつもりだ。
最強の姫巫女。
最後の舞台は、戦場以外に考えられなかった。
「止めなきゃ……。クロト、急いで」
死んで終わることなんて何一つない。
ルウが死ねば、今度は里に残されたものが、復讐にやってくる。そしてまた殺し殺され――終わることのない修羅の巷が繰り返される。
マリエルが殺されたと聞いたとき、自分を支配したあのどす黒い感情――殺して当然だという傲慢さ。
それを持って欲しくない、と言う偽善めいた気持ちはなかった。御しきれないあの気持ちを、けれど、人は何とかして御さなくてはいけないのだと感じる。
殺せば、殺される。
殺さなければ、殺されない。
この単純な真理が、どうして、こんなにもうまくいかないのだろう。
(間に合え)
そう念じながら、ミリアは南に飛んだ。
◆
戦線はがたがただった。
最初の一斉攻撃で、十以上の竜が落ちた。
反撃しようとした竜が、さらに落とされる。
逃げようとした竜は、ただの的だった。
指揮も戦術も介入する余地はなかった。
アルもウルも死んだ。
他にも大勢。
ジンが脱出できたのは、ただの幸運だった。
「あのジジイ……」
やつは知っていたのだ。そうに違いない。そうでなければ、隣国の侵攻に際してもっと驚いたはずだ。
ハーリントンは最初から風の子を皆殺しにするつもりで、ジンに先陣を任せたのだ。
今は逃げるしかない。里に戻って、戦力を集め、次こそ王国を手中に収める。そのためには死ねない。いや、自分は死なない。この程度で死ぬような、小さな男ではない。
怒りが少しずつ収まっていく。なあに時間はたっぷりある。あのジジイの寿命はすぐそこだ。それに対して、風の子は長命。ジンの時代はすぐにやってくる。いやいや、やつが死ぬ前に思い知らせるのも一興か。
冷えた暗い感情。手駒を補充する方法を考えながら、ジンは北上した。
前方に、竜が浮かんでいた。
「……ルウか?」
白い。そう見えた。
新しい包帯をそこら中に巻き、見慣れない竜にまたがった姫は、薙刀を水平に構えていた。
まずい相手にまずいところで会ったか――いや。
(使える)
あれの死体を里に持ち帰り、王国に殺されたのだと言えば、今度こそ一丸となって王国に挑める。
ルウが薙刀を引き、加速した。
ジンも乗騎を急がせる。
二騎の距離が、文字通り飛ぶようになくなっていく。
透明な一対の目が、野心に固まった男を見据えた。
「僕のために……死ねよやぁ!」
交差は一瞬。
虚空に鮮血が散った。
ルウが高度を落とした。
もう一方の竜は速度を落とさず、まっすぐに北へ。
騎手の首がなくなっていることに、竜はしばらく気付かなかった。
「……下らん」
呟き、ルウは高度を戻した。
草原が燃えていた。
東西に真一文字に広がる炎が、バスキア軍の侵攻を留めている。
「もっと油を持ってこい! 燃えるんなら何でもいい! テントも燃やせ! 野営の心配なんてのは、奴らを止めてからするんだ!」
怒鳴っているのはアセラスだ。
その脇では、サリューが両手に油壺を抱えて飛び立つ準備をしていた。
バスキアはこの一戦に全てをかけているようだ。確認できただけでも、兵力は三万を超えている。
その大軍を止めるため、竜王国軍は野に火を放った。バスキア軍の大砲は火薬をつかった兵器だ。火の中を突き進むことはできない。
可燃物の少ない草原に火をおこしたところで、稼げる時間は限られている。しかし、他に打つ手がなかった。炎の規模を維持するため、一番隊はフル回転で油を撒き続けている。
「マルシアは行ったか!」
二番隊の生き残りの新人に、王都に飛べと命令したのはいつだっただろう。もう何時間も前のような気がした。
「ついさっき! 援軍は最短で日没頃!」
「アセラス! 油はこれで最後だ!」
「とりあえず行って! 次は酒を撒く。純度の高い奴からじゃんじゃん行くよ!」
サリューが浮かび上がった。超低空。炎めがけて、かなり危険な飛び方だ。だが、高度を取れば新兵器の的にされる。低空には弓の心配があるが、バスキア軍も炎の側には近寄れない。それに、炎が生み出す上昇気流がある。少しは矢をそらしてくれるはずだ。
「アセラス!」
陸軍との伝令に飛び回っていたマチルダが戻ってきた。
「東が突破された!」
「何でさ!」
思わず、そう返していた。
「奴ら、距離を取って新兵器で地面を撃ったんだ。地面が吹っ飛んで炎が消えた」
破壊消防の応用だ。
「陸軍も総崩れだよ。まともに動いてる部隊はこの辺にしか残ってない」
「くそっ」
撤退するしかない。
だが、撤退して勝てるのか? あの新兵器はきっと、攻城戦用に開発した兵器だ。王都を射程に入れた時点で、勝負は決まる。
退けない。退けば王都が焼かれる。生まれ育った街が焼かれる。育った家が、アセラスの稼ぎを当てにしている孤児院が焼かれる。
(だけどそれは、個人的事情だ)
こんなとき、マリエルならどうしただろう?
答えは一瞬で出た。
アセラスは相棒にまたがった。
「総員撤退! 王都に避難勧告! 責任はあたしが持つ!」
「アセラス!」
「うるさい! 文句いう奴は押し倒すよ!」
「違う、あれ!」
音はなかった。
だからアセラスは、幻を見たのかと思った。
白銀の竜が天空を飛翔していた。
その速度が計算できなかった。
竜騎兵は例外なく目がよい。が、自分の目が、信じられなかった。
頼りなくて世話ばかりかける新米。入隊前からマリエルが絶賛し、その度にアセラスが笑った相手。検査方法が間違っていたのだと、アセラスは思っていた。空を飛ぶのが一番へたくそだった子。でも素直な。愛すべき妹のような。
「…………」
ミリア? と呟いたつもりだった。アセラスの声を爆音がかき消した。
さらに信じられないものを、アセラスは見た。
超高空に上昇した白銀の竜は、加速しながら降下した。すさまじいまでの風圧が、炎の壁を揺らす。かき消す。さらに加速しながらの上昇。
バスキア軍が新兵器を放った。それが綿埃の落ちる速度に感じられる。
轟音が激しさを増していく。
白銀の竜が上昇と急降下を繰り返す。裂かれた大気が鳴動する。
水蒸気雲が集まる。
空が、光った。
雨が降り出した。
いつの間にか、雲が天を覆っていた。それは、竜が生み出したものではない。気圧の変化によって周囲から引き寄せられたのだ。大規模火災という下地も影響してはいただろう。
だが、アセラスの頭には、そのような物理的な考察は一つも浮かばなかった。
竜は雷雲を喚び、嵐を支配する。
雷雲が大きくなっていく。鳴動は止まない。光が、空と大地を貫いた。
直撃を受けたバスキアの新兵器が炎上する。
神鳴りは、竜のいななきに似ていた。
伝説の再来だった。
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