第20話 開戦――王子の帰還

 二台の馬車が、ひっそりと裏街道を進んでいた。

 いずれも有蓋馬車で、骨組みはがっしりしており、目立たないようにであるが、金属板が使われていた。窓には格子がついている。乗客の安全よりも、逃がさないことを主目的とした作りだった。

 乗っているのは、少し前まで軍の要職にいた男だ。彼が王都から連れ出されたことに、市民は気付いていない。戦争が始まったと聞いて、それどころではなかった。だが、聞けば驚いただろう。この時期に、なぜマレス参謀長が王都を離れるのだと。

 悪いことは重なるものだ、とマレスは思う。そして、この状況で王都を離れることを、歯がゆく思った。軍略に関しては素人同然のハーリントンが、バスキア軍を撃退できるとは思えなかった。風の子の協力があろうと……いや、だからこそ不安なのだ。信頼できない友軍は、敵より扱いにくい。だが、捕らえられ、連行される自分にはどうすることもできない。見張りの兵士を片付けるのも、老齢のマレスには無理だった。

 ふと、マレスは空を見上げた。

 何か、見えた気がした。

 何かではない。竜だ。空を飛ぶものはそれしか考えられない。

 風の子の援軍が来たのだろう、と思った。彼らが本気で王国を支配するつもりなら、手勢は多い方がいい。

 数える。竜は六騎だった。きれいな陣形を組み、ゆったりと降下してくる。こちらを見つけたようだ。しかし、何のために?

 六騎の竜が一列に並んだ。進路を変え、急加速しながらの降下に移った。

「まさか!」

 先頭の騎手が弓を構えていた。空から射かけられた矢が、鉄板を仕込んだ馬車に突き刺さる。先頭の竜が離脱。次の騎手が同じように矢を放った。続けざま六発の射撃が、御者を撃ち殺した。連なって上昇する竜たちに、警備の兵が矢を放つ。だが届かない。上空の騎手が弩のハンドルを回していた。

 二度目の急降下で、馬車の外にいたものは全滅した。

 六騎の竜が馬車の周りに降り立つ。弩を持った少女たち。胸だけを保護する薄い鎧。それは、竜騎兵の装備だった、

 つり目短髪の少女が馬車に歩み寄り、ドアを蹴りつけた。

「中隊長。壊さなくても死体のどれかが鍵を持ってますよ、きっと」

「めんどくさい」

 つり目少女は三度ばかりドアを蹴った。錠前は壊れなかったが、ちょうつがいが外れてしまった。その隙間から顔を入れて、

「なんだ外れか……。ケイナ、そっちは?」

「大隊長確保です! 無事でした」

 つり目少女が顔を引っ込める。代わりに、まだ幼い感じの少女が顔を出した。

「マレス参謀長ですよね? 助けに来ました。実はついでだけど」

「ローラ、余計なこと言わない!」

 ローラと呼ばれた少女が肩をすくめた。

「あ、ああ」

 マレスはあっけにとられつつ、ローラに手を引かれて馬車から降りた。

 もう一台の馬車から、ガラハドは既に出ていた。つり目少女と何か話している。ガラハドが少女をつつく。少女がこちらを見て、いい加減な敬礼をした。

「お初にお目にかかります。竜騎兵隊三番隊中隊長、ロゼッタ・クリエであります。……で、いいの?」

 最後は、ガラハドに向けて言った言葉だ。

 大隊長はマレスに苦笑を向けた。

「だから言ったでしょう? うちの子は行儀が悪いと」

 政変を察したガラハドは、いざというときのため、王都以外の駐屯地にいる竜騎兵たちに密かに伝令を飛ばしていたのだ。

 許可無く部隊を動かすことは重大な違法行為である。だが、そのおかげで助かったことを考え、マレスは見なかったことにした。


        ◆


 役職にこだわるつもりはなかったが、納得がいかなかった。しかし、うまい抗議は思いつかなかった。逆に、臨時の指揮官だったのだから、元通りに戻っただけだと言いくるめられた。

 別にそれは構わない。

「ま、そう言うこと。アセラスちゃん?」

「……了解しました」

 慣れ慣れしいんだユル年増。そう言いたいのを我慢して、アセラス小隊長は唇の端を噛んだ。

「ですが、自分の小隊は竜騎兵だけで構成したく思います。連携は経験がものを言いますから」

「そうね。その方が、こちらも足手まといが少なくて助かるわ。戦闘が始まっても、無理についてこようとしないでね。じゃ」

 アセラスの棘のある目線を気持ちよさそうに受け止め、アルは歩み去った。

 こんなやつを中隊長とは絶対に呼んでやらない。

 思いは他の隊員も同じだったようで、アルがいなくなるなり悪態をつき始めた。一番ひどかったのはマチルダである。

「何あの中途半端な嫌み。田舎臭い化粧しちゃってさ。色塗らないと人前に出られない顔してるんだよきっとああやだやだやだ。見た? 首の所から色が違うのよ。ああ気持ち悪い」

「……というか、あんた何でここにいるのよ? 教官になるんじゃなかったの?」

 そう言ったのはサリュー。

「だって、訓練所に行かなくていいって話になったんだもん」

「初耳」とエメラダが割り込む。

「あたしも昨日言われたばっかり。なんかね、訓練所は閉めるかも知れないって」

 竜騎兵を育てなくてもよい、と言うことだろうか。

「あいつらがやるから?」

「多分」

「それはいいんだけど」再度サリューが割り込む。「大丈夫なの? 実戦になるわよ」

「片腕でも伝令ぐらいはできるでしょ」

 彼女らが今いるのは、王都の南にある砦の一つだ。

 バスキア軍の動きは予想以上に速く、南部方面軍はほぼ壊滅させられていた。

 敵を王都に入れないためには、ここが最終防衛線となるはずだが、配置されている戦力はあまり多くない。陸軍のほとんどは、相変わらず王都に集結している。

 敵軍の動きが速すぎて、軍の移動が追いつかなかった。

 グラダ防衛線の主力は風の子たち、司令官はジンである。

「……来たよ」

 アセラスは平原を見据えた。黒いもやのようなものが、次第に形を顕わにしていく。

 風の子たちが次々に飛び上がる。

 史上二度目の、竜を用いた大規模戦闘が幕を開けた。



 出撃した四十数騎の先陣を切ったのはアルだった。

 雹の子。風の子の中でも屈指の武闘派一族の、彼女は嫡子である。竜を従える力では受け皿の子にかなわないが、個人の身体能力を含めた、戦闘力では互角の、由緒ある一族だ。

 彼女にも野心があった。竜を用いて他人を支配できるのなら、それは自分の一族でも構わないはずだ。頭でっかちの雲の子など問題ではない。ここで武功を上げるのは自分だ。今後の影響力を発揮するのは雹の子だ。

 そんな思いで、先陣を切った。

 ひ弱な下界の連中の軍など、眼中になかった。

 実際彼女は強かった。もしも、五十年前に彼女が生まれていたら、セルダン一世を捕らえることも容易だっただろう。

 仲間を置き去りにするような速度で、アルはバスキア軍に迫った。手には油の入った壺と、発射すると摩擦で火がつくように改良された弩を持っている。まとめて殺すことに関しては、下界の人間のほうが上だな、とアルは思った。

 油を撒くために敵軍上空に達する。

 弓兵が攻撃を仕掛けてくる。攻撃はまばらで、しかもまったく届かなかった。

 と、妙なものに気付いた。

 騎馬や弓兵に混じって、車輪のついた台車を押している兵士がいる。台車の上には金属製のいびつな筒が乗っていた。底部が稼働するようにできている。筒の開いた側が、空に向けられている。

「何だ?」

 まとめて焼いてしまえば同じか。そう考えて、アルは油壺のふたを取った。

 途端。

 筒が白煙を吹き出した。

 筒から黒くて丸いものが飛び出す。

 見えてはいたが、それが精一杯だった。

 丸いものは竜をもしのぐ速度だった。一直線にアルを目指して飛んでくる。

 まずい、と思う間もなかった。丸いものが乗騎にぶつかる。竜が悲鳴を上げる。

「――っ」

 手から壺が離れる。体勢を維持できない。落ちる。落ちていく。

 アルは、複数のバスキア兵を巻き添えにして墜落した。地面で激しくバウンドする。うつぶせに倒れる。肋骨が折れる音が聞こえた。いったい何が起こったのか、まったく理解できなかった。考える時間も与えられなかった。

 アルが最後に聞いたのは、バスキア兵の鬨の声と、

 自分が滅多刺しにされる音だった。



「なんだあれは!」

 声がうわずっていた。それをジンは自覚する。竜を一撃で落とす。そんなことができるとは思ってもいなかった。動揺を見せてはまずい、と悟ったが、遅かった。

「お前ら何をしてる! 逃げるな! 戦うんだ!」

「冗談じゃない。死にたいなら一人でやれ。……!」

 逃走しようとした男の頭が新兵器の直撃を受けて砕け散った。

 見回せば、既に十数騎が撃墜されている。

 どうやらあれは連射できないらしい、と気付いた女が、急降下による奇襲をかけた。いかに強力でも道具は道具、使っている人間を殺せば終わりだ。

 だが、地面に届く前に、弓兵の集中攻撃で撃墜される。風の子はその程度では死なない。落ちた先にあるのは、死にづらい体に間断なく突き刺さる剣、剣、剣。

 竜王の奇跡から五十年。

 その間に、下界では絶え間ない技術の進歩があった。製鉄。火薬。それらが生み出した新兵器――大砲。

 竜は、既に伝説ではなかった。

「……あの男、僕を騙したな」

 ジンは拳を握りしめた。



 戦闘が始まったと、ハーリントンは王宮のバルコニーで聞いた。側には参謀たちが控えている。無論、マレスの息のかかっていない将校だ。

「押されているようですね」

「帝国が技術供与したという、新兵器だろう」

「援軍を送りますか?」

「要請があるまでは待機だ。すぐに助けられては指揮官の面目が立つまい」

「……は」

 なんともまあ、予定通りに事が運ぶものだ。誰も見ていなかったら、ハーリントンは哄笑したいくらいの気分だった。そうとも、野蛮な未開部族などに政権をくれてやるものか。せいぜい露払いを務めるがいい。後のことは私に任せておけ。

「国王代理!」

 背後からの騒々しい呼び声に、ハーリントンは気分を害された。

 伝令はハーリントンの様子を無視した。それどころではなかった。

「竜使いの死刑囚が逃亡しました!」

「何だと! 見張りは何をしていた!」

「それが、外部から何者かが侵入したようなのです」

「すぐに追え! 見つけ次第殺しても構わん!」

「ハーリントン様!」

 今度は子飼いの参謀だった。

「何ごとだ!」

「あ、あれを……」

 参謀の指さす先に、二つの小さな点があった。点はみるみる大きくなっていく。竜だ。

「どこの竜だ?」

「わかりません。外見的特徴、一致するものありません!」

 竜はあっというまに王宮に到達した。速度を殺すために上空で旋回する。

「……何と」参謀の一人が呟いた「……何と、美しい」

 雄々しく広げられた翼。気品すら感じる優雅な動き。姿勢を保つために振られた尻尾が、陽光を反射して強く輝いた。

 それは、白銀の竜だった。

 竜はハーリントンの正面に降り立った。操っていたのは、額に乾いた血で真っ黒になった包帯を巻いた少女――ミリアだった。

 彼女に少し遅れて、もう一匹の竜が降りた。こちらに乗っていたのは、二人の男。騎手を務めていたのは、目の下に入れ墨のある中年。もう一人は、ハーリントンには説明の必要がない若者だった。

「ありがとう。ガロ」

 若者はハーリントンを無視して、騎手にねぎらいをかけた。

「いえ」騎手は慇懃に一礼した。

「……で、殿下?」

 ハーリントンはぶしつけにも、若者を指さして震えていた。

「……選んで下さい。ハーリントン公」

 童顔の若者――ガム・セルダン二世は、その指先をにらみつけた。

「大法廷と軍事裁判所、どちらを先に済ませますか?」

「な、何のことですかな? 私は殿下の代理として、国家を守るために」

「僕は父とは違いますよ。あなたほどではないが、頭を使って生きている」

 その言葉と同時に、バルコニーに入ってきた人物がある。眼鏡をかけた、王子付きの秘書官――と認識されていた風の子。

「ご苦労様。ルウはどうしてる?」

「はい。二番隊の方にお任せしてきました。休養さえあれば大丈夫だそうです」

 ジルはおどおどと答えた。これが彼女の地なのだ。

「お前……風の子ではなかったのか……」

「出自としてはそうなります」ジルは答えた。「ですが、私は個人として王子に忠誠を誓っておりますので」

「に、二重スパイか……」

「もう参謀長とガラハド大隊長も救出してある。あなたに弁解の余地はないのですよ」

 王子が冷徹に告げる。

 と、階下からばたばたと足音が聞こえてきた。

 ったくひろすぎるんだよ、とがらっぱちな女の声。

 つり目の女がバルコニーに走り込んできて、慌てて敬礼を作った。

「殿下、議会及び参謀本部の制圧、完了いた、いたたし、いたたました?」

「……普通でいいよ」

「は」竜騎兵ロゼッタは言い直す。「そこのスケベジジイの子分は全員つかまえたぜ。ジンとか言う奴の手下もばっちり」

 とうとう、ハーリントンはその場に崩れ落ちた。

 野望の潰えた男は、ただの老人だった。

 ようやく一段落ついた。そう思ってか、王子は長い息を吐いた。そうしていると、純な子供にしか見えない。

「大変大変!」

 ちっとも大変そうではない声が、下から聞こえた。中庭で、背の低い竜騎兵がぴょんぴょん跳ねていた。もちろん、そんなことをしてもバルコニーには届かない。

「ローラ?」

「あ、ロゼッタちゅーたいちょー! あの子、逃げちゃいました! マリエルさんの竜かっぱらって逃げちゃいましたー。どうしましょう?」

 王子がため息をつくのが見えた。

 ミリアは、静かに竜の首を叩いた。王子がミリアを見上げる。

「どこに行ったかわかるの?」

「何となく」

「じゃあ任せる」

 ミリアはうなずき、額の包帯を解いた。血で固まり、鉢巻きのようになったそれが、バルコニーに落ちた。

「……行くよ、クロト」

 白銀の竜がふわりと浮き上がる。

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