第17話 再訪

 道はクロワが覚えていた。風の子の表現を借りるなら、雲はクロワが覚えていた、だ。

 刻々と姿を変える雲を覚えていても、道案内にはならないはずなのだが、どうやら慣用表現らしく、語源はユラにはよくわからないらしかった。

『でもね。私たちの言葉だと、雲は先導するもの、と言う意味でもあるの』

 私は、星に先導されて霊峰に降りた。里にまっすぐ降下するのはためらわれた。ユラに会う心の準備ができていなかったし、風の子たちが私をどう思っているのか、考えるまでもなくわかっていた。できることなら刺激したくない。話し合いの場を作らねば。

 里につながる谷の、ずっと低いところに降りた。あの日の崖が見つからないかと思って見回したが、夜中と言うこともあって無理だった。

 草をかき分けて進む。

 上空に飛ぶものが見えた。竜だ。

 隠れるか――一瞬そう考え、やめた。やましいことはない、と態度で示したかった。

 騎手は難なくこちらを見つけた様子だった。離れた場所に降りたつもりだったが、向こうからは丸見えだったのだろう。

 竜が旋回しながら降りてくる。

「……里の者ではないな?」

 竜に乗っていた男が、私を見て言った。

「ガム・セルダンだ。ユラに会いに来た」

 男は値踏みするような視線を私に向けた。

「乗れ」


「どの面下げて戻って来やがった!」

 男が親切だったのは、里に着くまでの短い間だけだった。

 私は地面に押し倒され、のど元に刃を突きつけられた。

 既に周囲は取り囲まれている。釈明の余地はなさそうだった。

「貴様が何をしたか、わかっているんだろうな!」

「わかっている」

「ならどうされるかもわかってるだろうな!」

「どうするのだ?」

「っ……」

 私の物言いが気に入らなかったのだろう、男は刃を押した。喉に小さな痛みが走り、熱いものが流れ出るのがわかった。

「よせ」

 その声がしなかったら、私は刺し殺されていただろう。

「久しぶりだが、旧交を温めに来たわけではあるまい。狙いは新たな竜か? ん?」

「……ハマ」

 族長は、昔と変わっていないように見えた。あの頃も老人だった。いや、あの頃は私が若すぎたのか。

「馴れ馴れしいぞ。嘘つきの卑怯者が」

「嘘をついたことは謝罪する。しかし、卑怯者ではない。だからこうして戻ってきた」

「口が減らないのは下界の者の特徴だな」

「減らないついでにもう一つ。私は自分の世界を、下界だとは思っていない。ここが天上だと言うのは、傲慢だ」

「ふん。何しに来た」

 ハマは不機嫌だった。本題を切り出したのは、一刻も早く、私との会話を終わらせたかったからだろう。

「この里に、広い世界と自由にあこがれる女性がいる。私は彼女を迎えに来た」

 たるんだまぶたを押し開き、ハマはわなわなと震えた。ハマから見たら、わたしの方こそ傲慢だろう。だが、私には謝るところこそあれ、恥じるところはない。

 ハマは言った。

「ユラは貴様を選ばなかったよ」

「嘘だ」

「本当だ。子もなしている」

「嘘だ! 私を信用できないからそんなことを言うのだ! 嘘つきはお前のほうだ! 俺たちは……俺たちは約束したんだ! ユラに会わせろ!」

 ハマは何か言った。私は聞き取れなかった。いや、意味がわからなかった。

 もう一度、ハマは、ゆっくりと唇を動かした。気持ち悪い動きだった。

「嘘だ!」

 叫びながら、私はハマに殴りかかった。拳は届かず、そばにいた若者たちによって、私はあっさりと取り押さえられた。

「……連れて行け」

 受け皿の子、ユラは死んだ。

 毒をあおった。

 ハマはそう言ったのだった。


 牢につながれるのを、私はおとなしく受け入れた。

 もう、何もかもどうでもよかった。

 牢番を命じられた若者が食事を持ってきたが、私は手をつけなかった。

 朝が来て、夜が来た。

 また朝が来て。また夜が来た。

 どうせ殺すならすぐに殺せ。そうすればユラに会える。そればかり考えていた。国のことなどどうでもよかった。

 食事を取らなかったのは、自分へのの消極的な死刑執行だった。舌をかみ切る気力さえ、私には残っていなかった。

 三日目になって、牢番が牢に入ってきた。椀に粥が盛られているのが見えた。

「……毒は……」

「入ってません」

 私が残念そうにしたのが驚きだったのか、牢番は引きつっていた。

「殺してくれ。ユラの所に行かせてくれ」

 牢番が腰を落とした。

「覚えていないのですか? ガロです。ガンの孫」

 言われてみると、かすかに、面影があった。

 そうだ。悪魔をやっつけると気張っていた子供だ。

「教えてくれ。ユラは、本当に」死んだのか、と続けることが、私にはできなかった。

「……残念ながら」

 それからガロは、ユラの身に何が起こったのかを話してくれた。

 竜を放った罪を問われた。騙されているのだと何度も言い聞かせられた。掟を破ったとして糾弾された。ユラはじっと耐えたそうだ。

 その間に、ハマは私を捜していた。私が王であることを知った。

 ハマはユラに要求した。

「里の者と結ばれ、あなたのことを忘れるように。もし守れないのなら、あなたを殺しに行くと迫ったのです。王都を焼き払うのも造作ないと」

 ユラは受け入れた。

 私を守るために、私が守ろうとしたものを守るために、そうせざるを得なかったのだ。

「ユラ様は、苦しんでおいででした。婚姻の席でもずっと泣いておりました。私には、族長の言うことが信じられなかった。あなたが竜目当ての悪党だとも思えませんでした。あなたの話は面白かった。世界が広いことを知りました」

「それこそが詐欺の手口だとは?」

 ガロはうなずいた。

「みんなはそう言います。ユラ様は騙されたのだ。騙されたのに、それを信じようとしないだけだって。でも、なんて言うのか……」

 うまく言えないのだろう。ガロは、粥の入った椀をつきだした。

「食べて下さい。あなたが死んでも、ユラ様は喜びません」

 私は粥を受け取った。腕が震えてうまく食べられなかった。

 食べ終わるまで、ガロは何も言わなかった。

「……ユラの子供は?」

「会いたい、ですか?」

 できれば引き取って育てたい、と私は思った。だが、さらっていったら今度こそ、風の子と王国の全面対決になる。

 考え、私は言った。

「頼みがある」

「逃げる準備ならしています」

 さらりと言われたものだから、私は驚く機会を失した。

「言ったでしょう? 世界の広さを知らされた、と。私もユラ様と同じく、あなたに心酔してしまったのですよ。何でも頼んで下さい。その代わり、僕も行きます」

「そうか。……しかし、君の願いは聞けない」

 私は息を整え、若い風の子をまっすぐ見据えた。

「もっと大変なことを頼みたいのだ」

 今考えついたことを話すと、ガロは重々しく頷いた。

「……大役ですね」

「そうでもない。大変だ、と思うことに出会ったら、そうでもない、と思えば切り抜けられる。私はそうやって国を治めてきた」

「いいですね、それ。じゃあ、大変ですけど逃げる準備をして下さい」

 さすがにそれは難儀だった。

 しかし、その後の問題に比べたら大したことではない。

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