第14話 陰謀

「……ハーリントンめに一杯食わされましたな」

 牢には先客がいた。

 部屋そのものは、牢とは呼べない豪奢なものだった。緋の絨毯。一枚板の執務机。大きな作戦図。大小様々な駒は、合計四色に塗り分けられていた。竜王国は大陸の要石。状況次第では複数の勢力が同時に領内に出現する――五十年前の戦争は、まだ終わっていない。軍部はそう認識している。

 竜王国は、図上演習では何百回と防衛に失敗している。

 強力な一部隊など必要ない。求められるのは、安定した防衛力。それが陸軍の結論だった。

「ガラハド」

 竜騎兵隊大隊長は、自分と同じく監禁された参謀長をちらりと見た。机の上に数枚の書類を飛ばす。

「私もここに押し込まれてから気付きましたが、昨年から、諜報部予算が倍増しております。そのくせ、諜報部に増員があったという文書がない。参謀長も、ご存じなかったでしょう?」

「……」

「ハーリントンは内務省の隠し予算で、秘密警察を組織していたのですよ。同胞を見張り、裏から操るための組織を、です。他にもいくつか裏工作らしきものがあるのですが、証拠はない。いちいち列挙するのはやめておきましょう」

 その隠れ蓑が、こともあろうに軍諜報部だった。諜報部は元々が隠密性の強い組織だ。部員は互いの顔を知らないことも多い。書類の上では、竜騎兵と同じく国王の直属になっている組織だが、実際に利用しているのは、外務省だったはずだ。

「これは表面に見えるよりも、ずっと前から計画されていたことです。軍人でありすぎたのが、我々の失敗です」

 表面的な混乱の裏に、いくつもの変化があったことを、ガラハドは指摘した。

「長期計画と見る根拠は?」

「参謀長はいかが考えます?」

「われわれがここにいることが、一つの傍証だな。反政府主義者と結託するためには、軍の存在が最大の障害になる」

「そんなところでしょうな」

「……しかし、貴殿がそのような考えかたをするとは思ってもいなかった。見方も職業軍人のそれではない。独自の情報屋を使っているのか?」

 問いを無視して、ガラハドは机に腰掛けた。作戦図の中央、王都の上に赤い駒を置き、青い駒を二つよせた。

 赤い駒はハーリントン。青い駒は二人の指揮官――マレスとガラハドを示している。

「この二つの駒、参謀長がハーリントンの立場ならどこに置きますか?」

「机の下だ。捨てる前に二つに割っておくかな」

「私も同意見です。憂いは断っておくに限る。ですが、ハーリントンはそうしなかった。血を見るのが嫌いなわけでもないでしょうが、ぬるいと言わざるを得ない」

「これから処刑するのかもしれんぞ」

「しませんよ。理由がない。……そのうち場所は移されるでしょうな。どこかに監禁されて、しばらく経ったら病死したと国民に知らせる。策略好きの政治家の考えそうなことです。そこにつけいる隙がある」

「手があるのか?」

 マレスが難しい顔を作った。

 ガラハドは不敵に笑う。

「これと言ってありません。……が、私の娘たちは行儀が悪い」


        ◆


 折れた足がずきずき痛む。風圧を受けるだけで苦しさにうめきそうになる。血が足りない。ろくな速度が出せない。

 夜半に出発したはずなのに、戻ってきたのはもう、日が高くなってからだった。さすがのルウも限界だった。アジトと決めた王都近郊の小山に降りて、滑り落ちるように竜の背を降りた。

「ルウ様! そのお怪我、どうされたのですか?」

「たいしたことではない。ちと疲れただけだ」

 気付く。

「……なにやら人が足りんな。ジンはどうした?」

「はあ、王国から使者が参りまして、交渉に」

「交渉?」

「竜の解放だけではなく、風の子の権利を認めさせると」

 そんな話があっただろうか、とルウは記憶をひっくり返した。王家討つべし、竜を取り戻せ。目的はそれだけだったはずだ。

 犯行声明を届けたことを、ルウは知らなかった。非は向こうにあるのだ。わざわざ言わなくても通じると思い、草案すら作らなかった。

「……村を焼かせたのはジンか」

「え? ああ、多分そうです」

 あれで王家が根を上げた? まさか。竜王国の基盤は、村の一個や二個で動じるような小さなものではないはずだ。

 王国を滅ぼすつもりは、ルウにはなかった。その必要を感じない。

 母をたぶらかし、捨てた男は始末した。後は連れ去られた竜を救い出せればそれで十分。そのことは、皆に伝えてある。風の子は俗世に関わるべきではない。

「姫様」

 風の子の若者は、かしこまって言った。

「姫様の考えはわかります。ですが、あの男は彼らの王でした。姫様の目的だけを達成して退いたとしても、彼らは納得しないでしょう。いつか報復を決意します。里が襲われます。ジン様はそれを危惧しておいででした。それに、向こうから言いだしたことでもあります」

 わからないでもない。しかし、何かが納得できない。考えようと思ったが、さすがに今は疲れていた。答えが出てこない。眠りたい。

 一時間だけ。そう思って、ルウは目を閉じた。

 眠りは無数の羽ばたきの音で中断された。誰かの怒鳴り声。険のあるやりとり。意に反して二時間も眠ってしまったようだ。眠っていてもおおよその時間経過がわかるのは、風の子の人種的特性の一つだった。無意識のうちに、日差しや気温を感じ取るのだ。半端に眠ったせいで、余計気分が悪くなっていた。

「騒々しいぞ」

 まだ、半分は眠っていたのかも知れない。突きつけられた刃を見ても、ルウにはなんだかわからなかった。

「……何のつもりだ?」

「一族のため、了承して下さい」

「だから何のつもりだと言っておるのだ! 答えよ!」

 怒鳴られただけで、薙刀を持っていた男は一歩下がった。

 七人か、とルウは観察した。足の具合は今ひとつ。厳しい数だ。

「われわれも近代化すべきだと、ジン様は考えたのですよ」

 王都に現れた女が、そう言った。ルウはその女をにらみつけた。

「ぬしが吹き込んだのではないのか? アル。内偵しているうちに王国に取り込まれたか」

「ご冗談を。姫様、ここは『竜王国』なのです。竜を扱うものが治めるのが、もっとも納得できましょう」

 ルウは鼻で笑った。その実、どうやったら包囲を抜け出せるかと、そればかり考えていた。

「ぬしの言う通りだとしても、それは補佐役たる雲の子の仕事ではない」

「それが古いと言っているのです。能力のあるものがやればいいのですよ。姫様、あなた様は確かにお強い。希代の竜使いだ。ですが、指導者の器ではありません」

 政治になど興味はなかったが、その言い方にはかちんと来た。わらわは族長の子だ。一族を指導して何が悪い? ルウが表情を険しくするのに比例して、アルは微笑みを広げていく。勝利者の笑みだ。

「竜を取り戻し、母の汚名をそそぐ。姫様はそれで満足でしょう。……ですが、それによって王国が報復に出ると、姫様はお考えになりましたか? それを防ぐ手だてを、考えることができましたか? 戦の前に戦後を考えることこそが、指導者の仕事です」

「…………」

「ジン様は考えました。風の子も、王国の一部になればよいのです」

 ルウにも筋書きが見えた。

 ジンは、ルウを暗殺の実行犯――単独犯として王国に差し出し、自分たちの立場を保証させるつもりなのだ。

「……っ」

「今頃お気づきですか。ふふ。ご安心下さい姫様。ジン様は、王国の元に下ろうとは考えておりません。威厳は保たれますわ。ジン様は彼らを支配するおつもりです」

 アルが一歩下がる。薙刀を構えた男女が一歩進み出る。

「……殺してはなりませんよ。王国が斬首するそうですから」

 ルウは素手。一対七。

 勝ち目はどこにもなかった。

 それでもルウはあきらめなかった。視線を巡らす。左の包囲がやや薄い。そちらは崖だった。間抜けどもめ。自分たちが何であるかも忘れたか。跳ぶ。

「逃がすな!」

 足首に激痛が走った。今の踏み込みでまた折れたかも知れない。かまいやしない。崖まで保てばいい。気配を頼りに進路をずらす。意識に体がついてこない。背後から肩口を裂かれる。気が遠くなる。しかしこらえる。木を利用して次の攻撃をやり過ごす。木立に入った。これで長い得物は使いづらくなるはずだ。分は悪いが、追いつかれる前に崖まで届く。崖まで届けば竜が呼べる。逃げ切れる。

「ちっ」

 とすとす、と肉に何かが突き刺さる音。痛みは遅れて届いた。腹に矢が刺さっていた。だが、そこはもう崖の手前だった。

「クロワ!」

 竜を呼んで、ルウは崖から飛んだ。

 直後、絶望が彼女を襲った。

 崖下に存在する、黒い物体が見えたのだ。

(だから、だから包囲が甘かったのか。こんなことを、こんなことをしてまで……!)

 絶望が怒りへと変化する。

 怒りは絶叫となって響いた。

 彼女にできたことは、それだけだった。

 ルウは、クロワの死体に激突した。

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