第13話 竜騎兵と竜使い

 アセラスとサリューは、真夜中に帰投した。ミリアは見つからなかった。まさか国外まで飛んでいったとは思えないから、どこかに不時着したのだろう、と判断して捜索を切り上げた。気がかりではあったが、王都の守りを放り出して探し回るわけにはいかない。基地に戻って不測の事態に備える必要があった。

 ああそうだ、始末書も出さないといけないな、とアセラスは思った。

 ミリアが一人で戻ってきてくれたら一番いいのだが。あれについていけたのはクロージャンだけだった。アセラスたち二人だけでは、瞬く間に落とされて終わりだろう。

 帰っても、一息はつけなかった。

 ホイットニー戦死の報が待っていた。

「くそっ。くそっくそっ!」

 サリューは何度も地面を蹴った。

 それしか言葉が出てこない。

 竜騎兵になったときから、いや、軍に買われたときから死は覚悟していた。

 この世界は残酷だ。一人殺して一人生かすようにできている。

 だが、味方に殺されるなんて、いくら何でもあんまりだった。自分たちは何のためにいるのだろう? 身代わり? 誰の? ホイットニーの代わりに生き残ったのは誰だ?

 ホイットニーは感謝されるべきだ。誰かが弔いに訪れるべきだ。血まみれのむしろにくるまれて、地面に転がされる理由なんてない。どうして誰も来ない? あたしたちは死んで当たり前の部隊なのか? 誰か、誰か……。

「……こんなことされるとさ、本気で反乱とか起こしたくなってこない?」

「わかるけど、気持ちはしまっておきなさい」

「アセラス! あんた!」

 サリューがアセラスに飛びかかる。二人はもつれ合って地面に倒れた。馬乗りになったサリューが拳の雨を降らせた。アセラスはされるがままになっている。胸鎧に拳が何度も叩きつけられる。細い体が激しく波打った。殴るサリューは泣いていた。ぼろぼろ涙をこぼし、殴り続ける拳が裂けた。アセラスの頬にサリューの血が飛んだ。

「……気が済んだ?」

「……ひっく」

「済むまで殴っていいわよ。あたしの責任だもの」

 握られた拳が、力無く落ちた。

「どうしてよぉぉぉおお! どうしてみんな死ぬのよぉぉ」

 アセラスは身を起こし、サリューをそっと抱いた。

 答えなど、ない。

 現実は非常だ。戦時には、特に。


        ◆


 今は夜。

 星がきれいだった。

 銀色の星々がきらめく。空気が澄んでいる。

 葉ずれの音。星の声に聞こえる。

 濃密な樹木の匂い。血の匂い。……血?

(痛いときは笑うんだ。まだ生きているって)

 誰だろう? 優しい声。思い出そうとしたら悲しくなった。

 あの人は死んだ。殺された。何の罪もなく。それが戦争? 

 罪ならある。奪った。でも、それはあの人じゃない。

 私でもない。

 あなたは誰? 何が欲しいの?

「…………」

 ゆっくりと、意識が覚醒していく。靄が晴れるように、夢が消えていく。

 今は夜。

 星ではなかった。

 ミリアが見ているのは、湿った土に散らばった銀色の物体。

 鱗だ。

 なぎ倒され、根本から折れた木々が開けた空間を形作っていた。道のように。あるいは、森をうがつ隧道トンネルのように。空は黒く、森も黒く、大地も黒い。

 無数の鱗が道しるべのように落ちている。その先に、あの少女がいた。少女は額から流血していた。少女の背後に黒い竜。

 第三者の目には、鏡のような光景が見えたことだろう。

 ミリアもまた、血まみれで背後に竜を従えていた。

 ただし、鱗が剥落して痛々しいクロージャンに対して、少女の竜は負傷らしい負傷をしていない。ミリアはうつぶせに倒れていたが、少女は片膝を立てて座っていた。

「……なぜだ?」

 少女が、そう言った。

「なぜクロトは貴様をかばう? なぜ模造品ごときが」

 問いではあったが、ミリアは今の状況への答えを得た。飛び移ってきた少女もろとも墜落したミリアを、クロージャンが身を挺してかばったのだ。大地がえぐれているのは、クロージャンの巨体がこすった跡だ。斜めになった木々の幹に、鋭い鱗が突き刺さっていた。

「その言い方、やめて」

「何だと?」

「模造品、と言うの。私は私だわ。何かの複製じゃない」

「ならば名乗れ」

「あなたも」

 二人の少女は、闇を介してにらみ合った。どちらも動ける怪我ではない。差をつけるのは気合いの量だ。

「受け皿の子、ルウ」

「ミリア・アストラ。……受け皿?」

 引っかかる名乗りだった。二つ名にしては奇妙だ。

「純血の巫女。……竜の血統を受け入れる器だ」

 さほどの感慨も見せず、ルウと名乗った少女は言った。

「アストラというのは名のある家か?」

「ただの記号」

 ミリアも無表情で答えた。

 特別だと言われ続けて、仇の一つも取れないダメ人間の名前だ。

 少女はやはり、本物の「特別」だった。彼女以外には通じたのに、彼女には、まったく及ばなかった。クロージャンがいなかったら、生き延びることもできなかったに違いない。そのクロージャンも負傷してしまった。程度はよくわからないが、鱗が剥げているのに飛べるとは思えない。

 もう、万に一つの勝ち目もなかった。

「殺すの?」

「そのつもりでおったが……」ルウは言葉を濁した。

 気が変わったのだろうか。ミリアが気を失っている間に、何かあったのだろうか。

「クロトの意思は尊重したい」

「クロト?」

 そう問い直すのは、いったい何度目だろう。その名前がクロージャンを示すことは、もう疑う余地もなかった。

「ぬしは違う名で呼んでおるのか」

「クロージャン」

 答えるように、竜が鳴いた。首をもたげた途端、また鱗が落ちた。

「動いちゃダメよ。……もう、いいから」

 竜はおとなしくなった。

「なぜだ?」ルウはまた問いを発した。「なぜ貴様らが竜を従えられる。……いや、血誓のことではない。なぜ、貴様はクロトと通じ合える。風の子でもないのに」

「…………」

 そんなことは知らない。そもそもミリアは、自分がクロージャンと通じ合っているなどと、感じたことは一度もなかった。いつも不機嫌で気ままな竜は、ミリアの指示なんか聞いてくれなかった。

 そうだろうか? 

 指示するよりも的確な動きを、していたのではないのか? クロージャンはずっと、ミリアのためにどうするべきか、わかっていたのではないか? ミリアがそれについて行けなかっただけで。

「……あなたたちは、竜と一緒に暮らしているのね?」

「そうだ」

「この子の名前は、本当はクロトなのね?」

「そうだ。……何も知らないのか?」

 ルウは、ミリアをじっと見つめた。瞳に変化があった。ミリアの人格を、今初めて認めたのだろう。

「五十年前、一人の男がわれらの里に迷い込んだ。その男は……ある女をたぶらかし、その女が管理していた竜の群れを連れ出した。許されることではなかった。一族は女をとらえ、男の素性を聞き出そうとした。だが、女は口を割らなかった。ならばと、われらは自分たちで男を捜すこととした。やがて見つけた男は、こともあろうに竜たちを人間同士の争いに用いていた。ガム・セルダン。貴様らの王だ」

 ミリアは黙って聞いていた。

 ルウの一族と竜との結びつきは、王国の人間が想像するよりずっと強いのだろう。まったく同じではないが、気持ちは理解できる。竜騎兵にとっても、竜は相棒であり、友人であり、絶対の信頼をおく相手――家族なのだ。

 ルウは家族を拉致されたのだ。

 それが、彼女の生まれる前のことであっても、恨みには変わりない。

「男の素性を割ったことを伝えると、女もさすがに観念した。一時的な約束で竜を貸したのだと言った。誰も信じなかった。戦争はもう終わっていたのに、男は竜を帰さなかった。

女は里に恭順を示すために、里の者と結ばれ、子を産んだ。それがわらわだ」

「……え?」

 ミリアがどこに引っかかったか、ルウはすぐに察した。

「同じ年頃だとでも思うておったか? 竜と共に生きる種族であるぞ。ぬしらより長生きして当然であろう。竜ほどではないが」

 ルウは自嘲的に笑う。

「長生きなぞしたくはない。この苦しみがいつまで続く?……産まねばよかったのだ。わらわはいつまで裏切り者の子なのだ」

「それは、だって」

 そうしなければ、許されないと言われたからではないのか。

 ふとミリアは、母のことを思い出した。彼女にも、ミリアを捨てなければならない理由があったのかも知れない。認めたくないという気持ちもあるが、許せるならば、許したい。そのための家も用意してある。

 似ているのだ、とまた思った。今度は、自分とルウが。

「あの女は裏切り者だ!」ルウは怒鳴った。「わらわを愛しておったのなら、なぜ責任を果たさない? なぜわらわを残して毒なぞあおった!」

 その答えは、ミリアのほうこそ、知りたかった。

 なぜ、母は自分を捨てたのだ。

 考えても答えは出ない。

 ルウはしばらくじっとしていたが、やおら立ち上がった。足が折れていた。

「あなた、怪我……」

「そのうち治る。歩けなくとも飛べる」

 その通りかも知れない。

「敵の心配などするな」

 ルウは正しい。しかし、ただ「敵」として捉え、いわれなく殺されたマリエルの仇を取るのだと意気込んでいた時期と違って、今のミリアには、ルウが一人の人間として見えていた。哀れな境遇に踊らされる。自分によく似た女の子だと。

 自分とこの子だけではない。みんな同じなのだ。自分の意志でこの道を選んだわけではない。そうせざるを得ない境遇だったから。殺し合わざるを得ない境遇に進むしかなかったから。

 悲しい。それは、ただ悲しいことだった。

 ルウは竜にまたがった。

「今度会うまでに決めておくがよい。……クロトを返すか、簒奪者の手下として死ぬか」

 竜がふわりと浮かんだ。

「待って!」

 叫んでも、ルウはこちらを見なかった。

 夜空を見上げるその瞳に、ミリアは二つのものを見た。

 悲しみと、正義――盲目的な。

 自分は絶対に正しいことをしている、悪いことなど一つもない。なのに苦しいのは、自分をそう言う立場に追いやった連中がいるからだ。

 ルウはきっと、そう考えている。

「お願い! 待って!」

 行かせてはだめだ。この人は、また殺す。相手はまた、竜騎兵隊の誰かかも知れない。政府中枢の人間かも知れない。もしかしたら、何の関わりもない人かも知れない。許されないことだけれど、彼女はきっとやる。あの目で。

 それが「正しい」ことだと思っているから。

 ルウが夜空に飛び上がった。

 ミリアの声は届かない。

「待って! ……クロージャン! お願い! あなたあの子を知っているんでしょ? お願い、飛んで!」

 ミリアは負傷している竜を揺すった。鱗がバラバラと落ちる。竜は動かない。

 竜を追うには竜しかないのに。どうしていつもいうことを聞いてくれないのだ。

 ミリアは泣いた。

 下草をかき分ける足音に気付いていなかった。

「今は無理だよ」

 その男の声に、聞き覚えがあった。

 まさかそんなはずはない、と思いながら振り返る。喉がひりついて声が出ない。

「脱皮が終わるまでは飛べない」

「……」どうして、あなたがここに? そう、言ったつもりだった。出てきたのは鼻水をすする情けない音だけ。

「会うのは二年ぶり。話をするのは、そう……十年ぶりくらいかな。ミリア・ロウ」

 ミリアすら忘れていた古い苗字を、彼は懐かしげに口にした。

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