第12話 裏切り者

 残念なことに、ハーリントンに関する資料はあまり残っていない。風の子の乱当時、内務大臣であったことははっきりしているのだが、それ以前の業績や経歴が確定できる文書が伝わっていないのだ。それまでも政局の中枢にいたことは間違いないが、可もなく不可もない一官僚に過ぎなかったのだろうか。

 竜王セルダン一世の偉業と伝説ばかりが目立ち、家臣たちがかすんでしまっている感は否めない。今度の事件がなかったら、ハーリントンの名は歴史に埋もれていただろう。

 深夜。異例の閣議だった。

「正気でいらっしゃるか?」

 外務大臣がいきなりの罵声を浴びせた。

「竜騎兵隊を解散するなど、ハーリントン公、それでは、奴らの言いなりでありましょう。どこの誰とも知れない連中の言い分を飲むなど。独立国たる竜王国の威厳はどうなります!……参謀長はいかがお考えか?」

 人の台詞を横取りしてまで目立ちたいか、とマレスは思ったかも知れない。しかし、表面には出さず、

「同感だ」

「参謀長は竜騎兵隊の縮小を考えていたかと思っておりましたが? 良い機会とは思えませんか?」

 ハーリントン寄りの文官が目ざとく指摘した。

「そうだ。だがそれは列強との和平協定が進むと仮定しての話だ。陛下なき今、十二都市連合は調印を保留すると言ってきている。帝国の動きは言うまでもないだろう。かの国の傀儡になりつつあるバスキアもな。奴らには今が好機だ」

 そして竜王国には危機だった。マレスは今すぐに議会を制圧し、軍政を敷いて南部方面軍を強化したいという誘惑にかられた。それで少なくともバスキアは押さえられる。大陸中央におけるにらみ合いの構図が続く限り、都市連合も動かないはずだ。

 セルダン一世が五十年前にどうやって竜を見つけ、手なずけたのか、真相を知るものはこの場にはいない。しかし、一世が竜を連れてきたことと、今、それを返せと要求する一派が出現したことは無関係ではあるまい。一世が何らかの策略を持って、竜をだまし取ったのだろう、と居並ぶ大臣たちは考えていた。

 まったくもって厄介なことをしてくれたものだ、と。

 竜がいなければ、今の自分たちが存在しないことも忘れて、である。

「してハーリントン公。竜を渡せば、奴ら……〝風の子〟と名乗る竜使い連中が引くという確証はあるのか?」

「そうだ。こんな紙切れ一枚。いつでも反故にするつもりかもしれん」

「公、考えは」

 一同の視線が集まったのを確認して、ハーリントンはゆっくりと口を開いた。注目を集める瞬間を心待ちにしていたかのように見えた。

「彼らが約束を守るとは、思っておりません」

「ではなぜ!」

「暴力に屈するわけでもない。……分かり合う余地がある、と思うのです」

「理想論ですな」

 マレスは短く反意を示した。

「彼らの立場になって考えるのです。神話の時代の生き残り……というのは信じがたいが、これまで顧みられなかった少数民族。不敬な言い方をしますが、陛下はそれを騙した、のでしょう。彼らが内心求めるものは、王家の首でも竜でもない。誇りと認知だと考えます」

「つまり?」

「つまり」わざとらしく繰り返して、ハーリントンは一同を見回した。「彼らに地位を与えるのです。王国の一員としての地位を。具体的には、参政権を含む市民権の付与。見返りとして、兵力の供給を受ける。お分かりですかな?」

 風の子の代表を政府に迎え入れ、その代償に、正統な――現行の竜騎兵より強力な戦力を手にする。誰も考えつけない奇策だった。

「なんと……それは……」

 ハーリントン寄りのはずの大臣も、そういったきり絶句した。

 マレスはしばし瞑目した。

 まず思ったのは、頭でっかちな政治家の考えることは馬鹿らしい、であった。

 続いて、暗殺者のことを考えた。

 今でこそ政治家の一人のように振る舞っているが、マレスは軍人の家系に生まれ育った男だ。彼が生まれる少し前に、戦争は終わっていた。しかし、敵がいなかったわけではない。マレスの敵は、他国の隠密、あるいは、国内の不穏分子たちだった。彼らの思考は、よく知っている。

「反体制主義の破壊活動家が、その程度の見返りでなびくはずがない」

 彼らは一様に刹那的だ。より大きな事件を引き起こそうとし、自滅するのが常だった。ここで態度を軟化させるべきではない、とマレスは考えていた。しかし、要求をのむ振りをするのもまた、常道の対応であった。

「交渉するなら相応の用意が必要になる」

「わかっております。ですが、取り込んでしまえば、容易に御せることはお認めでしょう?」

「要職を与える、と言うことか?」

「その通り。地位になびかない男はおりません」

 誰に向けたものか、ハーリントンは薄く笑った。

「用意するポストは?」

「今、空の椅子は一つきりです」

 マレスは自分の耳が信じられなかった。

「……正気か?」

「もちろんですとも」

 ハーリントンは平然と答えた。

「それは越権行為だ。貴公は代理でしかない」

「その通り。ですが、正統な後継者が現れない場合、次の元首を指名する権限があるはずですが?」

 マレスは椅子を飛ばして立ち上がった。

 ――そういうことか。

「この売国奴が! 答えろ! 貴様はいくらでこの国を売った!」

「ご冗談を。私には、彼らの気持ちがよくわかっただけですよ。……日陰者の気持ちがね。上から二番目の椅子を空けてはもらいましたが、それでも譲ったようなもの。彼らからは、銅貨の一枚すら受け取っておりません」

 ハーリントンが指を鳴らす。控えの間から、諜報部員がぞろぞろと現れた。

「そろそろご子息に道を譲るべきですよ、参謀長。もっとも、軍部の時代は五十年前に終わっておりますが」

 やるべきだった、とマレスは思った。

 こんな男に実権を握られるくらいなら、自分がクーデターを起こすべきだった。

 王国はここに尽きた、とさえ感じた。

 内外に火種を抱えた今の竜王国が、ハーリントンごときに御しきれるはずがない。

 マレスの思いを知ってか知らずか、ハーリントンは低い声で笑う。

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