第11話 対峙

 お願い止まってと、何度叫んだかわからない。

 竜は人間の言葉を解しない。それは知っている。けど、毎日一緒にいたのだから少しは気持ちが程度は通じてくれたっていいじゃないの。そう思って何度もクロージャンの首を叩いた。何度叩いても竜は速度を緩めず、むしろ加速してさえいた。あっという間に、声を出すのが辛い速度を超え、風圧で目を開けられない領域に突入する。

 もう、ミリアには制御不能だった。機嫌が悪くて人間の言うことを聞かない、と言うレベルの話ではない。黒い竜は乗り手を無視してまっすぐに北上していく。丘を飛び越え川を渡り、畑へと急降下すると麦穂をなぎ倒す。目印代わりに街道の交点に植えられている木に激突しなかっただけでも幸運なのかも知れない。

 ふとミリアは、クロージャンが逃げ出したのではないかと思った。あの少女の能力は圧倒的だ。わずかに刃を交えただけで、ミリアも理解した。本能に生きる竜は、それを感じ取っていたのかも知れない。勝てるはずのない相手だと。

 あの目は、獣の目だ。

 己の存在に絶対の自信を持った目。彼女に見えないものはなく、彼女につかまえられない風はない。そう思わせる目。真に特別な存在があるのなら、それは自分ではなく、あの子の中にあるのだと、ミリアは感じた。

 この感じは間違っていないようだ、とミリアは思った。背後に気配がある。しがみつくだけで精一杯、制御不能の竜の速度に、少女は追いつきつつある。向こうも暴走しているということはあり得ない。

「クロージャン!」

 悲鳴のような呼びかけ。竜が速度を落とした。既に王都は見えない。

 自分たちが今どこにいるのか、もうミリアにはわからなくなっていた。どうしてこんな所でこの子は止まってしまうのだろう。さっきまでとはうってかわった速度で、クロージャンが高度を取った。勝手に旋回する。

 ついに少女が追いついた。少女はあざけりを浮かべて言った。

「仲間を見捨てて逃げるか」

「……違うわ」

 そう見えても仕方ないだろうとは思う。が、クロージャンが勝手に飛んだなどと言ったら、竜を満足に扱えないことが露呈してしまう。いまさらたいしたことではないのだが、弁解するのは弱みを見せることだと、ミリアは思った。

「降りろ」少女は命令した。

「この子が欲しいの? どうして?」

 少女は眉をひそめた。

「何故とは……。クロトはわらわの竜だ」

「クロト?」

 ようやくにして、ミリアは気付いた。

 似ている。

 クロージャンと少女の竜は、よく似ている。クロージャンのほうがやや大きいが、鱗の色や面構えがそっくりだった。

「返答はいらん」

 少女が薙刀をしごいた。

「どのみち貴様は殺す!」

 距離がない。しかし加速は爆発的だった。少女が一回り大きくなったような錯覚を、ミリアは覚えた。まだ槍を持っていたのは奇跡に近い。目の前に火花が散る。自分が槍を持ち上げたのだと、ミリアは遅れて気付いた。考えて対応していてはやられる。

(上!)

 感じる。そうするべきだと。クロージャンは横にスライドした。やはり言うことを聞いてくれない。予想外の動きにミリアは落ちそうになる。縦に振られた薙刀が、それまでクロージャンのいた場所を通過する。ミリアはゾッとした。上に動いていたらやられていた。

 少女が唇をゆがめる。小刻みな進路変更を繰り返しながらミリアに迫る。横に構えた薙刀が迫る。ミリアはクロージャンにしがみついてそれをかわした。

 ダメだ。防戦一方ではいつか押し切られる。仇も討てない。ミリアは槍を握りしめ、少女と正対した。

 二騎は正面からぶつかり合った。

 薙刀と槍がこすれあう。二つの得物は、互いに刃を食い込ませて絡んだ。それを支点に二匹の竜が回転する。二人の少女がにらみ合う。

「…………よ?」

「何だと?」

「なんでこんなことをするのよ! 竜を返せってどういうことよ! あなた、何なのよ! あなたに、私たちを殺す権利があるって言うの!」

 ほんのわずかな間に、少女は様々な表情を見せた。

 嘆き。絶望。憎しみ。混乱。悲しみ。恨み。悲しみ。あまりに複雑に絡みすぎて、いったいどれが少女の素顔だったのか、ミリアにはわからなかった。

「貴様らに奪う権利があると言うか!」

 少女は信じられないことをした。薙刀を捨てて立ち上がり、

「!」

 ミリアに飛びかかった。

 少女が太陽を背負う。まぶしさにミリアは目を細めた。槍を捨てて両手を上げる。何をしたかったのか、自分にもわかっていない。少女の腕がミリアに伸びる。首を捕まれる。

 竜のいななきが聞こえた。

 主を失った竜の影が見えた。一匹だけ。

 どっちだろう。そう思いながら、ミリアは落ちていった。

 重力が加速度を生み、貧血を引き起こす。意識の消失は、快楽に似た感覚を伴っていた。

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