第10話 風の子の要求

 太陽の位置だけを見て、男は行動を開始した。

 先の命令の結果は、確かめようともしなかった。失敗の余地は何一つなかった。空に日が昇るのと同じくらいに。全ては予定通りに運ぶ。間もなく村が焼かれ、立ち上る煙が見えてくるだろう。

 男の名前は、ジンという。

 若い顔に白い髪が、どこかちぐはぐな印象を生んでいる。

 ジンは女を二人、共に連れていた。女の一人は入れ墨をしていた。それを隠すために、似合わない飾り帽をかぶっていた。もう一人は素顔をさらしている。こちらには入れ墨はない。ジンの顔にも入れ墨はなかったが、よく見ると、それを消した跡が残っていた。

 三人は王宮の跳ね橋の前で、観光客のように立っていた。国王が暗殺され、情勢が不安定になっているこの時期に観光をする者などいるはずがないのだが、それ以外に表現できない風情だった。どこにいても馴染む、しかし、どこにいても違和感を抱える職業に特有の雰囲気があった。

 しばらくして、王宮が騒がしくなった。物見台から望遠鏡が突き出されるのが見えた。その方角は、ジンが指示した村の方角と一致していた。

「うまくいったね。そうでなくちゃ困るんだが」

「ルウは反対していたけど?」

「あの子は真面目すぎる。お姫様だからかな」

 三人がそう話しているところに、伝令の兵士が息せき切ってかけて来た。三人は目配せを交わした。ジンが進み出た。

「やあやあ兵隊さんご苦労さん」

「なんだ貴様? 邪魔をするな。道案内なら警察に、」

 ジンは兵士の肩に右手を置いた。左手を、みぞおちに叩き込む。兵士が崩れ落ちる。

 その様子は、門番にも見えていた。

「橋を下ろしてくれないのかい?」

 ジンは大声で言った。答えの代わりに弓が狙いがつける。

「入れてくれ。責任者に手紙を持ってきたんだ」

 そう言って、ジンは自分で笑った。

「悪ふざけが過ぎます」

 入れ墨の女が言った。ジンは頭をかいた。

「僕を撃ったら面倒なことになるよ? ここが襲われちゃうかも」

 北側の街壁あたりがにわかに騒がしくなり、その喧噪が王宮の前にも伝わってきた。ジンが笑う。

「ほらね」

 素顔の女が眉をひそめた。そんな予定はなかった。

「引きましょう。何か不都合が生じた可能性があります」

「同感。ちんたらしてると囲まれるよ」

 包囲自体を問題にしているのではなく、切り抜ける手間を惜しむ言葉だ。

「……しょうがないな」

 ジンは殴り倒した伝令のポケットに、一枚の紙片を差し入れた。いまだ対応を決めかねている門番を見上げる。

「これ、上の人に読ませてね。絶対だよ?」

 不審者たちは気楽な様子で、その場を後にした。


「……それが、この文書です」

 秘書官の一人が差し出した紙片を見ても、マレス参謀長は表情を変えなかった。

 来るべきものがようやく来た、と思っただけだった。

「その三人組を探せ。いや、無駄か。もう王都を出ただろうな。各部署に招集をかけろ。対応策を練らねばならん」

「議会はいかがなさいますか?」

「そちらも開かねばなるまい。まったく忌々しい。やはり竜は負の遺産だ」

 返答に困って、秘書官は黙礼に留めた。命令を伝えるために執務室を出る。

 残ったマレスは、もう一度、問題の紙片をにらみつけた。

 こうある。

『我々は正統なる竜の盟友。怠惰な神のしもべ。最後に地上に降りた一族、その末裔。

 我らは風の子の一族を代表する者である。

 我らは、汝らが王とあがめる蛮人、ガム・セルダンに天誅を下すために集った。

 王家の断絶、及び盟友たちの解放が目的である。

 セルダンの息子を差し出し、竜を全て我らの手に戻すことが、汝らが生き残るただ一つの道である。

 この要求が聞き入れられない場合、毎日一つずつ村を焼いていく。

 返答を待つ。

 雲の子、ジン。ここに記す』

 証拠でなければ燃やしてしまいたい。マレスはそう思いながら、主要な参謀の集合を待った。

 ようやく届いたそれは、

 犯行声明だ。


 マレス参謀長が予想した通り、ジンたちはすぐに王都を出ていた。事前に脱出ルートを精査していたのだろう。彼らは風のように姿を消し、追跡隊はその影を踏むことすらできなかった。

 近くの村が襲われたことは、瞬く間に民の間に広まった。王都からでも煙が見えたのだ。隠し通すことは不可能だった。

 王の暗殺に続いて村の焼き討ち。しかし敵の正体は分からない。

 状況がわからないだけに、民は揺れていた。

 数だけを問題にするなら、王都から逃げ出した市民よりも、逃げ込んだ近隣住民のほうが圧倒的に多かった。長い長い列が、門の前にできてた。

 どんよりとした民衆の群れが、このときばかりは同じ方向を見ていた。

 王都に向かって竜が飛行している。

 ジンたち三人は、民衆の流れとは逆方向に進みながら、それを確認した。

「……あれはハルマですね。エナの竜。もう一騎は、竜王国の竜でしょうか?」

「迎えに来たのか? 気が利いてる」

「交戦中のようですが?」

「わかってるよ」

「誘導されている」

 素顔の女が呟く。

「そうだね。あれは落とされる。どうも、同志には一本気なのが多いね」

 ジンの声には、言葉とは裏腹に、距離を置いた響きがあった。

 もう一騎は竜騎兵のホイットニーだった。

 一番隊ではもっとも腕が立つホイットニーも、未知の相手に一騎打ちを挑むほど自信過剰ではない。彼女の目的は、自分が一騎を引き受けることで、アセラスたちが有利になるようにし向けることであった。もちろん、自分も死ぬつもりなどない。こちらはこちらで、援軍の当てがあった。王都の守備隊だ。

 敵を王都に誘導し、集結している弓兵の的にしてしまう。数百もの弓兵が相手では、さすがの竜も苦戦は免れない。冷静になって引き返してくれるならそれでもいい。こちらは戦果を上げられなくても、アセラスたちが一騎は落としてくれる。そうなればあっちは三対一。戦闘続行は不可能になる。

 しかしホイットニーは、王都に潜んでいた魔物の存在を忘れていた。

 その魔物の名前は、群集心理。

 王都に竜が接近した。それだけのことで、王都守備隊は軽い狂乱状態に陥った。ガラハド大隊長は依然諜報部の監視下に置かれ、この状況を知り得なかった。

 飛び交う伝令がもたらしたのは「竜騎兵には待機命令が出されており、飛んでいるはずがない」という情報だった。

 竜騎兵が動いていないなら、飛んでくるのは全て敵――現場はそう判断し、迫る二騎を区別することなく攻撃を仕掛けた。不幸な行き違いの結果、ホイットニーはエナもろとも、味方の弾幕に撃墜された。どちらも助からなかった。

「やれやれ、使えないな」

 血液をまき散らしながら落ちていく二騎を眺め、ジンはそう呟いた。

 こちらも仲間への情などないかのように、入れ墨の女が応じた。

「おかげで取引の材料が増えました。返答を早めさせましょう」

「ふむ。そうするか。……名誉の戦死ってやつ?」

 その日の夕刻、ジンは報復攻撃を指示した。

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