第7話 襲撃

 セルダン一世は、権力者にしては淡泊だったと伝えられている。英雄も色を好まない場合がある、という傍証にはなるのだが、世襲で成立している体制において、このことは致命的な問題を引き起こす恐れがある。血の断絶だ。

 国王代理を決めなければならなかった。

 でも、誰が?

 直系である王子は行方不明。王子はまだ未婚で、当然子供もいない。王家の血に連なるものは他にも複数いたが、いずれも血筋としては似たり寄ったり。客観的に誰もが納得するような人物は挙げられない。

 この状況を受けて、政治家たちは暗躍をはじめた。自分にとって都合のいい人物を、それぞれが国王代理に推したのだ。国王代理として挙げられた中には、わずか五歳の幼子までいたという。ものの分からない子供を傀儡にして、政治の実権を握ってしまおうという腹である。

 まさに政争である。

 結果はと言うと、外務大臣ハーリントンが、国政代行官として、国王の業務を兼ねることとなった。国王代理という名前の官職が設けられなかったのは、民衆が誤解するかもしれないと考えられたためである。また、ハーリントンの増長を懸念する一派の工作が成功し、政策実行には議会の承認が必要と決められた。

 平時の民主制国家であれば、それでもよかったのかも知れない。

 だが、竜王国は既に非常事態に突入していた。

 強力な指導者と即効性のある組織配置が必要な状況だった。

 この議決により竜王国は、状況を立て直すチャンスを失ったと言える。

 そして事態は転がり始める。


                 ◆


 クロージャンの様子がおかしいと聞かされても、アセラスは気に留めなかった。あの竜は元々気分屋で、長いこと乗り手が決まらなかった問題児なのだ。おかしいのはむしろいつものことである。一番隊はクロージャンを戦力には数えていなかった。

 マリエルの死によって、アセラスは中隊長を拝命した。元々戦力外扱いだった竜の体調よりは、やたらと増えた書類仕事と、予断を許さない情勢の方が気がかりだった。

「ミリアは歩けるようになった? なら見に行かせて。クロージャンはミリアの竜でしょ。問題があるならあの子に解決させなさい」

 ミリアは歩けるようになっていなかった。あばらも腕もつながったが、右膝がまだぐらぐらしていた。だから、クロージャンの様子を見に行ったのはマチルダだった。

 正規兵の彼女たちは、竜の相性のことも、血誓のこともよく知っている。マチルダも、不用意にクロージャンに近づいたりはしなかった。遠目に見た問題児クロージャンは、なんだかいらいらしているようだった。竜の思考は人間にはわからないが、ずっとつきあっていれば何となく見えてくることもある。今までのクロージャンが「厭世観を漂わせた理屈屋」だとしたら、今のクロージャンは「殴る相手を探しているちんぴら」だった。

 マチルダは詰め所に戻って思った通りに報告した。しばらく動かせそうにもない。

「はぁ」新任中隊長のため息。「これで三騎」

 マリエルは戦死。ミリアは復帰できるが、クロージャンがその様子では作戦行動は無理だろう。片腕を失ったマチルダの転属が決まって――教官になれと言われたそうだ――欠員が三名。

「早いとこ新しい子鍛えてね」

「その前に教官教習だってさ」

「ふん」

 アセラスは書類の束を鼻息で吹き飛ばした。

「あんた、片手でいいからもうちょっと残ってなさい。このままじゃどうやったって二小隊は編成できないのよ。ホイットニーはそのまま小隊長やってもらうとして、下にサリューとエメラダ。これは決まりよね。竜同士の相性もあるし」

「問題はミリアか」

「そうなのよ。あの子はともかく、竜がね。常に使えるんなら、あたしはミリアとペアで後方支援しつつ全体指揮で問題ないんだけど。クロージャン次第でしょう」

 これまでは、ホイットニーとアセラスを小隊長とした二小隊を軸に、中隊長のマリエルが単騎で飛んでいた。ミリアは飛べるときだけマリエルのお供をしていた。中隊長付き護衛官、というポジションなのだが、名前の通りの活躍は一度もしていない。

 そういう真似が出来たのは、マリエルが「ベクトラ」だったからである。これは竜騎兵の格で言うと上から三番目。この世代ではマリエル一人だ。アセラスは「ハルモニア」。単騎駆けが出来る血誓強度はない。その意味では「クリミナ」のホイットニーが中隊長の資格十分なのだが、必要な書類を一ヶ月以上放り出すホイットニーでは、部隊運営は期待できない。

「だからあんた残りなさい」

「片手じゃ本当に飛ぶだけしかできないじゃない。かえって足手まといよ。2×2の四騎編成じゃだめなの?」

「いいんだけど、ミリアが復帰しても面倒を見る人がいなくなる」

 こうも新米のことを気にしているのは、アセラスの頭に、戦闘の具体的なビジョンが見えていたからだ。あの少女が再び襲ってくるかはわからない。が、もしそうなったら単独での対応は不可能だろう。有効な作戦は集団戦法――敵の進路を妨害しつつの弓攻撃――だろうと思う。竜騎兵は三騎での行動を基本としている。それ以下では死角が多くなる。それ以上では互いの進路をふさいでしまう恐れが大きい。

 あの少女を落とすには、二小隊を用意し、波状攻撃で疲労させるしかないとアセラスは考えている。ホイットニーも同意見だった。問題なのは、弩は一度発射すると、弦を巻き上げるのに時間がかかる点にある。二騎では手が足りない。小隊が入れ替わる時間を稼ぐには、どうしてもバックアップ要員が必要になる。

 他の部隊から誰か回してもらえないだろうか――無理だ。国境はまたきな臭くなっていると聞く。漏れ聞こえてきた話だと、王を失った竜王国を狙って、バスキアが動き出したとか何とか。

「ねえ」と、マチルダが言った。「今、一番守りが薄いのってどこかしら?」

「は?」

「暗殺事件で王都の警備は厳しくなった。陸軍が集結して対空監視に当たっている。南部方面軍はバスキアへの牽制で動けない。もちろん東部方面軍もフゥア川から離れられない。王都の部隊はどこから連れてきたの?」

「そりゃその辺の駐屯地からちょっとずつ……まさか!」

 まさにその時だった。

「! アセラス、あれ!」

 黒煙が見えた。距離はかなりある。

 目をこらすと、数体の飛翔する存在が見て取れた。竜だ。

「村を、焼いている。ちくしょう!」

 アセラスは事務室が二階にあることも忘れ、窓から飛び出した。庭の木に飛びつき、勢いを少しだけ殺して飛び降りる。音の出ない口笛を吹く。厩舎に走る。

「貴様! どこへ行く!」

 一番隊を見張っていた諜報部員が叫んだ。そんな奴がいたことを、アセラスはすっかり忘れていた。肩をつかまれ、思わずぶん殴りそうになって、立場を思い出してこらえた。今はまずい。

「邪魔するな! 非常事態なんだ!」

「勝手な行動は許されない」

「そんな場合か! あの煙が見えないのか!」

「私の村ではない」

 あまりの物言いにアセラスの思考が蒸発する。拳が動く。もし、突風が彼女らを吹き飛ばさなかったら、諜報部員は死んでいただろう。

 砂埃に耐えて細目を開けると、ミリアとクロージャンが、信じられない速度で北上していくところだった。

 

                  ◆


 リハビリのためにベッドから出ていたのは幸運だった。

 手甲と弩をつかんで厩舎に走る。目についた短槍をとったのは、気まぐれに近い。これを使って白兵戦が出来るとは、自分でも思っていなかった。それでも、相手の攻撃を受ける役には立つだろう。

「クロージャン!」

 叫ぶ。気分屋の竜も起きていてくれた。背にまたがる。

「行くよ」

 気持ちが通じたのか、気まぐれだったのか。竜は歩き出した。

 竜は人間用のドアから出入りできない。サイズが違いすぎるのだ。そのため、厩舎には一部、屋根のない部分がある。クロージャンはそこまで歩き、小さな声で吠えた。

 ふわりと宙に飛び上がり、翼を打ち鳴らした。

「くっ!」

 殺人的な加速。まだつながっていない骨がきしんで、ミリアはうめき声を上げた。下で誰かが怒鳴っていたが、竜の羽ばたきが生み出す爆風がそれをさえぎった。聞かなくても、戻れ、お前には無理だと言っているくらいは予想がつく。風に負けないように身をかがめ、手甲のひもを縛る。特に指示はしなかったが、クロージャンも目的地を理解しているようで、立ち上る黒煙めがけてまっすぐに飛んでいる。

 弩の弦を巻こうとして、やめた。こんなもの、風巻く上空で役に立つものか。静止して狙い撃つには便利だが、彼らには通用しない。それがわかっているから、あの子も薙刀しか持ってこなかったのだ。

 空舞う竜たちの判別が出来る距離に達した。竜騎兵ではない。入れ墨が見えた。あの少女の同類である何よりの証拠だった。敵は壺のようなものを持っていた。

「……許せない」

 空から油を撒いて、村を焼いているのだ。五十年前の戦争では、竜騎兵も同じ戦法を使ったと聞いている。しかしそれは、戦争という状況下で、兵隊同士でのみ行われたことだ。

 無辜の民を焼き払うためでは、ない。

「何人殺せば気が済むんだ!」

 叫ぶ。クロージャンが加速する。

 ミリアの接近に気付いた敵が向きを変えた。男だった。手には薙刀。挙動は安定していて、すぐに高度を上げた。やはり戦い慣れている。

 勝てるのか? 自問する。勝つ。勝たねばならない。

 自分に言い聞かせる。あれを殺す。できる。

(私は特別なんだ……)

 それは、ずっと言われ続けてきたこと。そうでなかったらよかったのに、と何度も思ったこと。勝手に特別だと決められ、妬まれ、しかし何も出来ないという事実によりさげすまれた。自分にかけられた呪いだと思っていた。特別な私は生き残り、特別じゃなかった中隊長は死んでしまった。殺された。

 今、ミリアは逆のことを思った。

 もし、本当に私が特別な子なら、仇を取れるはずだ。奴らを殺せるはずだ。そうでなければならない。そうでないなら、死ぬのは私でよかったはずだ。

 槍を抜いて脇に構えた。男と竜が、体勢を斜めにしながら降下してくる。その軌道が見える、気がした。

 耳の脇で風が巻いた。一瞬、聴覚が途切れる。目の前を髪の毛が数本、飛んでいった。風切る音が戻ってくる。誰かの絶叫。翼を打つ響き。竜の咆吼。

 男が墜落していく。

 突き上げた槍から、暖かいものが伝ってくる。

 まず一匹。

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