第6話 竜の谷
美人だ。
それだけは認めてやってもいい。
引き締まった首筋はなだらかでしなやかで、アルコールにも砂糖の誘惑にも私は屈したことはないわ、と主張しているように見える。要するに、これまで俺の近くにいなかったタイプだ。限りなくぶしつけな俺の視線を受け止める目線は、誰よりもくっきりしていた。
「珍しい?」
じろじろ見ていたことに気分を害したのかと思ったら、違った。ユラは額に手をやった。
「呪い(まじない)よ」
「呪い?」
「そう」
ユラは説明せず、革靴に留めていたナイフを抜いた。何をするのかと見ていると、ミームとか言うミミズの死体を、ぶつ切りにし始めた。
「降りてきた甲斐があったわ。あなたのおかげで今夜はごちそう」
「……食うのか?」と言うか、食えるのか?
「みんなよろこんでたべるわよ」
マジか?
やっぱりここは辺境だ。でもってこの女は未開部族だ。いや、差別じゃなく、事実。
ぶつ切りミミズを二つの風呂敷に包んで、ユラはその一つを俺に寄越した。
「いらねえ」
「あげないわよ。運んで」
「なんで俺が?」
「一人で帰れるなら別にいいけど」
失礼なだけじゃなく性格の悪い女だ。んったく一国の王子ともあろうものが荷物持ちとは情けない。こんな姿をオヤジに見られたらどうなることか。しかし帰れないのは事実で、俺に選択の余地はない。あーあ。結構重いなこのミミズ。身が詰まってるのはいいこと?
ユラは鼻歌なんか歌いながらオレの前を歩いている。渋々続く。細いと思ったけど、ケツはでかいな。ああ、腿に筋肉がついているからそう見えるんだ。毎日山を歩いているとこうなるんだろうか。
「あのさ」
「なに?」
「どこに向かってるの?」
道は上り坂。ってことは山奥に向かっているわけで。
「わたしんち」
だろうと思った。すぐには帰れない。まあ構うことじゃない。予定が二三日遅れたところで、状況に変化は出ない、と思う。こんなのんきなことをしている間に、また現場に死人が出るかも知れないと思うと、少し急ぎたくもなるけど。
さらに一時間ほど歩かされた。山を一つ越えて、さらに歩く。野蛮人の脚力につきあうのはもう限界。五分でいいから休ませて。疲れて注意が散漫になっていたせいで、崖があることに気付くのが遅れた。危うく落ちるところだった。
「ひゅー、危ねえ」
そこは、巨大な谷だった。ずーっと低いところを川が流れている。川の向こうは急峻な山脈が連なっていた。谷の幅はかなりある。そしてそれが、右にも左にも延々と続いている。まさに絶景。こいつは、芸術家を連れてきたら驚喜すること間違いなしだな。
「約束して欲しいことがあるの」
立ち止まって、ユラは言った。
「これから見るものについて、誰にも話さないこと。それを守れないなら、ここに置いていく。約束するなら麓まで送ってあげる」
「了解」
その約束は守れないかも知れないんだ。ちょいと心が痛む。
ユラは片手を唇に当てた。しゅー。失敗した口笛か? なんの意味があるんだ、と思っていたら、遠くからばっさばっさと巨大なものの羽ばたきが聞こえてきた。
悪魔と戦うもの。人間以外で唯一、天から地上に降りた生き物。失われたはずの存在。
竜。
俺は、伝説を目の当たりにした。
竜の背に乗せられて、俺は谷を上流へと移動した。
「気持ちいいでしょ!」
それどころじゃない。風が強くて返事なんか出来ない。
こんなものに乗っていられるか。落ちたら死ぬ。絶対死ぬ。間違いなく死ぬ。ベッドの外で女の腰に両手をやることなんてないと思っていたのに、この手を離したら俺は死んでしまう。腕に込められた力で俺の動揺がわかるのか、ユラはけらけら笑っている。
後で地図を書けといわれても、きっとできないだろう。あっという間の飛行だった。何よりも、命の心配に忙しくて下を見ている余裕なんてなかった。
谷の途中。せり出した岩棚の上に、ユラは竜を下ろした。俺は足腰立たなくなっていて、彼女に抱き起こされた。ああ情けない。無意識に全身をこわばらせていたんだ。
ユラは風呂敷を一つ解いて竜の前に置いた。ああ、ミミズはこいつのエサだったのか。
「ついてきて」
岩棚に階段。明らかに人の手が入っている。谷の底まで降りると、上からは見えなかった小さな小屋が、木々の隙間にいくつも建っていた。
「ユラ様!」
甲高い声。右のほおに入れ墨をした子供が走ってきて、ユラに飛びついた。
「いい子にしてた?」
「うん」
「じゃあおみやげ。ガン爺の所に持っていって」
ユラはもう一つの風呂敷を子供に渡した。
「ミーム? ……ちぇ。僕にじゃないんだ」
「この間あげたでしょ」
子供は風呂敷を抱えて走っていった。
「で?」
「長老の所に案内する――の前に、洗った方がいいわね。あなた、汗臭いもの」
……悪かったな。
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