第5話 謎
襲撃から数日後、王都では〝竜王〟セルダン一世の葬儀が執り行われた。
正体不明の竜と乗り手がまたいつ襲ってくるかも定かではなく、葬式など後回しにしたいのが、国を動かす政治家たちの本音ではあった。
とはいえ遺体をいつまでもそのままにして置くわけにはいかないし、現時点で出来ることはほとんど何もなかった。王を殺した犯人は逮捕どころか、素性の手がかりさえつかめていない。
もうひとつ、深刻な問題があった。事件以降、王子の行方が知れないのだ。
こちらについても何の手がかりもなく、政府は「王子は襲撃によって負傷したので王宮で治療を受けている」という嘘の広報を発している。
君主を失って、けれど国家機能は滞りなく動いている。
竜王国は小国ではない。一人の王が万事を取り仕切るのは不可能で、逆に言えば、王がいなくても政治家と閣僚たちがいれば、国を動かすことが可能な体制ができあがっている。
それでも主君を失ったことによる影響は、小さくはなく、各所に混乱が発生した。
国威発揚を狙った内務大臣が葬式の手配を進める。それに反して外出禁止令を出そうとしたのは王都行政担当官。
諜報部はスパイの洗い出しに必死であったが、軍部は国境の警戒こそ最も重要だと主張した。外務大臣は、隣国を刺激するだけだからどちらもやめろと反論する。
国民が何を恐れているか、敵がどこにいるのか、意見は割れた。暗殺は単独の反政府主義者の仕業なのだからこれ以上の被害はないとする暴論まで飛び出した。
非常事態対策会議で、竜騎兵隊大隊長ガラハドと、マレス参謀長との言い争いがあった。
「あれが単独犯のはずはありません。竜の管理は多額の資金と相応の施設を必要とします。同時に人手も必要です。竜は一匹だとしても、どこかに仲間が潜んでいる」
「狩り出せと?」
「さよう。残念ながら、敵はすでに国内に拠点を持っていると考えざるを得ない」
「それこそあり得ない。国内のことなら耳に入らないはずがない」
「ではあの竜に乗った暗殺者はどこから現れたと?」
「現実的に考えれば、我が軍の竜だと考えるのがもっとも自然だ。大隊長の言うとおり、竜を飼い慣らすのは並大抵の苦労ではない。他国が我が軍以上に竜の扱いに精通しているとは思えない。そもそも、野生の竜はすでに存在しない、と陛下はおっしゃっていた。この大陸で、竜を所有しているのは我が軍だけだろう」
「私の部下が裏切りを働いたと申されるか!」
「部下だけでしょうかな? 資金と施設と、ノウハウもですか。竜の扱いはそちらが専門だ。あなたがその気になれば、我が国を制圧するなどたやすいでしょう」
「愚弄なさるか」
「まさか。たとえ話だよ。だが、竜騎兵の訓練内容は私も知っている。死亡率もね。王家を恨むには十分な数字ではないか?」
問いは、居並ぶ大臣たちに向けられていた。
死ぬことを前提に集められた少年少女たち。
彼らが現体制を拒んだら?
実はその可能性は、この五十年の間に、何度も検討されてきた。血誓を得るために飲まされた竜の血による中毒で半数が死に、残った子供も訓練途中でほとんどが死ぬ。正規兵になっても、任期を全うできるのは二割に満たない。
「ばかばかしい。我々は陛下直属の部隊だ。竜騎兵であることに誇りを持っている。それが不満を抱き、国家転覆を目論むなどそれこそあり得ません」
「ガラハド殿はそうでありましょうな。軍学校主席卒業の立派な指揮官でいらっしゃる。しかし、一般の竜騎兵は、正直言って卑しい身分の出身者ばかり。愚かな考えに取り付かれないとも限らないでしょう」
「……失礼する」ガラハドは椅子を蹴った。「配置を見直さねばなりません」
「その必要はない」マレスは冷ややかに言った。
「なんですと?」
「こんな話を、冗談で議場に上らせたと思っていたか? 報告書は読ませてもらった。暗殺者が発見されてから、王都上空に達するまでわずか二分。まともな戦闘があったとは思えませんな」
わざと逃がしたのだろう、とマレスは言外に臭わせている。そして、すでに議会工作も終えているのは、居並ぶ政治家どもの顔を見れば明らかだった。各部署とも、竜騎兵隊に割かれる予算を奪うつもりなのだろう。隣国バスキアとの情勢は落ち着き、大規模戦闘が行われなくなって久しい。竜たちは、徐々に居場所を失いつつあった。
「……暗殺者との戦闘で、一番隊に死傷者が出ていることをお忘れなく」
それだけ言い返して、ガラハドは議場を出た。
お前らだけでやれるものならやってみろ。そんな気分だった。
対策会議室がおかれた王宮を出て、自分の職場――竜騎兵の宿舎へ向かう。背後に気配を感じた。
(尾行か……)
国境の二部隊はともかく、王都の一番隊は既に監視下に置かれているのだろう。
「ガラハド大隊長」
一瞬、尾行者が声をかけてきたのたのかと思った。違った。振り返ると眼鏡をかけた若い女が立っていた。当たりをはばかるように視線をさまよわせている。
「ジル殿」
王子の秘書官だ。顔はもちろん知っていたが、話す機会はほとんどない。
「不愉快な思いをなさったでしょう」
「覚悟しておりました。……殿下はまだ?」
「ええ。聞かなかったのですか?」
「その話題になる前に飛び出したもので」
ジルは薄く笑った。
「変わりませんね。……暗殺直後の混乱は相当なものでした。殿下が風圧で飛ばされたのは見たのですが、その後は歩くこともままならない有様で……」
「ジル殿が気を落とす必要はありません。殿下が行方不明になったのは、ある意味で幸運でした。少なくとも殺されてはいない」
「そう……ですね。私もそう思っておりました。それで、ご相談なのですが、殿下の捜索に竜騎兵を貸していただけないでしょうか? 事が事ですので、議会も受け入れると思うのですが」
「そちらの護衛は?」
「動けます。が」ジルは不吉なものを見た時のように、胸の前で印を組んだ。「殿下が何者かに拉致されたという噂があるのです」
その話はガラハドも知っていた。混乱の最中、人が入りそうな穀物袋を抱えた男たちがいたというのだ。情報源が不確かで、信憑性はかなり低いと考えられている。だがもちろん「王子ではない」と断言することも出来ない。
仮に王子がさらわれたのだとすれば、偶然ではないだろう。誘拐犯は王を暗殺した少女の仲間だと考えられる。判断が保留されたのは、いまだ犯行声明も犯人からの要求も伝えられていないからである。
「一番隊が敗走した――失礼」
「構わない」
「交戦後は上空監視が出来る状態ではなかったでしょう? 誘拐犯がいたとして、彼らは王都さえ抜けてしまえば良かったことになります」
「ふむ。同一グループの犯行なら、さらった王子を運ぶのに竜を使うのは当然だな。追うにはこちらも竜を用意しなければならない」
「その通りです。出来ますでしょうか?」
今はなんであれ手がかりが欲しい。こんな不確かな話でも、調べてみる価値はあるとガラハドは思った。しかし、議会の承認は出ないだろう。
「実は、竜騎兵隊は身動きが出来ない状態だ。その提案にはのれない」
ガラハドはざっと、議会の流れを話した。
「動けば反逆の証拠だと言われかねない状況だ」
「この非常時に……」
ジルが唇を噛んだ。
ガラハドとしては、マレスが竜騎兵隊を潰そうとする理由もわからなくはない。日によって調不調の差が激しい竜に頼るより、より確実な戦力を用意した方がいい。それは人間の忠誠心だ。蠱毒の壺のような環境で鍛えた竜騎兵が信じられないというのも、この任務に就く前のガラハドならうなずいたことだろう。
あれは人格を破壊する。訓練所には嫌がらせと暴力がつきまとう。明日は死ぬかも知れない。そう考えながら生きていくことが、二桁の年数を生きたばかりの彼女らにとって、どれほど辛いことなのか。心が死んでしまった訓練生を見るたび、ガラハドは冷徹になろうと何度も言い聞かせ、なりきれなくて、夜明けまで空を見て過ごす。
あの地獄を抜けてきた子供たちに、自分は十分な愛情を注いでいるつもりだ。もしも隊に内通者がいるのなら、それは自分の責任だ。
ガラハドは唐突に振り返った。
「竜騎兵隊はただいまを持って二種警戒態勢に移る。以降別名あるまで一切の外部との接触を禁ずる。その方がそちらも手間が省けるだろう?」
廊下の端。突然意見を求められた諜報部員が、らしくない動揺を見せた。
「好き放題見張りたまえ。だが、もしそれで何か問題があった場合。長官には厩舎の便所掃除をさせると伝えろ」
諜報部員は動かなかった。まあ、放っておいても夜までには伝わるだろう。ガラハドはきびすを返し、自室へと向かった。
「……よろしいのですか? 暗殺者がまた来たら、対抗できるのは竜騎兵隊だけですよ?」
「マレス参謀長はそうは考えないでしょう。それに、もう暗殺者は来ませんよ」
「なぜです? ……あ」
問い掛け、ジルはすぐに気付いた。この国には、すでに王も王子もいない。
「次の手が読めないのは、かえって厄介ではありますが」
「待機は絶対に解ける。うん。今年の給料全部賭けてもいい」
そう言ったのは、マチルダだった。
「あんたもう陸勤じゃん。全部賭けたって安い安い」
答えたのはサリュー。
エメラダが小さく笑った。
「じゃあ、貯金全額」
「飲んだくれの貯金もらってもねぇ」
アセラスが言うと、マチルダはそっぽを向いてむくれた。
ホイットニーはそれら全部を無視して、見舞いのはずのイチゴをひょいひょい口に放り込んでいる。
五人とも正装していた。それでもこの場の雰囲気に反していないのは、二人ばかりけが人が混じっているからだろう。マチルダは片腕を吊っていた。見た目には何ともないアセラスも、よく見るとコルセットの分だけ胴がふくれている。脇腹の傷はまだ治っていない。それでもミリアよりはずっと軽傷だ。
一番隊の宿舎の端にある医務室。治療に関しては何もできない医者は、包帯の予備をもらいに地上軍駐屯地に出かけて不在だ。
「もういいみたいね」
エメラダが、ミリアのまぶたを押し広げながら言った。
「先輩、痛いです」
「痛いのは神経が生きている証拠」
「神経だってつながるっしょ?」
「ちょん切られない限りね」
アセラスが突っ込んで、マチルダがまたふくれた。
「もー。しつこい」
無理をしたような笑いが医務室にあふれる。
皆、ここにいない人のことは考えないようにしていた。
エメラダはミリアの頭髪をまさぐっている。くすぐったい。
「傷発見。あちゃあ……これ禿げるかも」
「え!」
「うっそ、冗談。傷はふさがってる。産毛生えてるよ。早いねえ」
エメラダはミリアの頭をぽんぽんとたたき、肩の包帯へと手を動かした。ちょっと見ただけで、まだ治っていないとわかった。腕が上がるようになるまで、まだ何日かかかりそうだ。治具の位置を直し、包帯を巻き直す。
「待機が解けるってどういう事ですか?」
敵の素性に迫る情報が入ったのだろうか。そう思ったミリアは、無意識に声を強めていた。
「あ、ちょっと動かないで」
「予想っていうか想像? ミリアさあ、議会勢力ってわかる?」
「いえ、ちょっと」
「じゃあお姉さんが教えてあげよう。覚えておくといいよ。陸軍のマレス参謀長と、内務省は対立してんのね。国防なくして国富はない、と、国富なくして国防はない。要するに軍事予算と内政予算の取り合い。どっちが勝つかは時々の政策によるんだけど、内務大臣が勝つと、あたしらの出番が増える」
「どうしてですか?」
「陸軍は動員すると余計な予算を取るけど、あたしらは平時でも戦時でも同じ予算で動いているから」
戦線を維持するには後方部隊が必要になる。矢弾や食料の調達、補給路の確保。戦争をするというのは、実は頭の痛い経済問題なのだ。だが、竜騎兵隊は補給の心配をしなくていい。自分で最前線まで飛んで、自分で帰ってこられる。増員ができないという特性上、非常時になっても人件費がかさまない。竜のエサ代も戦闘のあるなしで変わったりしない。
内政に予算を取られる時期は、通常軍の活動が縮小され、その分竜騎兵の運用が増えるという図式だ。
「そのくせ、あのおっさんあたしらのこと金食い虫だと思ってるんだよね。誰のおかげで毎年の作戦地図書き直せると思ってるんだか」
「それは二番隊の仕事」
「うっさい。あたしは隊全体を代表して」
「あの」横道に行きそうな先輩たちの話に、ミリアは割って入った。
「それってつまり、これから軍部が動く事態になるってこと、ですよね?」
「もう動いてるよ。見た? ……はずないか。街壁の上にびっしり弓兵並べちゃってさ。近所の部隊は全部あそこにいるんじゃない?」
一番隊の面々は、王都に行って戻ってきたばかりだ。正装しているのは、マリエルの葬式に出席するためだった。
マリエルは竜騎兵には珍しく、都内に実家を維持していた。両親はまだ健在だが、マリエルを売った負い目からか、一般的な親のような態度は取れないでいたそうだ。マリエルの側も、親を親として扱えないと――表面上はどうでもいいことのように――こぼしていた。なのに家にこだわっていた。
「そうしていれば兄が帰ってくると思って」と語っていたのを、ミリアは思い出した。
同じことを、ミリアもしている。
厳密には同じ家ではない。〝鼠の巣〟にあったアパートメントは、区画整理の影響で道路になってしまった。新たに購入した小綺麗な、年に一度しか帰れない家には、王都の門番とその義理の娘が住んでいる。形の上では管理人として雇っているのだが、母に似た人を見かけたら、すぐに知らせてくれるように頼んである
あの少女を殺す理由をまた見つけた。
マリエルは、もう絶対に兄と会えなくなった。
「……ぐに、予算が足りなくなる」
マチルダがまだ何かしゃべっていた。ミリアは現実に意識を戻す。
「これが本物の戦争なら、臨時課税でも何でも出来るけど、ことは国王の暗殺でしょ? 今の所ただの局地テロでしかないから、そこまでは出来ない。それで陛下が帰ってくるわけじゃないしね」
「でも、それを望む人も多いかも知れないわよ」
「だよね。育ちがいい人は王室を神聖視してるから。反逆者に神罰を下せ、とか言い出すんだよきっと」
「あ」肝心なことを忘れていた。
「何? きつかった?」
エメラダが顔を上げた。
「いえ。包帯じゃないです。……あの子、どうして暗殺なんかしたんでしょうね」
サリューがすぐに答えた。
「王室に恨みがある?」
「政治に絡むお年頃には見えなかったわよ」
「陛下に弄ばれた」
「うげ」マチルダが気色の悪い声を出した。「それは考えたくないなぁ」
「考えられなくもないわよ。例えば……あの子は元々候補生だったんだけど、陛下に見初められて強引に召し上げられて……でもって捨てられた」
「竜はどっから持ってきたの?」
サリューの反論。国境の部隊の定数はそろっていた。間違いない、サリューが伝令に飛び、自分で確認してきた。
「……あの子、クロージャンを知ってた」
ミリアが呟き、全員が動きを止めた。
「クロージャンのこと、クロトって呼んだの。」
「竜の顔見知り? 冗談。あたしらの竜は五十年前からこの基地にいるのよ。なんであのガキが知ってるの」
「それは、わからないけど」
「新入り。君は疲れているんだ。寝なさい」
枕元でぎゃあぎゃあやっている人間の台詞ではない。
見舞い品を食い尽くしたホイットニーが、顔を上げた。
「……ここにいるのが全部とは限らないよね」
「へ?」
「竜」
あまりにあっさりいうものだから、「どこに?」と聞き返すことすら、ミリアは忘れてしまった。果物の下に敷いてあったナプキンを取り、ホイットニーは果汁まみれの手をふいた。
「竜はセルダン一世が作ったわけじゃない。どこからか連れてきただけ」
「そうか。元々は野生の竜がいたのよね。それが絶滅してなかったとしたら、あたしたち意外に竜の乗り手が存在する可能性も」
「ないないない」とアセラス。「竜騎兵隊はこの五十年、国内外の空を飛び回ってるのよ? なのに野生の竜を見たなんて話は全然ないじゃない。野生種は絶滅してるのよ、陛下が言ってたとおり」
「じゃああの竜はどこから?」
誰にも答えられない。
ミリアはふと疑問を覚えた。自分たちが乗っている竜も、元々はどこか別のところにいたのだ。それをセルダン一世が連れてきた。
一体、どこから?
五十年前に王都に連れてこられるまで、竜たちはどこでどうやって生きていたのだろう。
それは、王家しか知らない機密中の機密だった。
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