第3話 恩師の肖像

 竜騎兵の適性がある人間が竜の血を飲み、「血誓」を得ることで、竜騎兵となる。

 適性の有無は全く生まれつきのもので、あるかどうかは血を飲んでみなければ分からない。

 だが竜の血は普通の人間には猛毒だ。適性がなければほんの数滴飲んだだけでも即座に死に至るし、適性があっても何かしらの中毒症状が出て、しばらく苦しむことになる。飲み過ぎれば適性があっても死ぬ。

 その竜の血が入った水を、ミリアは二杯飲んだ。適性があっても大半が死ぬ容量である。

 竜の血を大量に摂取したところで、竜騎兵としての能力が上がるわけではない。貴重品である竜の血を無駄遣いするだけである。

 ではどうしてそんなことになったのか。

 母親に騙されて人買い窓口――志願兵募集事務所にやってきたミリアは、事務所の奥の小部屋に通された。係員はミリアに竜の血を飲ませる前に、忘れ物に気づいて一度部屋を出た。

 係員が目を離したその隙に、ミリアはテーブルに乗っていた水差しから、勝手にコップに注いで飲んでしまったのだ。育ちの悪さが出た、と言うしかない。

 戻ってきた係員は、ミリアが勝手に水を飲んだことを信じなかった。竜の血で中毒死する子供は約半数。逆に言えば半数は生き残るのだが、中毒症状が出なかった子供はいない。大なり小なり、飲んだ直後に吐き気やめまいを訴え、苦しみ出すのが常だった。

 ミリアがけろっとしているからには、本日の志願者はまだ竜の血を飲んでいないのだ、と係員は考えた。

 係員はミリアに再度、竜の血が入った水を飲ませ、それでも彼女が平然としているのを見て、持ってきた水が間違っていた可能性を疑った。間違いのなかったことを確認すると、ミリアの書類に赤い印を付けて、軍部に送っている。

 ミリアは竜騎兵隊付きの専門医の手にかかり、様々な検査を受けさせられた。体力測定や採血はまだましなほうで――血液を顕微鏡検査したところで、当時の医学では何もわからないのだが――メスで皮膚を裂かれたり、氷水に何時間も漬けられたりした。

 今にして思えば、あの日々があるから、上層部はミリアの内通を疑うのかも知れない。軍にとってミリアは始めから「異質な」少女だった。

 苦痛でしかない検査の日々を終えるなり、ミリアには軍学校卒業と同じ待遇が与えられた。平均を大幅に上回る給金。制服はもちろん、普段の衣類や家具まで買いそろえられ、王宮近くの宿舎に一室が与えられた。訓練生が個室に入るなど、前例がなかった。お詫びの意味もあったのだろうが、逆効果だった。

『あいつは特別』というレッテルは、トップの人間以外には邪魔でしかない。同じ年に採用された訓練生たちの中で、ミリアは浮いてしまった。他の訓練生は、ミリアが抱えてしまった事情を知らない。そもそも、血誓の存在すら、まだ知る立場にない。ただ、ミリアの待遇だけは、噂としてあっという間に広まった。当のミリアは訓練所に放り込まれ、士官宿舎の上等なベッドは一度も使っていないのだが、そんなことは他の訓練生には何の関係もない。

 一般水準より落ちる住民が差別されるように、同列に扱われるべき集団の中に、特別扱いの人間を放り込んでもまた、差別が始まる。

 ミリアは敬遠され、妬まれた。

 友達などできなかった。成績も悪かった。特にひどかったのは読み書きだ。他の訓練生は、座学終了後にめいめいのグループを作って復習をしていたのだが、ミリアを誘う訓練生はいなかったのだ。成績が悪いのに脱落しないミリアは、ますます差別されるようになった。

 この時点での正規兵の欠員は三名だった。つまり、生き残った中から三人だけが、正規の竜騎兵として、安定した経済環境を得られる。その後は本人次第だ。

 十二歳以上になり、教官が「その資格あり」と認めた訓練生は、次の教程へと進む。だめだった訓練生はもう一年、基礎訓練をやらされる。

 御者を失った竜と候補生たちが初めて会うその日、ミリアは教官からこう言われた。

「お前は選ばなくてよい」

 自分の成績では無理なのだ。ミリアはそう思った。これからどうしようか。

 違った。

 彼女のために一頭の竜が用意されていた。名前はクロージャン。ここでもまた特別扱いかと誰もが思った。しかし、クロージャンは「当たり」ではなかった。

 主の言うことなど何も聞かない。一日中寝ている。食事が遅れると王都まで聞こえるような大声で吠えた。他の竜が近づくだけで荒れる。誰にも懐かず、けれど竜は貴重だから処分されることもなく、乗り手もいないまま何年も厩舎に繋がれていた「お荷物」だった。

 座学の成績は中の下程度だったミリアは、実技のウエイトが上がるに従って、次第に劣等生の立場に追いやられていった。しかし、宿舎その他の特別扱いは続いていた。

 訓練生が次々墜落して、数を減らしていく間、ミリアは生き残り続けた。その間に、新たな訓練生が何人か送り込まれ、また墜落した。しかしミリアは残っていた。クロージャンはミリアを主と認めているのかいないのか、恐ろしく気まぐれで、5回に一度くらいしか飛ぼうとしなかったのだ。訓練ができなければ成績はつけられず、従って落第もしない。そういう理由だ。

 新たな噂「ミリアはさる貴族の隠し子で、軍学校に入れるには問題があったため、竜騎兵として軍歴を積ませることになっている。司令部は間違って貴族の子を死なせてしまわないように、わざと飛ばない竜を寄越したのだ」

 他人は好き勝手吠えるものだ。そう一蹴できれば、ミリアも苦しみはしなかっただろう。母に捨てられて以来、ミリアは弱くなっていた。孤立していた。こんなにされてまで生きていたくない。そう考えるようになった。

 そんなある日、訓練生の一人が、竜に噛み殺されるという事件が起きた。

 訓練生は血誓――竜を従える能力を身につけているが、それは全ての竜に影響するものではない。むしろ、相性の悪くなる相手もいる。そうと知らず、他人の竜にちょっかいを出した訓練生がいたのだ。

 嘔吐する訓練生の後ろから、ミリアは半分になった元いじめっ子の姿を見た。ざまあみろ、とは思えなかった。ちょっと同情して、そして、うらやましかった。あの子はもう現実の苦しみを味わわないで済む。

 死体は驚きの表情のまま固まっていた。苦しむ時間もなかったのだろう。自分もそうしよう、と思って、夜中に厩舎に忍び込んだ。

 わざわざえさ箱の中に座った。どきどきしながら待っていたが、どの竜も動かなかった。ミリアを無視していたわけではない。緩く頭を振り、様子を伺いはするのだが、具体的な行動が出てこないようだった。緊張が疲労を増したのか、ミリアは眠ってしまった。起きたときには天国にいますように。そう思った。

 朝が来て、ミリアは目を覚ました。

 昨日までと同じ当たり前の朝だった。

 昨日まで見たことのなかった人が、厩舎の隅に立っていた。

「よく眠れたか、ミリア・アストラ」

 その名字は、係員が勝手につけたものだった。変な名字だ、と思った程度で、本人はなんの感慨も抱いていない。『甲種血誓』の暗号名だということも知らない。

「君は百人に一人の逸材だ。そのことを自覚しているのか? 兵士百人ではないぞ、竜騎兵百人。一般人なら五万人に一人の逸材だ」

 知るわけない。

 ミリアはのろくさと起きあがり、寝癖のついた頭に指を付けた。敬礼だ。誰だか知らないが、この女性が上官――正規の竜騎兵であることは、襟章を見ればわかった。

「特別になんかなりたくなかった」

 捨て鉢な気分で、十二歳と半分の少女は答えた。

「特別だって決められたから、みんなが私を嫌うんです」

 若干だが、怒りを覚えていた。

 竜たちが遠巻きに、二人の人間の様子をうかがっていた。子供一人排除できないトカゲどもをふがいなく思った。

 だったら人に殺されようかな、と考えたのは、まだ寝ぼけていたのかも知れない。

「あなたもどうぞ。悲鳴が聞きたかったら、早めに腰のものを使って下さい」

 竜騎兵は鼻で笑った。

「報告にあったほどには、腐っちゃいないようだな」

「……はあ」

「いじめっ子にそう言ってやれ。本気で刺す度胸のあるやつなんか一人もいないのがよくわかる。君たちはただのガキなのだ」

 そう言う竜騎兵の女も、ずいぶんと若かった。三つか四つしか違わないはずだ。

「刺されたらどうするんですか?」

「どうもしない」

 この人はなんなのだろう、と思った。

「……そうですか」

「どうもしないんだ。君は死なんよ。教程よりは少し早いが、教えてやろう」

 竜騎兵はそう言ってから、ミリアに血誓のなんたるかを伝えた。竜を従え、驚異的な体力と回復力――修復力――を得る手段。竜騎兵の資質。

「君は甲種血誓保持者だ。頭か心臓を刺されない限り、ケンカで死ぬようなことはない。これから教程もより実践的になる。兵士の基礎ではなく、竜騎兵の基礎訓練だ。君は見直される」

「その前に化け物扱いされる気がします」

「怪物の御者が人間である必要はない」

「そこまで強くは考えられません」

「いや。君は強くなる。マリエラ・ベクトラが言うのだ。間違いない」

 竜騎兵は一歩前に出た。窓から差す灯りが、彼女の顔を照らした。真一文字に引かれた、意志の強そうな唇が、ふっと緩む。

「とりあえずケンカの仕方を教えてやる」

 ミリアはぼこぼこに殴られた。

 全治三日だった。


 それからというもの、マリエラは訓練の合間を縫ってはミリアを呼び出し、容赦なく殴った。もちろん足も使った。場合によっては刃物も使ったが、それで斬りかかることはなく、ミリアをKOする必殺技は、たいがい頭突きだった。のしたばかりのいじめられっ子を見下ろし、言う。

「攻撃を左右に振られても気にするな。左右同時の攻撃はありはしない。見るのは足だ。踏み込みが見えれば攻撃も見える。かわしたら関節をつかめ。つかんだら迷わず折れ。どうせ相手も血誓を持ってるんだ。骨の一本や二本、どうってことはない」

 殴る前に言って欲しい。

「戦う前から戦いは始まっている。相手を怒らせろ。『河馬よりユルいくせに気取ってんじゃねえ』は、君の歳じゃ通じないか。……『毛も生えてないチビジャリのくせに』、復唱!』

 毛ならミリアも生えてなかった。

 何がケンカのやり方か、これじゃあいじめっ子と変わらないじゃないか。いや、正規隊員の技能がある分だけ質が悪い。ミリアはそう思っていたのだが、周囲の反応は違った。「一人だけ特別教官がついている」

 噂にしては珍しく、真実であった。

 噂が突っ走り、肥大化してあること無いこと加えられるのは閉鎖的な集団の常である。噂はあるときを境に「あのチビが報復をたくらんでいるらしい」に変わった。

 ミリアはある日、厩舎裏に呼び出された。

「あんたさあ、調子乗りすぎなんじゃない?」

 いじめっ子が言った。

「うん。うざったい」

 いじめっ子の取り巻きが言った。

 いじめっ子グループは四人だった。対するミリアは、もちろん一人。

「コネがあるっていいわよね。こっちは命削ってやってるってのに」

「ホントホント。あんた、いらないよ」

「捨てちゃおうか」

「捨てちゃおうよ。こっそり竜に乗っけてさ、遠くの山に」

 不覚にも、ミリアは笑ってしまった。訓練時間外に竜を使うことを、教官が見咎めないはずがない。実際にできることでなければ、恫喝には使えない。解体して竜の餌にしちゃうよ、とでも言う方がまだリアリティがある。

「何笑ってんだよ!」

 いじめっ子が大声を出した。ミリアは身をすくめた。いじめっ子はやっぱり怖い。

 でも、マリエラほど怖くない。

 ほら、右足が無意識に引かれている。何も考えていない前蹴りが来るのがわかる。遅くはないが、安全圏が見えてしまう。

「!」

 かわせた。

 いじめられっ子の明白な抵抗を目にして、いじめっ子たちは色めき立った。

 どうするんだっけ? 挑発だ。相手の動きを誘導するんだ。

「あなたの手、臭い。股ばっかりいじってるんでしょう?」

 思いっきり受け売りだった。意味するところはミリアにもわかっていない。こう言えば拳が飛んでくる、と教えられただけだ。いじめっ子の年長者が自分の右手をちらりと見て、すぐにそれをミリアに叩きつけようとした。外れ。かわした拳が戻る前に腕をつかむ。出来てしまった。どうするんだっけ? 掴まえたら折る。

「ぎゃああああ!」

 ほとんど機械的に、ミリアはいじめっ子の腕を折った。そんな技術がいつのまに身に付いたのか――すぐわかった。マリエラに何度も折られたから。

 のたうち回るいじめっ子を見て、取り巻きたちは一斉に刃物を抜いた。剣はさすがに持ち出せなかったと見て、いずれも護身用のナイフだった。だが、刃のサイズがそのまま脅威のサイズではない。接近戦ではナイフのほうが取り回しやすい分、危険だ。

(覚えておくといい。慣れていない人間は刃物に頼りたがる。使いこなせるかじゃないよ、人を切った回数が少ないとそうなるんだ。刃物を振っているのが人間だと言うことを、意識できないんだ) 

 まったくマリエラの言った通りだった。めちゃくちゃに振られたナイフは、拳打よりもずっとよく見えた。一人の腕をはじき、もう一人のみぞおちに肘を入れる。不思議なくらい簡単に決まった。

(実際にとどめを刺しちゃいけない。何をやってもただのケンカだからね。ケンカで済むうちは教官たちも目をつぶってくれる。報復? あっはっは。あのね、訓練生のケンカってのは、実際のところ教官に筒抜けなんだよ。教官はわかってて放置してるの。問題になんかなりゃしない。で、勝ったと思ったら、精神的に優位に立てる決め台詞を吐いて終わり。後始末は教官がやってくれる。簡単だろ?)

 ミリアはあっさりと、いじめっ子四人を返り討ちにしてしまった。

 あとは決め台詞を吐くだけだ。

 でも、なんて言えばいいんだろう。もうやめて下さいじゃ弱い気がする。これだけはオリジナルで、とマリエラは言っていた。そんなことを言われても啖呵の切り方など知らないのに。

 それはそれとして、ミリアはあることを思い出した。

「あ。エサの時間だ」

 クロージャンが怒っているかも知れない。ここ二週間ばかりクロージャンはご機嫌斜めで、訓練につきあってくれなかった。そろそろ飛ばないと実技の日数が足りなくなってしまう。

 ミリアはそんなことを考えていたのだが、いじめっ子たちは違った。唯一無傷だった取り巻きがナイフを捨てて逃げ出す。他の候補生もそれを追って消えた。あの事件を思い出したのだ。先日かみ殺されたのも、ミリアをいじめていたうちの一人だった。同じ死に方はごめんだと思ったのだろう。

 取り残されたいじめっ子は、恐怖のあまり失っていた。

 いじめっ子を医務室に送り届けてから、ミリアは乗騎のご機嫌伺いに走った。クロージャンはそれほど機嫌も悪くなく、ミリアは久しぶりに飛んだ。

 ナイフがかすめた傷に当たる風が、なんだか気持ちよかった。

 この日を境にミリアに対するいじめはなくなった。

 また、数名の訓練生が「素行不良」を理由に除隊させられている。

 二段階教程卒業には二年かかった。たいていの場合、二段階に入った訓練生は一年経たずに卒業し、配属される。これは、二段階教程が「竜に慣れること」を主目的に置いているためである。要は自由に飛び立てるようになればよいのだが、クロージャンは人間様の教習課程など意にも介さない。ミリアの総飛行時間はなかなか伸びなかった。

 それでも卒業は卒業だ。

 一番隊に配属され、中隊長となったマリエラと再会し――とりあえずは謝意を示した。

 一番と名が付くだけあって、マリエラの隊は練度が高かった。殉職者も少なく、結束は固かった。経験が長くなれば腕が上がるのは当然だが、一番隊の面々がそれを鼻にかけるようなことはなかった。

 だって、飛んでいるのは竜じゃん。あたしら乗ってるだけ。――言うのは簡単だ。

 先輩たちはミリアをいじめなかった。どころか、思うように言うことを聞かないクロージャンを当てられたことに同情さえしてくれた。クロージャンはミリアと一緒に一番隊に回されていたが、やっぱり滅多に飛ぼうとしてくれなかった。

 ミリアは軍に入って初めて、居心地の良さを感じていた。自分の居場所を手に入れたのだと思った。

 そんな折、あの少女が現れたのだ。

 中隊長は何も悪いことをしていない。少なくとも、初対面の相手に殺される理由は一つもなかった。

 あの子と会わなければならない。仇を取らなければならない。

 今のこの環境を与えてくれたマリエラに、報いなければならない。それが当然の、成すべきこと、頭に刻みつけた。

 十四歳の春。

 ミリアは、人を殺そうと思った。

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