第2話 竜騎兵ミリア

八歳の秋。

 ミリアは「学校に行きたい」と言った。

 自分のうちが貧乏であることは知っていた。お父さんが死んだことも知っていた。でも、友達だってみんな貧乏だったし、両親のどっちかがいないなんてのは珍しくなかった。両親がそろっていても、大抵は片方としか血がつながっていなかった。誰もそれを不幸とも、恥とも思っていなかった。それが普通だった。

 しかし自分たちが「普通の人々」ではなく、貧民層に属することもまた、ミリアは知らなかった。ものがわからないうちは一緒に遊んでくれた「普通の家の子供たち」も、知恵をつけて社会を知るに従って、自然とミリアたちを避けるようになっていった。

 差別されたのだと、今ならわかる。

 当時はそんな言葉を知らなかった。きっかけのようなものは、覚えている。

 レオという男の子だ。歳はすこし上だったように思う。しょっちゅう一緒にいたわけではない。ただ、印象に残っている。

 レオと、近所の友達何人かとで、取水口に忍び込んだ。街を流れる川も、上流ならかなり澄んでいて、橋の上から糸を垂らせば釣りくらいはできた。ただし、市内は遊泳禁止だった。

 市内がダメなら市外で泳げばいい。川遊び自体は禁止されていない。いったい誰が言いだしたのか、そういうことになった。

 取水口は砦だった。子供の目にはそう見えた。敷地に忍び込み、反対側に抜けるだけでもとんでもない冒険だった。興奮しすぎて詳細は覚えていない。

「ひゃっほー!」

 と叫んで塀から川に飛び込んだ。あっさり見つかって、あっさり捕まった。それぞれの保護者が来るまで、取水口の管理小屋に閉じこめられた。隣に座ったレオの頬がすりむけていた。

「転んだ?」

 ミリアは訊ねた。

「え? ああ。護岸ブロックにこすったかな?」

「ゴガン?」

「岸が崩れないように積み上げた石のこと」

 印象に残ったのは、難しい言葉を知っているんだなぁ、と感心したからだろうか。「大したことないよ」と言ったレオの頬を、ミリアは舐めていた。鉄さびの味がした。

「わっ! ちょっと、何するんだよ!」

「けがしたらなめるんだよ」

 ミリアには普通のことだった。彼女の家には薬箱などなかった。

 そうしているうちに、保護者たちがやってきた。真っ先に連れて行かれたのはレオだった。またね、と笑って別れた。

 その後が問題だった。子供の親の一人がミリアを見て、こう言ったのだ。

「あの子と遊んではいけません。なんて不潔なのかしら」

 生活用水をくみ上げる川に飛び込むような子供たちだ。汚さに関してはいい勝負だったはずである。問題にされたのは実際の不潔さではない。

 それからほんの数日の間で、ミリアに話しかける子供はいなくなった。

 ミリアはひとりぼっちになった。かつての友達が「学校」なる建物に集まっていることを知った。それが八歳の夏だった。

 季節が一つ変わるまでは、ミリアも我慢した。学校という場所の存在は、その前から知っていたのだ。友達の何人かは「行きたくない」と言っていた。路地裏を駆け回ったり、露天から果物をかっぱらったりするほうが面白い、と信じていた。

 のだが、

 皆がそろって学校に通い、ミリアだけが行けないとなると話は違ってくる。学校がつまらないというのは嘘なのだ。学校はあまりにも面白すぎて、入りたがる子供が多すぎるから、学校に行けると決まった子供は、それ以上数が増えないように嘘をつかされるのだ。

 子供らしいむちゃくちゃな論理ではある。しかし、当時のミリアには真実だった。

 だから、三ヶ月我慢した後、言ったのだ。

「学校に行きたい」

 母の返事はつれなかった。

「そんな金があるもんかね」

 ここに来てミリアは、自分の家が俗に「鼠の巣」と呼ばれる超下級階層住民の集まる区画のはずれにあることを知ったのである。

 学校に行くにはお金がかかる。

 我が家にはお金がないから学校に行けない。

 ついでに付け加えると、学校は果物と違ってかっぱらえない。

 見事な真理であった。八歳の欠食児童にこれを覆す屁理屈などひねり出せるはずもない。

 しかしミリアも必死だった。危機こそ発想の源泉と言うが、当時のミリアも、まさに崖っぷちにあったのだ。

「お母さんはきれいなお洋服をたくさん持ってるから、少し売ればいいと思う」

 母は口をきいてくれなくなった。

 ミリアの母は娼婦であった。お世辞にも美人ではなく、だからこそ見栄えには特に気を遣っていた。顔も体も特別でないから、せめて衣装だけは客の目を引くようにしていたのだ。つまり服に大枚をはたくのは必要経費であり、それを売ってしまったら、ミリアの食事は芋の粉を溶いた汁だけになってしまうのだが、幼い彼女にそれを分かれというのは無理な話だ。

 それに布は確かに貴重品だが、数着売った程度では入学金を払うのが精一杯だったし、仮に無理して入学したところで、「鼠の巣」の娼婦の娘が、真っ当な扱いを受けられないことは、ミリアの母は十分に理解していた。

 竜王国の発展に従って、ミリア親子のような貧困層は逆に増加しつつあった。経済はいつだって、弱いものを置き去りにして成長する。十二国連合と違い、王侯政治が色濃い竜王国では特にそうだった。

 ミリアは一人ぽつねんと、路地裏で過ごすようになった。自分が人並み以下の世界の住人であると知ってしまった今、かつてのような天真爛漫さはすっかりなりをひそめた。環境の違いは、差別を生むのと同時に、差別を受け入れる体質を強要する。

 そんなある日だった。

 ミリアの母は商売道具の衣装を含め、家中のものを処分し始めた。ミリアは見たこともない量のお金を目にした。

 母は言った。

「今でも学校に行きたい?」

 ミリアには言葉もなかった。ただ激しく、首を上下に振りまくった。

 母はミリアの手を引き、通りに出た。鼠の巣からずっと離れ、街の子供たちが通う学校の前を通り過ぎた。早口でこう言った。

「あんたは特別な学校に行けるんだよ」

 それは普通の学校よりも楽しいところか、とミリアは訊ねた。

 母はこれ以上ない笑顔で応じた。

 大きな通りを何本も渡り、普段は決して近寄れない凱旋通りを横断し、さらに一本入った通りで、母はミリアの肩に手を置いた。視線を子供の高さに下ろす。

「あそこにいるおじさんが、入学手続きをしてくれるからね」

「お母さんは来てくれないの?」

「あの学校は特別なの」

 それだけで納得するほど、ミリアは馬鹿ではなかった。

 寄宿舎付きの学校なので長期休暇にならないと親とは会えない。母はこれからミリアが寄宿舎で生活するのに必要なものを買ってくるから、先に行って申し込みしていなさい。字が書けない? 教えなかったっけ? あんたの名前の綴りはこうこう――。ミリア・ロウ。わかった? 名前を間違うと馬鹿だと思われるから注意しなさい。

 などと聞かされるうち、その気になった。

 ミリアは通りを全力で横切って、その事務所の前に立っていたおじさんに話しかけた。

「学校に入れて下さい」と。

 母はそれっきり戻ってこなかった。

 学校の受付のおじさんは、困ったような笑顔を浮かべていた。

 今なら読める。

 事務所の看板にはこう書かれていた。

『王国軍志願兵募集事務所』

 そこは学校ではない。

 蔑称を用いるなら、人買い窓口と呼ばれている建物だ。


 子供を捨てるのであれば、教会でも孤児院でも、なんならパン屋の軒先でもよかったはずなのに、ミリアの母は、ミリアを人買い窓口に置いていった。要するに売ったのだ。買い手は王国軍。こんな建物が堂々と町中に建っていることには、相応の理由がある。

 ミリアにとっては不愉快な話になる。

 その前にまず、竜王国には徴兵制があることを知っておく必要がある。健康な成人男子なら必ず、一生に一度、数年の兵役を課せられる。除隊後は元の生活に戻れるし、軍人生活が気に入れば――そんな市民は滅多にいないが――そのまま軍に留まり、昇進していくことも、制度の上では可能だ。

 徴兵制があるのになぜ志願兵を集めるのか。

 民間人に門戸を広く開放――ではない。戦時になれば臨時徴兵をやるのだから、普段から兵卒の数をそろえておく理由はあまりない。

 志願するには二つの条件がある。犯歴のないこと。十二歳以下八歳以上の男女であること。前者は当然としても、後者は児童保護ぶっちぎりのとんでもない条件だ。八歳の子供がお国のために志願するなど、まともな文明国ではあり得ない出来事だ。

 が、現実的視点から国家防衛のために必要とあらばどんなことでも通すのが軍部だ。

 ここにからくりと、「人買い窓口」という蔑称の理由が隠されている。

 結論から言うと、志願兵とは竜騎兵の候補生である。竜王国最強の部隊を維持するためには、とにかく身軽な兵士を確保しなければならない。かといってがきんちょどもを徴兵するわけにも行かない。そこで軍部は竜騎兵の候補に選ばれた子供を志願兵として扱い、多額の一時金を支払うことにしている。これに目をつけるのはもちろん子供ではなく、親である。それも、貧しい層の。

 かくして貧乏な家の子は軍に売られ、親――ないし保護者――は相応の金を手にする。まったくもって非人道的と言わざるを得ないが、話はこれでは終わらない。入隊してからがもっと悲惨であり、人買いと言われる本質はそちらにある。

 志願兵は、ほとんどが正規兵になる前に死んでしまう。

 志願兵には二種類ある。

 一。家の事情も竜騎兵の死亡率も全て知った上で、泣く泣く自分から志願する子供。彼らはたいがい、もっと幼い兄弟のために志願する――させられる。

 二。その他子供。こちらはひとまとまりにするのも困難で、ミリアのように捨てられた子供から、引き取り手のいなくなった犯罪者の子供など様々だ。特殊な部類では、親を見限って自分の力だけで食っていこうと決意した剛の者も、ごくまれに存在する。

 いずれにしても、子供たちが決して知り得ない秘密が一つ、募集事務所にはある。

 子供たちの半数は、書類を作る前に死んでいるのだ。

 志願した(と便宜上言うが)子供は、名前を出身地を聞かれる前に、係員から飲み物を手渡される。

「緊張しているのかい? まあこれでも飲んで」

 気安く出される透明な液体に秘密があることは、隣国の諜報部もつかんでいない国家機密だ。

 これも結論から言ってしまおう。

 飲まされるのは、竜の血だ。

 ある伝説によれば、竜を倒した勇者は、その血を浴び、不思議な力を手に入れた。それは不死の肉体と不屈の精神力、そして、人ならぬものたちの言葉を理解する力だったという。

 これはあくまで伝説だ。

 だが、竜騎兵たちは全員、この儀式を通過している。

 儀式を義務づけたのは、セルダン一世だ。

 曰く「秘術によれば、竜の血を体内に受け入れることで、かの一族を従える力を得る」

 その秘術がどこからもたらされたのかは、例によって不明である。超一級の国家機密なので、研究している学者もいない。ただ、竜の血を飲んだ子供と、飲まなかった子供では、前者は竜に触れられるのに、後者は近寄っただけでかみ殺されるという違いがある。かの巨大生物は、何らかの方法で、同族の血を感知しているらしい。

 竜の血は、適性のないものには猛毒となる。

 ごく微量だろうが何かと混ぜようが、飲めば必ず死ぬ。解毒剤はない。苦しむ度合いや、飲んでも平気な量によって、候補生の適性がわかる。竜騎兵としての能力もこれだけで決まるようなものだ。もっとも、それなりの運動神経がないと、高速で飛び回る竜の背から振り落とされて、あっけない最期を遂げることになるのだが。

 この儀式を竜騎兵では「血誓」と呼ぶ。

 血誓がもたらす力も、伝説とは微妙に違う。

 竜の血を飲んでも竜の言葉を理解できるようにはならない。精神的な影響はほとんどない。肉体的な強化は行われるが、怪我の治りが早くなる程度で、頑丈にはならない。もちろん不死など望むべくもない。殴られれば痛い。剣で刺されれば出血する。墜落すれば――もちろん死ぬ。

 猛毒の竜の血を飲まされ、生き残った子供――それが、竜騎兵候補生である。



 学校に行きたいなんて言わなければよかったな、とミリアは考えた。

 自分が「考えている」ことに気付いて、目を開けた。

 視界がやけに狭かった。顔に手をやって、片目を覆っていた包帯をむしり取る。途端に視界が赤くなった。眼球内に出血がある。口を開けようとすると、なんだがいびつな感じがした。どうしてだろう?

 思い出す。嘆息するでもなく、息をつく。

 右腕に包帯。左腕に包帯。左肩に包帯。めくれたシーツからこぼれた胸に包帯――それ以上は確認する気にもなれない。傷口というか、体中が熱い。

(これが血誓の力か……)

 今まで、ちょっと治りが早いだけの能力だと思っていたが、それは勘違いだったようだ。少なくともミリアの血誓は、高度二十メートルからの墜落をなかったことにするような勢いでもって、彼女の体を修復している。体内に感じる熱さは、内臓の損傷だろう。

「二日で目を覚ましたか。甲種の面目躍如だな」

 声が聞こえた、返事をする余力はなかった。怪我は治りつつあるが、痛みまでは消えてくれない。どうにか痛みを感じない片腕を動かして、ミリアは返事の代わりにした。

「俺が誰だかわかるか?」

 男はそう言いながら、ミリアがほどいた包帯を巻き直しにかかった。

 ミリアは人差し指を立て、続いて中指も立てて、最後に手のひらを下に押しやった。

 一番隊。二番。援護……指が曲がらないのでおかしなサインになったが、通じた。

 竜騎兵隊一番隊副長、ローグ・シモンズは静かにうなずいた。

 ミリアは状況を聞こうと思ったが、喉が動いてくれなかった。常人なら即死の重傷なのだ。皮肉なことに、医者は付いていない。人の手で直せる負傷ではなかった。

「今は休め」

 シモンズはミリアの唇に水差しを突っ込んだ。なんの薬品も栄養剤も入っていない、ただの水だ。竜騎兵に薬など効かない。血誓の持ち主は、薬剤耐性も高くなる。

 しばらくは痛みにうめいていたミリアだったが、急激な回復による疲労が頂点に達すると、墜落するように眠りに落ちた。

「やっかいな問題は聞かない方がよく眠れるだろ?」

 副長はそう言ってから、部下の病室を後にした。


 落ちていく夢を見た。

 夢とは言わないのかもしれない。実際にあったことだから。

 高度二十メートルで、ミリアは手綱を失った。真っ逆さまに落ちていく感覚は好きになれない。何度も体験したいものではない。

「……う」

 夢から覚め、ミリアは記憶を呼び戻す。

 暗殺者の接近を、竜騎兵隊は捉えていた。もちろん、その時点では所属不明の竜に乗った少女が、セルダン一世を暗殺するつもりであるとは分かっていなかったが。不審な竜の接近に対して、きちんと対応行動を取っていたのである。

 ミリアは竜騎兵として出撃し、竜に乗った侵入者と上空で対峙した。

 暗殺者は、ミリアと同年代に見えた。軍属ではない竜騎兵などいるはずがないと思っていたから、自分の知らない部隊の竜騎で、何か理由があって私服なのだと思った。

 所属と姓名を確認しようと思い、ミリアは乗騎に羽ばたきをやめさせた。滑空しながら接近し、

「クロト? クロトか!」

 少女のほうが、先に口を開いた。ミリアは少女の顔面に、複雑な文様を見た。入れ墨だ。少女はミリアを見ていなかった。ミリアがまたがっている竜を見ていた。

「あなた、誰?」

 ミリアが訊ねると、少女はそこに人間がいたのを初めて見たように、目を見開いた。

「……やつの仲間か」

 その時の少女の瞳を、ミリアは忘れることがないだろう。

「やつ?」

「ぬしと話すことなどない。楽に死にたければ飛び降りるがよい」

「クロト?」

 先ほど、少女はミリアの竜にそう呼びかけている様子だった。だが、竜の名前はクロトではない。クロージャンだ。略称にしてもおかしい。綴りからして「ト」の音は出てこない。

「あなた、どこから来たの? その竜はどこで手に入れたの?」

「気安い!」

 少女が吠えた。面相が変わるくらいの激昂。右手にぶら下げていた薙刀を持ち上げ――水平にしたまま竜に指示を出す。少女の竜が加速。追うべきか、ミリアは少し迷った。

 追った。少女が軍人でないことはもうはっきりしている。在野の竜騎兵が存在することに驚きはあったものの、目の前にいるのだから疑っても仕方がない。これを放置するのはまずいだろう。ふと下を見ると、出遅れていた仲間たちが、ようやく各自の竜にまたがったところだった。

 そんなもの確認しなければよかったのだ。気付いたときには風圧が迫っていた。とっさに首をかばった左腕がなで切りにされる。金属が骨を削る嫌な感触。絶叫する暇もなかった。続いて背中を切られ、のけぞったところで脇腹を突かれた。とっさに傷口を押さえようとしたのは、実戦経験のなさが生んだ致命的な失策だった。ミリアの両手が手綱から離れたその瞬間、少女の竜が翼を打ち鳴らした。近距離で生まれた衝撃波は、ミリアをあっけなくたたき落とした。

 ミリアと入れ替わるように、残りの竜騎兵隊が竜に曲がって上空へと上がってくる。暗殺者の少女は、精鋭竜騎兵たちの包囲をあっさりと破る。

 他にも賊がいる可能性を考慮して、竜騎兵は追撃よりも王都の防衛を優先、暗殺者は北の空へと飛び去った。

 奇妙な事件だった。問題の少女が、この直後に王都上空に侵入し、王暗殺を成功させたのは事実なのだが、それ以前に考えるべき、おかしなことがいくつもあった。

 まず、少女はどこから来たのか。少女は竜王国の軍人ではなかったし、その竜も、竜王国のものではなかった。

 では外から来たのか?

 国境を固めていた部隊は、通常軍も竜騎兵隊も、特に異常はなかったと口をそろえる。陸にも空にも監視の目はあったはずなのだ。彼らの言葉が真実なら、何もない空に雲が湧いたかのように、少女と竜は忽然と王国領内に出現したことになる。

 次に、彼女はなぜ国王暗殺などという手段に出たのか。

 この二つは、現時点では情報が全くない。知るものもいたのだろうが、ミリアの近くにはいなかった。

 最後に、新米であるミリアが真っ先に上がり、一番隊の他の面々が出遅れた理由である。

 墜落したミリアが目を覚ます前に作成された、一番隊の報告書によると、最初に侵入者に気付いたのは中隊長のマリエルである。マリエルはすぐに緊急出撃しようとしたが、竜が命令を嫌がる素振りを見せたという。隊員たちの竜も同様で、飛ばそうにも飛ばなかった。ある退院は「相手の竜を怖がっているみたいだった」と証言している。この証言は彼女たちの上官によって塗り消された。王国最強の戦力である竜が、敵を怖がって出撃しなかった可能性があるなど、どうあっても表に出せる話ではない。

 ミリアは、出撃しないはずだった。新人なので待機が命じられていたのだ。

 ミリア自身も、勝手に飛び出すつもりはなかった。だが乗騎であるクロージャンが誰も乗せずに飛ぼうとしたのだ。制止しようと取り付いたミリアは、クロージャンに運ばれた形である。ただ、上空に達してからは、クロージャンはミリアの指示通りに飛んでいる。これも、報告書の信憑性を減ずるのに十分な出来事だった。他の竜が敵を恐れたというなら、なぜクロージャンだけが――新米に与えられ、これまでろくに飛ぼうとしなかった竜だけが、なぜ飛んだのか。


「……単刀直入に言うとだ、ミリア。君にはスパイの疑いがかけられている」

 目を覚ました翌日。約束通りの時間に、シモンズは大量の食事を持って現れた。血誓は怪我を治すが、回復に必要な栄養素までは作ってくれない。大きな怪我をしたら、とにかく食うのが大切なのだ。食べても太らないと言えばうらやましいが、これまた体躯に応じてよく食べる竜と並んで、長期戦に向かない燃費の悪い体質といえる。

「暗殺者と内通し、敵ではないと知っていたからクロージャンは怖がらなかった――と上層部は考えているんですね?」

 クロージャンが勝手に飛び上がろうとした、という記述は無視されているらしい。

「だから窓の下に黒服がいるんですか」

「隣の部屋にもいる」

 シモンズは嘆息した。

「正直に言うと、廊下にも屋上にも裏口にもいる。わかるように配置しているあたりが性格悪い。証拠のあるなしには関係ありません、って感じだよ。暗殺者を確保できないならこっちに責任おっかぶせて国民の目をそらそうって腹だな、狸爺ども」

 竜騎兵とは立場が違うが、シモンズも軍人の家の出身ではない。気を抜くとたちまち雑な言葉が飛び出てくる。

 国王が暗殺され、王宮はまだ混乱しているのだろう。

「ミリア。君が気付いたことは何かあるか?」

「え……そうですね。あの子、入れ墨をしていました」

「あれがミソだな。戴冠式直前の事件だ。目撃者は千人単位で確保できている。けど、あの入れ墨の印象が強くて、肝心の顔を覚えているやつが少ない。市警が似顔絵を作ろうとしたんだが、十枚つくって十枚ともバラバラだった」

 無駄なことを言ってしまったと気付いたミリアは、少し考えてから言った。

「では、薙刀はどうですか?」

「めちゃくちゃありふれてる。そっち方面からの捜索は難しいな。手製かもしれない」

「副長は地上勤務――竜騎兵ではないからそう考えるんです。私たちは、基本的に白兵戦を行いません。空には敵歩兵がいないからです」

「お。いいね。続けて」

「……」

 しかし、妙だ。ミリアは迷ったが、考えるのは軍学校出の士官に任せることにして、思ったままを続けた。

「あの子は、空対空の戦闘訓練を受けていることになります。それも弓を使った撃ち合いではなく、刃物を持って切り結ぶ、接近戦を想定した訓練です。組み手には相手が必要、ですから」

「……単独犯ではない、敵は組織ということになるな。それも複数の竜を所持する」

 ミリアはうなずいた。

 竜騎兵以外の、竜を扱う軍事的組織。しかも敵対している。実在するなら、竜王国にとって未曾有の脅威となるだろう。

「外務大臣は絶対認めようとしないだろうな」

「諜報部も」

 ミリアの仮説がもし真実なら、外務省と諜報部はとんだ間抜け揃いと言うことになる。竜はその巨体もさることながら、運用に関して様々な問題を抱えている。訓練に要する広い敷地の確保、必要な施設の確保。いずれも秘密裏に出来ることではない。全て秘密裏に確保することが可能だとしても、乗員の訓練までは極秘に出来ないはずだ。空には秘密を護ってくれる衝立などない。さらに言えば経費の問題がある。馬鹿食いする竜の飼料、危険度に応じた騎手の給金――殉職者への見舞金も無視できない。

 竜の存在を隠すことなど不可能である。

 他国がことを起こす前に察知できないはずがない。

 だから諜報部は竜騎兵隊に見張りをつけている。内部の人間の仕業だと考えればつじつまが合う。合ってしまう。暗殺者が少女だったことも、この説を後押ししている。王国竜騎兵隊の八割は、未成年の女子だ。

「所在がわからない隊員でもいるのですか?」

「さあて。少なくとも一番隊にはいない。二番と三番は国境に貼り付けられているから、確認に時間がかかる」

 非常時だというのに竜騎兵隊を拘束して、それで伝令速度が落ちているのだ。

「政治の話はお偉いさんにやらせておくさ。それよりも、身近な問題を知っておかなきゃならない」

 言葉とは裏腹に、深刻な雰囲気があった。

「王が暗殺されて、王子が行方不明ってのは話したな?」

「初耳です」

「そうだったか。そりゃすまない。殿下はもう四日も姿を現していない。単に逃げ隠れしているだけならいいが……や、あんまりよくないな。国民放り出して隠れるやつに誰が敬意を払うんだ。拉致されたんなら政治的にはまだ見込みがあるけど、そうなると解決がもっと厄介になる」

 敵が組織的だという証拠が増えるから、である。王を暗殺した少女は、そのままどこかへと飛び去っている。王子を誘拐するには、別働隊が必要になる上、少女との連携を取る必要も出てくる。仮想敵組織の練度は高いと見ざるを得ない。 

 しかしながら、王家の存亡そのものは、現場の兵士であるミリアたちの「身近」とは言い難い。

 シモンズは渋面を作り、

「マリエル中隊長が戦死した」

「え……」

「君が目を覚ます少し前だ。血誓が追いつかなかった」



 少し時間をさかのぼろう。

 ミリアが撃墜されたのと入れ違いに、彼女の直属の上官と同僚たちが、空に上がっていった。落ちていくミリアを空中で受け止めることは出来なかった。一騎がミリアを保護するために引き返した。残りは全員、弩を構えていた。新入りがなぶられるところを見ていたのだ。もう尋問どころの話ではない。

 とはいえ、竜騎兵同士の空戦など、七年のキャリアを持つマリエルにも初めての経験だった。訓練中の戯れに追いかけっこをすることはあっても、武器を持ってすれ違ったことなどない。備えが足りない、と一蹴することはできない。空を飛べる以上、槍が届く高度に降りる必要はないのだ。

 どうしたらいいのか。

 考えている暇もなかった。少女が薙刀を水平にして突っ込んでくる。反応の遅れた一騎が脇腹を裂かれる。

「アセラス!」

 隊員の一人が、切られた仲間に呼びかける。

「な、速い!」

 マリエルの叫び。突風を感じた隊員は、とっさに頭を下げて薙刀をやり過ごした。

「散開! やつの攻撃は直線だ! よく見ればかわせる!」

 指示を飛ばしたが、言ったマリエル自身、それを信じてはいなかった。敵の加速力は圧倒的だった。乗り方がうまいのか、それとも竜自体の能力が違うのか。

 散開した竜騎兵が弩を構え、立て続けに放った。弦を巻き上げて事前にセットしておく弩は、威力も相当なものだ。距離が短ければ煉瓦塀も撃ち抜ける。片手で扱えることから、竜騎兵隊の標準装備となっている。

 放たれた矢はあっさりとかわされた。

 もっと接近して撃てば、と考えたのだろう、一人が進路を変えた。

「マチルダよせ!」

 マリエラの制止は間に合わなかった。少女は自らマチルダに接近し、矢が放たれるより早く、彼女の腕を切り落としていた。青空に絶叫が響き渡る。

「アセラスはマチルダを連れて降りろ。サリューは二番隊エメラダは地上軍駐屯地へ飛べ! ありったけの弓を用意させるんだ! 王都防衛を最優先、急げ!」

 マリエラは覚悟を固めた。

 何が竜騎兵か、何が大陸最強か。

 これまで相手にしてきた連中が、反撃の手段を持っていなかっただけではないか。同じ土俵に入られたら、こうももろいとは。

 所属不明の――民間人だ。間違いない。屈辱的なことに――たった一人の少女に歯が立たない。

 次元が違う。向こうは恐らく、始めから空戦を想定した訓練を受けている。手の届かないところから敵将に矢を撃っていればいいだけの我々とは心構えからして違うのだ。

 だが、

「隊長はどうされるのですか!」

「やつを止める」

 勝てないからと言って戦列を放棄するのは、軍人として許されることではない。

 突撃したマリエルは、五秒と持たなかった。少女の側から見ると、じゃれついてきた子犬を蹴飛ばした程度の手間だっただろう。墜落したマリエルを、残りの竜騎兵は追えなかった。動けばその場で切り捨てられる。そう確信させるだけの怒気を、入れ墨の少女は放っていた。戦意喪失した一団を睥睨し、少女は王都へと飛んだ。

 腕を切り落とされたマチルダは、兵士としては絶望的だが命を取り留めた。墜落した二人は、生死の境を三日間さまようこととなった。

 一人が力尽き、一人が生をつないだ。


 竜騎兵に、殉職による特進制度はない。

 子供を売った親も、元々の環境の悪さから、子が一人前の兵士になる前に所在不明になっている場合が多く、竜騎兵の遺体が引き取られることも、滅多にない。殉職した竜騎兵は、部隊内の葬式を経て、無名戦士の碑に葬られる。

 恩師の遺体を焼く煙を、ミリアは片目で見送った。

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