第3話「現代授業と少女たち」

 カッカッカッと、チョークが黒板に文字を記す小気味よい音が響く。生徒たちはそれを真面目にノートに写す者から、あるいは不真面目に視線をらしてぼーっとしている者や窓から外を見ている者など様々だ。

 そんな生徒たちの態度を尻目に、黒板に文字を書いていた教師は振り返り、教科書に視線を落とす。


「と、そのような紛争で世界中の緊張が高まる中、事件が起こります。二〇一八年、皆さんの記憶にも新しい新人類養成施設への襲撃事件と、それによる施設の存在の発覚事件です」


 教科書に目を落とす教師の顔が、若干の緊張で強張る。

 授業は現代社会の常識を確認する公民で、内容はかなりデリケートな話に入ろうとしていた。


「授業の最初に話した通り、元々世界各国の政府は生体兵器として新人類と評した人間の開発を行なっていました。遺伝子操作を行ない、生存能力や身体能力の高い人類を生み出し、戦いや戦争に利用しようとしていたのです。有体にいえば、人体実験ですね。そのような行為を秘密裏に行ないつつ、民間にはその事実を秘匿にしていたわけです。そんな組織、研究機関が現在分かっているだけでも世界五十三カ国存在していました。それを、【解放の翼リベレイション・ウイング】という組織が襲撃したのです。これにより、その研究機関が存在することが、世界に周知されることになりました」


 そう語ると、その要約を、教師は黒板に書いていく。


「当然、そのような行為は倫理上・人権上で問題視されました。一時期社会問題となって世界中を騒がせたのは記憶に新しいことかもしれません。ですが、その問題が解決を図られる前に、世界では一部の国家がその運用方法が既に危険であるとして軍事制裁の動きを見せます。それを発端に何が起きたか……はい、皆さん分かりますね? はい、では薬師やくしさん。答えをどうぞ」

「第三次世界大戦、です」


 教師に指名された、ポニーテールの生徒はよどみなく答える。その回答に、教師は顎を引く。


「その通り。第三次と呼ばれる世界各地での戦争が発生しました。ただ、この戦争はそれまでの世界大戦と比べてそう長くは続きませんでした。それは何故か。というのも、かつての大戦と比べても兵器の開発が進んでいたことから、一回の戦闘での被害がどの国家も尋常でなかったからです。戦いが長引けば国力は大いに疲弊する――そう思った大国たちは、すぐに同盟や条約を結び、停戦・和解に動きます。これにより、大戦は二年前に完全に終息を迎えました」


 言いながら、教師は時計を確認する。時刻は、そろそろこの時限の終わりを告げようとしていた。


「ただ、これによって世界各国の情勢が大きく変わったのは事実です。たとえば日本では軍制が復活し、それまで保護対象であった新人類養成施設の出身者の多く、『超人』を軍の主戦力と位置付けて登用するシステムを採用しています。これには、賛否や抗議の声が今でも絶えていません。ですが、世界各地では更にこれ以上の――」


 教師の言葉を遮るように、チャイムの音が鳴る。これを聞いて、教師よりも先に生徒たちが教科書を閉じ始める。それを、教師は気にすることなく、チョークを置く。


「と、この話はここまでにしておきましょうか。続きは次の授業で話します」


 その後、日直の号令で生徒たちが立ちあがると、教師への礼をして、授業は解散となった。




沙羅さら、行きましょう。凛華りんかが待っている」


 授業後の昼休み、ポニーテールの生徒・薬師霊香が声を掛けたのは、髪を少し茶に染めてウェーブを掛けた生徒・常盤ときわ沙羅だ。その声に、気怠そうに伏せていた沙羅は顔を上げる。


「あぁ、分かったよ。どうせ嫌がったら、引きってでも連れていく気だろ?」

「そうよ。よく分かっているじゃない」


 観念した様子の沙羅に、にっこりと霊香は笑顔を向ける。その明るい笑顔に、沙羅は辟易へきえきとしながら立ち上がった。

 互いに弁当を手に取りながら、二人は廊下に出る。


「しかし、今でも少し信じられない話だよな」

「ん? 何が?」


 霊香が訊ね返すと、沙羅は続ける。


「公民の授業であった説明だよ。二〇〇〇年前後から、世界中で遺伝子操作による新人類養成計画っつーものが始まって、たくさんの超人って存在が生み出されたとかいう話。それが約二十年も秘匿にされていたってのも驚きだが、そんな技術が前から可能だったってことがさぁ」


 つまらなげ、しかしどこか興味を隠せていない沙羅の言葉に、それを霊香は目を丸める。


「沙羅。貴女が授業の内容について触れるなんて、というより授業を聞いていたなんて珍しいわね。何か悪いものでも食べた?」

「食ってねー! 私が授業聞いてちゃりぃか!」


 霊香の言に、沙羅は不満そうに声を荒げる。霊香より背の小さい沙羅のその怒り様は、小柄な少女が必死に怒りを表現しているようでどこか愛らしい。

 そんな印象も受ける相手に、霊香は明るく、くすりと笑う。


「冗談よ。でもそうよね……確かにそんな存在が、世界中にいるってのは別世界の話みたいよね」

「まぁ、別世界の話じゃないんだろうがさ。何せ、それ並みに奇妙な存在が、この街にはいるんだからな」

「……そうね」


 沙羅の言葉に、霊香は頷く。

 他のクラスの教室から声が聞こえてきたのは、ちょうどその時だった。


「ねーねー聞いた? この前、また超獣が出たんだって!」

「知ってる~。こっから東の街でしょう? 結構近くて、すっごく不安だった~」

「でも、また彼女たちが倒してくれたんだってぇ。話によると、魔法少女が!」

「うっそぉ~。マジぃ~?」


 話の内容は、女子高生たちの他愛のない雑談のようだったが、その内容に霊香たちは耳を立てる。


「魔法少女って、そんなもの実際にいるの? ネタとかじゃないの?」

「いやいや。私の知り合いの子が、実際見たとか言ってた。桃色のポニテの子が、超獣の方に向かっていくのを」

「え、ウソウソ。本当にぃ?」

「聞かせて聞かせて!」


 教室内の一人の発言に、他の生徒たちが喰いついたようだ。教室の外からでも、その生徒に他のクラスメートが目を向けている光景が容易に推察できる。


「うん。それで、逃げ遅れた人を助けながら、超獣をぱぱっとやっつけたとか~」

「本当にいるの、そんなの~? 作り話じゃなくて?」

「だからいたんだってぇ! 確かなすじの話だから間違いないって!」

「確かな筋って、アンタの友達でしょう? 信じらんないな~」


 そう言うと、どっと笑いが起きる。友達から聞いた話を確かな筋というのは、確かにおかしかろう。


「でも、本当にいるんならカッコよくねぇ? 超獣から街を守っているんでしょ? アニメや漫画みた~い」

「いやいや。でも本当にいるとしたら、あの話も本当かもよ。新選組に対しても、攻撃をしているって話」

「あー。そんな噂もあるよねぇ」


 それまで、何となく話を聞いていた霊香と沙羅の目が、自然と細まる。


「超獣倒してくれるのはありがたいけどさぁ、本来そっちの仕事をやってくれる人たちにまで危害与えるとか、マジでやばくない? 正義の味方とかじゃなくて、ただの戦闘狂、みたいな?」

「そうよねぇ。それに、噂で聞くような格好で戦っているとかいうんなら、超おかしくな~い。いい歳してそんな派手な恰好して恥ずかしくないのーとか」

「あはは、言えてる言えてるぅ~」

「………………」

 

 女子生徒たちの笑い声が響く中で、沙羅が足を止め、教室を睨んでいた。その剣幕は、今にでもその教室の中に乗り込んでいきそうだ、というのを、一緒にいる霊香は敏く感じ取っていた。


「沙羅。屋上へ早く行きましょう。凛華が待っているわ」

「……その前に、ここの教室の馬鹿女どもを殴って来ていいか?」

「駄目よ。聞き流しなさいって」


 苦笑しながら、霊香は沙羅の手を軽く握る。そして、相手が抵抗しないのをよいことに、軽く引っ張って、教室前から階段へと進む。

 無抵抗に教室から引き剥がされた沙羅は、顔をうつむかせながら、ぼやく。


「誰が、誰たちのために戦っているかもしらねぇくせに……」

「そうね。あぁいう自分勝手な子たちは困るわよね」

「命懸けで戦っているのに。事実を知らねぇからって好き勝手言いやがって……」

「しょうがないじゃない。事実を喧伝すれば、別の騒ぎになりかねないわ。それにまず、民間人にそれが信じて貰えるかも分からないんだから」


 そう言いながら、霊香たちは階段を昇っていく。


「あと、魔法少女が恥ずかしいってのも嫌だったわよね。私も、あの恰好気に入っているのに」

「いや、それは別に文句はない。実際、少し恥ずかしいし」

「あ……そう」


 そこは同意なのか、と霊香は若干苦い気持ちになり、頬を引き攣らせる。自分はあの恰好が結構好きな分、それを否定されるのは少し悲しい。


「でも、あの子たちもあぁは言っているけど、いざ危機になったら分かってくれるわ。私たちが戦っているのが、正しいことなんだって」

「……そうかなぁ。少し、信じにくい」

「ははっ。大丈夫。私は性善説せいぜんせつという物を信じているからね」

「私は性悪説せいあくせつの方が正しいと思うぞ」


 霊香の言葉に、沙羅はようやく表情に柔らかさを取り戻して答える。その返答を聞いて、霊香は相手の機嫌が収まったようだと胸をで下ろした。

 そんな二人は、やがて屋上の扉の前に辿りつく。

 扉を開ける。するとその向こうには、一人の少女が、ブルーシートを広げて待ち構えていた。長く切りそろえられた髪に眼鏡がその知的な印象を更に際立たせる、美少女だ。

 彼女は、二人が待たせていた人物であり、名を白雪しらゆき凛華という。

 凛華は、二人が屋上に来たのを見ると、顔を上げて二人を見据える。


「遅かったわね。どこで寄り道していたの?」

「別に、寄り道してたわけじゃねーよ。誰かさんと違って、こっちは――」

「はいはい。二人とも、喧嘩はタブーよ」


 何やら口喧嘩の様相を呈し始めた二人に、霊香は割って入りながら仲裁する。その入り方がまた絶妙だったのか、睨みあっていた二人は共に口を噤む。

 そんな二人に、霊香はにっこり明るい笑みを浮かべて言う。


「じゃあ、早速作戦会議を始めましょう。他の生徒がいないうちに済ませなきゃ」

「そうね。ほら沙羅、貴女も座って」

「ちっ。分かってるよ」


 そう言うと、霊香と沙羅は凛華の座るブルーシートの上に座る。ブルーシートの中央には、三人が住む県内の地図が広げられていた。

 それに目を落とすと、三人は早速議題に入る。


「さて。先日は無事に魔獣を倒せたけど、また別の場所に出てくる可能性も否めないわ。次に出るとしたら、今までの経験則からすると――」


 真剣な顔となり、口を開いた凛華に、霊香と沙羅も顔を引き締めながら耳を傾ける。三人の話し合いは、それからしばらく、他の生徒たちがやってくるまで続いた。




 この三人には、とある秘密があった。

 とはいえ、さとい人間には、すでに彼女たちが何者なのか勘付いて見抜かれていることだろう。

 三人の秘密、それは――彼女たちが人々の間で話題になっている魔法少女たちであるということである。

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