第1話「歓楽街の少女・前編」

 夜の漆黒の闇を、なまめかしいネオンライトの光が照らしている。

 日が落ち、夕闇が過ぎれば家へと戻って休むというのが大半の人間の習性であるが、この辺り一帯はそんな通例を破り、人々が休息を取るべき夜にこそ多くの人を出迎える。なぜならば、ここは歓楽街とでも呼ぶべき場所であり、キャバクラやクラブといった、夜の娯楽施設が連なる場所であるからだ。

 薄らと月と星の光が空に浮かぶ中、路上では多くの人間が行き交い、風俗嬢や二枚目のホストといった者たちが、通行人にしきりに自分の店をアピールして客寄せを試みていた。

 多くがスーツ姿の人間なのは、仕事帰りに疲れや鬱屈を晴らしたいがために立ち寄った者が大半だからだろう。


 そんな中を、異質の存在が二つ、闊歩していた。


「ははは。何ともきらびやかな街並みじゃのう」


 楽しげに声をあげたのは、一人の女性だ。茶色の髪に大きい黒の瞳、可憐でありながら雅らかな雰囲気を持つ風貌で、その身には黄緑の着物と赤いストールを纏っている。あまり、風俗店が立ち並ぶ歓楽街には似合わぬ麗しさで、口元に当てた扇子などの小道具も相まって、どこぞの令嬢を想起させる人物だ。


「歓楽街、とはよくいったものじゃ。うちはこういった場所は人づてにしか聞いたことはなかったが、なるほどのう。蠱惑こわく的、あるいは艶やかという表現が実に似合う。人々が浮かれるのも納得がいくというものじゃ。やはり浮世というのは百聞に一見はしかず、訪れてみねば分からぬことだらけじゃ」

「はぁ。左様ですか」


 やや少女のようにはしゃぐ女性に、その一歩斜め後ろに付き従っているもう一人の人物が空返事からへんじ気味の相槌を打つ。こちらも女性である。赤みがかった茶髪に青い水晶のような瞳、涼しげな顔立ちにどこか空虚感を感じさせる知的そうな空気を漂わせている。灰色のスーツに身を引き締めながら、その腰には仕込み杖のようなものを差している。

 歓楽街を歩くには少し異様な風体のその二人は、自ずと周囲の目を引き寄せるが、当人たちにはそれを気にした様子は一切ない。

 着物の女性は、周囲に染まらずマイペースに、スーツの女性を見る。


「なんじゃ? ゆたかはこういった街には興味なしか? うちよりそなたのような若い女子の方が、関心は高いと思うておったが」

「……守理まもり様、流石にその発言はどうかと。自分の家の近侍きんじが、色町に造詣ぞうけいが深いとお思いなのですか?」


 無表情で淡々と、スーツの女性・豊は、主である守理に対して言葉を返す。表情は変わらないが、その声には呆れが含まれていた。

 伝わりにくい彼女の機微きびに、しかし守理は敏く察した様子で手を持ち上げる。


「うむ、それもそうじゃな。いや許せ、ほんの冗談じゃ。それよりも、件の人物が入り浸っているという店は本当にこの近くなのか?」

「諜報部の調べが間違いでなければ、この辺りのはずですが」


 守理に訊かれ、豊は脇に抱えていたクリアファイルから、書類を出して確認する。そこには、いくつもの文字の羅列と、一人の人物の写真が載っていた。黒髪赤瞳のその人物は、横に添えられた年齢よりも遥かに大人びた風貌ふうぼうをしている。


「しかし、世の中にはすごい人物がいたものじゃ。まさか、未成年であるにもかかわらず、色町に出入りしておる者がおるとはのう」

「凄い人物、というわけではないでしょう。ただの法律違反の人間です。本来なら警察沙汰ですよ」

「分かっておる、分かっておる。じゃが、今は猫の手も借りたい状況じゃ。その人物が手を貸してくれるというのなら、今回は厳重注意で目を瞑ればよいだけの話じゃ」

「都市の条例では、普通に立件対象なのですが……あ、ここです」


 細かいことを気にしない守理に、豊は細々としたことを気に掛けていたが、ふと足を止めて横の斜め前の店を見つめる。その所作に、同じく足を止めた守理も同調する。

 二人が見たのは、ピンクのネオンライトで看板を輝かせた一軒の店だ。

 それを目視すると、二人は店の中へ足を踏み入れていった。


   *


 二人が足を踏み入れたのは、俗にキャバクラと言われる風俗店であった。やや暗い店内を、艶やかな照明が照らし、なかなか好色な雰囲気を醸し出している。俗に、いかがわしい店とも比喩されそうな場所であるが、実際に男女の行為を行なっているような店かは不明だ。


 フロントロビーに入り、二人が店内の様子をひとまず確認していると、そこに店のカウンターから女性店員が歩み寄ってきた。深紅のドレスに、化粧で美貌をつくろったキャバ嬢だ。

 ただ、そんな彼女には少し不審の色があった。というのも、ここは男性用の店であって、守る理や豊のような女性二人が入ってくるのは、通常ありえない場所であるからだ。

 それでも、女店員は笑顔を浮かべて、甘い声で話しかけてくる。


「いらっしゃいませぇ。当店へようこそぉ……ご利用ですかぁ?」

「いや、利用ではございません。とある人物を探しているのですが、ここにこのような人物はいらっしゃいますか?」


 やって来た店員に、豊が進み出て、持っていた資料を提示する。そこに載っていた写真を覗き込むと、店員は一瞬目を丸め、それから首を傾げつつ豊を見上げた。


「あぁ、この外国の子ですかぁ? ご用件はなんでしょうかぁ?」

「会って話がしたいのですが……お会いできますか?」

「えぇっと、今すぐというのは難しいですねぇ。当店では基本、お客様の気分を害されない様に、お客様への御用向きは店員が伝えることになっているのでぇ」

「では、ひとまず声を掛けて来てください。それから――って」


 店員に事務的に応対をしていた豊は、その時あることに気づいて顔を上げる。

 いつの間にか、彼女の傍にいた守理がいなくなっていたからだ。どこに行ったのか、と視線を巡らすと、すぐに彼女は主の姿を発見した。

 発見したが、そこに訝しさと険しさが同居した表情となる。

 守理は、フロントロビーから店内の個室へと繋がる廊下の角で、幾人もの人間に囲まれていたからだ。囲んでいるのは、どうやらこの店の利用客の男性たちようだ。数名に囲まれた守理は、しかし怖気づくことなく、柔らかい表情で男たちを見上げている。

 そんな彼女へ、男たちが声をかけた。


「おう嬢ちゃん、みかけねぇ顔だな。新入りか?」

「新入りではないのう。少し用があって、ここを訪ねて来ただけじゃ」

「齢いくつだい? 結構若く見えるが? というか、こんな可愛い子がいるなら指名させてくれよな」

「ははは。お褒め頂き光栄じゃのう。うちはこの店の店員ではないのじゃが」

「そんな着物来て、お偉いさんなのかい? でも女なんだし、相手させてもらってもいいよな?」

「これこれ。店員ではないといっておるじゃろ」


 男たちの包囲にあっているにも関わらず、守理は平然と男性客たちと談笑している。そんな姿に、豊は内心呆れた。守理という女性は、初対面の相手だろうがなんだろうが、どんな人間とも明るく笑って話し合うことが出来るという奇妙な才覚と魅力を持っている。人たらし……とでもいうべきか、彼女と話して心を溶かない人間の方が少ないくらいだ。なので、今のような光景も別に珍しいものではない。

 ただ、今回は相手が相手だ。囲んでいる男たちは、本日店には情欲を吐き出すために来た者たちであることは違いない。同時に、少し酒が入っているのか、顔も紅潮している。そんな男性たちが、品の良い容姿の守理を見て、何をしてくるか分かったものではない。

 実際、男たちの手は、遠慮なく守理に伸びる。


「なぁ、今から俺らと飲もうや。ここにいるってことは空いているんだろう?」

「いや、じゃからうちは……」

「そう言わずに、ほら、エスコートするからよう」


 そう言って、男の一人が守理の腰に手を伸ばす。そのままぐっと引き寄せられ、守理はその行為と至近距離からの酒臭さに、流石にやや不快そうに顔をしかめる。


「こらこら、やめてくれぬか。うちは店員じゃないといっておるだろうに」

「いいじゃねぇか。ささっ、遠慮をせずに――」


 話が通じない男たちは、守理をそのまま部屋へ連れ去ろうとする。それを見て、豊はするすると音も立てずに近づいていこうとした。

 そして、男たちのすぐ側まで寄った、その時――



 ぐるんっ。



 守理を抱えていた男が、突然後ろから引っ張られたと思いきや、そのまま宙を回転し、したたかに床へと叩き付けられた。そのスピードはなかなか速く、男は悶絶もんぜつ呼気こきを吐き出す。

 その光景に、店員や男性客はぎょっとする。そして視線を、守理へと向けた。彼らは咄嗟に、彼女が護身術か何かで客を叩き付けたのではと思ったのだろう。

 だが、その視線を受けて守理は首を振る。自分じゃない、という無言の返答に、視線を向けた一同は視界を横に移した。


「――ったく、危なっかしい客だよなぁ」


 どこか雄々しい、しかしき通った声が、フロントロビーの中に響く。

 皆が視線を集めると、そこには一人の少女が立っていた。短く切りそろえた黒髪に赤い瞳と、鋭く整えられた人形のように美しい容貌、それから身を包んだ深紅のコートが印象的な人間だ。

 一体いつの間にそこにいたのか、守理のすぐ横にその少女は立っていた。そして、前髪を掻き上げる。


「酒が入って話も聞けなくなったか? さっきから店員とは違うって言っているだろうが。そんな女性に手を出すなんて、御法度だろうがよぉ」


 そう言って、少女は辟易とした様子で肩を竦めた。堂の入った動作だが、少女にしては少し気障きざな所作である。

 そんな彼女に、投げ飛ばされた男性客と、他の男性客は見る見る目つきを変えた。


「こ、この――」

「なんだ、やるか?」


 怒声を発しようとした男性客の機先を制するような、低くどもった声を少女は発する。その瞬間、室内の温度が下がったかのように、周りの空気が凍える。その正体は、少女の怒気だ。少女が放っている怒りのオーラが、擬似的に空間を制したのである。

 この気迫に、男たちは震え上がり、店員なども息を飲む。

 誰も動かない、動けない――そんな空気が醸成じょうせいされる。


「これこれ。そんなに怒らずともよいじゃろう」


 そんな空気を打破したのは、守理であった。彼女はすぐ横の少女に対し、口元で扇子を広げながら語りかける。


「この者たちは、酒気しゅきにやられて酔っていただけじゃ。不覚だったのだろう。そう責めたてずともよい。現に、うちはまだ何もされておらぬからな」

「……何もって、今かどわかされようとしていたじゃねぇか、お姉さん」


 守理の言葉に、少女は少し呆れ顔で言う。

 正論に、守理は微笑した。


「それもそうか。助かったよ。礼を言わねばな、オーリムラク殿」


 笑顔で謝礼する守理に、少女は目を細めつつ、怒気をしまう。

 空間を圧迫していたそれが消えた直後、男性客たちは二人から距離を取り、店員はそんな彼らの前へ割って入り、彼らを元いた部屋へと案内、もとい誘導し始めた。

 それを見送り、場には守理と少女、それに豊のみが残る。

 沈黙の中、豊が守理に近寄った。


「守理様。怪我などはございませんね?」

「うむ。見ての通りじゃ。この子が助けてくれたからのう」

「反省してください。勝手に私の許を離れましたことは」

「そうじゃな、迂闊じゃった。今後は気を付けよう」


 本当に反省しているのか分からない笑い声をあげてから、守理は視線を少女に戻す。そこでは、少女が不審顔で守理を凝視していた。


「俺のことを知っているんだな。何者だ、アンタ?」


 そう訊ねる少女は、しかしそこにあまり警戒や緊張はなく、どこか泰然としていた。

 そんな堂々とした態度に、守理はからかうように首を傾げた。


「おや。うちらがそなたを知っていることがそんなにおかしいか?」

「ただの訪問者が、俺のことを知っているとは思えねぇ。俺になんか用があってここに来た――そう考えるのが今回は妥当だろう。で、どうなんだ? 俺に何か用か?」


 冷静に論理を重ねた上で訊ね直すと、それに守理は楽しげに頷く。


「そうじゃな。なかなかに賢いようで助かる。うちはそなたに会いに来たのじゃ」

「何者だ?」


 都合三度目の問いに、守理は豊と並びあって微笑む。


「細かい話は後にして、ひとまず自己紹介はしておいたほうがよいようじゃな。うちは大内おおうち守理。日本政府防衛省特別災害対策局・新選組所属の交渉官じゃ。こっちは冷泉院れいぜいいん豊。うちの護衛じゃよ」


 紹介を受け、豊が少女に頭を下げる。少女はその動作を見つつ、それよりも腰に差した物に興味がありそうな様子で視線を注いでいた。


「で、そなたはオーリムラク殿で間違いないの? 超人ランクC7、別名――」

「あぁそうだぜ。なんだ、政府の人間か。萎えてきたぜ」


 少し渋い顔で、少女・オーリムラクは嘆息する。

 そんな彼女を見て、守理は微笑む。その笑みは柔らかく、しかしどこか底知れぬ印象を与えるものであった。

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