取り立て業務(二)
現代では電子決済が当たり前になり仮想通貨も一般的になった。仮想通貨の複製を世界最大のハッカー集団が諦めたのは一昔前の話だ。今、現金を見ることはほとんどない。一部では現金を使うことが粋とされてまだ流通はしているが使える場所も限られているので過去の遺物と言っていいだろう。僕等の集金も電子決済で行われる。
顧客の全てに売掛があるわけではない。売掛があるのは顧客の半分以下だ。その顧客の経済状況と薬の使用量によって客の破滅具合は変わる。果たして伊藤有子から穏便に確実に集金が可能なのか…。新規の対象者には気を遣う。
僕は事務所でサンドイッチを食べ今日の集金対象を確認して外に出る。12時少し前、お昼休みを狙って何件か集金に回るつもりだった。就業時間中に会社に集金に行く奴らもいる。こちらが誠意をもって交渉と脅しをうまく使えば会社が立て替えてくれることもある。だが一線を越えてしまった場合はマズイ。別に警察が出てくることはないが今ヤクザはともかく多い。薬を扱う半グレも含めれば客はどこで買うか選びたい放題なのだ。付き合えないと思われればあっとゆう間に他へ逃げてしまう。他の組と水面下で暴力による交渉は行われているがそれが前面に押し出されることはない。そんなことをすればどちらの組も疲弊したところを他所の組に潰される。だから売掛の全額または何割かを逃げた先の組が立て替えることで決着し、逃げた債権者はその組から立て替えた分も含めて熾烈な取り立てを受け大抵後悔する。
温厚な僕は就業時間中に集金に行くのは最終手段の3歩前としている。それが客との信頼関係にもなっていればいいと思う。昔は昼食をとる時間を削って1分でも早く退社したい人間がいたそうだが今ほど長時間勤務が常態化すると昼だけでもしっかり休みたい人間が増えるようだ。昼休みがなければ睡眠時間の確保もおぼつかない人間も少なくない。だから昼休みの集金とゆうのは相手の抵抗をそぐにはちょうどいい時間だと思っている。直接集金に赴いて集金しなければいけない奴らは破滅にかなり近づいている人間だから遠慮は必要ないし圧力をかけて毟り取らなければならない。
伊藤有子の集金は就業時間後にすることにする。返済プランについて話し合う必要もあるからしっかり時間を取りたい。移動時間にメールをしたら明日は日付が変わる前に退社できそうだと連絡がきた。一瞬逃げるための時間稼ぎも疑うが新規の集金対象を始めから追い詰めるのは得策ではない。明日会う時間と場所を決めて次の集金へと向かう。
翌日の深夜、僕は指定した喫茶店で決めた時間の1時間前に来て伊藤を待つ。深夜とはいえ一般の勤め人が退社する時間には早く人はまばらだ。早く退社できた喜びと仕事の後の一服の煙が店内の空気を柔らかくしている。昔は一服とゆうとタバコのことだったらしいが今では薬のことだ。タバコは産業としては消滅し今は”自然派”たちが自家栽培して楽しむのみとなっている。
この面談ではまだ実際には集金しない。それが出来れば話は早いがそれが出来るなら売掛になんかなっていない。先ずは一緒に返済プランを練りそれを実行に移してもらう。電子決済で自動的に引き落とされるのが当たり前の世の中だから僕らの仕事は引き落とせるお金を作り出すことにある。昼の時のように直接集金しなければいけないのはその段階ではすまず労働の意義の9割が僕等への返済になった人間だ。面談に臨む前に組が契約を結んでいる探偵が調べた伊藤有子の個人情報に目を通している。そこから返済手段あるいは場合によっては-脅しに使えそうなものを探していく。医学と科学の進歩で人の感情や思考をある程度操作できる時代になっても脅しの有用性は変わっていない。もっとも思考操作や感情操作を許可なく行えばいくら腑抜けの警察でも見逃してはくれないのだが。
約束の時間の10分前に伊藤が店の扉を開けて現れる。視線を扉の方に向けて少し見通しが明るくなったことに安堵する。時間を守る客、それも余裕を持たせる客は信用できる。席を立ち軽く手を挙げて彼女にこちらだと知らせる。僕を視認して彼女の顔が強張る。舐められていないのは嬉しいが少し緊張しすぎのように思う。プランを練るための話し合いは落ち着いて冷静に行いたい。
彼女が僕の前に来て頭を下げる。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。よろしくお願いします」
僕は応えず席に着くように促す。そして彼女の意向は聞かずオーガニックハーブティーを注文する。彼女は困惑したようだ。
「あの、コーヒーで十分です」
僕は笑顔で、
「これは僕のやり方なんです。最初の面談は特にお客様にはリラックスして冷静に臨んでいただきたいので」
ハーブにどれほどのリラックス効果があるのかは分からないが、多くの客は遺伝子組み換えされ人工的に栽培されたコーヒーの何十倍の値段もするオーガニックティーを振舞われたことに呑まれる。ハッタリだがヤクザが行うと効果てきめんだ。僕もオーガニックコーヒーを注文し、飲み物が運ばれてきてから挨拶をする。
「伊藤さんの返済の担当をさせていただきますエルと申します。出来る限り無理のないプランを練りたいと思いますのでよろしくお願いします」慇懃な言葉遣いで丁寧に名乗る。ただし笑みは一切浮かべず、捕食者の視線で彼女を見る。彼女の緊張が一気に高まったのが分かる。僕はこの視線を得てから集金がだいぶ楽になった。
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