第9話 誰かの幸せは、誰かの『不』幸せの上に成り立っている。

「水面クン、こっちこっち!」


 本屋の入口(昨日、『lagoon』のイベントで社杜さんと来た本屋だ)で公良が大きく手を振っていた。僕は駆け足で彼女のもとへと向かう。


 公良は制服のスカートの裾を直すと、三分遅刻! と口を尖らせた。


「公良ってそんなに時間にシビアだったっけ」


「いや? 言ってみただけだよ」


「あぁ、そう」


 公良は軽く答え、僕は軽く話を流した。一切の気まずさもなく、ただの冗談でつくられたこの会話がどことなく心地良い。


 きっと僕は好きなのだろう。人の良い側面悪い側面、裏表すら一つにまとめ上げてしまうようなこの空気が。



「それじゃあ行こっ。山田とうら......社杜さんは隣町に行く予定みたい。今はあそこの喫茶店にいるよ」


 公良は人差し指を向けて言った。僕はそれなりの相槌を返す。目を凝らすと、店の窓にうっすらと社杜さんらしき人影が見えた......気がする。見間違いかもしれないが。


「それで、具体的に隣町のどこに行くんだ?」


「そこまでは私も知らな〜い。着いてからのお楽しみってやつね」


 それは行き先が分かっている奴の台詞じゃないのか......。余計な口を挟もうとしてしまった。慌てて口をつぐむ。


『隣町に何かめぼしい場所などあっただろうか。レジャー施設もあるにはあるが、わざわざ出向く程の規模ではない。むしろ規模だけで言えばこちらの方が大きいハズだ。レジャー施設やアミューズメントパークでないなら、穴場......か』



「あっ水面クン。二人が出てきたよ」


 喫茶店から出てきた山田君と社杜さん。二人はそれなりの距離を保って並んで歩いている。ただ、肝心の社杜さんは少し遠慮気味に構えているようにも見える。


「追っかけよう! 水面クンも行くよ」


「あ、あぁ......」


 僕は目の前の二人が気になり、曖昧な、返事ともとれない返事しか出来なかった。






 隣町に着き、電車から降りた二人を、僕と公良は電車一両分の距離を置いて眺めていた。人混みに紛れてもみくちゃにされる中、何度か見失いそうになったが、何とか気づかれずに尾行を続けることが出来ていた。



 駅を出、大通りを途中で右折する。コンクリートの壁によって陽が遮られ、まだ陽は高いが路地は薄暗い。その中に、まるで森の中に建つ小屋のように異彩を放つ建物があった。


 木造建築の別荘......コテージを連想させる造りで、焦げ茶色の外装はビルが建ち並ぶ町には明らかに不釣り合いだ。その中へ山田君と社杜さんは入っていく。入店を伝える鈴の音が外にいる僕たちの耳にも伝わった。


「水面クン。あそこって何の店だと思う?」


隣で公良が疑問を投げかけてくる。


「見当つかないな。......店じゃなくて山田君の家とか?」


「バカじゃないの」


「......ごめんなさい」


 珍しくネタを挟んでみたものの、あっさりと一蹴されてしまった。まるで酔いから醒めたように冷静になった僕は、自分が置かれた状況に気がついた。


「......!」


 僕らは店(だと思う)を食い入るように見つめていたため、それ以外がおろそかになっていたようだ。『どちら』から近づいたのだろう、僕と公良はほぼ密着するような体勢をとっていた。思わず願わず、声にならない声が出てしまう。


 呼吸をすると、僕自身とは違う匂いが混じっていた。恐らく......いや、疑う余地もなく公良のモノだろう。


 女の子特有の甘ったるい香りに、ほのかに含まれる汗が、僕の鼻孔を刺激している。だがしかし、決して不快ではなかった。むしろ良いとすら思えてしまうまでに甘美で、背徳的であった。


 心の中で、不真面目で不確かな葛藤が繰り広げられていた。このまま公良が気づかないのをいいことに、それを存分に堪能するか、あるいは彼女の羞恥心を尊重し、気づかれない程度に口呼吸するべきか......。


 前者のように、理性を解き放ってしまえばどれだけ楽だろう。だが今の僕には、背徳感よりも罪悪感の方が大きく、加えて理性という枷を外す度胸もなかった。


 さりげなく公良から距離を取ると、僕は落胆のため息を吐いた。




 山田君たちが入店してからおよそ十分。時間はある程度稼いだ。二人と同じ時間帯に入店すれば彼らの目に留まる可能性か高いからだ。しかし、もう停滞はいらないだろう。公良に目線で合図を示すと、僕は入口に手をかけ、引いた。


 扉の上部に取り付けられた鈴が、扉の開閉に合わせてからんからんと鳴った。中に入ると、外とは違い涼しい風が僕の腕を撫でた。冷房が効いているようだ。営業している店なら気候に合わせて空調を入れるのは当然だが、僕と公良はそれなりに長い時間炎天下に放り出されていた。故に、そんなことにすら僕は感動を覚えてしまう。



「わっ。すっご......」


 僕に続いて店に入った公良。彼女は感嘆の言葉を口にした。冷房に気を取られていた僕は、彼女が驚く理由が分からなかった。ふっと我に返り、目の前の光景を凝視した。


「......これは壮観だな」


 内装は、あまりごちゃごちゃとした装飾は施されていなく、シンプルで小洒落た喫茶店といった雰囲気だった。これだけならば、特に目を見張るものはない。


 僕たち二人の視線は、壁に集まっていた。何故なら、壁全体が本で覆われていたからだ。


 全体が覆われていた、というのは少し誇張し過ぎた気がする。一階と二階の両方には所狭しと本棚が設置されており、その全てに本が詰め込まれていた。


 本が多い喫茶店というよりも、むしろ軽食のある図書館と表現した方が適当かもしれない。


「へえ。置いてある本を自由に読める喫茶店、か。なかなかどうして良い店を選ぶんだね、あの山田ってやつ」


 公良は見直したといった風に頷いた。社杜さんの趣味を見事に射ている。自分の好きな店や場所に行くのではなく、あくまで相手の要望を優先する、その辺りも山田君は意図して行動しているのだろう。流石の一言に尽きる。


「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」


 ふいに、店員だろうか......緑色のエプロンを身につけた女性がやって来て、僕と公良に促した。軽く会釈をして、辺りを見回した。


 肝心の社杜さんと山田君は、一階の窓際の席に座っていた。窓際の席だが、立地が悪いのが作用して、陽は全く入ってきていない。


 代わりに天井の電球が店内を照らしていた。


 二人の席と二、三席分離れた席を選んで座る。注文を取りに来た店員さんにコーヒーを二つ、と半ば適当に言うと、社杜さんに目を向けた。


 社杜さんは本を読んでいる。そしてその様子を山田君が満足気な顔で見つめている。頰は緩み、頬杖をついている。


「うへ......。素直にキモいと思う」


 事前に用意しておいたのか、新聞紙を顔一杯に広げ、その中心に指で穴を開けて覗き込んでいる公良。あまりのインパクトの強さに僕は一瞬返す言葉を見失ってしまった。


 社杜さんは相変わらず本に意識を集中させているようだ。本から一向に顔を上げない。


 ん? 僕は眉をひそめる。近い。社杜さんの顔と本との物理的な距離が近いのだ。それこそ、本の紙面と彼女の鼻が触れてしまいそうなくらいに。


 そこまで近いと、視界はまるでピントの外れたカメラのようにぼやけてしまうに違いない。社杜さんの横顔を注意深く見つめてみる。すると、その原因は案外早く見つかった。


 実のところ、社杜さんは本など読んでいなかったのだ。いや、読めなかったと言うべきだろう。


 目の前には、ほぼほぼ初対面の男子。そんな相手と長時間二人きり、緊張しないわけがない。顔は耳まで朱に染まり、目は泳ぎっぱなしだ。とてもではないが活字を追う速度ではない。


『流石にあれは社杜さんが不憫だ......。山田君には悪いけど、声をかけよう』


 それに、何故だか分からないが胸がもやもやする。もどかしいような、見ていて辛いような、そんな不確かな感覚がまとわりついて離れない。


 本当に緊張しているからなのか? 山田君に対して、何か特別な感情が芽生え始めているのでは? そんな下世話な妄想が頭を染め上げていく。


 社杜さんが誰に対して緊張していようが好意を持っていようが、そんなのは彼女の自由であり、それを知ろうとする僕はとんだエゴイストなのだろう。


 それに、不憫だから、なんてのはただの大義名分で、本当は自分のために声をかけるのかもしれない。きっとそうだ。


 それを認めた上で僕は社杜さんに声をかける。罪悪感、羞恥心、劣等感......それらの感情を全て振り切って、口を開く......。



「んぐ」


 口を塞がれた。口から飛び出しかけた言葉は、突然現れた手のひらという壁に阻まれ、ただのくぐもった音となって僕の口の中に戻っていった。


「ダメ。水を差すのは感心しないぜ水面クン。今二人はお互いを計っているんだよ。自分にしか見えなくて触れない物差しでね。それを邪魔するのは野暮ってものさ」


 公良は小声で告げてくる。......僕は、目の前の彼女が何を思い、何を考えているのかが時々分からなくなる。


 いつもはへらへらと、良くも悪くも年相応の振る舞いを見せている公良。それなりに付き合いの長い僕だから躊躇いがないのか、からかった言動も多い。


 しかし、たまに見せる別の『顔』は、今のように僕を困惑させる原因の一つだ。


 人当たりが良く、誰からも好かれる公良。


 時折表れる、謎めいた風のある公良。


 一体どちらが本当の公良なのだろうか? それとも、どちらとも本当に本物なのだろうか。


 それを聞く勇気も機会も、残念ながら僕は持ち合わせていなかった。








 一時間後。ある程度時間の目処というか、区切りを付けていたようで、山田君と社杜さんは会計を済ませて店を出て行った。僕たちの存在には気がつかなかったようだった。


 二人はその後、映画館とショッピングモールなどを転々とし、夜の七時頃には電車に乗り込んだ。車両が違ったが、何故だかそれを追う気にはなれなかった。公良も同じ気持ちだったようで、適当に人が少ない車両で腰を下ろした。


 電車の車輪が線路の上を走り、がたんごとんと音を鳴らす。


「なあ」


 僕は口を開いた。


「何だい水面君」


「あの二人......どうなったと思う」


「さあ。どうだろうね。車両が違うだけなんだから見てくればいいよ」


「......いや、いい」


 疲れだろうか、思うように会話が弾まない。普段気にも留めない町の夜景が、今は目につく。ビルから漏れる蛍光灯の光は、まるで流れ星のようでとても綺麗だった。


「なあ、水面君」


 口を開いたのは公良。僕は何も言わず、無言で次を促した。


「今日、社杜さんが山田と一緒にいるのを見て、どう思った」


「どう......って。そりゃ............」


 答えようとして言葉に詰まる。どう表現すればいいのか分からなかったからだ。喉が枯れた時みたく声が出ない。かすれた息がぷす、ぷす、と溢れるだけだった。


「まあ反応で大体察しがつくよ。少なくとも良くは思っていない」


「じゃあ次。水面君は自分が社杜さんに特別な感情を抱いているにもかかわらず、山田にその感情の邪魔になるような手伝いをさせられた気分はどう?」


 まただ。あまりに意味深で、意図の読めない問答。真意は不明だが、とりあえず思ったことを言っておく。


「......イイ気分じゃあなかったな」


「そうだね。じゃあ次が最後。......手伝いをさせられた挙句、それを眺めることしか出来ない、指をくわえて傍観するしか出来ないと知った時、どう思った?」


「それって、どういう」


 途中まで言いかけたところで、電車はその車体を左右に揺らした。同時に駅への到着を知らせる車内放送が聞こえ、電車の扉が開いた。


 すると公良は、ふっと席を立つと、開いている扉に向かう。


「ごめん。......ちょっと用事を思い出した! 今日は楽しかったぜ。また明日な、水面クン」


 こちらへ振り返り、笑顔でそう言った公良はすぐに踵を返して、駅のホームへと降りて行った。その直後に扉は閉められ、電車は動き出す。


 一人残された僕はただ呆気にとられたまま、何も言わずに俯いた。



 家に帰ってから、寝転がり仰向けになって公良の質問の意味を探ったが、とうとう真意には至らなかった。次の日、公良に問いただしても良いだろう。けれども、そうしたところで公良は教えてくれない気がした。


 きっと締まりのない顔で「そんなこと言ったっけ? 覚えてないや、あはは」と流されてしまう。


 一つ、強く伸びをする。その拍子に喉から零れ出た声は、僕自身の不満の声。そんな風に思えてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る