第8話 『彼』と『私』は階段で踊る。
......お前とはもう長くは続かない。......別れよう。
どうして......⁉︎ 一体どこがいけなかったの! どこが貴方の気に障ったの⁉︎ ねぇ教えてよ!
......お前は。
「ぅぅうッ......⁉︎」
勢いよくベッドから飛び起きた。体を弄ると、着ている寝巻きは汗でひどく湿っていた。いや、濡れていると言った方が良いかもしれない。
走った訳でもないのに息切れしている。息をするのも苦しい程に。私は時計を見た。夜中の三時、寝床についてからまだ二時間しか経っていない。実際の睡眠時間に釣り合わない、とても長い夢を見ていた気がする。
「......また、あの時の......夢......」
ぜえぜえ、と息を吐きながら、頭を手のひらで覆った。自分で自覚しているトラウマというやつは、実を言うとトラウマに入らない、という話をどこかで耳にしたが、この夢はどうなのだろう。
汗で濡れた寝巻きを煩わしく感じたので、引き剥がすように脱ぎ捨てた。下着も同様に濡れていたので外してしまう。肌が露わになっているが、この部屋には私しかいないので特に問題はない。
代わりの寝巻きを求めてタンスの引き出しを引いた。桃色のシャツを一枚取り出し、そして着る。
起きてからずっと険しい表情を貼り付けたままの私は、夜風に当たりたくなったので(月並みな表現だ)窓を開け、空を仰いだ。
夜空に広がっていたのは満点の星空。どんな悩みも、トラウマすらもちっぽけに感じる程の星々が輝いていた。それは、今の私の荒んだ心とは正反対のものを感じさせた。
「............うんざりするくらい綺麗な空」
誰にも聞こえぬように毒づいた。いや、もしかすると夜空は聞いているのかもしれない。
「おい水面。......ちょっといいか?」
「ん......? どうしたの」
業間休み。次の授業(確か数学)の準備をしようと席を立ったところで、横から声をかけられた。クラスメートの一人、山田君......だったか。地毛か染めたのか分からない茶髪に、着崩した制服。彼には申し訳ないけど、少し遊んでそうな印象を受ける。
山田君は僕が困惑したのを見てか否か、少し声量を小さくして言った。
「お前ってさ......最近社杜さんとよく一緒にいるよな?」
「えっ......」
完全に不意を突かれた。止めていた言葉が衝撃で口元からこぼれ落ちてしまった。まさか、社杜さんの話を持ち出されるなんて予想出来やしない。それだけ突飛で突発的なのだ。
「社杜さんってさ、生徒会の役員やってるだろ? すっげー美人だし、勉強も出来る。俺、実は前から彼女のこと狙ってたんだよな」
動揺を隠せていない僕を尻目に、山田君は話を進めた。
「けど、今までずっとアクションを起こせずにいた......。彼女、休み時間中とかもずっと自分の席で本読んでるじゃん。すごい難しい顔を貼り付けてさ。だからいまいち話しかけづらくて」
頭をぽりぽりと掻いて山田君は言う。確かに彼女......社杜さんはそういう行動が目立っていたが、それを僕に話してどうするのだろう。
山田君は申し訳なさそうな、ばつの悪そうな、同時に縋るような、期待するような表情を見せ、僕の両手を強く握った。
「え......っちょ」
「頼むっ! 俺の恋路をサポートしてくれねえか!」
あまりに突然過ぎる出来事に、思わず僕は目を白黒させていた。普段関わりのない、下手すれば今後も交流を持たないだろう山田君から直に頼み事を受けたのだ。無理もないだろう。(と思いたい)
ところで、山田君に頼み事を受けた時に密かに感じていた違和感......もしかして。
僕は、男友達がいないのか......ッ⁉︎
何せ山田君どころか、男子生徒と話す事すらひどく久しい気がする。入学して早一ヶ月。社杜さんと知り合うまでは、公良と委員長として世話を焼いてくれる朝武さんとしか言葉を交わしていない気がするのは気のせいだろうか。僕の杞憂であろうか。
......いや、気のせいでも杞憂でもない⁉︎ 友人どころか知り合いすらいないじゃないか!
言い訳をさせてもらうとすれば、高校に男子の友人がいないだけであって、高校という
......考えれば考える程嫌になってくる。やめよう。
「おい? 水面? どうした、スゲー顔してんぞ」
「んあっ......?」
山田君の声と肩にかかった衝撃で、僕の意識は自身の脳内から現実へと引き戻された。見ると、彼の手が肩を叩いている。半開きになっていた口を閉じ、ごめん何? と言葉を返した。
「いやだから、お前がスゲー顔してたって話」
「......そんなにヤバかった?」
「そりゃあもう。渋い物を食べた時とは比にならんくらいだな。生のピーマンとどんぐりを同時に食べたイメージ」
表現が酷すぎる。それだけ凄まじかったと受け止めておこう。
「まあいい。ホレ、着いたぞ」
「へ?」
目を山田君が指さす場所へと向ける。社杜さんのいる教室だった。山田君は開かれた扉の向こう側を見ていた。
窓際の席には、一人で本に向き合い、読書をする社杜さんの姿があった。
「......この教室に何か用なの?」
「用なの? じゃねえよ。水面が協力してくれるって言うから来たんだろ」
言っていない気がする......。とツッコミを入れたかったがやめた。入れた所で特に状況は変わらないだろう。
「具体的に何をするの」
僕は尋ねた。サポートと言われただけで概要を何も告げられていない。
「俺は社杜さんをお茶に誘う。......つまりデートだ」
「うん」
「でも、いきなり初対面の俺が誘った所で警戒されるだけだろ」
「うん」
「そこで仲介役であるお前の出番だ、水面。お前は、俺が信用に足りる奴だと社杜さんに説いてくれればいい」
「......」
どう返せばいいか分からず、思わず黙り込んでしまった。僕が仲介してどうにかなる話なのだろうか。
まず社杜さんにとって僕は信用出来る存在かどうか、それすらも不確かなのに、そんな奴から「この人は良い人です。信用しても問題ないです」などと言われても説得力に欠ける。確実に人選を間違えている。
山田君には悪いが、仲介役は断らせてもらおう。それを伝える為に、僕は口を開いた。
「あれ。水面君......? どうしたの、何か用、かな?」
「あっ」
机に向かい、読書に
「え......あ......その」
対して山田君は、身長差から自分を見上げてくる社杜さんとろくに目も合わせずに、何故か僕へと頻繁にアイコンタクトを送ってくる。恐らく助けを求めているのだと思う。
『気になる娘の前じゃ山田君もたじたじ、か......』
けれどそれを責める気にはなれない。多分僕ならもっと動揺しているだろうから。
「や、社杜さん。彼は山田君。君に話があるらしいんだけど」
「そ......そうな、の?」
僕から説明を受けた社杜さんは、少し警戒したような色を見せた。半歩ほど後ずさり、山田君との距離をとったのが僕には分かった。当の本人である山田君は気づいていないようだけど。
「ご機嫌麗しゅう? 社杜さん?」
貴族か何かなのか。
「よ......よろしくてよ」
社杜さんも乗るのか......。
まあ、それなりに意気投合出来たらしい。僕は二人が会話している姿を一瞥すると、背を向けて歩き出した。
授業と授業の合間ということもあり、廊下は移動教室へ向かう生徒で溢れていた。学年もクラスも違うため、移動する方向もばらばらだ。
こちらへ歩いてくる人影を避けて進む。が、ついに誰かとぶつかってしまった。肩がぶつかったようで、体が仰け反ってしまった。
「っと......。ご、ごめんなさい」
「こっちこそ 、上手く避けられなくて」
「え?」
「あ」
どこか耳馴染みのある声だった。騒がしい廊下でも聴き分けられる程度には聴いた声。
「公良」
「水面クンじゃん。あれ? 確か次は数学じゃなかったっけ? 他のクラスに何か用でも?」
公良は訝しむ目つきをしていた。
「あぁ、実は......」
僕が話し、内容を理解すると公良は明白にその表情を崩した。事の顛末を話し終えた今も、公良の機嫌は優れない。顔は完全に般若のそれであった。
「話は大体分かったぜ、水面クン。もっとも、私が分かったのは、キミが優しい奴だってことと、かつ愚かな奴だってことさ」
やや強めの口調でまくし立ててくる。その威勢に僕は思わず萎縮してしまった。あの場で立ち止まる訳にはいかなかったので、かろうじて人が少ない階段前のスペースで、公良の説教じみた話を聞いている。
「キミ......一応確認しておくけどさ、社杜さんのこと好きなんだよね?」
「そ、そりゃあ、まあ」
有無を言わさぬ口調だ。僕は頷く。
「それじゃあ何で敵に塩を送るみたいな真似したのさ? その......えぇと、山田だったっけ。つまるところそいつはキミの敵になる訳でしょ?」
変に口を挟まずに、ただ話を聞いていた。
彼女の言うことは正しい。確かに、山田君のあの様子を見れば、社杜さんへ想いを寄せているのは明らかだ。加えて彼と僕、外見も雲泥の差、月とスッポンだろう。
普通に考えて、そんな人物の手助けはするべきではないのかもしれない。けれど僕は。
「僕自身もよく分からないんだよ。でも、この結果になったって事は、僕自身がそうするべきだと思ったからなんだ......と思う。表面上は嘘がつけても、自分に嘘はつけないからね」
「......ふーん」
公良は納得したような、してないような相槌を打った。そしてゆっくりとした動作で踵を返すと、階段へと足をかけた。
「ま、キミがそう言うなら私は強制はしないぜ。確かに、ライバルがいた方がモチベーションも上がるだろうしね。私は生暖かく見守らせてもらうよ」
背中越しにくすくすと笑う声が聞こえた。
「あ、言い忘れてたけどさ、昨日のキミの行動。ありゃ......四十点だね」
「えっ?」
「えっ? じゃなくて。水面クンは女の子のエスコートが下手くそってことさ。目的達成したら解散、帰宅! は一人の時だけにしときな。女の子も一緒なんだから、あっちから提案されるまではなるべく寄り道して時間を稼ぐ。良い?」
くるりと振り返り、僕を指さして公良は告げる。彼女はいたずらとも、真剣とも取れる顔をしていた。
公良は言い終えると、授業に遅れる! という嘆きの声を残し、足早に階段を駆け下りていった。どたどたと廊下を踏む音が、彼女の歩速に合わせて伸びて跳ね返り、廊下中を駆け回っている。
「......」
僕は一言も言葉を発さず、ただその音が消えるのを待った。まるでやまびこのように、音は壁に吸い込まれてなくなった。
やがて音が消え、聴こえるのは僕の呼吸音だけになった。
「あ、あれ?」
ここまで至ったところで、僕は周囲の環境の変化に気づいた。
音がしないのだ。今振り返ってみると、確実な不自然さがあった。階段の脇で公良と話している時も、やけに声が聞き取りやすかった。それはつまり、公良の声を聞き慣れたということではなく、もっと物理的な原因があるということ。
つまり有り体に言うと、廊下に人がいないのだ。
「あ......あれ?」
恐る恐る、震える指でスマートフォンを操作する。本体下部にあるボタンを押すと、瞬時に画面が明るくなり、そこに現在の時刻が示された。とうに授業の開始時刻を過ぎていた。
血の気が引く感覚と共に、僕は教室へと続く廊下を全速力で走り出した。
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