第7話 『嫉妬』と『楽園』のジレンマ。

「..................水面みなも君......そのヒトは、知り合い?」


 社杜やしろもりさんは言った。恐らく、その言葉に悪意はない。え〜その娘誰? 私にも紹介してよ! くらいの軽さなのだろう。


 しかし、今の僕にはそう軽々と捉えることが出来ない。何故なら、今の状況が俗に言う『修羅場』のように見えるからだ。事実、僕は浮気なんてしていない訳だし(まず第一に僕と社杜さんは彼氏彼女の関係ではない。そこまで自惚れてはいない)、僕の後ろにいる朝武ともたけさんも、好きな本のイベントで偶然たまたま不運にも僕と遭遇してしまっただけで、むしろ彼女は被害者とも言えるだろう。


 つまり、これらから言えることは。



 あれ。これではまるで僕が悪いみたいではないか。


「あ......あぁ、そう、だねっ。この人は朝武縁ともたけゆかりさん。うちのクラスの委員長をしてる人......」


 別に変なことは言っていないのに、言葉が区切れ区切れになってしまう。舌が回らず危うく噛みそうになってしまった。


「............」


 しかし肝心の社杜さんは何故か頑なに口を開かない。僕の見間違いかもしれないが、どこか視線も鋭いように見える。


「......社杜さん?」


「あ〜、ゴメンね水面君。そういえば私これから予定があるんだった!」


 唐突に、立ち込めたもやをはらうように、声を発したのは朝武さん。眉を八の字に曲げ、申し訳なさそうに笑った。鞄の中からスマートフォンを取り出すと、何か文字を打ち込む動作をとった。誰かに連絡でもしているのだろうか。


「ちょ、ちょっと朝武さん? 何を言って......」


「急用が出来ちゃった。明日にでもイベントの感想を教えて......ね?」


 ふいに僕の耳元へと顔を近づけた朝武さんは囁きにもとれる声量で言った。


 吐息が耳にかかり、声が漏れてしまいそうになる。声をおさえるのに意識を向けてしまい、朝武さんの言葉には首を振って応えることしかできなかった。


 小走りで本屋の前の列から遠ざかっていく朝武さん。その後ろ姿を確認する。


「水面君」


 声を、かけられた。服の袖を掴まれているのが感触で分かる。


「な、何。社杜さん」





「今の娘スゴい可愛かったね⁉︎」


「......え?」


 僕にかけられたのは予想外の言葉だった。ぱっ、と表情を明るくした社杜さんは、喜々として僕に告げた。その表情からは暗い感情は一切感じられなく、ただ単純に明快に、思わぬ出会いを楽しんでいるようだ。


「だってだって! 目とか大きくてパッチリしてたよ⁉︎ お人形さんみたい! って、この表現はありきたり過ぎかな」


 若干興奮気味に、社杜さんは思いのままの感想を僕に伝えた。彼女の熱に驚きながらも、僕は少なからず安堵していた。


 どうやら先程起きた出来事は全て僕の見間違いと思い込みだったようだ。修羅場になんてなるわけがない。冷静になって考えると、何ともくだらない妄想を膨らませていたなと恥ずかしくなる。



「あっ! 水面君、列が動き始めたよ! もうすぐ始まるみたいだねっ」


「ん......あ、あぁ。そうだね」


 曖昧な返事をし、動き出した列の流れに沿って歩いた。



 列は動く止まるを繰り返し、緩慢としたペースで本屋へと距離を縮めていった。やがて本屋の入口をくぐると、効き過ぎた冷房の風が僕の肌を刺す。


 横を歩く社杜さんに目を向けると、僕と同じように外との気温差に驚いたようだ。両手を肘に添えて身震いしている。


 本屋の内装は、普段と大差はなかった。入口を抜けた所には新しく出版された本や、映画化されたベストセラーなどが平積みにされている。その付近には鮮やかな色で描かれたポップが踊っていた。


 とまあ、ここまでは普通の本屋にある光景なのだが、店内の端には僕らが並ぶ列が占拠している状態にある。


 列は店内奥のレジの横を通り、その先にある特設スペースへと続いていた。そこへと着実に進んでいく。


「そういえばさぁ、発売記念イベントって具体的に何をするの」


 特に何も考えずに列に並んでいたけれど、肝心の内容について全くといっていい程知らなかった。僕は彼女に問いかける。


「あれ、言ってなかったかな? サイン会だよ、菊山先生の」


 知らなかった。僕はへぇ、とそれなりの相槌を打った。


「確か顔出ししない人なんだよね、菊山先生って」


「そうなの。だから今回のイベントが初顔出しってことになるね!」


 どうやら菊山先生のお顔を拝める事にご満悦な様子。機嫌のよさそうな笑顔で言う社杜さん。僕は気恥ずかしくなって目をそらした。





「前へとお進み下さい」


 列を整えていた係の人が、僕に先に進むよう促した。無言で僕は頷くと、本屋に入った時には列で遮られ分からなかった場所へと踏み入った。暖簾のれんのようなもので区切られたスペースへ入ると、そこにいたのは。



「こんにちは。『lagoon』発売記念イベントに来てくれてありがとう」


 一人の女性がいた。会議室にあるような長机と椅子に座り、僕を見ている。いや、僕はイベントに参加した客なのだから僕を見るのは当たり前なのだけど、何というか、見つめ返したくなる力みたいなものを感じるのだ。


「あっ、い、いえ」


 菊山蓮という名前から勝手に男性の方だろうと予想していたので、驚きを隠せずにしどろもどろになってしまう。


 しかも。僕はさりげなく彼女のに視線を這わせた。


 見たところかなり美人で引き締まった体つきをしているようだ。座っていても分かる程度に。初対面で私はモデルなんです、などと言われれば鵜呑みにしてしまうだろう。


「あはは、緊張してるのかしら。そんなに固くならなくても大丈夫よん。目の前にいるのはただ文章を書くだけのお姉さんだから。......あっ、間違ってもおばさんじゃないからね」


 菊山先生は言って笑う。僕に気を遣ってくれたのだろう。僕も笑い返した。


「......」


 と、菊山先生は口を閉じると僕の顔をまじまじと眺めた。切れ長の目に捉えられ、自然に視線を合わせてしまう。


「あの......? 僕の顔に何か」


「いや。ただ何となく......キミが何か悩みを抱えているような気がして、ね」


「悩み......ですか」


 平然を装って、とぼけるように答えた。変に動揺するのがしゃくだったからだ。確かに心当たりはある。それは、社杜さんについて。彼女を見ていると必死になってしまう。帰り際の白烏しらがらす会長の時もそうだ。他の男子と話したり行動しているのを見ると、胸に針が刺さったような感覚を覚えてしまう。


 この胸にわだかまる感情は果たして恋なのか。あるいは、恋人でもない人に対し独占欲だのジェラシーだのを感じてしまう狂人なのだろうか。自分すら自分を理解し、制御出来ていない。これを悩みと言わず何と言うのか。


 しかし、自分でも分からない事を今しがた会ったばかりの人に打ち明けるのはお門違いもいいところだ。


「そうだねぇ......。今キミは......、異性に関して悩みを抱えている。それもかなり大きな。違う?」


「つっ」


「当ったり。みたいだね」


 そう言って菊山先生は微笑んだ。小悪魔じみた笑顔がどことなく幼さを感じさせる。


「まあ確かに悩んではいますけど......どうして分かったんです? 事前調査、ではないですよね」


「まっさかぁ! 私はただの作家。インチキ占い師じゃあるまいし、そんな手間はとらないしむしろこちらから願い下げだね」


 手をひらひらと振って否定された。


 それに続いて菊山先生が何かを言おうと口を開きかけた時、僕の後ろから声が聞こえた。列の整理を担当していた人だろう。その内容は、そろそろ時間、だそうだ。


 確かに、かなり長い時間目の前の彼女と話していた気がする。アイドルの握手会なら二十人は消化出来る時間だろう。


「わわわっ。そうだった! 忘れてたよ、ついつい話が弾んじゃってね」


 そんなに弾んだだろうか? 僕は表情には出さないように胸の内で疑問符を浮かべた。


 慌てた様子の菊山先生は長椅子の上に置かれていた色紙の山から一枚を引き抜くと、黒色のネームペンで白い紙面に線を走らせていく。


 やがて手を止めると、サインが書かれた色紙をそのまま僕へと差し出した。


「今日はどうもありがとう。次回ももしこういう機会があったら是非来てね」


 僕は、はいと言って頷くと色紙を受け取った。すると、受け取った右手に違和感を覚えた。感触は小さなメモ帳サイズの紙......のようだ。その紙の上に色紙が重ねられている。


 色紙の裏を指で弄り、重ねられた紙を抜き取る。黒い文字(多分サインする時に使った物と同じだ)で何か文字が書かれている。その文字を目で追った。


『キミの悩みってやつ、個人的に興味を持ったの。是非聞きたいから暇な時にでもそのIDを追加して連絡してよ』


「......!」


 紙には、LIME(スマートフォンにのみ搭載されている無料メールアプリだ)のIDらしき文字列が書かれていた。僕はその紙を周りにいる人に感づかれないようにポケットへと滑り込ませた。


 暖簾をくぐり外へと出ると、社杜さんがお預けされた犬のような表情で待ち構えていた。


 彼女の目は、どうだった? と訴えかけてくる。僕もそれを真似して目で良かったよ、と返した。同時にやってくる弾けるような笑顔。どうやら期待通りの返答だったようだ。


 係の人に誘導され、先の僕と同じように暖簾をくぐる社杜さん。僕はそれを見届けると、列から離れた。その時特設スペースに置かれていた『lagoon』を一冊取り、レジへと向かった。









 帰宅した僕は、すぐさま自分の部屋へと向かい、身を投げ出した。ベッドに顔をうずめると、今日あった出来事を思い出す。


「一時はどうなることかと思ったけど、社杜さんと色々話せて良かったな。終わり良ければ......ってやつか」


 イベントの後、軽い食事をしそのまま別れた。もしかしなくとも何もない。一瞬でも期待した僕は馬鹿というか愚かというか。若さゆえの過ち......赤い人からの受け売りだ。


 と、一日の出来事を思い出すと、突然ポケットに違和感を感じた。手を入れ、中に入ったそれを取り出した。


「やべっ......。そういえばあの先生様から言われてたの忘れてた」


 LIMEのIDが書かれた紙を見て言葉が思わず飛び出てしまった。別に急ぐ必要はないのだが、待たせ過ぎるというのも忍びない。何せ彼女は作家。学生の僕では想像出来ない世界にいる訳で、きっと多忙な生活をしているに違いない。


 IDを素早く入力し、やがて表示されたトーク画面に、挨拶もそこそこに本文を書き込んだ。









「ん? LIMEの通知......。編集さんかな」


 可動式の椅子に腰かけた菊山蓮は、机に置かれたパソコンから目を離した。スマートフォンを手に取り、通知を確認する。


 数分の間硬直し、彼女はその文面に目を通した。


「ふふふふ、若いっていいわぁ〜。ちょっとおばさん臭かったかな! まだ私二十五だし! ぴちぴちの女子高生と十しか変わらないし! 十なんて誤差の範囲! そうでしょ、そうよ」


 一人の部屋、言い訳をするように自問自答を繰り返す。落ち着きを取り戻した菊山は短く息を吐き、改めてスマートフォンに目を向けた。


「ふむふむなるほど............面白いねぇ。下手な小説より面白いかも、は言い過ぎかね」


 パソコンのモニターを閉じ、机の端にやると、メモ帳とシャープペンシルを取り出して素早く文字を書き込んでいく。


「ちょーっとばかり協力してもイイかも。彼は私の助言でくだんの女の子と更に仲良くなり、私は新作のネタを得るギブアンドテイクね」


 勝手に自己完結し、取引を成立させた菊山は、トークの相手......水面へと返信をした。その表情は、確かに喜びに満ちていた。

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