第3話 『最悪』な出会いは『最高』の結末への布石なのだろう。

「発車します。ご注意下さい」


 アナウンスが流れ、バスの中扉が閉まった。一瞬バスの中が左右に揺れ、バスは進み出した。僕、水面楽一みなもらくいちは、極めていつもの時間に、極めていつもの道どりを辿り、極めていつもと同じバスに乗った。間違いない、断言出来る。


 けれど、それでも尚、何か『違和感』を感じずにはいられなかった、小さい事なのに構わずにはいられない感じ。言うなれば、『靴の中に偶然入り込んでしまった小石』とか『歯に挟まって爪楊枝でも取れない夕食のおかず』みたいなものと同じだ。


 でも、まだ僕はその違和感が一体、具体的にどんなものか知らない。それを探すため、バスの中にさりげなく視線を走らせた。しかし、その違和感は心外、存外すぐに見つかった。


 いつもいるはずの人物がいない。バス内の前方、後ろ髪の顔の『無い』少女......社杜やしろもりうららが。


 わずか一ヶ月の期間だったけれど、彼女は一度もバスの時刻に遅れたことはない。たかだか一ヶ月程度で彼女のことを理解した気になんてさらさらならないし、風邪や予想できない何かで学校を欠席することだってあり得る。


『って、何を考えているんだ僕は......』


 自分の考えている事に嫌気がさして、僕は頭に手を当てた。


 別に僕は彼氏なんかじゃない。それどころか友達未満、彼女に関しては僕の存在すら知らないのだ。彼女が欠席しようと僕には心配なんて出来ないし、その権利も無い。


 ......駄目だな、卑屈になってしまう。


 僕は努めて『彼女』の事を自分の頭の中から消し去った。気を紛らわすためにイヤホンのコードに付いているリモコンを操作して音量を上げた。


 流れているのは女性シンガーソングライターのある曲。一人の男の子と女の子の恋愛模様を描いた曲で、意味深な歌詞が話題を呼び、考察サイトが立ち上がった事もあった。


 確か、この曲の結末は......あれ、どうなったんだっけ。一番ブームの時に、僕も便乗して考察をした。そしてその考察サイト内で最も有力な解釈だと言われたものを読んで感銘を受けた記憶がある。けれど、具体的にどんな結末かと問われると、その部分だけ抜け落ちたように思い出せない。


 と、考えを巡らせていると、バス運転手のアナウンスが車内に響いた。


 いつの間に着いたのだろうか、と内心驚きながらバスを降りた。昇降口をくぐり、ねずみ色の下駄箱を開け、上履きを履いた。


「ちょっと」


 背後から肩を叩かれた。誰だろう。それに何だか声が少し強い口調のように聞こえたけど。


「......げ」


「何だい水面クン? 鳩が豆鉄砲を食らっただけでは飽き足らず、苦虫を噛み潰したような顔をしているねぇ?」


 そこには変に口元を引きつらせ、明らかに笑顔を見繕った公良きみよしがいた。思わず僕も愛想笑いを浮かべてしまう。


 唐突にむくれ顔になった公良は、僕の目を見ながら自分の耳を指差した。つられるように僕も自分の耳を触る。


 ......あ。


「そ。イヤホンだよイヤホン。さっきから何度も声かけてんのに反応してくれないからさ」


 完全に忘れていた。僕の両耳に付けられたイヤホンからは曲が垂れ流されていた。それも、かなりの大音量で。


 耳からイヤホンを外して、コードごとスマートフォンをポケットに押し込んだ。改めて公良を見ると、隣に見慣れない少女がいることに今気づいた。


 一言で表すと、可憐な少女だった。背丈は公良と大差無い。けれども、年不相応の童顔や、未成熟な四肢、それでありながらどこか大人びた印象がある。


 そして何より僕の目を引いたのは、彼女の動きに合わせて小さくなびくその黒い髪。


 ......ん? 変な感覚を覚えた。彼女とは初対面な筈なのに、僕は初対面な気がしない。何故だろうか、どこか惹かれるような、目を奪われるような......。


「紹介するよ、水面クン。社杜うららちゃん。キミも知っての通り、現生徒会副会長さんだよ」


 社杜うらら。つい最近よく耳にするようになったその名前は、僕が惹かれていた後ろ髪の顔の『無い』少女のことだ。


 公良の隣にいる社杜さんと目が合った。


 社杜さんは小さくはにかんだ。


「......ッ」


 可愛い。ただ単純に率直にそう思ってしまった。その屈託のない笑顔に、発するべき自己紹介の言葉を見失ってしまった。今、僕は『彼女』にどんな顔を向けているのだろう。僕は僕自身の顔を見ることが出来ない。けれども分かる。真っ赤な顔して心底間抜けな表情を見せているのだ。


 そう考えると何ともやってられなくなり、思わず顔を背けてしまった。愛想の悪い奴だと思われてしまっただろうか......。


「じゃ、じゃあ僕は教室に行くから......」


 あまりに素っ気ない一言をその場に残して、僕は階段へ足をかけた。









「......はぁ」


 ため息らしいため息を吐いてしまった。おまけに授業中、おまけに窓の向こうに広がる青空を眺めながらと、所謂いわゆる『恋する乙女』状態に陥っていた。


 一限目は生物だ。教室の前方......教卓では、白衣を着た白髪の、いかにもな教師が教鞭をふるっている。生物は大半が知識として記憶する科目だ。


 それはつまり、数学や英語といった日頃の地道な努力と積み重ねを必須とする科目とは一線を画す。故に、普段の授業を聞いていなくても、定期試験の直前に勉強をすればそれなりの点数は稼げるのだ。


 と、まあ授業を聞いていなかった言い訳を長々と綴ったところで、視線を教卓から窓へと移した。


 ......今朝、社杜さんと初めて会った時、(正確には僕の場合は違うけれど、『彼女』に僕の存在を知ってもらったのは恐らく今朝が初めてだからだ)まともに挨拶も出来なかった。


 それどころか、視線すらほとんど交わせていない。心臓が跳ね上がるような感覚。自然と鼓動が早まるのを確かに感じていた。この気持ちは、やはり俗世間に言う所の「恋」なのだろうか。




 ......思えば、誰かに恋愛感情というものを抱く、というのもなかなかどうして久しいのかもしれない。最後の『そういった』感情を持ったのは......二年前。中学一年生の冬。


 あの頃、僕たちはまだ未熟だったんだ。身体も、心も、全てにおいて。


 僕はかぶり振った。......思い出さなくてもいい事を思い出してしまった。


 気持ちを切り替える意味も含めて、社杜さんの顔を浮かべた。整った顔立ちに、子供の様な愛らしい笑顔。全てが僕の何かを騒ぎ立てている。


 ふと、僕は自分の頰に手を当てた。


 確かに熱を帯びていた。この熱さは何だろうか。知っていても尚、自分自身に問いかける。これは別に風邪を引いているわけでもなく、自分の手が熱いわけでもない。この熱さは......。



「恋の熱、だな」




 ......窓の外には雲一つない空が広がっている。今日は快晴だ。












「水面くんっ」


 一時限目が終わって数分。クラス委員長の朝武縁ともたけゆかりは自席に座るクラスメイト、水面楽一に声をかけた。手には、昨日他のクラスメイトから渡された落し物のシャープペンシルが握られている。


「......」


『あ......あれっ? 反応がない......』


 朝武が声をかけるも、肝心の水面は窓の外へ顔を向けたまま動かない。呆けているようにも見える。


「水面......くん?」


 水面の肩に朝武の手が軽く触れた。


「............あっ、ごめん、どうしたの朝武さん?」


 水面は振り向いた。振り向きざまに交錯する視線。朝武は伏せ目がちに水面を見て言った。


「あ......これ、水面くんのでしょ? シャープペンシル。キャップに名前が書いてあったから」


「ありがとう、探してたんだ。これ割とお気に入りだったんだよね、書き味とかさ」


 手の中でシャープペンシルを弄びながら水面は呟いた。へえ、と軽い相槌を打ってその様子を眺める朝武。と、何かに気がついたか、朝武はきょとん、と目を丸くした。そして僅かに眉をひそめる。


「ねぇ水面くん、何か悩みでもあるの」


 突然前触れもなく投げかけられたその問いに、水面はすぐには応答出来なかった。朝武と同じように目を丸くし、数秒の間硬直した。


「何で、そう思うの」


 水面は答えた。しかし否定するのではなく、その理由を求める言葉だった。


「だって......。私とこうやって話してる間も何となく目が泳いでるし、何より顔が赤いよ? それに薄くだけどくまも出来てる......寝不足かな。こういう状態の人って大体何かに悩んでる時だって何かの本で読んだから」


「ははは、凄いなぁ朝武さん。あの一瞬でそこまで見抜いちゃうの? 流石はクラス委員長だね」


 水面は手に持っていたシャープペンシルを筆箱の中へ入れると、音を立てずに立ち上がった。そのまま朝武を通り過ぎると廊下へと足を運ぶ。


「まあでも」


「確かに『小っちゃな』悩みはあるけど、それは別に朝武さんの力を借りなきゃならない程『大きな』モノじゃないよ」


 そう振り返って言った。朝武が見ると、水面の姿はもうなかった。そこには大きく口を開けた教室の扉があるだけ。


「......小っちゃな悩み......か」


 朝武は水面の言葉を頭の中で何度も繰り返して反芻はんすうしていた。












「......え?」


 僕は耳を疑った。ついでに目も疑った。僕の前(学校が終わり、下校しようと靴を履きかえていた......つまりは昇降口)に現れた公良は、何故だか得意げな笑みを貼り付けていた。その顔のまま隣にいた社杜さんの二の腕を絡めるように掴むと、自分の身体に引き寄せ、密着させた。


 顔を真っ赤にして慌てふためく社杜さんを横目に、こう言った。


「これから三人でお茶にでも行こ〜よ、ね?」


 何で媚びたような声色で言うのか。社杜さんも反応に困っている。ゆっくりとにじり寄ってくる公良を片手で追い払う。すると公良は疑いとからかいが混じったような視線(俗に言うジト目だ)を僕に送った。


「えぇ〜? 行かないのぉ〜? 本当にぃ〜? え〜、え〜?」


「............行きます」


 背に腹はかえられない。公良だけからのお誘いだったら何かと理由をつけて断るような案件だが、社杜さんが同伴するなら話は違う。何かと理由をつけて断るのではなく、むしろ何かと理由をつけてついて行きたいところだ。


 公良は僕がこう返事すると見越していたのかもしれない。意地悪そうに笑うと、校門へ向かって歩いて行った。

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