648 エドラとベルヘルト夫婦、不明




 紅玉宮を出る時はベルヘルトも一緒だった。今日はこのまま帰るらしい。オスカリウス家の馬車に乗り込んできた。

「シウよ。今日はもう遅いが、明日にでも家へ来ぬか」

「大丈夫なんですか? 突然お邪魔すると皆さん困らないでしょうか」

「なに、問題ない。毎日のんびりしておるでな。昨日今日はたまたまよ。最近は週に一度か二度しか王城には上がらん」

「そうなんですか。ええと、ではお伺いします。もしご都合が悪ければ通信魔法で連絡ください」

「うむ」

「なんだ、俺の仕事を手伝ってもらおうと思っていたのに」

 キリクが横から口を挟む。

「仕事?」

「アルウェウス迷宮の式典で飛竜の模範飛行を見せるんだ」

「へぇぇ。お祭りみたいですね」

「祭りだからな」

「その準備をまだやってるの?」

「……まあ、そうだ。さすがに警備は騎士団が中心に動いているが、空の方は専門家だろうと言われてな」

 そのついでに模範飛行もやってくれと頼まれたらしい。

 式典にはキリクも出席するし、その分の仕事も増える。事務仕事が溜まっているのだろう。

 明後日の金の日には稼働前の見学会がある。となれば前日の木の日までに仕上げなければならない。

「わしが先じゃ。シウよ、老い先短いわしの願いを聞いてくれるな?」

「あ、はい」

「くそっ、年齢を持ち出すのは卑怯だぞ」

「キリク、口が悪いよ」

「うるせーよ」

 とはいえ、キリクの忙しさに拍車を掛けたのはシウだ。人の命が懸かっていたとはいえ、申し訳ない気持ちもある。

「ええと、夕方には手伝いに行くよ」

「なんじゃ、晩餐を断るつもりか」

「あー、ええと、じゃあ午後にお邪魔します。キリクのところへは午前中に」

「朝から来んか。老人の朝は早いのじゃぞ。共に過ごそうとは思わんのか」

「ベルヘルト爺さん、ひどくないか?」

「ふはは!」

 シウは困惑しつつも、キリクに小声で「夜に行くから」と伝えて不毛な言い合いを止めた。



 翌朝、ベルヘルトから中止の連絡がなかったため、シウはフェレスたちを全員連れて家にお邪魔した。

 他のメンバーは自由に過ごす。ククールスは王都で知り合った冒険者と穴場の居酒屋へ、レオンは冒険者に憧れる養護施設の子供たちにイロハを教えるという。ロトスはブラード家に行った。リュカたちが気になったのもあるし、そろそろアントレーネが三つ子に音を上げているのではと心配したからだ。

 屋敷ではエドラが待ち構えていた。

「まあまあ、あなたは会う度に成長した立派な姿を見せてくれるのね」

 エドラがシウを見て微笑んだ。彼女の視線がフェレスやブランカ、クロにも向かう。目を細めて嬉しそうだ。最後にジルヴァーを見る。

「ジルちゃんも大きくなったわ。とても可愛いわよ」

 ブランカの上に座るジルヴァーをそっと撫でる。ジルヴァーは喜んだ。くるるると鳴く。

 エドラだけでなく出迎えてくれたメイドたちも微笑ましそうにジルヴァーを見た。

「さあさ、入ってちょうだい。まずは朝食ね。お腹が空いたでしょう?」

 元気な様子で迎え入れてくれる。その姿にシウはホッとした。ベルヘルトもそうだが、まだまだしっかりしているようだ。

 歳を取ると些細なことで体調を崩す。第一級宮廷魔術師として国から大事にされているベルヘルトだ、健康にも気遣ってもらっているだろう。そのベルヘルトはエドラとの生活を大切にしている。彼女が健康で長生きするように気を配っているはずだ。

 はたして。

「今朝も庭を見て回ったのよ。秋薔薇がちょうど盛りでとても綺麗なの。それからゆっくりと近くの公園まで散歩ね。ベルヘルト様ももちろん一緒よ」

 以前は覚束ない足取りだったベルヘルトが公園まで歩くと聞いて驚く。確かに、昨日も宮殿ではしっかりと歩いていた。きっと毎日歩いて健康に気をつけているのだろう。全てはエドラのためだ。

 彼女は横に座る夫に向かって微笑んだ。

「時々は朝市にもご一緒してくださるのよね?」

「あそこは人が多いからな」

 つんとそっぽを向くのはシウの手前だろう。照れているらしい。

 妻が心配で仕方ないのだ。微笑ましい夫婦に、シウは内心で笑った。


 その日は晩餐まで共に過ごした。途中で「お昼寝」の時間があり、その間は別行動だ。

 本当はエドラが「今日は大丈夫なのよ」とベルヘルトを止めたのだが「いつも通りに過ごせばいい、わしらには必要な時間だ」と言い張った。

 シウには老人であった時の記憶がある。一日に一度、時には二度、昼寝をしなければ体力がもたなかった。だからベルヘルトの言葉は当然だと受け止めた。

 二人が休んでいる間は庭で遊ばせてもらった。退屈していた希少獣組は通路を走り回って楽しかったようだ。シウは使用人らに何か困ったことはないかと問い、ほんの少しだが掃除を手伝った。恐縮する若い執事らに、大ベテランの元執事は「シウ殿には頼った方が良いのです」と教えていた。


 早めの夕食を済ませた頃、突然やってきた宮廷魔術師との話し合いでベルヘルトが席を外した。

 シウはエドラと二人だけになった。

 食事中に葡萄酒を飲み過ぎたエドラは食後酒を止め、ハーブティーを飲んでいた。

「ダメねぇ。お酒に弱くなったわ」

「奥様はしばらくお酒を断っておられましたものね」

 世話をする老メイドがほんの少し悲しげに笑う。ベルヘルトと結婚する前の彼女たちは慎ましく暮らしていた。お酒も贅沢品だと考え、省いていたのだろう。

「ふふ。そうね。飲まないと弱くなるの。あら、だけど、ベルヘルト様は毎日頑張っていらっしゃるのにお強くはなられませんのよ」

 にこにこと笑いながら、声を潜めて教えてくれる。

 夫が内緒にしたいと思っている秘密だからだろうか。その笑顔が本当に幸せそうで、シウも微笑んだ。

 そんなエドラを見て、シウは以前ローゼンベルガー家で女性陣らと話した時のことを思い出した。あの時、シウはそういう意味ではないと否定したが、今なら分かる。シウはエドラのような女性が好きなのだ。控えめでありながら凜として立っている。苦境に耐え、諦めずに人生を前向きに生きた。

 もしかすると彼女がシウの初恋だったのかもしれない。そう考えるとストンと腑に落ちる。同時に、今頃になって自分の気持ちに気付くのかと思うと、その鈍さに笑うしかない。

 シウはいつも気付くのが遅い。

 もっとも、分かっていたとしても積極的に動いたとは思えなかった。

 理性が働くからだ。

 年齢の違いもあるが、何より相手の気持ちを考える。

 エドラは経済的に困窮していたけれど、最後まで貴族であろうとしていた。彼女のような人が、子供だったシウの援助と思える告白を受け入れるとは思えない。むしろ「同情させてしまった」と考え、恥じるのではないか。

 シウは頭を振った。今更、たらればを考えても仕方ない。それに「初恋だったかもしれない」だけだ。

 胸に痛みは感じない。きっと憧れのようなものだ。

「シウ殿?」

「いいえ。ただ、いいなと、思って」

「あら、何かしら」

「……ご夫婦の仲の良さを羨ましく思っていました」

「まあ。ふふ。そうね、そうだわ。あなたのクラスメイトの中にはもう結婚した子もいるのよ。婚約しましたと挨拶に来てくれる子たちもね」

「貴族の方は早いですから」

「あら、平民の子も女性なら結婚は早いのよ」

 そう言われてエミナを思い出す。彼女も結婚は早かったはずだ。成人して間もなかったのではないだろうか。

 シウは笑って頷いた。

「どなたか、素敵な女性はいらっしゃらないの?」

「あー」

「いらっしゃるのね? ふふ」

「素敵な方はたくさんいますから」

「まあ、そうなの? 告白はしないのかしら」

 シウは曖昧に笑った。胸を焦がすような思いではない。そのはずだ。そっと胸に手を当てる。

 ほんの少し、寂しいなと思う程度の――。

「あらあら、まあ」

 誰かを好きだと思える気持ちが自分にあったというだけで、もう満足だった。

「僕は、気付くのが遅くて。でも、たぶんきっと、次はちゃんと分かるんじゃないかと思うんです」

 次を考えられるようになっている。そうでなければならないと分かっているからだ。

 ただ、カルロッテの泣いた顔も思い出してしまい、申し訳ない気持ちになった。

 人を好きになるのは自由だけれど、上手くいくことなんてそうはない。

 エドラとベルヘルトも随分と遠回りをした。そして人生の終盤にようやく巡り会った。

 ならば、シウもいつかは胸を焦がすような相手と巡り会えるはずだ。

 今はまだ会えずとも、小さな芽はそこかしこにあるのだろうから。









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 サブタイに「エドラとベルヘルト、あと仙人」って付けようとしました


 それはそうと、この回についてちょっとだけ補足しておきます

 ちゃんと情緒が育っていると匂わせているだけでシウが恋愛パートに入れるのはかなり先です

 本文に書いたことをあえて説明しませんが、シウは気にしつつも気にしてませんって態度です(シウ視点で進むとこうなりました)

 今後も恋愛できてないシウを生温かく見守ってくだされば幸いです

 ネタバレしないようにギリギリを攻めてみました( ◠‿◠ )




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