647 今後についてとお礼の話




 ハンスは頷き、彼の横でそわそわするベルヘルトを視線で止めた。

 ベルヘルトは諦めてソファに座り直した。

「竜苔に関してはまだまだ分からないことだらけです。しかし、新芽なら僕も多少研究を続けています。何度も実験し、薄めたものなら人の体にも使用できると分かりました。僕の体でも試しています」

「俺にも使ったよなぁ?」

「ちゃんと鑑定した上で問題ないと分かったからだし、実際大丈夫だったでしょ」

「あとで素材が何か聞かされて驚いた俺の身にもなってみろ」

 軽口でやりあう。

 これはキリクなりのフォローだ。事前にちゃんと人間の体でも試しているのだとハンスに伝えている。

「なるほど。それで、竜苔の新芽なら使えるというわけか」

 ハンスが苦笑しながら話を進める。

「はい。ただし、調合した素材の一つはもう手に入らないものです」

「それは――」

 シウの言葉にハンスが慌てる。腰も浮きかけた。

「そこを、相談したかったんです」

「あ、ああ」

「しばらくは僕の作った新芽茶で持つでしょう。しかし、今後を思えばちゃんと研究した方がいい」

 ハンスだけでなく乳母も大きく頷いた。

「素材の代替え品に心当たりがあります。リストを出しておくので実験してもらいたいんです。おそらく大丈夫でしょうが、必ず『完全』鑑定で確認してほしい。他にも気になる点を書類に残します」

「有り難い」

 しみじみとハンスが答える。

 シウは微笑んだ。すぐに表情を引き締める。

「同じような子が他にもいるでしょう。彼等のためにも治療の簡略化について考えたいのですが……」

 これに答えたのは医師だった。

「あの!」

 また振り返って、手を挙げる。

 乳母がサッと立ち上がり、医師と交代した。

「わたしにも研究を任せていただけないでしょうか。先ほどの魔道具を拝見して自分なりに考えました。まだ具体的にこれといった術式が出てきたわけではありません。しかし、治療に生かせるのではないかと思う案があります。ですが、自信がない。完成までには時間もかかるでしょう。どうか教えを請う機会をいただけませんか」

 シウが目を丸くしていると、ハンスが横から口を挟んだ。

「彼は元々は人間の魔力について研究していたところを、優秀だからと王城の医師団に引き抜いてね。他の医師らが陛下や王太子であるわたしを診たがるのに、彼だけは兵士やメイドも診ていた。時折、こっそりと使用人の子供も診ていたようだ。ある日、医師団長が問い詰めると『子は宝です』と言い返したらしい。今回の件では、誰も手を付けられずに尻込みする中、彼だけが率先して対応してくれた」

 子供を死なせたくないからだ。

 ハンスの柔らかい視線が医師に向く。彼は頷いた。

「わたしが医師を目指した理由は『魔力が害となる子供』がいると知って助けたいと思ったからです」

 しっかりと目を合わせてくる医師に、シウは願ってもないことだと答えた。

「全く同じものではなく、魔力過多症の治療だけを専門とした魔道具なら開発できるかもしれません」

「では」

「はい。僕でよろしければぜひ」

「ありがとうございます!」

 感激した様子でシウの手を取る医師に、ハンスは微笑ましそうに笑った。

 何故かヘルベルトが拗ねている。

「わしも一緒に作りたい」

 先ほどから話に入れず、疎外感もあったのだろう。とはいえ、以前なら大きな杖で床を鳴らしていたところだ。治療が終わったとはいえ赤子のいる部屋である。貧乏揺すりで済んでいるのだから成長している。

 そして空気を読んだ医師が笑顔でベルヘルトに答えた。

「ぜひ、共に研究いたしましょう。第一級宮廷魔術師であり名誉顧問でもあるベルヘルト様がいらしてくださるのならばこれほど心強いことはございません」

「うむ」

 満更でもなさそうなベルヘルトに、シウは内心でこっそり笑ったのだった。


 その後、今後の治療方針について擦り合わせをすませ、最後にクリストバルの様子を確認した。

「問題ないようです。念のため数年後にまた診させてもらえますか? 本人が魔法を上手く使えるようになっていれば問題ありませんが、幼児にそこまで求められませんしね」

「数年後と言わず、シウ殿さえ良ければいつでも来てくれていいのだが」

 むしろ定期的に来てほしそうな様子だ。

 シウは苦笑いで頷いた。

「ジーク、いえ、ジークヴァルド様に呼んでいただければ、はい」

「ああ、そうだったね。ジークにも礼を言わねばならない。幸運を引き寄せてくれた。何よりもまずは君だ。シウ殿、やはり感謝の言葉を述べさせてもらいたい」

「いえ、もう、すでにいただいております」

「いいや。足りない。キリク殿、彼の献身に応えるために何がもっとも相応しいか、知っているのはあなただろう」

「まあ、そうだな」

「わしも用意してやろう」

「ベルヘルト爺さんがか?」

 キリクが眉をひょいと上げる。

「そうだとも。素晴らしい魔道具を見せてもろうたからな。前は簡易転移門の術式を教えてやろうとしたが断られたのじゃ。多くの者が欲しがるというに」

「おい、爺さん」

「ベルヘルト殿? 初耳ですが」

 医師は賢く口を閉ざし、視線も逸らした。巻き込まれまいとしたのだろう。

 シウも呆れた。念のため、ハンスに断っておく。

「もちろん聞いてませんから」

「分かっているとも。もし教わっていたのなら、君のことだ、キリク殿を通じて連絡してくれるだろう。これまでも多くの情報をもらっているよ。ああ、そうだ、転移門を個人で使えるようにするぐらいは全く問題ないけれど?」

「あ、要りません」

「そうかい?」

「はい」

「困ったなぁ。アレクサンドラにも、君と会う機会があれば良くしてやれと言われているんだ」

「そうなんですか?」

「彼女が良い相手と縁を結べるのも君のおかげだ」

「いえ」

「どうか、この心にある感謝を形として示させてほしい」

 その言葉を受けて、シウはふと思い付いた。二点あるうちの簡単な方だけを口にする。

「……では、あの、可能かどうかは分からないんですけど」

「なんだろう?」

 ハンスが前のめりになる。キリクもだ。ベルヘルトはそわそわしている。

 シウは迷いながらもそれを口にした。

「ロワイエ山の中腹より少し上にコルディス湖があるのをご存じでしょうか」

「湖があることは知っているよ」

「その畔でよく野営をしています」

「ふむ」

「できれば少しだけ土地をいただきたく」

「ああ、なんだ、そんなことか」

 身構えていたらしいハンスが、ソファの背にもたれた。

「何やら壮大な話が飛び出てくるのかと思ったよ。土地か。いいね、それならば話を付けやすい」

 するとキリクが手を振った。

「待て、土地だけでいいのか? 何かやろうとしているんじゃないだろうな」

「実はもう小屋を建てて使っていたから、名実ともに自分の土地だとスッキリするなって、それだけ。あ、勝手に建てたのはまずい?」

「構わんさ。住んでいるわけじゃないんだろ? 狩りのための休憩場なら、よく作られている。その代わり遭難した人間も勝手に使うがな」

 シウは頷いた。

 そこで、キリクとのやり取りを眺めていたハンスが口を挟む。

「法にも問題はないよ。むしろ、冒険者が山で魔獣狩りをしてくれると国は助かるからね。そのための休憩小屋だろう? 有り難く思いこそすれ、まずいなんてことはない。では、君には湖を含めた周辺の土地を与えよう」

「……えっ?」

「すまないね、さすがにロワイエ山を丸ごととなると貴族院の承認がいる。そうなると横槍が入るだろう。違う土地を勧められる可能性が高いんだ」

「いえ、そういう意味じゃなくてですね」

 ハンスが首を傾げる。シウは溜息交じりに続けた。

「コルディス湖の畔の一部で構いません。小屋のある辺りだけで充分です」

「ははっ、まさかそれだけだなんて有り得ないよ」

「ですが、他の冒険者もやってくるでしょうし」

「そこは君が『冒険者のみ使用可』と決めればいいことだ。緊急避難用の小屋を別に作っておけば、君自身の小屋は使われずに済む。ああ、家を建てるのも自由だよ」

「僕は冒険者ですが、あそこに家を建てていいんですか?」

「構わないよ。それを含めての礼だ。もっとも、全く足りていないだろうがね」

 ハンスはキリクに向いて「他にも思い付いたら教えてくれるかい」と伝え、さっと立ち上がった。

「担当者に話を通す。だが、その前にまずはマレーナを呼びたい。構わないだろうか?」

「もちろんです」

 皆が慌てて頷く。

 結果を一番待っていたであろうマレーナを呼びに、王太子自らが部屋を出て行った。


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