646 治療を終えて




 これで治療が終わったわけではない。最低限の状態に持ち込んだだけだ。本格的な治療に耐えうる体を作ったにすぎない。

「少し時間をおきましょう。この状態で安定させた方がいい」

「どれぐらいだ?」

 とはキリクだ。シウは皆を見回して答えた。

「数時間で構いません。その間に休憩を取ります。ただ、僕も気になるので鑑定魔法を使いながら見ていたいです。この場で昼食を摂っても?」

「もちろんだ。用意させよう」

「いえ、食事の用意はあります。皆さんは交代でどうぞ」

「そうか。分かった」

「よろしければ軽食なら出せますが……。あっ、でも毒味役の方がいないとダメでしたね」

 赤子から離れがたいだろうと思って提案するも、毒味のことを忘れていた。シウが「しまった」と困惑顔になれば、ハンスが吹き出す。キリクは呆れ顔だ。

 口を開いたのはハンスだった。

「ふふ、今更じゃないかな。大事な我が子の治療を君に任せているんだよ? この状況で疑うわけがない」

「お前は時々抜けてるよな。まあ、らしいっちゃ、らしい。あ、俺は食べるぞ。壁際のソファでなら構うまい。皆もどうだ。シウの料理は美味いぞ」

 乳母と医師が小さく頷く。ハンスもだ。

「では、わたしにももらえるかな。君らも交代で休憩してくれ」

 長丁場になると最初に伝えてある。だからこそ休むことが大事だ。ベルヘルトなどソファに座ったままドンと構えている。

 その姿を見たからというわけではないだろうが、皆も肩の力が抜けたようだった。


 シウは行儀が悪いがベッドの上でサンドイッチを食べた。目を離したくないのは皆もだ。必ず誰かが赤子の様子を見ている。

 そうして全員の休憩が終わり、しばらくしてから治療を再開した。

「今から、体内にある魔力の通り道を精査していきます。的を絞った鑑定魔法です。その間、この子の魔力が動くかもしれません。魔力の淀みがないか、熱は出ていないかを直接触れて確認してもらえますか。些細な変化でも口に出して教えてください」

「承知いたしました」

 医師が答え、乳母も頷く。

 シウはまた集中に入った。

 細かに鑑定魔法を掛けていく。場所を間違えてはいけない。

 かなり神経を使う作業だが、ここ最近のシウは訓練を欠かさず続けていた。自分自身の魔力の通り道を太くしたり細くしたり、回路が一つ途絶えても魔力を練られるようにと瞑想しながら訓練していたのだ。魔法を一気に放出するには通り道を太くしなければ体が耐えられない。

 ハイエルフと戦う日が来るかもしれないし、そうでなくとも古代竜イグとの出会いでシウは「世界には上位者がいる」と知った。上位者たちが平和思考であればいいが、そう単純に考えられるほどシウは楽観的ではない。むしろ常に何かに備えて生きてきた。

 爺様の教えはもちろんだが、前世からの習い性だ。

 しかし、備えてきたからこそ大きな失敗は回避できている。

 挽回できる失敗なら構わない。小さな失敗は成功のもとだ。

 その積み重ねで大きな失敗を回避する。

 今から始めるのは集大成のようなもの。

 シウは深呼吸したあと、顔を上げた。

「……見付けました。二箇所です。一つずつ、ゆっくりと魔力を通していきます。赤子の、クリストバル様の魔力を使うので問題ありません」

「え、どういうことですか」

 思わずといった様子で医師が口を挟んだ。が、慌てて頭を下げる。

 シウはふと笑った。医師が動いたことで自分が緊張していたと知ったからだ。彼のおかげで冷静になれた。

「先ほど、魔道具で魔力を吸い取りました。この魔石です。今から戻していきます。そうなると、せっかく減らした魔力が増えてしまう。吐き出す場所がないのでまた淀むでしょう。そこで、僕が合図したら魔道具を当ててほしいんです。あなたには赤子の様子を観察してもらいたい。だから、魔道具は――」

「わたくしですね。お任せください。先ほど、シウ様がなさっていたように当てれば良いのですよね」

「はい」

 二人のおかげで、シウは集中して通り道に魔力を流せる。

 空間魔法を使ってだ。最初は注射針のような細さで刺そうと思っていたが、他の作業をしなくてすむならもっと良い方法がある。

 転移だ。

 体内に直接、魔力を流す。ただ、イメージ力が大事なので注射針の元となる「空間」に転移させる。

 そこから徐々に狭くなった通り道へと流すのだ。広げるのも空間魔法を使う。

 他者の魔力への拒否反応はあるかもしれないが、何度も治療を受け入れてきた体なら耐えられるはずだ。空間魔法の及ぼす範囲も極力小さく、最低限の魔力しか使わない。これも訓練のおかげでできるようになった。しかもシウは節約を心がけて「少ない魔力」を使うことに慣れている。

 そうして細心の注意を払いながら作業を続けた。


 どれぐらい経っただろうか。

 シウは顔を上げた。

 医師の向こう側にハンスが立っている。治療を始める前と同じ場所だ。キリクがやや、くたびれた顔をしていた。彼と目が合う。

「なんだ、終わったのか」

 いつもの頼もしい笑みだ。シウも笑顔になった。

「通り道を広げました。まだ細いですが、徐々に訓練すれば太くできます。子供のうちはこれで充分でしょう。捻れていた箇所も戻りました」

「ああ……」

「女神サヴォネよ、感謝いたします!」

 乳母と医師が声を上げる。

 ハンスは緩く首を振りながら、そっと近付いてきた。何も言えないようだった。キリクが背後から彼の肩を掴む。倒れると思ったのかもしれない。

 キリクはハンスを支えながらベッド脇までやってきた。

「これで、もう安心できるんだな?」

「はい。ただ、通常の薬は今後も必要です。彼の場合は魔力が多いし、上限も決まっていません。薬を使ったあとは反動対策の薬、お茶を飲ませてください。不安定な魔力も落ち着くはずです。それについて、お話したいことがあるのでソファへ移動しましょうか」

 ベルヘルトも待っている。彼の顔には興味津々と書いてあった。ベルヘルトにはシウがどんな治療をしたのかが分かっていたのだろう。


 気持ちが落ち着いたのか、ハンスが大仰に感謝の言葉を紡ぐ。シウは慌てて止めた。

「僕がクリストバル様を治せたのは、ここまで保たせてくれた皆さんあってのことです。僕一人の力ではありません」

「しかし」

「たまたま薬に使えそうな素材があっただけのことです。助けられる命が目の前にあれば誰だって使うでしょう」

 それよりも。

「今回の治療で使用した魔道具や薬の仕様については、最初に申し上げた通り詳細は明かせません。ただ、反動対策用のお茶であれば別の素材で代替えが可能だと思われます。今回は実験する時間が足りないため僕の秘蔵品を供出しました」

 ベルヘルトが前のめりになる。

「魔道具も気になったが、あの飲み物が気になっておった」

「はい。あれには竜苔の新芽が使われています」

 全員の動きが止まる。表情さえも、まるで時間停止したかのように固まった。キリクだけがニヤニヤと笑っている。

 最初に口を開いたのはベルヘルトだった。

「竜苔じゃと?」

 続いたのはハンスだ。ぎこちない様子でシウを見た。

「迷宮で偶然見付けたという、例の? キリク殿からの指定で、まだ若い研究員に対応を任せると聞いていたけれど」

 眉唾ものだと思ったのか、あるいはオスカリウス家がパトロンにあるせいか、彼は詳細を知らないようだった。

 キリクが笑う。

「陛下にも申し上げたが、機密事項だ。お前たちも心得ておけ」

「は、はい」

「承知いたしました」

 乳母が答え、クリストバルを診ていた医師も振り返って了承する。

 それを待って、シウは続きを口にした。

「竜苔はそのまま飲めば人の体には劇薬となります。何に使えるのか、どう使っていくのか、研究には時間がかかるでしょう。根気の要る仕事です。これを任せるのは信頼の置ける人にしたい」

「そうか、君が第一発見者だったのだね」

「はい。僕はキリク様に竜苔の権利をお渡ししましたが、研究者の指名権は持っています」

「その研究員はもしかして?」

「友人です。彼なら決して私せずに皆のため研究を続けると、信じられる」

 厄介な仕事を依頼した自覚はある。しかし、アリスとの付き合い方や、コルに対する真摯な思いを見ていればリグドール以外に頼めない。

 そして彼もまたシウの願いを引き受けてくれた。

 リグドールはシウの自慢の友人だ。





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