645 魔力過多症の治療開始
クリストバルはベビーベッドに寝ていた。顔色は悪い。
ベビーベッドの隣には普通のベッドが置いてある。シウから見ればダブルベッドサイズだが、貴族用と考えれば簡素で小さい。乳母らが同じ部屋で寝るはずがなく、生母である正妃が一人で使うために運び込んだのだろう。常に誰かが見守り、おそらく交代で壁際にあるソファや椅子で休むだけだった。
その気配がそこかしこに残っている。
シウは乳母に「赤子をこちらのベッドに運んでもらえますか」と頼んだ。
何かしたいと願う乳母や医師に、どんな些細なことでも手伝ってもらった方がいいだろうと考えたからだ。
いきなりシウが抱き上げるよりはいい。
はたして、乳母はいそいそとクリストバルを抱き上げた。
医師には赤子の顔色を見るよう頼んだ。
「僕はこれから始める作業に手一杯で、赤子の顔色を確認するほどの余裕はないと思います。頼めますか」
「もちろんでございます!」
シウは上着を脱いで腕まくりした。赤子を見つめる二人とは反対側に回り、靴を脱いでからベッドに乗り上げる。
「念のため、綺麗にしておきますね。《浄化》」
魔法袋から使うであろう薬の素材を取り出していく。魔道具もだ。
「素材の説明はしません。新鮮な状態で使いたい薬もあります。その場で作り上げますが、驚かないでください。魔道具についてもです」
シウは少し躊躇ったあと、理由を少しだけ明かすことにした。
どんな仕事でも目的を知っておくと効率はもちろん、やる気も上がる。事前情報があるだけで対処も違ってくるからだ。
疑心暗鬼になられるよりも納得できる「理由」がある方が勝手に想像もしてくれる。
「……この魔道具は、ある子供を助けるために作りました。命にかかわる問題です。ところが、邪魔をする人がいる。彼等に知られると対抗策を採られるでしょう。そうなれば、幼子はあっという間に命を散らされる。今回はたまたま流用できると思ったため、持ってきました」
医師も乳母も目を瞠る。互いに顔を見合わせ、しっかりと頷いた。
「この場でのこと、決して漏らしはいたしません」
「あなた様のご厚意に感謝いたします」
二人の表情がより引き締まった。シウが危険を冒してまで助けに来たことを知り、本当に赤子が助かるのだと思えたからだろう。
シウはふうと大きく息を吐き、脳内シミュレーションをなぞるように作業を開始した。
まずは、部屋に結界を二重に張った。それから中に漂っているであろう魔素を輩出する。
治療には魔道具の《魔力吸収》と《指定虫》を使う。体内に淀んだままの魔力をこれで吸い出すのだ。
鑑定魔法を使いながら減りを確認する。短時間で吸い出すと体調不良になるからだ。
ある程度吸ったところで、体力の数値が下がり始めた。
ここで金青花を使った魔力過多症用の薬を使う。
基本的な配合はこうだ。金青花の花を煮出して取れる上澄み液に、オーガの角を煮出して上澄みを使う。これを精製水で薄めればいい。魔法で作ってはいけない。魔力を徐々に輩出させるための薬だ。制作者の魔力が混じってしまうと吸わなくなるどころか、体内の魔力回路に影響する。
上澄みを使うのも同じ理由だ。特にオーガの角は粉の状態のままだと魔力が混ざる。必ず、煮出してから上澄みのみを利用すると決まっていた。
シウも薬を作る際は結界で囲み、魔素を輩出した上で作業していた。もちろん自分自身にも二重の空間魔法を掛けている。シウ自身の魔力は少ないながらも染み出す可能性がゼロとは言い切れない。
通常の薬はこれで良かった。
今回はそこに一冬草を使用した上級ポーションを水で薄めて混ぜた。これも同じ条件で作ってある。とはいえ本来なら魔力を含んだ素材ばかりだ。それでも赤子の体を持ち堪えさせるためには使うしかなかった。
「これぐらいかな……」
鑑定したあと、浄化した綿の布に染み込ませる。赤子の口に含ませるのは乳母に任せた。
「何度か繰り返してください。鑑定していますので『止めて』と言ったら布を離してくださいね」
「はい」
「その間に次の薬を用意します」
チラチラと横目で見ながら鑑定を続け、合間に薬を作る。
このあとも体力が安定するまで赤子の魔力を減らしては特製上級ポーションで底上げしていく。
ところが、魔力を吸収しすぎると「魔力はまだ残っている」のに体が勝手に「魔力がなくなった」と勘違いすることがある。最大数値を体が覚えているせいだ。別の症状について書かれた本で読んだことがあった。赤子ならば更に危険であろう。慎重にすべきだ。
シウが考えたのは、急激な魔力減の反動対策として竜苔を使うことだった。
竜苔の新芽をお茶にして飲む。以前、キリクに飲ませた《動作補助薬》に近い。
竜苔は最高級の魔力回復薬になる。普通の人にとっては劇薬のようなものだ。飲めば気絶する場合もある。しかし、新芽は効能が薄い。人間にも使えることはシウの実験でも分かっている。
これにサナティオを以前よりも少し多めに混ぜた。
聖水がもう手元にないためだ。それよりも高濃度聖魔素水の方が効き目としては高いのだろうが、今回の場合は高負荷すぎる。聖水程度がちょうど良かった。高濃度聖魔素水を薄めて使うことも考えたが、まだ実験ができていない。
そのため今回はサナティオの分量を多めにした。薄めるのはただの水だ。
サナティオ単体の効能は「癒やし」になる。これに上級薬の基材となるプロフィシバと聖水を入れて飲むと体内の「悪いもの」が全て出せる。残念ながら、魔力過多症は「悪いもの」ではない。
自然に魔力を排出するよりも溜め込む力の方が高いだけのこと。これも魔力量自体が低ければ問題にはならなかった。物心つく頃になれば魔力を使って排出もさせられるし、吸収するのも簡単だ。
ところが元々の魔力量が多すぎると淀んだ魔力が体内で悪さをするのだろう。体を壊しやすくなる。とても、物心つくまで待っていられない。
目の前の赤子は更に重症だった。
シウが《完全鑑定》したところ、体内にある魔力回路の一部が極端に細いと判明した。
生まれて五ヶ月強だ。この状態が「基本」であると体が覚えてしまっている。今更、最上級薬を使っても効くかどうか分からない。そもそも試すには幼すぎる。
とりあえず、今を生き延びさせるしかない。
シウは出来上がった竜苔の新芽茶を《鑑定》した。
「よし。そちらは止めてください」
「は、はい」
「魔力を吸収しましたので反動がきます。このお茶はその対策です」
別の綿布を取り出し、含ませる。
「これも同じように飲ませてください。先ほどより多めでも構いません」
乳母が受け取り、赤子の唇に布を当てる。
医師は赤子の顔色をずっと見ていた。時折、爪を確認する。小さな手足に触れては体温の変化にも気をつけていた。震えがあるかどうかも見ているのだろう。
シウはまた大きく息を吐いた。
「これを繰り返します。この子の容態が落ち着いたら次の治療に移れるかもしれません。とにかく、今は不安定な魔力をなんとかすることです。体力も取り戻しましょう」
乳母と医師がしっかりと頷く。
キリクやハンス、ベルヘルトがどうしているのかは分からない。シウにはそちらを気にする余裕がなかった。ただ全方位探索で近くにいると分かるだけだ。彼等は微動だにせず、そこにいた。
数時間を経て赤子の――クリストバルの――状態はかなり良くなった。
「顔色が、ああ、なんてこと」
思わずといった様子で乳母が呟く。
「ど、どうしたんだ?」
ここで初めてハンスの声が聞こえた。
しかし、近付いてこない。シウが振り返ると、彼は動いてはいけないと思っているのか葛藤した様子でベッドを見ている。
ハンスの不安はすぐに解消された。医師が乳母の言葉を補完したからだ。
「顔色が良くなりましてございます。息遣いも穏やかです。何ヶ月ぶりでしょうか」
ホッとした表情でハンスに答える。
ハンスは力が抜けたかのように蹲った。キリクが急いで支える。そのキリクも肩の力が抜けたようだった。
大きな溜息を吐く。
それからシウに柔らかい視線を向けた。
*************
【お知らせ】
まほゆか3巻発売中です
魔法使いと愉快な仲間たち3 ~モフモフと新しい命と心機一転~
ISBN-13 : 978-4047380677
イラスト:戸部淑先生
書き下ろしはキリク視点です
また、別作品の
「ちびもふムイちゃんの目指せ冒険者への道」
が、10/25に発売します
三歳のレッサーパンダ獣人族ムイちゃんが活躍するお話です
こちらもぜひお手にとっていただけますと嬉しいです
詳細は近況ノートにあります
カクヨム版もありますのでぜひ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます