635 カルロッテの望み、葛藤、傷付く心
角牛を分け終わる頃、全方位探索に気になる動きがあった。シウは皆に断って席を外した。
「カルロッテ様、どうされましたか」
彼女はアビスも連れず、倒木に腰を掛けて休んでいた。馬車の近くとはいえ裏側だ。山にも向いている。死角となる場所だった。
「フェレスやククールスが見回っているとはいえ、こちら側は危険です」
「ですが、魔獣避け薬玉も設置していますよね。結界の魔道具も持っておりますわ」
「アビスさんは?」
「わたくしの担当騎士と打ち合わせ中です。今後の移動に関してと、王城にいる侍女たちにも連絡を入れなければなりませんから」
「カルロッテ様を一人こんなところに置いてですか?」
「わたくしは馬車の中で休んでいることになっています」
シウが咎めるような視線を向けたからか、カルロッテは少々ばつの悪そうな顔で俯いた。
しかし、すぐに顔を上げる。
「一人になれる、自由な時間が欲しかったのです」
そう言われてしまうと、シウも強く窘められない。
「シウ殿、あなたが羨ましいです。わたくしには望むべくもない生き方をされていますもの」
「そうですね」
シウは苦笑いで頷いた。確かに自由気儘に生きているからだ。
「あなたは――。いえ、あなたの望むものは何か、尋ねてもいいかしら」
唐突だった。しかも早口だ。そのせいで切羽詰まったような様子にも思える。
シウは首を傾げた。
「望み、ですか?」
「ええ。近々、アルウェウス地下迷宮の稼働と街開きの式典が開かれるでしょう? その際に陛下から望みを述べよと問われるはずです。すでに確認の手紙が届いているかと思うのですが」
シウが眉を顰めたのを見て、語尾が小さくなっていく。
「聞いておられませんの?」
「オスカリウス辺境伯から聞いたような気もしますが、何も要らないと断っています。まさか当日になって聞かれたりしませんよね?」
「まあ」
カルロッテが笑う。口元は隠さず、その姿だけを見れば普通の少女に見える。いや、もう立派な女性だ。
彼女は真っ直ぐな瞳でシウを見つめた。
「――父上は望みを叶えてくれるはずです。どのような望みであっても」
「さすがに、どんな望みもとはいかないでしょう。そもそも、すでに多くのものをもらっています」
「稼働してから発生する売り上げの一部でしょうか? 些細なものですわ。本来であれば、もっと要求できたのですから」
「僕には必要がありません」
「だから権利を譲渡されたのですか?」
「はい。それに、僕は欲しいものがあれば自分で得ます。誰かに頼むことはないかなあ」
「どうしても手に入らないものはあるでしょう?」
焦りのような必死さが見え隠れする。見つめる視線も強い。
まるで何かに焦がれるような、そんな表情だ。
シウはふと、ある考えに思い至った。
カルロッテの問いの意味を高速で考える。
彼女は「望み」をシウに譲ってほしいのだ。
もしかすると、それは「自分自身」を指す望みかもしれない。
シウの思い違いならそれでいい。深い意味はなく、単純に自由を求めている可能性もある。ただ、その場合であれば「シウの望み」として告げるには不自然だ。王様に「あなたのお嬢様を王族から外してあげてください」と願うのは取りようにとっては不敬になる。
しかも、カルロッテはハッキリと口にせず、遠回りに尋ねた。
言えない理由が彼女にはある。
はたして。
「あなたの望みのうちに、わたくしの入る余地が少しでもあるのなら――」
「カルロッテ姫」
強張った声で呼んだのはアルゲオだった。
馬車の後部を回って歩いてくる。護衛騎士のエルノには手で待機を命じた。こちらが見えない馬車の後部辺りで反対側を向いて立つ。シウがいることで安全だと思ってくれたのだろう。
アルゲオはそのまま倒木の前までやってきた。
「それ以上を口にしてはなりません」
「どうして……」
「王族である姫の言葉には重みがあるからです」
「わたくしは、ただ、自由に」
「そのためにシウを利用しようと言うのですか。わたしは彼の友人だ。止めさせていただきます」
カルロッテがふと哀しげに笑った。
「友人だから止めるのですか? 本当に? あなたはいつだって、わたくしの邪魔をしてきたというのに」
シウは、ああ、と声にならない声で溜息を漏らした。言ってはダメだと、体が前のめりになる。けれど、アルゲオが静かに手で制した。彼は真っ直ぐにカルロッテを見ている。
「わたくしがシウ殿に近付こうとするたびに止めたのはアルゲオ殿ではありませんか。いつも反対ばかりしていらした。わたくしは、あなたなんて――」
「カルロッテ様」
さすがにいけないと、シウは強めに声を掛けた。
カルロッテはハッとし、シウに視線を向け、表情を見て愕然としたようだった。
「アルゲオ、少しだけでいいんだ。カルロッテ様と二人だけで話す時間が欲しい」
「シウ、だが」
「ありがとう。僕を傷付けまいと間に入ってくれたんだよね。分かってる。だけど、そのせいで君が傷付く姿は見たくない」
アルゲオはヒュッと息を呑み、一瞬だけ泣きそうな表情になった。けれどもさすがは貴族だ。いつもの冷静な表情を取り戻す。
「少しだけだ。アビスも直に来るだろう」
「分かった」
「向こうで待っている」
そう言うと、アルゲオは馬車の反対側に行く。
シウは視線をカルロッテに戻した。彼女は俯いたままだった。
「カルロッテ様、先ほど『どうしても手に入らないものがある』と仰いましたよね」
のろのろと顔が上がる。カルロッテも泣き出しそうな表情だ。縋るような瞳でシウを見つめている。
「人の心もです」
「ああ……」
カルロッテが手で顔を隠す。
「最初の頃、アルゲオは過干渉だったと思います。でも、あなたの身を案じてのことだった。まあ行き過ぎだと思えば友人の誰かが『学校内は安全だから』と忠告もしていたようですが。以降は、行動を止める真似はなかったと思います。それに最初から節度は保っていた。違いますか」
カルロッテが小さく頷いた。彼女も自分が守られていた事実は理解している。
学校内とはいえ王族が一人で――アビスの存在は別だ――歩くわけにはいかない。王族には上位貴族がついているのが当然だ。しかし、シュタイバーン出身の生徒の中に女性の上位貴族はいなかった。男性でも少ないのだ。アルゲオが率先して共にいてくれなければ、カルロッテは馬鹿にされていただろう。
アルゲオはなにくれとなくカルロッテを助けていた。下心はあっただろうが、紳士だった。
だからこそ、カルロッテは冒険者パーティーの一員として「自ら望んで」登録もできた。アルゲオがいたからだ。
「彼を利用したつもりはなかったのかもしれませんが、結果として享受はしていたと思います」
カルロッテが顔を上げた。その勢いで涙が零れ落ちる。彼女は目を見開き、シウに言い募った。
「待って、あなたを利用したのではありません。それだけは信じて。わたくしの心は――」
そこで言い淀む。どうしても続きが言えない。もしかしたらシウから何か言ってほしかったのかもしれないが、問い掛けはしなかった。
カルロッテが言わないのであれば、シウも答えなくて済む。ただ、これだけはと最後に伝えた。
「嫌われるかもしれないのに、あなたのために叱ってくれる。ああいう人を得難い人と言うんです。僕では無理だ。僕は、仲間や家族と決めたら甘やかしてしまう。友人によると『人をダメにする』らしいです」
最近は頑張っているつもりだが、それは黙っていた。
「もちろん、彼を薦めているんじゃないです。ただ、彼の恋心を貶めないでほしい。それだけです」
恋心を利用するのは可哀想だ。
シウもカルロッテに気を持たせるような真似はしまいと強い言葉で伝えた。
本当はこんなことを言いたくなかった。彼女の気持ちが本当の恋かどうかも不明だ。けれど、そこを疑うということは、それこそカルロッテの心を貶めることになる。
だからシウは口にしなかった。確認もしない。
カルロッテは涙を流しながら、小さく「ごめんなさい」と謝った。
「あの方の気持ちが、今になってようやく分かりました」
シウは慰めようと手を伸ばしかけ、慌てて引っ込めた。少し考え、ハンカチを取り出す。
フェレスたちを呼ぼうとも考えたが、自分の尻拭いを任せるわけにもいかない。
しばらくの間、シウはその場に立ち尽くした。
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