611 焦りと嫉妬と




 アルゲオが項垂れる。

「……俺は傲慢、なのか」

「というか、心配の仕方が一方的すぎるのかも」

 そんなにもカルロッテが好きなら、彼女がやりたいことをやらせてあげたらいいのにと思う。その上でフォローすればいい。ただ、アルゲオにはそこまでの余裕がないのだろう。シウは眉尻を下げ、落ち込むアルゲオを見た。

 最近のアルゲオはカルロッテにべったりしていないようだが、今回の活躍話を聞いて焦ったらしい。

 彼の言い分もシウには分かる。ラトリシア国からすればカルロッテは賓客だ。少し怪我を負っただけでも国際問題に発展してしまう。おとなしくしてもらいたいと願う関係者の気持ちも分からないではない。

 怪我をせずとも、変な噂が立つだけで女性王族としては致命的だ。王侯貴族のほとんどが結婚という形で繋がりを強化する。もし王女に瑕疵があれば、対等なはずの婚姻という契約に影響が出るだろう。負い目を持ったまま婚家で過ごす王女のためにもならない。

 カルロッテの立場も微妙だった。正妃の子でないことや後ろ盾の弱さだ。

 彼女に思いを寄せるアルゲオにとって「変な噂」は困るのだろう。貴族の結婚には根回しも必要になる。気持ちを受け入れてもらえたとしても、簡単に「さあ結婚しよう」とはいかない。

 シウの知る貴族の結婚と言えばキリクとアマリア、エドラとベルヘルト夫婦だ。彼等は貴族としては珍しい恋愛結婚だった。それでも根回しはあったという。多くの人が彼等の結婚に尽力した。

 アルゲオは焦った。カルロッテの失点――になるかもしれない軽率な行動――が、将来を踏まえて動こうとしている彼の計画に引っかかると考えた。

 とはいえ、やはりシウは思うのだ。

「まずは気持ちの確認からじゃないのかなあ」

 二人には恋愛的な雰囲気が一切見えなかった。恋愛について何も分からないシウですら分かるぐらいだ。

 はたして。

「うっ、そ、そうなのだが」

 アルゲオは落ち込んだ様子で認めた。シウは苦笑いだ。

「もしかして、告白する前に良いところを見せたい感じ?」

 先日読んだ本にもあった。主人公の男は、自分の良さを知ってもらった上で告白したいと考えた。万全を期す、というのは戦いにおいての基本である。本にも恋愛とは戦いだと書いてあった。

 なるほど、アルゲオは正しい道を歩んでいるのだろう。シウが納得している間に、あれこれ考えていたらしいアルゲオが小さく頷いた。

「……そう、だ」

 とはいえ、レオンにも言われたがシウに恋愛の相談は向いていない。自覚はある。

 戦略的な話であればできるかもしれないが、それこそ戦略についてはアルゲオが学んでいる。むしろ貴族としての戦い方ならば彼の方がよく知っているはずだ。

 結局、シウにできる助言はこれしかない。

「もう少し余裕を持った方がいいと思うよ」

 アルゲオも分かっているのだ。力なく頷いた。


 話し込んだせいで時間が押してしまい、シウもサロンの個室で食事をいただくことになった。

 注文後、オーナーがわざわざ個室に来て「幼獣様のお食事はどうされますか」と確認するので、ジルヴァーの分も頼む。きちんと見ていることが窺え、気配りも有り難い。

「ジル、良かったね。美味しい食事を作ってくれるって」

「くるるる」

「……可愛いな」

 喜ぶジルヴァーを見て、アルゲオがようやく肩の力を抜いた。随分、強張っていたようだ。

「ジル、可愛いってさ。アルゲオに褒められたよ」

「くるる」

「お前はいつも平然としているな」

「え?」

「堂々として、落ち着いている。さっき、わたしに余裕を持てと言ったが、シウを見ているとどうしても焦るんだ」

「なんで、僕? そもそも、誰かと比べるなんて無意味だよ」

 アルゲオは悲しげに笑う。

「頭では分かっているさ。だが、目の前にすごい男がいれば気になるのは当然だろう?」

 シウは目を丸くした。

「驚くところか? お前はシーカーを三年で卒業するんだぞ。ロワルの学校はたった一年だった。数々の功績も打ち立てた」

「えぇ……」

 アルゲオはシウの顔を見て吹き出した。

「分かっていないのか? それとも忘れたか。シウにとってはそれだけのことなのだろうな」

 アルゲオが遠くを見るように、視線を逸らす。

「アルウェウス迷宮の記念式典に出るのだろう?」

「あ、うん」

「わたしは呼ばれてもいない」

「招待状は届いていないの?」

「それは貴族の当主に届けられるものだ。わたしはいまだ、何者でもない」

 シウはアルゲオの言いたいことが分かってきた。彼はまだ学生だ。貴族と名乗れるが立場は「子弟」だ。侯爵家を継ぐのはアルゲオの兄になる。まだしっかりとした身分が彼にはない。

 ドルフガレン家ならばアルゲオに譲れる爵位ぐらいはありそうだが、言いたいのはそこではないのだろう。

「式典にはカルロッテ殿下も出席される」

「ああ、王族だからね」

「お前は魔獣スタンピードが広がらないよう抑え込んだ立役者だ。演習中の生徒を救った功績もある。陛下から褒賞を賜る栄誉もいただいた」

「まあ、そう、だね?」

「今回もそうだったな。魔獣スタンピードへの対応、指揮、その後の王城での聖獣たちとの共闘もある。それだけではない。超大型魔獣の討伐にも参加したそうじゃないか。止めを刺したのはオスカリウス辺境伯だそうだが、そこまでお膳立てをしたのはシウ、お前だ」

「いや、僕一人の力じゃ――」

「各国の王族と対等に渡り合うだけの胆力もある。友人にもなったな? その人脈も素晴らしい」

「アルゲオ?」

 彼は珍しくも、どうやらシウが思う以上にへこんでいるようだ。大きな溜息を吐き、シウに視線を戻した。

「希少獣を四頭も育てられるだけの財力がある。あと、足りないとすれば」

 身長だろうか。

 シウが考えていると、アルゲオは一息ついて続けた。

「身分だけだ」

「あ、なんだ」

 想像していた答えと違ったため、思わずガッカリしてしまった。そんなシウに、アルゲオは怪訝そうだ。

「なんだ、とはなんだ。身分は大事だぞ」

「僕は気にしてないもの」

「はぁ、そうなんだよな。そう、シウはそうだった」

「アルゲオ、大丈夫?」

「……わたしはな、シウに身分がなくて良かったと思うようなさもしい人間なのだよ。情けない男だ」

 シウは天井に目を向け、それから隣に座るジルヴァーを見た。「どうしたの?」と首を傾げるジルヴァーの愛らしさにホッとする。そして、改めてアルゲオの様子を観察した。

 いつもの、自信たっぷりな彼らしくもない弱々しさだ。

 シウは今のアルゲオが良いと思った。悩み迷う姿に人間味を感じる。

「完璧な人間なんていないよ。いない方がいいんだ。足りないところがあるから、人間は面白い」

 生きていれば艱難辛苦はある。

 乗り越えられないと嘆き悲しむ夜もあった。

 でも、どうにかこうにか生きてきた。

 もう遠い昔のように感じる前世を思い出し、シウは微笑んだ。

「補い合える仲になれたら良いと思わない?」

 シウはこの世界で多くの人に助けられた。シウの足りない部分を埋めてくれる人ばかりだった。もちろんフェレスもそうだ。優しい彼に何度助けられたかしれない。時には大胆な働きでシウを笑わせ、自由に振る舞う姿を見て憧れもした。何よりも、生まれた時のあの感動は今も忘れない。小さな命はシウに「生きている」と実感させてくれた。全幅の信頼を寄せる命に、心が育った。

「僕は一人では何もできない。四頭はかけがえのない存在だ。いつも僕を補ってくれる。彼等だけじゃないよ。カスパルは僕の話を冷静に受け止め、助言もくれる大事な友人だ。パーティーの仲間もだね。僕が迂闊な行動をすれば叱ってくれるんだ。他にも多くの人が、いろいろなものを与えてくれた。それは知識や損得じゃない。『情』なんだと思う」

 アルゲオにも、あるはずだ。

 はたして。

「……今、こうしてわたしの話を聞いてくれるシウも、補ってくれているのだな」

「そうだったらいいなと思ってる」

 シウの言葉を聞いてアルゲオが微笑む。でもどこか悲しそうな、苦しそうにも見えた。


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