610 アルゲオの話




 授業が終わると居残る者や次の授業のために急ぐ者など、それぞれに別れる。ほとんどは食堂やサロンに向かう。シウもいつも通りにレオンやエドガール、シルトたちと歩き始めた。

 それを止めたのがアルゲオだ。そう言えば先ほど何か言いかけていた。思い出したシウは立ち止まり、アルゲオの言葉を待った。

 ところが言いあぐねている。シウは首を傾げながら提案した。

「あー、えっと、良ければ一緒に食堂へ行く?」

 アルゲオは上位貴族だ。普段はサロンに行く。高級レストランやカフェもあり、慣れている。反対に食堂は居心地が悪いだろう。シウも逆の立場だから気持ちは分かる。案の定、アルゲオは困った顔になった。

「もしかして、込み入った話?」

「そういうわけでは……。いや、そうかもしれない」

「分かった。じゃあ、サロンの個室に行く? 教室でもいいけど」

「個室で頼む」

「うん。あ、レオン、悪いけど先に行ってて。お弁当を渡しておくね」

「いいって。たまには食堂のランチもいいだろ。あいつらもシウの弁当は『たまに訪れる幸運』だと思っているさ」

 とは、食堂で一緒になる友人たちだ。最近は初年度生も増えている。

 もっとも、シウは他の生徒と違って授業を詰め込んでいない。特に卒科に必要な試験を受けるようになってからは食堂に行く回数も減った。

 実は、シウのお弁当を食べた生徒は、何回かに一回の割合でランチのチケットを渡してくる。お礼代わりとしてだ。しかし、そもそもお弁当を持ってくるシウには不要のものだった。最初は断っていたが、そのうち食堂の職員らと相談し「困っている生徒のため」自由に使える無料チケットとして配布するようになった。今は食堂の裏にある掲示板に貼ってある。この掲示板は元々、メニューの希望を貼れる場所だった。

 奨学金がもらえない平民や、貴族でも懐事情の良くない者はいる。

 若者がお金に困って真っ先に削るのが食費だ。食堂の職員らも憂えていたため無料チケットの案に乗った。しかも教授や上位貴族の何人かが賛同し、寄付してくれる。

 とはいえ、毎度毎度使うのは気が引けるのだろう。遠慮する生徒は多い。

 せめてシウが食堂に行く日ぐらいは、お腹いっぱいに食べさせてあげたかった。

 彼等の顔を思い出しながら、シウは眉尻を下げた。

「でも、せっかく作ったのに」

 そんなシウに、レオンが苦笑いで手招く。

「だったら、もらってく。魔法袋に入っているのか?」

 シウはアルゲオに「ちょっと待って」と声を掛けてから、レオンに近寄った。

「空間庫に入れてなかったか? 今のうちに移動しておけよ」

「分かった。こっちの魔法袋の中で作業しているフリをすればバレないよね」

 レオンの魔法袋を受け取り、シウはこそこそと作業を始めた。

「大丈夫だろ。それより――」

「うん?」

「アルゲオ、また煮詰まってるみたいだな。話を聞いてやるのはいいけど、下手に巻き込まれないよう気を付けろよ」

「え」

「色恋沙汰なんざ当人同士で解決しろって話だ。そもそもシウに相談するのがおかしい。それに気付かない時点でもうダメだろ」

「え」

「手が止まってる。もう、一気に移動するか? そっちの中で俺の魔法袋に移動はできるんだったよな」

「あ、うん」

「よし。入ったな。じゃ、俺たちは食堂に行ってる。シウもほどほどで切り上げろよ。頑張れ」

「あ、うん、えっ」

 待ってと言いかけたのに、レオンは走っていってしまった。

 シウはただ見送るしかできなかった。



 アルゲオの話は予想通り、カルロッテについてだった。

「王城で活躍されたという噂を聞いた」

「うん、そうだね」

「カロラ殿下のお手伝いという形であったのだろうが――」

 シウはアルゲオの話を手で制した。

「彼女自身が積極的に助けて回ったそうだよ」

 カルロッテの頑張りが正しく伝わっていないのは悲しいことだ。シウはアルゲオの目を見た。

「現場で働く人たちへの指示はもちろん、傷付いて王城内に落ちた冒険者の治療にも携わったらしいね」

 アルゲオが眉を顰める。苦しそうな表情だ。何かを言いたげで、シウは内心で溜息を噛み殺す。

「王侯貴族として正しい行いをしたんじゃないのかな」

「……確かに、貴族であればそうだろう。分かっている。魔法競技大会に参加しなかった立場で偉そうなことは言えない。むろん、手助けをしに行こうとは思った。だが、当時は外に出られなかったのだ」

 従者たちに止められたのだろう。王都も外出禁止令が出ていた。アルゲオはギュッと拳を握った。

「言い訳だと分かっている。わたしは何もできなかった。だが、それとカルロッテ殿下の行動は別だ」

「さっき言いかけた話?」

「そうだ」

「否定的な内容になりそうだと感じたけれど、違うよね?」

 アルゲオが黙り込む。シウの想像は当たっていたようだ。

「王族だからダメだったと? もしくは他国の王女だから?」

「……立場をお考えいただきたいと申し上げているのだ。もし、何かあればどうなったと思う。外交問題だ。留学生ではあるが、ラトリシア国にとっては客人なのだぞ」

「それをご本人にも話したの?」

「いや、それは」

「そうだよね。前に僕も釘を刺したんだ。さすがにないよね」

 シウだけでなく、同郷人の上位貴族からチラホラと注意はされているはずだった。

 アルゲオはカルロッテを守るつもりでいるのかもしれないが過干渉になっている。憂慮した友人らがそれとなく間に入ったり行動を共にしたりしているが、なにしろ本人が「善意」のつもりだ。だから先輩方も気にして口を挟んでいる。

 しかし。

「わたしは、今後の殿下のお立場を慮っているだけだ」

「そうかなあ? 僕には独占欲に見えるけど」

「なっ」

「分かるよ。僕もね、最近気付いたんだ」

 アルゲオがハッとした顔でシウを凝視した。

 それから頬を赤らめ、身を寄せる。

「ど、どういうことだ。お前にも、その、好ましいと思う――」

「うちのブランカがね」

「ブランカ?」

「そう。ブランカの気持ちを知ったんだ。ずっと我慢していたんだなって。あの子はフェレスの次に来た騎獣なんだ。二番目になる。たとえばクロは、最初から人を乗せられないと分かっているから納得できていた。小型希少獣として頑張ればいいのだと、早々に切り替えられたんだ。だけど、ブランカはいつまでたっても二番目だ。僕が騎乗する相手はいつもフェレスだった。フェレスは誰より速く飛べるし、強い。彼女はどうしたって敵わない壁を、毎日のように見ていた。納得しようとしていたんだろうね。パーティー仲間の女性と飛ぶことにも抵抗はなかった。性も合ってもいた。不満なんて見えなかった」

 でも、それとこれとは別だ。

「本当は僕にも乗ってほしかったんだよ。独り占めしたいと考えていた。本来の性格が豪快で明るくて引きずらないから、僕は気付けなかった。気付かないフリをしていたのかもしれない。……誰だって好きな相手には同じだけの気持ちを返してほしいと思うものなのにね」

 一番でありたいと願う気持ちは、間違いではない。

 アルゲオは訝しそうな表情を改めた。シウがいきなり希少獣の話を始めたので「そんなものと一緒にするな」とでも言いたそうな顔をしていたのだ。

「だけど、それは難しい」

 一番と一番になれるのは奇跡だ。

「僕はフェレスが好きだし、クロやブランカ、ジルヴァーも大事に思っている。優劣を付けたくはない。そうは言っても平等にとはいかないよね。冒険者として働いていれば、その時に最も相応しい相棒を選ぶ。能力に対する信頼もある。それぞれに任せられる場面は違うんだ」

 シウがジルヴァーを見たせいか、アルゲオも彼女を見つめた。

「そう、だな」

「いつかフェレスやブランカがつがいと出会ったら、彼等の一番は僕じゃなくなる。そもそも、フェレスの好きも分散しているしね。その全てを欲しいと願うのは、傲慢だ」

 自戒を込めた言葉だ。


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