束の間の休息

604 濃すぎた三日を振り返り、日常に戻る




 光の日の夜は全員が泥のように眠った。シウも、なんだかんだで疲れていたらしい。

 目が覚めると、シウの体にはジルヴァーがくっついていた。少し離れてクロ、ベッド下にはフェレスとブランカだ。エルは夜の間は机の横にある彼の好きな木の枝で休んでいる。

 シウはジルヴァーを抱き上げて寝かし直すと、そうっと廊下に出た。まだ誰も起きておらず、静かだ。

 第二棟にはリュカの部屋もある。今日は彼もそこで寝ているようだった。

 ロトスとは昨夜のうちに話をしていたが、休むシウの邪魔をしてはいけないと早々に自室へ戻った。普段はシウの部屋で寝落ちすることもあるのに、変に気を遣う。それが彼の優しさでもあった。

 厨房に入ると、ひんやりとした空気がシウを包む。

「たった数日使わなかっただけなのになあ。でもそうだよね。この三日でいろいろありすぎた」

 濃厚すぎた三日だ。

 ベニグドが何か仕掛けてくるだろうと、ヴィンセントもシウも身構えていた。なのに、想像以上の事件が起こった。

 精神魔法を使っての工作、人為的な魔獣スタンピードの発生。大勢が集まる魔法競技大会では右往左往した。人々の混乱こそが危険でもあった。

 幸い、後手に回りながらも皆の力で対処できたが、最悪も見付けてしまった。

 ベニグドの腹の中から、魔人族が関わったと思しき物体が出てきたのだ。魔道具と呼んでいいだろうか。その魔道具の動力は魔核でもなければ魔石でもなかった。埋め込んだ人の体から魔力を吸い上げるという「悪魔」の所業であったのだ。

 使われている素材も術式の書き方も、動力に対する考え方すらロワイエ大陸にはないものだった。

 何よりも、精神魔法による汚染が多すぎた。ベニグドがやったにしろ、彼の元々のレベルから考えるとやはり急激に上がりすぎだ。

 シウは当初、ベニグドがよほど訓練を積んだのだろうと考えていた。

 しかし、シーカーに在学中の彼の成績や授業への態度、また快楽主義にも見える性格を思えば「有り得ない」。

 シウは人を良く見過ぎていたようだ。

 普通に考えれば、ベニグドが楽しみにためとはいえそこまでレベル上げを頑張るとは思えない。

 そう、彼は悪魔に魂を売ったのだ。

 悪魔とは、ロワイエ大陸の人々が付けた名称で、実際は魔人族を指す。

 多くはクレアーレ大陸に住む。彼等は魔力の高い種族だ。その中にはロワイエ大陸にまで来て悪事を働く者もいる。

 シウはクレアーレ大陸に住む魔人族の人々と知り合ったから言えるのだが、全員が悪意を持つわけではない。むしろ、大半はロワイエ大陸の人間と同じで平穏に暮らしている。

 結局はどこの世界にもいる突出した悪人のせいなのだ。

 その人間に力があったがために迷惑を被っている。

 今回もベニグドに何らかの助言、ないし協力をしたのだろう。

 シウの考えでは、魔人族の種族はインキュバスかサキュバスだ。クレアーレ大陸では黒尾族と呼ばれている。精神魔法のスペシャリストらしく、鑑定魔法を掛けても痕跡を見付けるのが難しい。レベルの高い者が目の前でじっくりと鑑定すれば分かるだろうが、そうと分かっていなければ見過ごしてしまう。

 ともあれ、魔人族はもうルシエラ王都から出ていると思われた。

 サキュバスもインキュバスも精神魔法のレベルは高くとも、魔人族の中では下位になる。能力も魔力もだ。おそらく、魔法国家でもあるラトリシアの上位魔法使いが出てくれば捕まえられる。

 ヴィンセントも同じ考えでいるが、念のために王都内をくまなく捜索する予定だそうだ。

 それは国の仕事で、この三日間働き通しだったシウはお役御免となった。

 シウが次にすべきことはシーカー魔法学院で開催された魔法競技大会の片付けだ。とはいえ、数日後のこと。それまでは休みだと聞いている。

 ひょっとすると早めに呼び出される可能性はあるが、なにしろ今日は休みの初日である。のんびりしてもいい。シウは息を吐き、両頬を叩いて気合いを入れた。

「よし。朝食を作るぞ」

 いつもの朝の始まりだ。


 匂いに釣られて最初に起きてきたのはリュカだった。

 調理の手伝いをしてくれる間に、この数日のブラード家や薬師たちの話を教えてくれる。

 やがてレオンがエアストを連れて第二棟にやってきた。彼もこちらで朝食を摂りたい気分のようだ。次に起きたのはフェレスで、寝ぼけ眼でフラフラ食堂に入ってくる。

「フェレス、おはよう。ジルを連れてきてくれる?」

「にゃ~」

「ついでにブランカを起こして。クロはたぶん、エルのお世話中かな。一緒に来るよう伝えてくれる?」

「にゃー」

 ようやく目が覚めたらしいフェレスがのそのそと出ていく。

 気配に気付いたのか、ククールスも起きたようだ。ゆっくりと部屋を出る様子が《全方位探索》で分かる。スウェイはすでに起きていたものの、主であるククールスが動くまではと静かにしていたらしい。トイレを済ませてから食堂に追いついた。

 ちなみに、この第二棟では内と外に騎獣たちのトイレがある。シウが「夏は暑いし冬は寒いのが可哀想だ」と室内にも用意した。扉はスイングドアを採用している。頭の良い騎獣たちは自分たちできちんと済ませてしまうので有り難い。ついでに言えば、騎獣のトイレもカスパルの研究成果による自動浄化装置が備わっていた。

「ぷぎゅ……」

「ジル、おはよう。ほら、おいで」

「ぴゅ」

 数日会えなかったせいで、また甘えん坊になったジルヴァーを背負う。

「よっ、と」

 もう随分と大きくなってきた。まだ背負えるが、半年も経てば赤子とは言えない。

「そろそろ抱っこは難しくなるねえ」

「ぴゅ!」

「あ、ごめんごめん。大丈夫だよ。抱き上げられないという意味で、抱っこはしようね」

「くるる……」

 鳴き声も少しずつ変化が始まっている。

 ジルヴァーはゴリラ型希少獣アトルムマグヌスだ。成獣になる頃であればブランカぐらいだろうが、あっという間に追い越すだろう。雌なので雄ほど大きくならない可能性はあるが、最低でも体長は二メートルを軽く超える予定だ。

 だからというわけでもないが、第二棟の室内はどこも天井を高く取っている。

「ジル、めっちゃ甘えるじゃん」

「ロトスはようやく目が覚めた?」

「おーう。なんだかんだで、俺も眠りが浅かったみたいだし」

「動かずにジッとしていると変に考え込んじゃうよね」

「それな」

「でも、ロトスが屋敷にいるおかげで俺は安心だった。エアストの面倒もよく見てくれていただろ? ありがとうな」

「よせやい。照れるぜ」

 顔を赤くして手を振るロトスに、レオンが笑う。

「さ、朝食にしよう。皆もどうぞ」

 とは希少獣たちにだ。人間用とは別に希少獣用の食堂もあり、どちらも開け放しているため同じ部屋のようになっている。客人が来た場合は、内々の食堂を覗くこともないだろうが念のために閉じておける設計だ。

「ジルもこっちで食べるんだよ。いいね」

「ぴゅるる……」

「ぎゃぅ」

「きゅぃきゅぃ」

 ブランカがお姉さんぶって「こうするんだよ」と教えてあげるが、猫型とゴリラ型では食べ方に違いがある。それをクロが指摘して、トトトとジルヴァーの前に進んだ。

 ジルヴァーは人間の赤ちゃんが使うようなベビーチェアに座っている。彼女の体型に合わせてシウが作ってあったものだ。ベルトもあって固定してある。テーブルの上には離乳食で、その端にクロが立った。

「きゅぃきゅぃ」

「ぴゅ」

「きゅぃ!」

「くるる」

 手で持つんだよ、汚れてもいいんだよと教えるクロはまるで親のようだ。

 ジルヴァーはスプーンに慣れているから気になるようだけれど、自分の手で上手く運べないのも分かっている。今はまだ訓練中だ。諦めて、手で掴んで口に入れた。

「くるるる」

「きゅぃ~」

 食べられて喜ぶジルヴァーに「良かったね」と返すクロと、自分の仕事はもう終わったと、急いで早食いするブランカの対比に皆が笑う。

 シウとしては、フェレスが徹頭徹尾、自由にまったり食べている方がおかしかった。

 スウェイはチラチラ見つつも自分にできることはないと思うのか、その場を動かない。

 エアストもまだ幼獣なので我関せず、食事に夢中だ。その横でレオンが「そろそろ『待て』を教えないとダメだよなぁ」と呟く。

「調教は大変だよ~」

 冗談のつもりだったシウの言葉に、レオンは大いに戦いたようだった。


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