585 ジュスト暴走、シウも暴走、ブランカも




 ジュストが小声で注意する。

「結界を張って音を消しておりますが、お静かに」

 シウとシュヴィークザームは同時に頷いた。

「でも、よく寝てくれましたね」

「我もびっくりだ」

「ちょっと、飲み物に盛りました」

 今度こそ声が出そうなほど驚き、慌てて口を押さえた。シュヴィークザームは声が出ないほど驚いている。

「ふふ。お二人ともすごい顔ですね。ええ、大丈夫ですよ、わたしは正気です」

 どうも他の誰かにも正気を疑われたらしい。実際、ジュストの目の下は真っ黒だ。

「ご安心ください。陛下にご相談の上で許可を戴き実行しました。緊急事態が起こればお目覚めいただきます」

 問題ありませんとニコニコ笑うジュストこそ、寝るべきではないだろうか。

 シウが困った顔で辺りに目を向けると、こくこく頷く姿が数人。シュヴィークザームも人間らしい表情でジュストを見ている。心配顔だ。いや、少し違う。「こいつ大丈夫か」といった怪訝な表情かもしれない。

 そんな中、ブランカが大欠伸をした。

 シウはそれを見てハッとした。

「……ジュストさん、今はどこかからの連絡待ちですか?」

「いえ? この時間は動きはありません。ウゴリーノが戻ってきてガヴィーノ様と、ああ陛下の第三秘書官のことですが、あちら側で取りこぼした情報を纏めているぐらいでしょうか。まだ時間がかかるはずです」

 ウゴリーノも働いているらしい。といっても、さすがに彼は夜の間に学校で仮眠を取っただろう。

 となれば、どう考えてもジュストが一番まずい。

 シウは魔法袋からという体で絨毯と布をそっと取り出した。ブランカをちょいちょい手招きし、耳打ちする。

「あの人を寝かせたいんだ。『おねんね』させよう。まずは一緒にかくれんぼをしてくれる? やり方は分かるよね。優しくしてあげて」

「……ぎゃぅ」

 小声で答えたのは、かくれんぼが静かにする遊びだと知っているからだ。

 ブランカは書類に目を通し始めたジュストに近付き、体を擦りつけた。

「え、どうかしましたか」

 シウとシュヴィークザームはさっさと隣の部屋に移動する。ジュストの慌てる声が聞こえたものの、顔は出さない。意図を悟った他の文官らも素知らぬ顔だ。

 いつものジュストならば冷静に考えられるのだろうが「一人で」慌てている。

「なんですか。引っ張らないでください。え、え、え?」

「ぎゃぅ」

 どすんと音がしたので絨毯の上に倒されたのだろうか。シウにしたのと同じ感覚でやっていると危険だ。咄嗟に顔だけ出すと、ブランカが下になっていた。音は彼女が下敷きになった音らしかった。

「あっ、すみません、大丈夫ですか?」

 慌てているが小声だ。そこにブランカが甘えるような声で被せた。

「ぎゃぅん~」

「え?」

「ぎゃぅ~」

 スルリと動いたブランカはジュストと体勢が入れ替わった。よく分からないままに絨毯に座らされたジュストは、考える暇もなくブランカに纏わり付かれた。更に彼女の魅惑の尻尾が巻き付く。

 ニクスレオパルドスという大きな騎獣とはいえ、獣性は猫に似ている。モフッとした体や尻尾に触れ、更に甘え声だ。

 ジュストは陥落した。

 ほわ~っとした表情で力の抜けたところに、ブランカは抱き着くという形でジュストを押し倒した。そして、すぐさまシーツを咥えて引っ張り上げる。

 シーツの中でしばらく「どうして」だとか「ええー」といった声や「ぎゃぅぎゃぅ~」といった、歌のような鳴き声が聞こえてきた。やがて五分と経たず静かになった。

「……ブランカ、ジュストさんはもう寝た?」

「ぎゃ」

「じゃあ、そっと出ておいで」

「ぎゃぅ」

 出てきたブランカは、シウに駆け寄ろうとしてハッとし、振り返ってシーツを綺麗に直した。ジュストに掛け直してあげたのだ。

 それは彼女がジルヴァーによくしてあげているのと同じで、遡れば、フェレスがブランカやクロを寝かしつけていた時とそっくりであった。

 おねんねも、かくれんぼも、彼女はよく知っている。

「ありがとうね、ブランカ。僕にはできなかったら助かったよ」

 薬を盛ろうとしても疑われただろう。

 ブランカは「ぎゃぅ~」と鳴いて、ぐねぐねする。シウは彼女を隣室に移動させてから顔を撫でた。シュヴィークザームもだ。

「まさか人間の寝かしつけができるとはな。ブランカ、やるではないか」

「ぎゃぅ」

 起きていた文官や近衛騎士も驚いた様子だった。シウの指示でブランカが何かしてくれると思っていたようだが、さすがに寝かせるとは思っていなかったようだ。

 シウは苦笑で、

「何時間も放置すると怒られるでしょうから、少しだけ、三十分か一時間ぐらいは寝ていただきましょう」

 と告げた。

 急ぎの用事もないという。今の時間は朝食や身嗜みを整えるための休憩時間になるそうだった。それなのに仕事をしていた。皆も困っていたようだ。

「あんな顔のままより、草臥れた格好の方がまだマシですもんね。ついでにポーションも追加で置いておきます。あと、僕にできる書類仕事があったら今のうちにやっておきますから」

 そう言うと、一番ホッとした顔をされた。

 急ぎではないものの、やらねばならない仕事は山のようにあるらしかった。


 きっちり一時間、シウは書類仕事に精を出した。

 その間、なんとシュヴィークザームも仕事を手伝った。

「くだらぬ用事でヴィン二世の手を煩わせるな。帰れ」

 と、部屋から勝手に抜け出した貴族を追い返す役目だ。廊下に椅子を置いて関所になっている。隣にはブランカだ。シュヴィークザームが「唸ってやれ」と命じると「ぎゃぅぉ~」と楽しそうに応えている。

 近衛騎士が立っているとはいえ、普通なら有り得ない光景だ。

 だからだろう、中には「聖獣の王に何をさせているのだ」と怒る人もいた。

「我の手を借りるほど忙しいということだ。それに拍車を掛けているのがお主のような存在よ。何故、仕事の邪魔をしにくるのだ。とっとと部屋に戻れ。いや、家に帰るが良い」

「でっ、ですが!」

「ブランカ、やれ」

「ぎゃぅぉー!」

「なっ、なにを、ひぇっ」

 慌てた声に続くのは従者の「旦那様、お待ちください」といった声。

 追いかけるように「ははは、転びかけたぞ」「ぎゃぅ」と楽しそうな声が続く。

 後で問題になりそうな気もしたが、シウはひたすら書類を片付けることに没頭した。


 一時間後にジュストを起こしたところ、シウはじとっと睨まれてしまった。

 そっとブランカを前に出せば表情が崩れる。

「……怒るに怒れません」

「すみません。ええと、よろしければ浄化魔法を掛けましょうか」

「ああ、はい。お願いします」

 ジュストは諦めたような顔で頷いた。

 体が綺麗になり、ポーションも飲んで簡単に食事も済ませると元気になったようだ。

「そうですよね、ヴィンセント様にそうしたのですから同じようにされても文句は言えません」

 溜息を吐き、彼はヴィンセントを起こしにかかった。その前に、

「しかし、冷静になると怒られる気がします」

 と呟いていたので、シウはほんの少し同情した。

 ところが、だ。

 皆の予想に反して、ヴィンセントは怒らなかった。

「構わん。陛下が許可を出されたのなら仕方あるまい」

「は、はい。ですが、勝手をしまして申し訳ありませんでした」

「もう良い。それより、何故同じように仮眠したお前がサッパリしている?」

「あ、それはシウ殿が――」

 と言ったところで視線が飛んでくる。シウはヴィンセントにも浄化魔法を掛けた。

 他にも魔法が使える侍女がいるだろうにと思ったが、

「シウ殿ほど綺麗に掛けられる者はおりませんよ」

 と返された。

 離れた場所で聞いていた侍女も小さく頷く。

「そうなんですか」

「ああ。それに、服まで綺麗だ」

 ヴィンセントが袖口を見る。インク汚れが付いていたらしい。

「お前は毎度毎度、人を驚かせる」

「はあ」

「まあいい。それより、そろそろ聖獣たちのところへ行くか?」

「え、こちらの手伝いはよろしいのですか?」

 質問に質問を返すという無作法をしたが、ヴィンセントは気にせず頷いた。

「朝のうちのまとめてもらおうと思っていた書類が出来上がっている。聴取の報告書もまだだ。ウゴリーノからの連絡もない。お前に任せられる案件は今のところない」

 シウが関われない案件ならあるのだろう。当然だ。



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