577 休憩と選んだ理由と地図と気付き
一方、残されたシウにヴィンセントが何を言うのかと思えば、書類整理の手伝いについてだった。
その作業の合間、何気ない世間話のような口ぶりで質問が飛んでくる。
「信用できる生徒ですか?」
「ウゴリーノからの報告にもあったが、シーカーの生徒には見所のある者が多いようだ。その中で間諜とは関係なく、派閥争いに熱心でない者を推挙してほしい」
「はあ」
「今はこちらで調査をする時間がない。見ての通り、ジュストも手一杯だ。ジュストが集まる情報を精査し、従者らに仕事を割り振っている。従僕まで使っているが手が足りていない」
「あの、陛下の方は?」
そっと伺うと、ヴィンセントは鼻で笑った。
「国政を止めるわけにはいかぬ。あちらはあちらで貴族の対応もあるしな。むしろ応援が欲しいと頼まれているぐらいだ」
「それは……」
そちらの方が大変そうだ。というのがシウの顔にも出ていたのだろう、ヴィンセントはまた笑った。
「人選の件だが、今はシーカーも落ち着いているだろう。兵士が見回りを始めた上に、一部をシーカーの正門にも向かわせた。外部の参加者を宿に送っていく手筈だ。宿にも警護を回している。とはいえ、しっかりした宿に泊まっている者ばかりではない。不安な者は引き続きシーカーでの避難を勧める。幸い、あそこには避難用の物資を搬入してあっただろう?」
「はい。割り振りも事前に終わっています。誘導、案内は生徒会役員はもちろん、各クラスリーダーもできます。クラスリーダーは『使える』生徒にも話を通しているので、動けるはずです。従者や護衛、騎士といった方々も手順は分かっていますね」
シウの説明を聞き、ヴィンセントは満足そうに頷いた。
「数人程度なら引き抜いても問題ないな?」
「はい。連絡して呼び寄せます。ちょうど、僕のパーティーメンバーをシーカーに送ったところです。彼等に運んでもらいましょう」
「もう向かったか。素早いものだ。大きい女と細い男だったな。念のため白い布を付けさせておけ。ダグリス、お前の手の者を迎えにやれ」
手が足りないと話していた通り、ダグリスは近衛騎士なのに執務室の端で仕事を手伝っていた。彼は急いで廊下に立つ部下を呼んだ。シウが王城へ呼ばれた時に王族専用の発着場を使ったように、同じ内容の指示を出している。
今、本当の意味で護衛に徹しているのは近衛騎士のベルナルドだけだ。彼はヴィンセントの専任として、護衛以外の仕事はやっていない。楽に思えるが逆で、たった一人というプレッシャーのせいか長時間働いているせいか、随分疲れた様子だった。
シウは少し考え「短時間だけ交代しましょうか?」と提案した。
もちろん、席を外しての休憩を促すつもりはない。執務室の端で力を抜いて座るだけでも違うはずだ。
ベルナルドはシウの提案を即断ったが、ヴィンセントの「先に休め」という命令で休憩を取った。端に寄せられた長椅子に体を沈めると、自分でも疲れているのが分かったようだ。素直に体を休める。
「ポーションで体力や魔力は戻りますが、精神的な疲れは蓄積しますから」
「精神魔法を使えばそれも吹き飛ぶと聞くがな」
ヴィンセントも立ち上がって体を伸ばす動作を始めた。
「一時的なものです。そういうポーションもありますけど、人間の脳ってそこまで器用じゃないですよ」
錯覚を起こす場合もある。それほど痛くなかったのに出血した部位を見て強い痛みを覚えたり、熱があるような気がしているうちに本当に熱を出したりと、自分自身に暗示を掛けてしまう。
疲れが解消されたはずなのに、その疲れの原因が目の前にあると薬も効かない。
反対に「休んだ」という事実は体だけでなく心も楽にする。
「そうか。では交代で休むか。シウという手伝いもいることだ」
「はあ」
「そのあたりの書類はお前が見ても問題ない。ジュストの代わりをやれ。ああ、先に人選をしておけよ」
「はいはい」
人使いの荒い王子様に適当な返事をすると、シウは通信魔法を使って各所に連絡を始めた。
シウが真っ先に選んだのはプルウィアとクレールだ。二人の真面目な部分や事務能力の高さは誰もが認めるところだろう。
更に、エドガールとクラリーサにも依頼する。エドガールは調整が上手い。柔らかい物腰で人と人の間を取り持てる。以前、問題児だったシルトともいつの間にか親しくなっていた。シルトが不得意だった勉強も見てやり、今では仲の良い友人同士だ。シルトもエドガールには感謝しており、彼のためなら率先して力を貸すだろう。
クラリーサもクラスリーダーとしての経験と、こうした事態でもしっかり立っていられる強さがある。精神魔法のレベルも高い。事務能力があるのはもちろん、彼女とエドガールはラトリシアの貴族としても立ち回れるはずだ。
エルフのプルウィアと、他国の貴族であるクレールをフォローするのにも良い人選だと思う。
シウは各自に連絡を入れると、ククールスに後を頼んだ。順番に送り届けてもらう。
今回は四人を選んだが、もちろん他にも適任者はいる。たとえばミルシュカだ。では何故選ばなかったかと言えば、彼女が生徒会長だからだ。生徒会役員を率いる役目がある。それにヴィンセントと働くには性格的な問題でミルシュカの心臓が持たない。
そうした諸々の理由で四人だけをピックアップした。
書類を捌きながら情報をまとめ、更には地図も作る。地図には魔獣の分布、流れを書き込んだ。更に王城の様子もだ。最初に誰がどういう形で入り込み、騎獣はどのように散らばったのか。チコ=フェルマーやベニグドの侵入経路も書き込んだ。
「こうしてみると、ベニグドは本当に堂々と入ってきてますね」
「他の貴族と一緒だったようだな」
「……彼は一番高い塔から眺めるつもりだったのかも」
「そう言えば、奴は『他人が右往左往をするのを眺めるのが好き』な性格だったな?」
「はい」
シウは長い定規を使って線を引いた。
「ベニグドの持ち物検査はしましたか?」
「攻撃用魔道具の類いは持っていなかった。魔力の補助具や魔法攻撃を防ぐ指輪程度は身に着けていたようだが」
「ヴィンセント殿下、大河にいた魔獣は最初、この方向を目指していました」
指を差して示す。
「ここに一番高い塔がありますね」
肩を回していたヴィンセントが動きを止める。椅子にもたれて休んでいたジュストもだ。
「魔獣スタンピード状態になっているから、魔獣は王城を目指しているのだと思っていました。王城には多くの餌が集まっていますし」
「餌っ?」
誰かの声が執務室に響く。が、その後が続かない。シンと静まった。
「皆の協力もあって決戦場に追い込めたから魔獣を倒せました。けれど、最初はなかなか追い込めなかった。良い餌となる騎獣が目の前にいるのに、です」
その理由が分かった。
「ベニグドは大河に魔獣を呼び込んだだけでなく、王城にも呼び込もうとしたのではないでしょうか」
「……例の『魔獣の暴走実験』を王城で発生させたのか?」
「かもしれません。冒険者たちに実験させていた事件の首謀者は結局捕まっていませんよね」
「ああ」
「僕は今でもベニグドが関係していると思っています。そして何かが起こると予測していた。それなのに今回の件は予想を超えていた。『まさかそんなことをするはずがない』との思い込みが視野狭窄に陥らせたんです」
気持ちが滅入るのを振り払うかのように頭を振る。
「暴走実験に加担した奴等はどれほど危険なのかを理解していなかったけれど、冷静に考えれば自分自身が餌になったかもしれないと気付けたはずです。でも彼等は『大したことにはならない、自分は大丈夫だ』と思い込んだ。正常化の偏見です」
ベニグドはそれを利用したのではないか。
彼を捕まえた時、身に着けていた魔道具に脅威はなかったという。魔法使いたちが大勢で調べているし、周辺も調査しただろう。一流の宮廷魔術師が見逃すとも思えない。
しかし、本当にベニグドは
王城を目指す魔獣たちを思い浮かべながら、シウは大きく息を吐いた。
「……最悪の予想で考えてみました。『まさか、自分を餌に魔獣を呼び寄せるはずがない』と」
ヴィンセントが「ああ、くそっ」と呻いて頭を抱える。
ベニグドには自分が助かるという勝算があるのかもしれない。シウの考えが間違っている可能性もある。ただ、彼はギリギリのラインを歩くことに喜びを感じる性質だ。
自分の体を使ってまで楽しもうとしているのではないか、そう考えた。
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