452 障害物レース決勝戦




 シウの注意を受けて、アントレーネは落ち着いた。ふーふーと大きく息を吐いている。真似するかのようにブランカも「ぶふー」と変な鳴き方だ。今日は彼女の方が落ち着いていた。

 フェレスはいつも通り。レースに参加するのを遊びだと思っているから、とても楽しそうだった。

「頑張ろうね、フェレス」

「にゃ!」

「ブランカも全力で頑張るんだよ。レーネの言うことをよく聞いて、最後まで走ろう」

「ぎゃぅ!」

 賢く返事をするふたりに笑顔を向けていると、アントレーネがそわそわとシウを見る。首を傾げると、彼女はシウの肩を掴んだ。

「シウ様、あたし、あたしにはっ?」

「……ええと、そうだね。うん。冷静に頑張ろう。そうだ、僕に勝つつもりでね」

「シウ様に? それは無理だ」

「何故? まさか手を抜く気じゃないよね?」

「いや、あたしはそんなことはしない。だけど、シウ様は強いから」

「レーネ?」

 シウは体の向きを変え、アントレーネの目を見た。下から睨み付けるみたいになったが、それぐらいでちょうどいい。彼女は少し怯んだ様子でシウの言葉を待った。

「そんな考えでは誰にも勝てない」

「……っ!」

「やるからには『勝つ』という気持ちで挑まないと、勝てるものも勝てないよ」

 アントレーネはハッとした顔でシウを見下ろした。

 その手が震えている。

「勝てない相手と戦わなければならない時、最初から諦めてしまうの?」

「あ、あたしは」

「レーネはそんな人じゃないよね? 僕は何も、死んでまで戦えと言ってるんじゃない。勝つにはいろいろある。生きていることが『勝つ』になる場合もある。レーネはそうやって勝ってきた。そうだよね?」

「ああ、そうだ、そうだったよ」

「ここは戦地じゃない。だからって、手を抜いていい場所でもない」

「シウ様……。そうだね、あたしが間違ってた。そうさ、何を弱気になってたんだか。あたしらしくもない。ブランカに偉そうなこと言っておいて、なんてざまだ」

 そう言うと震えていた手をギュッと握り、自分の頬を勢い良く叩いた。

 そのせいで周囲にいた騎士や聖獣たちがビクリと体を震わせる。シウは慌てて頭を下げた。レース前のナーバスな状態の時に驚かせてはいけない。

 幸い、彼等はまた集中に入った。騎手はコースの再確認に夢中だ。シウはホッとして、視線だけでアントレーネに注意した。彼女はしゅんとなって、尻尾もだらんと垂れたのだった。


 コースを覚えるために与えられた時間は、他の騎手たちには短かったようだ。係員が誘導を始めると慌てている。シウたちは、特にフェレスは「まだかなー」と待ちくたびれていた。

 それも終わり、ようやくスタート地点に立つ。ブランカはこれまでのレースと違って逸ることなく静かに闘志を燃やしているようだ。アントレーネの合図を冷静に待っている。

 やがて、スタートの合図が鳴った。

 一斉に聖獣や騎獣たちが走り始める。団子状態のスタートをいち早く抜け出したのは、聖獣たちだ。体格の良さでコースを塞ぎながらの出走である。これも彼等の戦略だ。

 しかし、そこにブランカは平然と突っ込んでいく。獅子型のレーヴェが多く、中には更に大型のモノケロースやスレイプニルもいるが、臆さずに真っ直ぐぶつかっていく姿は格好良い。シウは後ろから感慨深く眺めた。

 そのシウとフェレスは小さいもの同士、各走者たちの間を縫う作戦だからゆっくり発進を選んだ。

 フェレスはシウの作戦に従い、後ろから獲物を追う心地で挑んでいるようだった。

「ほら、後ろから追い立てるのも楽しいでしょ」

「にゃっ!」

 素直なフェレスは「うん!」と喜んで、この作戦を楽しんでいる。

 目の前では団子状態の聖獣たちと、めり込むように進むブランカが見えた。まるでブランカが道を作ってくれてるようなものだが、それを言うと可哀想なので黙っておく。彼女たちには彼女たちの作戦があるのだ。

 シウとフェレスは、勝つために精一杯の力を込めるだけ。

「フェレス、全部まとめて抜く時が一番楽しいって言ってたよね? それまでもうちょっとだ、我慢しよう」

「にゃにゃっ!」

「みんな、ブランカを気にしてるよ。石を弾いても平気で突っ込んでいくからね。きっとすごい顔してるんだよ」

 想像したら面白く、シウは笑った。フェレスも同じように思ったらしい。にゃふっ、と変な鳴き声だ。

 彼はリラックスしている。十分に力を溜め込んでいた。いける。シウは前を行く走者たちの隙間を幾つも見付けながら、ここだ、という場所で声を上げた。

「フェレス、岩場の右側ギリギリを抜けるんだ!」

「にゃっ」

「よし、次は川だ。大丈夫、練習したから行ける」

「にゃーっ!!」

 深さのある川を、フェレスはものともせずに飛び込んで進んだ。昨年は足場を選んだり、浅瀬を遠回りするなどの方法を採った。その分、他で時間を稼いだ。が、今回は違う。他の走者たちと同じく、真正面から挑んだ。

 ざぶざぶと、シウごと浸かる勢いで進んでいく。フェレスは川の流れを的確に察知して縫うように歩いた。

 遠回りしてスピードを上げた方が体力的には良かったのかもしれない。けれど、フェレスは川登りをずっと訓練していた。水の中を何度も潜り抜け、彼は川の流れにも道があることを知った。

 川に飛び込む前、シウはフェレスにこう言った。

「僕のことは気にしないでいい。絶対に落ちない。息もできる。だから、フェレスはフェレスが行けると思った道を進めばいい」

 フェレスはシウの言葉の意味を正確に受け止め、実行した。

 川から上がると、近道を避けた騎獣や聖獣たちを何頭も追い越していたことが分かった。

「フェレス、抜いたよ!」

「にゃん!」

「次の泥沼までに体力を回復させよう。崖登りは楽な方を選ぶからね」

 崖の方はコースを選べば、それほど時間に違いはない。無理して疲れる最短を選ばなくてもいいのだ。

 フェレスはシウの言った通りの足場を選んで進んでいった。崖を登り切ると、少しだけ木々の間を進む。こういう場所はフェレスの独擅場だ。疲れなど一切見せずに、ひょいひょいとすり抜けていった。

 そして、聖獣と騎獣、人間さえも嫌がる泥沼コーナーに着いた。

 フェレスが目を輝かせる場所だ。

「早く渡れたら、あとでピカピカに丸めた大型の泥団子を作ってあげるよ」

 今回はこれで乗り切ろう。はたして、フェレスは大層喜んだ。前に作った時も宝物にしていたぐらいだ。大きな泥団子と聞いてときめかないはずがない。

 いつもなら深みにはまって楽しむフェレスだが、その逆の足場を瞬時に見付けて走り抜けた。

 砂場コーナーでも、丸太渡りやトンネル潜りでも、彼は風のようだった。


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