426 女王様を泣かせた男、恋の病




 シウは立ち上がり、俯くプルウィアの傍らに立った。そうっと頭に触れる。彼女が小さく呟いた。

「怖くて、だから知ろうとしていたのにね。実際に学び始めたら、すっかり忘れてた。学校は楽しくて王都の暮らしは面白かった。友達もできたわ。だから忘れた。でも、そうね。考えたくなくて忘れたんだわ。逃げたのよ。里からも、真実を知ろうとすることからも」

 まだ俯いたままのプルウィアの頭を、シウはそっと撫でた。彼女は何も言わなかった。

「それは逃げたんじゃないよ。怖くて目を瞑ってしまっただけで」

 プルウィアが少し顔を上げ、それでもシウとは視線を合わせず首を少し横に振った。だから、もう一度撫でた。

 すると「ふふっ」と泣き笑いのような声でシウに抱き着いてきた。ちょうどお腹のところに顔を埋めてくる。まるでフェレスの突撃のようだ。

 いや、違う。

 これは泣くのを堪えようとして無理していた小さなリュカや、ロトスと同じ。彼等も悲しみを飲み込もうとした。乗り越えようと必死になって。

 プルウィアもまた、堪えようとしている。

「泣いていいんだよ。無理しないで。それと、逃げるのは悪いことじゃない」

「……シウったら」

 やっぱり泣き笑いのような、くぐもった声で言う。けれど、声は続かなかった。お腹にじわっとした湿りを感じる。

 シウはそうっと彼女を抱き締めた。


 落ち着くと、プルウィアは恥ずかしそうに目元を染めて笑った。

「やだな、もう」

「僕が急にこんな話を持ってきたからだね。ごめんね?」

「ううん。それより、その、ありがとう」

 シウが首を傾げると、彼女は吹き出した。

「もう! シウったら。……あのね、これ、わたしが研究してもいい?」

「それはもちろん。研究費も出すよ」

「いいえ。それは要らない」

「でも、僕の依頼でもある」

「ダメよ。だって、これはわたしが知りたかったことでもあるもの。それに、学校に論文を出さないかもしれないわ。里のために、自分のために調べたいの」

「……だったら、尚更ある程度の研究費はもらってほしいな。僕もその答えを知りたいから」

 プルウィアはシウの目を見て、ふうっと溜息を漏らした。てこでも動かないぞというシウの気持ちを理解したらしい。彼女は小さく頷くと、おずおずと口を開いた。

「どうしてか、聞いてもいい?」

 聞いてはならぬと、シウを見て思ったのだろう。シウは彼女の想像通りの答えを返した。

「本当の理由は言えないんだ。でも、そうだね。知り合いにエルフが何人かいる。彼等のために、でもあるかな。その中でプルウィアが一番研究に向いてると思ったんだ。ほら、ククールスは本を読むなんて真っ平御免って性格だし」

「本当ね、彼には無理だわ。ふふっ」

 プルウィアは泣き笑いの顔を、今度ははっきりとシウに見せた。

 それから手を伸ばして、シウのお腹に手を回して揺さぶるように抱き着いてきたのだった。


 この時は二人きりだったので誰にも見られていなかったのだが、何故か翌日から「生徒会の女王様を泣かせた男」としてシウの噂が回っていたらしい。

 確かにプルウィアの顔には泣いた跡があったし、二人きりで部屋から出てきたのを生徒会メンバーは見ていた。

 けれどプルウィアが上手く説明するだろうとシウは思っていたのだ。

 ともあれ、泣かせたのは本当なので甘んじて受け入れることにした。




 ちなみに、噂について教えてくれたのはエドガールだ。

 戦術戦士科の授業が始まる前に、体育館の隅に呼び出された。

「シウ、君が女王様を泣かせたって噂が出回っているんだが本当かい?」

「えええ?」

 という具合で、次々に人が集まり興味津々に質問されてしまった。

 結局、里心がつくような話題を振ってしまった、と適度に誤魔化した。当たらずといえども遠からずだとシウは思っている。


 ところで戦術戦士科ではスヴェルダも参加して今や大人数だ。体育館も広い部屋になっている。

 そして、なんと女子生徒の見学者がチラホラと増えていた。彼女たちは、以前の男子生徒と違って興味本位で覗きに来ているわけではない。護身用に学びたいと思いつつ、以前は「戦術戦士」という名称のため近寄りがたかったようなのだ。けれど、今はクラリーサにカルロッテという高位の女性がいる。ならば自分たちにも可能ではないか、そう思ったらしかった。

 とはいっても、教師が熱血男のレイナルドである。シウが《感覚転移》で見学者の様子を視ていると、時折「ひっ」と怯んだ声を上げて目を逸らしていた。練習風景が彼女らの想像を超えていたのだろう。

 少しは女性の見学者への忖度があってもいいように思うが、レイナルドは態度を変えない。ある意味、芯の強い人なのだ。

 気を遣ったのはクラリーサとカルロッテだった。

 二人は休憩の合間に見学者へ声を掛けてはフォローしていた。

 二度目からはシウも呼ばれて連れていかれた。可愛らしいジルヴァーが目当てだろう。そう思うが「男性として見てもらってないのでは?」と少し考えてしまうシウだった。



 新魔術式開発研究科の教室には、昼ご飯を一緒に摂った流れでスヴェルダと共に向かった。

 教室ではオリヴェルが待っていた。

「今日は二人一緒だったんだね」

「戦術戦士科を受けた後、食堂に行ったんだよ」

「わたしも行ってみようかな」

「いいね。今度一緒に行こう」

 王子様二人が楽しそうに話し合っているが、どうやら食堂にあるサロンの方ではなく一般席へ行くつもりだ。実際スヴェルダはそちらでシウたちと共に食事を摂った。

 シウはそっとオリヴェルの背後に視線を向けた。従者が困惑顔でゆるく首を振っている。口を開きかけているのでダメだと言いたいのだろう。シウは先回りした。

「いいですね。カルロッテ様もいますので、学校の様子を聞かれてはどうでしょう」

 ならば、情報を得るという意味でなら構わないのではないか。シウはそう思ったのだが、従者は「ああ……」と天井に視線を向けて何かを諦めたように力を抜いている。

 彼が何を考えているのかはともかく、オリヴェルはシウの提案に対して素直に頷いた。

「それはいいね。せっかく他国の王族が滞在されているのだから、授業についてどう思われているのか聞いてみたかったんだ。シウが仲立ちしてくれるのなら、これほど心強いことはないよ」

「あ、うん」

 仲立ちとはまた大仰な物言いだが、相手は未婚の王女だ。あまり馴れ馴れしく近付くわけにもいかなかったのだろう。ましてやカルロッテは、社交界にほとんど出ない。話をする機会も少ないようだ。

 先日の、シュヴィークザーム主催の手作り菓子披露会で会話したのが珍しいぐらいだった。

 彼等三人は各国の王族として、もう少し親交を深めてもいい。それこそ「せっかく」なのだから。

「金の日は毎回ご一緒しているんだ。どうかな?」

「それはいいね。調整するよ」

「オリヴェルと一緒だと俺も気が楽だな」

「そうなのかい?」

「さすがに皆の目があるから王女殿下には話し掛けづらいよ。授業でも挨拶程度でね」

 あとは、カルロッテに騎士よろしく付き従うアルゲオがいるせいでもある。彼は生徒として授業を受けているため、常にカルロッテと近い場所を陣取っているのだ。誰も近付くな、とは言っていないが、気さくに話し掛けられる雰囲気ではない。

 かといって悪い空気でもなかった。男性陣にはアルゲオの必死さが微笑ましく、見守っている状況だ。もちろん、行き過ぎではないかと思えば、その一歩手前でさりげなく間に入っている。そうした間合いの取り方はエドガールが上手かった。

 またカルロッテについても、クラリーサが「女性同士での方法をお教えします」と連れていくため、ストレスにはなっていないようだ。

 アルゲオもさすがにシウや周囲からどう見られているかは気付いているし、カルロッテにも嫌われたくない。ましてや彼は根が善人であり、紳士だ。過剰すぎるアピールは控えている。

 控えてはいても、一途に片思いしている必死の様子の男子がいれば、他の男子は話し掛けづらい。

 特にスヴェルダは王子でもあるため、カルロッテの相手としては「有り得る」。

 アルゲオが警戒するのも分かるし、警戒されているとスヴェルダも気付いていた。

「恋の病だねえ」

 シウが何気なく呟くと、スヴェルダとオリヴェルが同時に振り返り、あからさまに驚いた様子で笑い出したのだった。


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