424 叱られる教授と保冷剤
風薫る月になり学校が始まった。
そのタイミングでシウは、ヴァルネリから借りた本を返した。屋敷へ持参すれば捕まる可能性があるからだ。学校の方がまだ安全である。
「とても勉強になりました」
「えー、本当に?」
本について「眉唾物だ」と言っていたヴァルネリなので、シウを胡散臭そうに見る。ここで昨日の実験結果を踏まえたシウの考えを披露してもいいのだが、レオンに注意されたこともあって思案した。
結局、シウは曖昧な答えを選んだ。
「時代考証が突き詰められていないのは確かです。でも当時の参考図書が失われていたのも事実ですし、推論が入ってしまうのも研究者なら仕方ないでしょう?」
「そうだね。しかし、だからといって、これが正しいと断定するのは愚か者のすることだ」
「答えは一つではないし、別の答えがあるかもしれない、ですよね」
「うん」
「だから、僕はこの人の推論、想像力の先を評価してみました」
「うん、それで?」
ヴァルネリが身を乗り出した。服装が乱れているし髪もボサボサだ。もしかして、休日に学校へ出てきて研究したまま教授室に泊まったのだろうか。秘書たちがせっせと世話を焼いている。
「器の話は大変興味深く、魔力を集めるというのも有り得ます。だって人族だって寝ていれば魔力が元に戻るでしょう? それは体が魔力を集めているからだ」
「うんうん」
「魔力溜まりについても納得いきます。何故なら森には魔力溜まりができやすい。特に切り開かれていない鬱蒼とした森には多いんです。それは僕の生まれ育った森でも確認しているので間違いありません。そして、エルフが住むのは森の奥です」
「なるほど!」
ヴァルネリの目がキラキラと輝きだした。興味を持つ一歩手前である。シウは、にこりと笑った。
「面白そうなので研究しようと思いましたが、これは人族の僕には分不相応です。もちろんヴァルネリ先生にも」
「えーっ!」
「代わりに、エルフ族の友人にお願いしようかと思ってます。もちろん引き受けてくれたら、ですけど」
「ああ、そういうことね。いいんじゃない? 僕も気になった研究材料を人に任せてるからね!」
あっけらかんと了承してくれたが、彼のその台詞に周囲の人々が動きを止めた。そのうちの二人、秘書兼従者のラステアとマリエルがヴァルネリを睨む。
「ヴァルネリ様。そうして割り振った仕事がどれほど皆を圧迫しているかご存じですか?」
「えー、あはは」
「笑って誤魔化さないでください」
「そうですよ、ヴァルネリ様。先日も研究生から苦情が来ましたけれど、我々に内緒で実験の依頼は止めてほしいとあれほど頼んではありませんか」
「あなた様の思考を止めようなどとは思っておりません。せめて把握したいと申し上げているのです」
「だって」
「だって、ではありません!」
ピシャリと叱って、ヴァルネリを黙らせた。この二人は強い。上司であるヴァルネリに一歩も引かないからだ。しかも彼等はヴァルネリの考え自体は妨げないのだ。研究したいのならしていいですよ、と最大限のフォローを行っている。ただただ、ヴァルネリが何も考えずに周囲へ迷惑を掛けるのを阻止したいだけだ。
最近だと生徒のアロンドラに自分の研究の助手をさせようとちょっかいを掛けている。それについての苦情をヴァルネリの兄に伝えたため、二人の秘書には伝わっているはずだ。案の定、彼等はちょうどいいとばかりに口にした。
「忘れていらっしゃるかもしれませんので再度申し上げますが、アロンドラ嬢への過剰な声かけも止めてくださいね?」
「えー」
「兄上様にまた叱られますよ!」
「……でもあの子、僕の勧めた本を全部読んできたし。頭の固いところがあるけど、感想文を読んだら真面目に実験してたのも分かるし。ああいう子は助手向きなんだってば」
「ですから! それならばそれで、然るべき順序で依頼しなくてはなりません。馴れ馴れしく個々に頼むものではないのです」
「面倒だよ」
「ヴァルネリ様。兄上様が『今度問題を起こしたら研究費を削減する』と仰ってましたね?」
ヴァルネリが今初めて聞きました、といった顔で目を見開く。
「ちゃんとお話を聞いておられなかったのですか?」
口があわあわと震えるヴァルネリに、秘書二人は呆れた顔だ。でも、やっぱり、というような様子でもあった。
シウは黙って聞いていたが、ふとあることに気付いた。
ヴァルネリは立派な大人なのに、兄が財産の管理をしているらしい。大抵は家令が管理し、最終的に主が確認や判断を行うものだ。彼はそれすらさせてもらってないような雰囲気だった。もっとも、ヴァルネリにお金の管理ができるとも思えないが。
シウが失礼なことを考えていると、はたして。
「以前の件をお忘れですか? 勝手に高価な本を買い集めて収入全てを注ぎ込んだこと。研究費を持ち逃げされたこともございましたね。それに――」
「分かった分かった! お前たちの言う通りにするよ!」
ヴァルネリはぶすっとした顔で手を振り、ラステアの話を打ち切った。
シウは想像通りの彼の過去に苦笑するしかない。
「……シウ、君、笑ってるけどね? 君だって僕と同じ側なんだからね!」
「えっ」
それは違う。シウは慌てて頭を振って否定し、それからラステアとマリエルを見た。
「ヴァルネリ様。シウ殿はあなた様と違って財産家でいらっしゃいます。本を大量購入しても構わないんです」
「そうですよ。それに騙される方ではございません。研究もご自身でなさいますでしょ。不要な分については先ほどのように、他の方に頼めるだけの人脈もございます。いくら、研究好き仲間だとお思いでも、性格は違いますよ」
シウは首を傾げた。
これは助けてもらったのだろうか。分からないけれど、性格が違うと言われたのだから良しとしよう。そう思って、二人に頭を下げた。
それから、忘れないうちにヴァルネリではなくラステアにお礼の品を渡す。
「王都で流行っているグミの詰め合わせです。シュヴィークザーム、聖獣の王ポエニクス様も美味しいと喜んでいた品です」
「それはそれは。大変素晴らしいものを頂きました。ありがとうございます」
「僕の手作りのケーキもありますので、よろしければ皆さんでどうぞ。サクランボのゼリーケーキです。中に保冷剤を入れてますが暑い時期ですので早めにお召し上がりくださいね」
「まあ! ありがとうございます」
「僕も、僕も食べたい!」
「ヴァルネリ様ったら……。もちろんお出ししますよ」
子供みたいなヴァルネリに呆れながらも、マリエルの表情は微笑んでいる。こんな上司でも憎めないというか、むしろ好きなのだろう。なんだかんだでフォローしているのだから。
秘書二人だけでなく周囲の人もシウに散々お礼を言って、見送ってくれた。
ちなみに保冷剤は最近になってシュタイバーン国の、主に王都ロワルで流行りだしたものだ。
元々保冷に関する容れ物は存在していた。魔道具による冷蔵庫である。飲食店ならば業務用の大きなものを、中流家庭でようやく小さめのものが置けるぐらいの値段だから一般的ではない。そこで登場したのが保冷剤だ。
シウがリグドールに何気なく話した内容がきっかけで、彼の父ルオニールが開発した。
外側は真空パックに使っていた素材を改良したものだ。中身もスライム製である。凍りやすく溶けにくい配合を考えるのに苦労したらしいが、何度も冷やせるという利点があって人気らしい。
ルオニールが開発したのは、彼の経営する高級喫茶ステルラのケーキをお土産として売り出したいからだった。これまでもパウンドケーキなどは可能だったが、生菓子は夏場の移動が難しい。
試行錯誤を繰り返して、ようやく完成したと聞き、特許も取ったと連絡があったので情報を取り寄せたのだ。ルオニールは使用料を低く設定しており、しかも個人で使う分には情報料一回のみでいいと申請していた。それすら低い金額だった。彼はシウの真似をしたそうだ。リグドールから聞いて、シウは嬉しいような恥ずかしい気持ちになったものである。
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