375 養育院と保育園
光の日は用事があったため、朝のうちに《転移》で戻った。ロトスも一緒だ。
バルバルスは一人で過ごすことになる。イグもいるが、彼にとっては一人のようなものだ。トカゲ――本性は古代竜――が生活の助けになるとは思えない。
もちろん一通りのことは教えている。食材もあるし、調理の仕方ももう分かっているはずだ。
これから彼は、一人で勉強と訓練を続け、時にイグの威圧を浴びて修行する。イグの結界内なら安全だ。
バルバルスは今後も一人で訓練を続ける。元々そうした約束だった。時折、彼の訓練を手伝うが、あとは自分の力で頑張るしかない。
その覚悟はもうバルバルスの中にあった。
ロトスを連れ戻したのには訳がある。養育院の老獣たちを慰めるための方法を思いついたからだ。それにロトスも久しぶりに顔を合わせたいと言っていた。
養育院に一時的に預けていた元野良騎獣たちも、ようやく出ていくことになった。
出来上がった騎獣屋に完全に移ったのだ。当然、騒がしかった養育院は静かになってしまった。
うるさかろうと思っていた野良騎獣たちだが、老獣にとっては楽しい一時だったようだ。彼等は若かりし頃を思い出して懐かしんでいた。闊達に動き回る若い騎獣らを眺めるのが殊の外楽しかった。
それを知ったシウは、彼等の楽しみを奪ってしまい、何かできることはないかと考えていた。
ロトスが定期的に通うことは彼自身の発案でもあった。その他にも何かあるのではと皆で考えを出し合った。
養育院の院長ネイサンや、古株となった従業員のピットたちとも話し合い、決まったのは保育園併設というものだ。
今日はその始まりの日である。
養育院に行くと、ネイサンだけでなく従業員全員が入り口に集まっていた。
「みんな出てきていいんですか?」
シウが聞くと、ネイサンが笑顔で頷いた。
「ご近所の女性方が様子を見てくれてますから」
「いつも有り難いですね」
本当です。そう言ってネイサンは指で縦一本を描く。神に感謝するという意味だ。ご近所の奥様たちは、それぞれが無理のないように短時間ずつボランティアとして来てくれる。その代わりというわけではないが、神官でもあるネイサンが小さな相談に乗ることもあるそうだ。ちょっとしたトラブルも神官が話を聞くことで解決することもあり、ピットら元冒険者の厳つい男たちが見回ることで治安も良いらしい。
「そろそろ、来られるはずですが……。ああ、見えましたね」
ネイサンがにこにこと通りの向こうに視線を向けた。
わいわいと賑やかな声だ。
やって来たのは養護施設の少年少女たちだった。更に、三十代の女性が数名。
「今日からよろしくお願いします!」
入り口で並んで待っていたピットたちに向かって、やって来た人々が挨拶する。彼等は今日から保育園で働く。
ラトリシア国、特にルシエラ王都などの北に位置する人々の慣習として、女性は結婚すると家庭に入ることが多い。
そのため、外に出て働く女性が少ない。未婚の女性が行儀見習という名目、あるいは寡婦となった者が働きに出る。
もっとも、夫の収入だけではやっていけない家庭も多く、その場合は内職という形で家で作業をするそうだ。
商家などの場合、親族が集まって一緒に内職という名の仕事をする者も多い。
そうなると幼い子供を見ていられなくなる。大きな子たちに任せてばかりもいられない。なんとかやりくりして小さな子を持ち回りで面倒を見ていたいようだ。学校はあるが、小さな子は通えないというのも理由の一つだ。
そんな話を聞いていたシウは、保育園を思いついた。
ネイサンもご近所の奥様方からの愚痴を聞いていたこともあり、やってみることにしたのだ。
職員として雇うのは、就職先に困るという三十代以上の寡婦の女性にした。
外で女性が働くことに忌避感を持つ年寄り世代も多く、働き口が少ないと、これもネイサンへの相談事の一つである。
手伝いには養護施設の少年少女だ。冒険者ギルドなどで見習いとして会員になる者もいるが、ルシエラ王都は低ランクの依頼が他国と比べて難しい。大体一~二級の差がある。では十級ランクの仕事をと思うが、簡単な仕事は奴隷にさせるお国柄なのだった。
そのため、見習いのできる仕事が少ない。
将来の独り立ち資金を貯めたい養護施設の子供たちは、アルバイト先に困っていた。
そんな彼等に、学校が終わってから、あるいは授業のない日に交代で手伝いに入ってもらうことにした。
給料は養育院から出す。
養育院の運営はネイサンに任せているが、オーナーはシウだ。シウの資金も投入しているが、最近は寄付金で十分に賄われていた。
なにしろ騎獣たちは貴族にしか与えられない。貴族は年老いた騎獣の世話に困っていた。養育院に預けて世話に必要な資金を渡すだけというのは、外聞が悪い。よって、通常必要な資金以外にも寄付金をいただいているというわけだ。
これでピットら職員の給料が賄われている。
更に、老獣たちの精神安定にと考えた保育園の運営に必要なものも、流用しようと考えた。
貴族からいただいたものは寄付金で、出資金ではなかったから流用に関しては問題なかった。養育院の運営自体は神殿と同じ扱いだから、オーナーのシウがOKしさえすれば流用についても問題ない。
問題があるとすれば預ける側の気持ちだが――。
「子供たち、とっても楽しみにしていたんです」
「騎獣と一緒に過ごせるなんて本当に夢のようだわ」
職員同士の挨拶も終わり、準備万端で待ち受けていると、小さな子を連れた親たちが来た。いつも養育院の台所を見てくれる近所の奥様方が、知り合いに声を掛けていたのだ。小さな子供がいるなら預けられるよ、と。
親が子供を預けるのに必要なお金は、食事代のみ。
今日を楽しみに待っていた人が子供を置いていくが、隣り合うスペースにのんびり横たわる老獣を見ては嬉しそうに笑う。
「わあ、大きい。それに賢そうなお顔。今日は仕事を早めに終わらせて、あたしも一緒に触らせてもらいたいなぁ」
「ほんと。あ、でも、みんなでベタベタ触ったら嫌がらないかしら」
「そうよ。近所の白猫ちゃん、シャーって鳴いて怒るのよ」
「それは尻尾を掴んだからじゃない? マリカちゃん、あちこち握るもの」
などと、きゃいきゃい騒いで、若いお母さんたちは帰っていった。
置いていかれた子供たちだが、彼等は泣かなかった。
大きな騎獣を前にぽかんとしている。それに養護施設のお兄ちゃんお姉ちゃんたちが気遣いながら構ってくれる。養護施設の少年少女は小さな子の扱いには慣れていた。母親がいなくなって泣きかけた子も、あっという間にあやしてしまったほどだ。
そして、老獣たちはと言えば。
「がうがう」
「ひひーん」
穏やかな表情で子供たちを見ていた。小さな子だけではない。一生懸命働く少年少女に対しても、だ。
頑張って働いている姿を眩しそうに、また頼もしく見ている。
老獣たちは、ここに一時預けられていた元野良騎獣たちよりもずっと人間と一緒に暮らし、そのルールを守ってきた。
彼等が幼い子を害することはない。もし、あるとすれば、それは動かない体で転んだ場合だ。
その対策もしている。そのための少年少女たちだった。幼子の健康管理など、様子を見るのは子供を育てた経験者の方々に任せるが、何かあった時に咄嗟に抱えあげるには若い子供の方が向いている。
老獣の移動の際には職員がつきっきりなので子供を近寄らせはしないが、万が一もある。そうした「もしも」を想定して、足りない職員を補う意味もあって養護施設の子らに任せることにした。
幼子一人に最低でも一人、多くて二人を付ける。
老獣もまた、無理をして一頭で立ち上がることをしないよう事前に頼んだ。
彼等は賢いのですぐさま理解した。
賑やかさを嫌うのならば、その騎獣だけ別の部屋に置くことも考えていた。が、全員が昼間は中庭の見える部屋へ移動することを望んだ。
幼子や子供たちの騒がしさを選んだのだ。
泣いたり笑ったり、煩いだろう。けれど、騎獣たちはやっぱり人間が好きなのだった。
ロトスは橋渡し役だ。
戸惑う老獣がいるかもしれない。それを想定して来た。久々に現れたロトスに対して、顔見知りたちは嬉しそうだった。
初めて顔を合わせる老獣もいた。けれど、先住たちに言い含められていたのだろう。長年の経験でロトスが聖獣だと気付いたものもいたようだったが、決して余計なことは言わなかった。
先住たちと同じように「会えて嬉しい」と、尻尾を緩く振っていた。
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