351 良いドラゴンです




 翌日、イグのところへ皆で《転移》した。

 バルバルスにイグのことを「古代竜ドラゴン」だと説明していなかったことを思い出したのは《転移》してからのことだった。

 ロトスも「誤魔化して」説明したらしいが、たぶんトカゲ姿だからだろう。シウも、威圧のすごいトカゲ、でいいと思っていた。

 が、やっぱりダメだったようだとシウは悟った。

「えーと」

 ごめんねと謝りながらバルバルスの背を撫でる。

 彼は恐慌状態に陥ったあと、気絶した。

 そのままだと良くないと思って起こしたが――もちろん《空間壁》で囲んで気配を感じ取れないように配慮した上でリラックス効果のある藍玉花の精油をごく少量漂わせたのだが――ぶるぶる震えて泣き出した。

 何か呟いているので耳をすませば、

「ごめんなさいごめんなさい」

 と謝罪している。

 彼には「強圧魔法」という威圧できるスキルがあった。レベル3で高い。だから、当然威圧には滅法強いと思っていた。

 これはシウの誤算だった。

「あのね、イグは良い古代竜だからね」

「こだっ!?」

 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で、バルバルスはシウを見上げた。四つん這いになって震えていたので、屈んで様子を見ていたシウの方が視線は上だったのだ。人から見上げられることなどあまりないシウである。不思議な気がした。それが涙と鼻水のバルバルスである、というのも理由の一つだろうが。

「ドラゴンのことだよ。大丈夫大丈夫。僕の友達だから。それに今はトカゲ姿に転変してる。もし元の姿だったら、もっと威圧感すごいらしいよ」

 慰めたつもりだったのだが、バルバルスはその後しばらく震えてどうしようもなかった。


 落ち着いたのは一時間ほど経ってからで、バルバルスは悲壮な顔でシウにこう言った。

「これが、罰なのか」

 ロトスがどこからか変な念話を飛ばしていたが、彼もイグのことを本能的に恐れているのですぐに消えた。念話がもし聞こえていたらと思うと怖いらしい。

 アントレーネは赤子たちを遠く離れた場所から徐々に近付けている最中だ。でも何故か、三人とも怖がっていない。フェレスが傍にいるからかもしれないし、赤子で何も分からないからかもしれない。

 ブランカとクロが赤子らを守るように付き添っているのも良かったのだろうか。

 シウはとりあえず、バルバルスにこう返した。

「罰なのは、ここで一人で訓練することね。あとイグには君を守ってくれるよう頼んであるから。その相手に対して、そういうことは言わないように」

「……俺を? ドラゴンが?」

「そうだよ。まあ、いざって時にね。アポストルスぐらい、わけないと思う。洗脳されるほどイグは弱くないし。君がイグに対して良くないことをしない限り、彼は君に対して手を出したりはしないよ」

「そ、そうなのか」

「落ち着いた?」

「……ああ、たぶん」

 じゃあ顔を洗ってと、小川を指差す。バルバルスは子供のように、こくんと頷いて顔を洗った。


 手を繋ぐ? と聞いたシウに、バルバルスはたっぷり悩んだ末にそっと手を出した。

 繋ぐのか。内心で驚いたシウだが、もちろん顔には出さなかった。

 手を引き、イグが日向ぼっこしていた岩の前まで歩いていく。

 イグは慣れっこなので平然としていた。シウたちが立ち止まると、右前足を上げる。

([わしは、イグという。おぬしの名は?])

 多少訛りはあってもゲハイムニスドルフの人々は古代語を理解できる。

 バルバルスはがくがくと頷いてから、小さく答えた。

([偉大なる竜殿。我はバルバルスと申す])

([うむ。まあ、竜、というのは間違っておるが。何、構わぬよ。それより、その言葉はおぬしに合っておらん。普通に話すが良い])

 バルバルスが首を傾げたので、シウが横から説明する。

「イグは念話ができるから、一度チャンネルが繋がると通じるみたい」

([それに、わしもシウと話すようになって現代語とやらに慣れてきたからの])

「ロワイエ語は覚えておくと便利だよ。この大陸共通の言葉だから」

([人間の言葉なぞ、と思うておったがな。意思が通じなければ、おぬしのような者とも出会えなかった])

 シウが微笑むと、イグは突然きっきぃーと鳴いた。バルバルスがビクッと震える。シウはイグを半眼で見た。

「それは何?」

([何やら、むず痒かっただけよ。ふん])

 ロトスからまた何か妙な念話が届いたもののすぐに消えた。

 彼は「デレたんだ」と言っていたような気がする。以前も聞いた気がするが大抵覚えなくていい言葉なので、シウは念話を無視した。

「じゃ、ロワイエ語を覚えるということで、バルバルスが教えてあげて」

「は?」

「代わりにイグが警備システム担当だね」

([む])

「さて、じゃあ、小屋の使い方や生活方法について教えておくよ。僕もそう毎日は来られないから。しっかり覚えるように」

「あ、いや、待て」

 慌てるバルバルスを連れて、小屋の方へと向かった。イグはシウを見て何やら溜息のような鳴き声を漏らしていた。

 彼は念話でシウだけに聞こえるよう、こう言った。

(わしに子守をさせるのだから、相応のものは寄越すのだぞ?)

 シウはこう答えた。

(もちろん。この間、鉱床を見付けてね。掘り出した宝石が良い色なんだよー)

 イグがきっきぃーと嬉しそうに鳴いたのが、返事である。



 小屋では、待っていたロトスと共に中を案内した。個人部屋を一つバルバルス用とする。

 他には大きな客間しかないが、人数が増えるなら都度増設すればいい。

「ここはイグの部屋だから入らないようにね」

「……ドラゴンの部屋?」

「トカゲ姿の時のだよ、もちろん」

(バルが言いたいのはそういうことじゃねえ)

 ロトスが時々茶々を入れるものの案内はすぐ終わった。

「料理や掃除についてはロトスに教えてもらって。あと、基本的な訓練も」

「え、シウ、俺に丸投げ?」

「ごめんね。イグと出かけたいんだ」

「……待て、待て、待てーい。イグと出かける? どこの国を襲うんだ?」

 ロトスの冗談に慣れていないバルバルスがヒクリと喉を鳴らし、引いている。シウは呆れながらロトスを押した。ロトスはされるまま居間の壁にぶつかった。

「こわーい」

「ロトス?」

「へいへい。で、どこへ行くんだよ。デートかよ。イグは雄じゃないのか」

「たぶん雄だと思うけど」

「へい、ジョークに真面目に返すのは野暮ってもんだぜ」

「……君は何ていうのか」

(分かったってば。で、どこ行くんだ? こんな状態のバルっちを置いていくんだ、理由あんだろ?)

 念話で真面目に話すのでシウも真面目に返す。

「竜苔を採取しに行ってくるよ」

「ああ……。なーんだ。おい、バル。シウはな、ドラゴン引き連れてお前らの村のために採取仕事へ行くんだとよ」

「え?」

「野営の時に教えただろーが。お前らの村に不調を訴える奴が多いのは魔素の滞りだって。魔力が圧倒的に足りてない。で、それを補完するためにシウが『竜苔』っていう高価な薬草を譲ったんだ。お前の親も飲んでなかったか?」

「あ……」

「お前も、いつおかしくなるか分かんないんだぜー。シウはそれを無償で施したんだよ」

 バルバルスは初めて知ったというような顔をしてシウを見た。その顔は複雑だ。いろいろ言いたいこともあるのだろう。けれど飲み込んで、小声でぼそぼそと告げた。

「おふくろはずっと苦しんでた。起きられない時もあって、だから、その」

 どう言えばいいのか分からない様子の彼に、ロトスが助け舟を出す。

「そういう時はな。ありがとうございます、って言やあいいんだよ。ほれ、言ってみな」

「……あ、あり、ありが」

 言いづらそうなバルバルスに、シウは手を振って止めた。その気持ちがあれば言葉はいずれついてくる。今はつかえてしまって言えないだけだ。ならば、聞かずともいい。

 シウはロトスがあえて「竜苔は無料でイグからもらった」ことを黙っているのに合わせ、バルバルスに告げた。

「ロトスも村を助けた一員だよ。彼のことを蔑ろにしないように。彼の言うことをよく聞いて、待っていて。竜苔を採取してくるから。それとね」

 シウはジッとバルバルスの目を見つめた。

「情けは人の為ならず。君もまた、誰かに『ありがとう』と言ってもらえるようなことをするといい。いずれ返ってくる。人はね、繋がっているんだよ。竜苔が僕を通して村へ辿り着き、君のお母さんの役に立ったように。いつかどこかで繋がるものだ。僕はそれを何度も経験している」

 悪い行いもまた、繋がってしまう。

 どうか良い行いが繋がるようにと願った。

 しかし最後にロトスが、

「そうそう。だから俺のこと感謝しろよ。んで、言うことを聞け!」

 台無しの発言をするのでシウはズッコケたのだった。

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