347 撫で褒めそやし、そして説得




 夕方、境界線を《転移》で通り抜けた。

 バルバルスはもはや驚くことはなかった。気の抜けた顔でフェレスの上に倒れ込む。

「乗ってるだけでも疲れるよなー」

(わっかるー。俺も超疲れた。シウはマジヤバだな!)

(ロトスを連れてくの、ちょっと早かった?)

 心配になってロトスを見ると、彼は苦笑で首を横に振った。

「いんや。俺も行って良かった。黒の森がどんだけヤバいか、これは見ないとダメなやつだわ。な、フェレス」

「にゃ!」

「バルバルスも行って良かったんだぜ。お前、分かってんのか」

「あ、ああ……」

「さよか。じゃ、さっさと降りてフェレスを解放してやれって。フェレスが一番疲れてんだから」

「あ」

 バルバルスは慌てて留め具を外して降りると、その場にしゃがみかけた足をグッと止めて、フェレスに向いた。

「……ここまで無事に戻ってこれたのは、お前のおかげだ」

「にゃ」

 いいよ、と返事をしたフェレスはシウの前に行儀よく座り込んだ。褒めて、という顔だ。

「よしよし。よくやったね。怖がらずに二人を乗せて冷静に飛び続けて偉かったよ。夜にはぐりぐりマッサージやろうね」

「にゃにゃ!」

 途端にぐねぐねし始めるので、シウはフェレスの顔を撫で回すのを止めた。


 そこから徒歩でブランカたちのところまで移動する。

 ブランカはシウの姿が見えても、結界から出ようとはしなかった。そわそわウロウロしているが待っている。

「ブランカ、お疲れ様。留守番頑張ったね」

「ぎゃぅ!」

「クロもおいで。監視ずっとしてたんだね。偉かったよ」

「きゅぃ~」

 ジルヴァーがブランカの背中から見上げてくるので、シウは笑った。

「ジルも鳴かずに待ってたねえ。よしよし」

「ぷぎゅぴゅぴゅ」

 自力で起き上がってブランカの上に座ると両手を前に出す。シウに抱っこしてほしいと、おねだりだ。

 もちろんシウは叶えてあげる。抱き取って揺すった。ジルヴァーはおとなしいが、嬉しい時はちゃんと声を上げる。幼獣特有のきゃっきゃという雰囲気で「ぴゅいぴゅい」と楽しげだった。

 同じきゃっきゃという楽しさを表現する場合も、フェレスやブランカとは違う。

 性格的にはフェレスとブランカが同じタイプで、クロとジルヴァーが似ているようだった。

 まだ幼いジルヴァーをついつい先に構うせいで、ブランカが拗ねるかもと心配になる。しかし彼女は待っていた。ちょんと座って待っているのだ。もっとも瞳は期待に満ちているし、尻尾はそわそわと忙しなかったが。

 シウはジルヴァーを撫でて可愛がると、片手でブランカの頭を撫でた。体ごとくっつくと、彼女は嬉しそうに擦り付けてくる。

「ぎゃぅ、ぎゃぅん~」

 やっぱり、ぐねぐねする。フェレスとよく似た動きだった。


 適度にブランカの相手をすると彼女は気が済んだのかキョロキョロし始めた。

「ロトスのところへ行っといで」

「ぎゃぅ!」

 野営の準備を始めたロトスに突撃に行った。彼女は一緒になって遊んでくれるロトスが大好きだ。兄貴分だと思っているのか、あるいは仲間と思っているのかは分からないが仲良しだった。

「どわー。ばか、やめろ、せっかくの竈が崩れるじゃねえか!」

「ぎゃぅぎゃぅっ」

 騒がしい彼等に微笑みながら、シウはクロを肩に載せるとぼんやり立っているバルバルスを呼んだ。

「な、なんだ?」

「訓練のことだけどね」

 そう言うと、バルバルスは背筋を伸ばした。

「一度、村を出てみよう」

 バルバルスは固まった。

「村を出て、一人になる時間が必要だと思う。黒の森へ入ることだけで罰になったとも思えないし」

 プリスクスなどは恐ろしい罰のように感じたらしかったが、行きも帰りもフェレスの上で、魔獣を討伐したわけでもない。

 ロトスに甘いと言われたからではないし、もっと償うべきだと思ったからでもなかった。シウは、バルバルスが両親の下へ戻って元に戻るかもしれないのが怖かった。

 両親に悪気があるわけではない。シウもそうだが、大事な子を守りたいと思うのは当然の心理だ。

 でも今のバルバルスには「精神的に」独り立ちするという時間が必要だと思う。

「強くなろう。誰のためでもない。君自身のために」

「お、俺は……」

「村を出たいと思ったんだよね? 今なら冒険者として実力のある僕と、適度にスパルタの先輩ロトスがついてくるよ」

 にこりと笑ったのだが、バルバルスは引き攣るだけだった。

 ロトスが聞いていたらしくシウに念話を送ってくる。

(久々に面白いジョークだったけどさー。バルやんにはちょいと早かったんでない?)

(……。バルやん?)

(可愛くね? バルバルスって舌噛みそうだし)

(あー。うん、そうだね)

 シウは脱力して、話はここで終わった。



 シウがジルヴァーを抱っこしながらフェレスとブランカに挟まれて寝ていると、テントの外の声が漏れ聞こえた。

 クロがテントの上で警戒しつつ、ロトスとバルバルスが見張り当番をしている。

 彼等の声がクロの気配を通して伝わってきた。クロが気になってシウは自然と《感覚転移》を使っていたようだ。

「だからな、お前に差し入れしたのは村の備蓄材料だった。昨日食べたのも変わりねえ。いいか。でも、お前んところの庭でやったお祭りでアトルムパグールスっつう蟹食ったわけ」

 食べ物の話をしているのかと、シウは思わずふふふと笑う。

「すっげー、美味しいって皆食べてたけどな。いいか、それよりもっと美味しいものがあるんだ。この世にはな、まだまだ上があるってことだよ」

 一体何の話をしているんだと苦笑する。

 シウはもぞもぞと動くジルヴァーを優しく撫でた。良い場所に落ち着いたらしい彼女は、満足そうに「ふーっ」と息を吐く。

「ペルグランデカンケル、食べたくないか? 幻の蟹だ。脳がとろけるんじゃないかってぐらい、美味い。あとな、馬も美味しい」

「馬? 四足の、あの馬?」

「馬は知ってんだな。そうだ。ただし馬は馬でも魔獣の馬だ。鬼竜馬って知ってるか? そりゃあ怖い見た目だ。鬼って言うだけあって角があって怖ぇ顔してんだ。でも――」

 何故か溜めを作っている。なんとなくロトスがどんな顔をしているのか、シウは想像がついた。

「超美味い」

 バルバルスがゴクリとツバを飲み込む音まで聞こえてくる。

「まだまだ美味いものが、この世の中にはあるんだ。ここにいたら知らないだろ」

「……仕方ないだろ」

「仕方なくない。お前んちの村、頑張ろうとしてる。でもな、長いこと引きこもってた人間が、そう簡単に考えを改められるわけねえんだ。改革? そんなの夢かもしれない。だけど、お前は違うじゃん」

「俺が、村を出ようとしたからか?」

「そだよ。やったことは卑怯だけどな。んでも、それだけの行動力があったろ。考えなしでバカだったけど」

 言葉に詰まったらしいバルバルスの気配が伝わり、シウは苦笑した。ロトスもシウと同じじゃないか。ガーディニアにポロッと零して、彼女を傷つけた時のことを思い出す。いや、あれと同じにしてはロトスに悪いか。

 シウはジルヴァーを撫でた。誰だって、悪い部分はある。そう簡単には直らない。努力しかない。努力だ。

「お前みたいなのが改心してさ。そんでうだうだしてる皆を引っ張ってやればいいんじゃね? どのみち、お前が次のトップかそれに近い立場になるんだろ?」

「……どうなるか分かんねえよ。俺は裏切ったんだから」

「んなもん、それこそ経験だっつうの。誰だってバカの一つや二つはやってる。なーんにもやらかさない人間なんて、そっちの方が胡散臭い」

「なんだよ、それ」

「と、シウは言うかなーと思う」

 ロトスの照れたような声が聞こえて、シウはそろそろ《感覚転移》を切ろうとした。けれど間際に聞こえた言葉がそれを止める。

「やり直せないほどの悪事って、ほとんどないんだよな。そういうの俺は最近知った。完璧な人間っていないんだ。自分の思い描く人生や、正しいって思う生き方。それを完璧にトレースできる奴、本当にいるか? いねえよ。ちょっとしたミス、気の迷いで犯した罪。それ、今後の人生を全部ダメにしちゃわなきゃいけないほどのものか?」

「……俺は」

「シウは、許したいんだ。俺ずっとシウのことを甘いんだと思ってた。でも違う。あいつ、許したいんだ。経験者なんだよ、きっと。俺なんかよりも哀しい思いとか辛い思いをしてきた。そういうの経験して、だから、許したいし許されたいんだ。俺も、お前のことを叱ったりはするけど詰ることはしない。お前反省してるだろ。だったらそれでいいんだよ。償おうぜ。それは、村に還元すりゃいいことだ。そうだろ。お前はそれで許される」

 今度こそ、シウは《感覚転移》を切った。最後にバルバルスの嗚咽が聞こえたからだ。

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